表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/9

王女殿下の視察と三十七の承認印

王女殿下の視察と三十七の承認印




王女エリザベータ・ルイーゼの元に、一通の文書が届いた。

『王族による孤児院視察計画書(様式第二百十四号)』

差出人は、慈善事業局。

「また視察ですか」

侍女のマリアンネが、書類を受け取った。

「年に四回、規定です」

「分かってますけど……」

エリザベータは、計画書を開いた。

視察先、日程、随行者、移動手段、全てが詳細に記載されている。

最終ページには、承認印欄があった。

必要な印の数:三十七個。

「……三十七」

「はい。王族の視察には、関係各局の承認が必要です」

エリザベータは、印欄を見た。

すでに三十六個の印が押されていた。

最後の一つだけが、空白だった。

「この最後の印は」

「殿下ご自身の承認印です」

「つまり、私が承認すれば」

「視察が実施されます」

エリザベータは、ペンを手に取った。

そして、ふと思った。

「……これ、私が拒否したらどうなるんですか」

マリアンネは、三秒ほど固まった。

「拒否、ですか」

「はい。私が『行きたくない』と言ったら」

「それは……規定にありません」

「ありませんよね」

エリザベータは、にやりと笑った。

「試してみましょう」



翌日、慈善事業局に一通の文書が届いた。

『王族による孤児院視察計画書に対する差し戻し通知(様式第九十二号)』

差出人:王女エリザベータ・ルイーゼ

差し戻し理由:「視察の目的が不明確」

慈善事業局の担当官、ヘルマンは書類を三回読み返した。

「……差し戻し?」

隣の席の同僚が、覗き込んだ。

「王女殿下が、視察を差し戻した?」

「そう書いてある」

「理由は」

「『目的が不明確』」

二人は、顔を見合わせた。

「でも、目的は書いてあるだろう。『孤児院の運営状況を視察し、王族として励ましの言葉をかける』って」

「殿下は、それが不明確だと仰ってる」

同僚は、計画書を読み直した。

「……確かに、『励まし』って何をすることか、具体的に書いてないな」

「書く必要あるのか?」

「殿下は、必要だと判断されたんだろう」

ヘルマンは、頭を抱えた。

「どうする。王族の差し戻しに対応する規定なんて、あるのか」

「……探してみる」

二人は、規定集の山に埋もれた。



三日後、慈善事業局は回答を作成した。

『王族による孤児院視察計画書(第二次改訂版)』

変更点は、「視察の目的」欄の記載を詳細化したことだった。


視察の目的:


