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22/31

窓の外


午前5時30分

エリザベータ・ルイーゼは、執務室の窓から外を見ていた。

いつものように早朝から起きて、規定集を読んでいた。

しかし、今朝は手が止まっていた。

窓の外。

まだ暗い空が、少しずつ明るくなり始めている。

宮殿の庭。整然と手入れされた木々。

遠くに、街の灯りが見える。

「……」

エリザベータは、ただ外を見ていた。

規定集は、開いたまま机の上。

『王室土地管理規定』第47条で止まっている。

しかし、彼女の目は、窓の外に向いていた。

「何を見ているんでしょう」

自分でも、わからなかった。



マリアンネが紅茶を持ってきた。

「殿下、お早いですね」

「いつも通りです」

「でも、今朝は規定を読んでおられない」

マリアンネは気づいた。

「はい」

エリザベータは、窓から目を離さなかった。

「外を見ています」

「何か、ございましたか」

「いえ、特には」

エリザベータは続けた。

「ただ、見ているだけです」

マリアンネは、隣に立った。

二人で、窓の外を見る。

「きれいですね」

「はい」

「殿下が、こうして何もせずに窓を見ているのは、珍しいです」

「そうですね」

エリザベータは微笑んだ。

「たまには、何も考えない時間も必要かもしれません」



午前10時

午前中の会議が終わった後。

エリザベータは、また窓の外を見ていた。

今度は、明るい日差しの中。

庭で、庭師が働いている。

木を剪定し、花壇を整え、落ち葉を集めている。

「毎日、同じ作業をしているんですね」

エリザベータは呟いた。

規定を読むことと、似ているかもしれない。

毎日、同じように規定を読む。

矛盾を探し、改善策を考える。

繰り返し。

しかし、庭師の仕事には、目に見える変化がある。

木は整えられ、花は咲き、庭は美しくなる。

「私の仕事は……」

エリザベータは考えた。

規定を改善しても、目に見える変化は少ない。

書類が少し効率的になる。

手続きが少しスムーズになる。

それだけ。

「でも、それでいいのかもしれません」



午後2時

午後の作業中。

エリザベータは、また窓の外を見ていた。

今日、何度目だろう。

空には雲が流れている。

ゆっくりと、形を変えながら。

「雲は、規定に従っていません」

エリザベータは、そんなことを考えた。

雲には、形の規定がない。

流れ方の規定もない。

ただ、風に従って、自由に動く。

「自由、か」

エリザベータは、その言葉を反芻した。

自分は、自由なのだろうか。

規定に縛られ、義務に追われ、責任を負って。

しかし、それは自分で選んだ道。

「私は、これでいいんです」

窓の外の雲を見ながら、自分に言い聞かせた。



夕方5時

夕日が差し込む時間。

エリザベータは、規定集を閉じた。

そして、窓辺に立った。

空がオレンジ色に染まっている。

街にも、明かりが灯り始めた。

「一日が、終わっていきます」

今日、どれだけの規定を読んだだろう。

どれだけの矛盾を見つけただろう。

どれだけの改善案を考えただろう。

「でも、今日は何度も窓を見ました」

いつもと違う一日。

特別な出来事があったわけではない。

ただ、何度も窓の外を見た。

それだけ。



マリアンネとの会話

「殿下、今日は窓ばかり見ておられましたね」

夕食の後、マリアンネが言った。

「はい」

「何か、お考えですか」

エリザベータは首を振った。

「いいえ。何も考えていません」

「何も?」

「はい。ただ、外を見ていただけです」

マリアンネは微笑んだ。

「それは、良いことかもしれません」

「良いこと、ですか」

「はい。殿下は、いつも何かを考えておられます。規定のこと、改革のこと、矛盾のこと」

「それが、私の仕事ですから」

「しかし、時には何も考えない時間も必要です」

エリザベータは窓の外を見た。

もう暗い。

星が見え始めている。

「そうかもしれません」



午後11時。

エリザベータは、まだ起きていた。

しかし、規定集は開いていない。

ただ、窓の外を見ていた。

暗闇の中、街の明かりが点々と見える。

あそこには、人々が暮らしている。

それぞれの生活がある。

「私の改革は、あの人たちの役に立っているのでしょうか」

エリザベータは、そんなことを考えた。

規定を改善すれば、官僚の仕事は効率化する。

しかし、街の人々は、それを知っているだろうか。

感じているだろうか。

「わかりません」

でも、それでいい。

見えない改革でも、積み重なれば、きっと意味がある。

そう信じて、続けるしかない。



翌朝、午前5時30分。

エリザベータは、また窓の外を見ていた。

昨日と同じ時間。

しかし、景色は少し違う。

雲の形、風の向き、光の角度。

すべて、昨日とは違う。

「同じように見えて、毎日違うんですね」

エリザベータは気づいた。

それは、自分の仕事も同じかもしれない。

毎日、規定を読む。

同じような作業の繰り返し。

しかし、見つける矛盾は違う。

考える改善策も違う。

「同じことの繰り返しではない」

エリザベータは、規定集を開いた。

『王室土地管理規定』第48条。

昨日の続きから。

しかし、時々、窓の外を見た。



その日の午後、第一王子ヴィルヘルムが訪ねてきた。

「エリザベータ、最近窓ばかり見ていると聞いたが」

「誰から聞いたのですか」

「マリアンネから」

エリザベータは苦笑した。

「はい、見ています」

「なぜだ」

「わかりません。ただ、見たくなるんです」

ヴィルヘルムは、エリザベータの隣に立った。

窓の外を見る。

「何が見える」

「庭、空、街、人々」

「それだけか」

「はい」

ヴィルヘルムは微笑んだ。

「お前も、変わったな」

「変わった、ですか」

「ああ。以前のお前なら、窓を見ている時間があれば、規定を読んでいた」

エリザベータは頷いた。

「確かに」

「でも、今は違う」

「はい」

ヴィルヘルムは続けた。

「それは、良いことだ」



一週間後。

エリザベータは、ある発見をした。

窓から、宮殿の裏庭が見える。

そこに、古い井戸があった。

使われていない、古い井戸。

「あれは……」

エリザベータは、記録を調べた。

『宮殿施設管理台帳』

井戸の記載がある。

しかし、最後の点検記録は15年前。

「放置されていますね」

エリザベータは、すぐに提案書を書いた。

『宮殿内未使用施設の管理改善提案』

窓から見つけた、小さな改革。

これまで、何度も宮殿内を歩いた。

しかし、この井戸には気づかなかった。

「窓から見ると、違う景色が見えるんですね」



それ以来、エリザベータは意識的に窓から外を見るようになった。

執務室の窓だけでなく、廊下の窓、会議室の窓。

様々な窓から、様々な景色を見た。

そして、気づいたことを記録した。



東棟の窓から見える古い倉庫(使用状況不明)

南棟の窓から見える中庭の石畳(一部破損)

西棟の窓から見える外壁(修繕が必要)



すべて、以前は気づかなかったこと。

「歩いているだけでは、見えないものがあるんですね」

立ち止まって、窓から見る。

それは、新しい視点を与えてくれた。



「殿下、最近変わりましたね」

ある日、マリアンネが言った。

「何がですか」

「窓を見るようになってから、発見が増えました」

「はい」

「でも、それだけではありません」

「と言いますと?」

マリアンネは続けた。

「殿下の表情が、穏やかになりました」

「穏やかに?」

「はい。以前は、いつも真剣な顔をしておられました」

「それは……仕事ですから」

「しかし、今は時々、ぼんやりと窓を見ておられます」

マリアンネは微笑んだ。

「それが、良いのだと思います」



ある雨の日。

エリザベータは、窓から雨を見ていた。

庭に降る雨。

木々を濡らし、花を打ち、地面を潤す。

「雨も、規定に従っていません」

いつ降るか、どれだけ降るか、決まっていない。

しかし、雨は必要だ。

規定がなくても、自然は機能する。

「規定は、完璧ではないんですね」

エリザベータは、そんなことを考えた。

規定は、人が作ったもの。

だから、不完全。

矛盾もあれば、欠陥もある。

「でも、それでいい」

完璧を求めすぎなくてもいい。

少しずつ、改善していけばいい。

雨のように、少しずつ。



冬になった。

窓の外には、雪が降っていた。

エリザベータは、温かい紅茶を飲みながら、雪を見ていた。

「きれいですね」

真っ白な雪が、庭を覆っていく。

昨日まで見えていた景色が、白く変わる。

「同じ場所でも、季節で変わるんですね」

規定も、同じかもしれない。

時代によって、変わるべきものがある。

変えてはいけないものもあるが、変えるべきものもある。

「柔軟に、考えないといけませんね」

エリザベータは、そう学んだ。



春。

窓の外の木々に、新芽が出始めた。

エリザベータは、その変化を見ていた。

「少しずつ、変わっていくんですね」

昨日と今日で、大きな違いはない。

しかし、一ヶ月前と比べれば、明らかに違う。

「改革も、同じです」

一つ一つの改革は、小さい。

すぐに大きな変化は見えない。

しかし、積み重なれば、季節が変わるように、国も変わる。

「焦る必要は、ないんですね」

エリザベータは、窓から学んだ。



ある夕暮れ。

エリザベータは、窓から街を見ていた。

家々から、明かりが灯り始める。

夕食の準備をしているのだろう。

家族が集まっているのだろう。

「あの人たちは、規定のことなど考えていないでしょうね」

エリザベータは微笑んだ。

それでいい。

人々が、規定を意識せずに暮らせる。

それが、良い規定の証拠。

「私の仕事は、表には出ません」

でも、それでいい。

影で、静かに、国を支える。

それが、自分の役割。



その夜の王族政策研究会。

エリザベータは、兄弟たちに言った。

「最近、よく窓の外を見ています」

カールが笑った。

「姉上が、窓を見る?」

「はい」

「珍しいですね。いつもなら、規定集しか見ていないのに」

アルブレヒトが尋ねた。

「何が見えるのですか」

「色々です」

エリザベータは答えた。

「庭、街、空、雲、雨、雪、人々」

「それだけですか?」

「いいえ」

エリザベータは続けた。

「時間の流れが見えます。変化が見えます。そして、自分の仕事の意味が見えます」

ヴィルヘルムが頷いた。

「窓から、多くを学んだんだな」

「はい」



窓を見始めて、一年。

エリザベータの仕事は、変わった。

相変わらず規定を読み、矛盾を見つけ、改革を提案する。

しかし、以前とは違う。

焦らなくなった。

完璧を求めすぎなくなった。

そして、時々立ち止まって、窓から外を見るようになった。

「この習慣、続けましょう」

エリザベータは決めた。

どんなに忙しくても、一日に一度は窓を見る。

そして、自分の位置を確認する。

自分が何をしているのか。

誰のためにしているのか。

なぜしているのか。

「窓は、私に教えてくれます」



ある日、模倣国の若い王女が訪問した。

「エリザベータ様、質問があります」

「どうぞ」

「あなたは、どうやって改革を続けているのですか。疲れませんか」

エリザベータは、窓の方を向いた。

「窓を見てください」

「窓、ですか」

二人で、窓の外を見た。

「何が見えますか」

「庭と、街と、空です」

「それだけですか?」

若い王女は、もう一度見た。

「……時間の流れが見えます」

「そうです」

エリザベータは微笑んだ。

「窓から見ると、世界は続いていることがわかります。昨日も今日も明日も」

「はい」

「だから、私も続けられます。焦らず、少しずつ」

若い王女は、深く頷いた。

「理解しました」



今日も、エリザベータは窓の外を見ている。

午前5時30分。

空が明るくなり始める時間。

いつもと同じ景色。

しかし、昨日とは少し違う。

雲の形、風の向き、光の色。

「毎日、違うんですね」

エリザベータは、規定集を開いた。

今日も、規定を読む。

矛盾を探す。

改革を考える。

しかし、時々、窓の外を見る。

立ち止まって、確認する。

自分の位置を。

自分の役割を。

自分の意味を。

「今日も、一日が始まります」

窓の外の世界と共に。


終わり



彼女の執務室の窓際には、小さな椅子が置かれていた。

「窓を見る椅子」と、マリアンネは呼んでいた。

若い官僚たちは、時々その姿を見る。

王女が、窓から外を見ている姿。

何も持たず、ただ立って、外を見ている。

最初は不思議に思った。

しかし、やがて理解した。

「王女殿下は、窓から学んでおられるんだ」

時間の流れ。

変化の遅さ。

継続の大切さ。

そして、自分の位置。

ある若い官僚が、真似を始めた。

疲れた時、窓から外を見る。

焦った時、窓から外を見る。

すると、不思議と落ち着いた。

「窓は、良い師だな」

こうして、「窓を見る」という習慣は、静かに広まっていった。

エリザベータ王女から始まった、小さな習慣。

しかし、多くの人々に影響を与えた。

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