孤児院の運営状況を確認する

孤児たちの健康状態を観察する

王女殿下より、孤児たちに「健やかに育ちなさい」との言葉をかけていただく

以上により、孤児たちに王室の温かさを示す



エリザベータは、この改訂版を受け取った。

そして、再び差し戻した。

差し戻し理由:「第3項の『健やかに育ちなさい』という言葉の効果が不明」

ヘルマンは、書類を握りしめた。

「……効果?」

「殿下は、『その言葉で、本当に孤児たちが励まされるのか』と問うておられます」

同僚が、規定集を閉じた。

「これ、答えられるのか?」

「答えられるわけがない」

「でも、答えないと視察が実施できない」

ヘルマンは、深く息を吐いた。

「……局長に相談する」



慈善事業局長、ルートヴィヒは報告を聞いて、静かに笑った。

「面白い」

「面白い、ですか」

「王女殿下は、我々の仕事の本質を突いてこられた」

ルートヴィヒは、窓の外を見た。

「我々は、『王族が孤児院を訪問する』という形式を整えることに集中してきた。だが、その形式が本当に意味があるのか、考えたことがあるか」

「……ありません」

「殿下は、それを問うておられる」

ルートヴィヒは、立ち上がった。

「では、きちんと答えよう。孤児院に直接聞け」

「孤児院に、ですか」

「王族の訪問が、本当に役立つのか。役立つなら、どのような形が良いのか」

ヘルマンは、メモを取った。

「了解しました」

こうして、慈善事業局は前例のない調査を開始した。



一週間後、ヘルマンは王都内の三つの孤児院を回った。

最初の孤児院の院長は、困惑した顔をした。

「王女殿下の訪問が役立つか、ですか」

「はい。率直なご意見を」

院長は、少し考えた。

「正直に申し上げますと……あまり」

「あまり?」

「訪問の準備が大変なんです。子供たちに礼儀作法を教え、院内を掃除し、特別な食事を用意する。その労力に比べて、殿下がおられるのは三十分程度」

「では、訪問は不要と」

「いえ、そうは言いません。子供たちは、喜びます。『王女様が来た』ということ自体が、特別な思い出になります」

ヘルマンは、メモを取った。

「では、どのような訪問が良いとお考えですか」

「できれば、もっと気軽に。準備に時間をかけず、普段の様子を見ていただく形が良いかと」

二番目の孤児院では、別の意見が出た。

「王女殿下には、できれば何か一緒に作業をしていただきたいです」

「作業、ですか」

「はい。『励ましの言葉』より、一緒に庭の草取りをするとか、食事を配るとか。そういう方が、子供たちは嬉しいと思います」

三番目の孤児院の院長は、思い切った提案をした。

「年に一回、長時間の訪問より、短時間でも頻繁に来ていただく方が良いです」

「頻繁に、ですか」

「はい。『王女様は、私たちのことを気にかけてくださっている』と感じられる方が、励みになります」

ヘルマンは、三つの孤児院の意見をまとめた。

そして、報告書を作成した。



『孤児院関係者からの意見聴取結果報告書』

エリザベータは、この報告書を興味深く読んだ。

「なるほど……現場は、こう考えているんですね」

マリアンネが、尋ねた。

「どうされますか、殿下」

「慈善事業局に、提案を出します」

エリザベータは、新しい書類を作成し始めた。

『王族による孤児院訪問改善提案書(王女エリザベータ作成)』

提案内容は、以下の通り。



年四回の定期視察を、年八回の短時間訪問に変更

訪問時は、事前の特別準備を不要とする

「励ましの言葉」に加え、簡単な作業を孤児と共に行う

訪問内容は、孤児院側の希望を聞いた上で調整する



マリアンネは、書類を見て目を丸くした。

「殿下、これは……王族の視察のあり方を、根本から変える提案です」

「だから、面白いんです」

「ですが、関係各局の承認が」

「取れないでしょうね。だから、まず慈善事業局に投げます」

エリザベータは、書類を封筒に入れた。

「局長がどう反応するか、楽しみです」



ルートヴィヒは、提案書を読んで、再び笑った。

「やはり、面白い」

ヘルマンが、恐る恐る尋ねた。

「局長、これは実施可能でしょうか」

「可能かどうかは、やってみないと分からない」

「ですが、王族の行動を変えるには、宮内局、式典局、警備局、財務局……」

「全部で何局の承認が必要だ」

「最低でも、十二局です」

ルートヴィヒは、立ち上がった。

「では、全部回る」

「……本当にですか」

「王女殿下が、ここまで真剣に考えてくださった。我々が逃げるわけにはいかない」

ヘルマンは、書類を抱えた。

「了解しました。協力します」

こうして、前例のない承認取得作戦が始まった。



最初の関門は、宮内局だった。

「王女殿下の訪問回数を、二倍にする?」

宮内局の担当官は、書類を睨んだ。

「警備の負担が二倍になる。予算は確保できるのか」

「一回あたりの滞在時間を短縮するので、総負担は変わりません」

「だが、移動回数は増える」

「はい。ただし、殿下ご自身のご希望です」

担当官は、考え込んだ。

「……殿下のご希望なら、反対はしない。だが、警備局の承認も必要だ」

「次はそちらに伺います」

宮内局の印を得た。

次は、警備局。

「事前準備を不要にする? それは、警備上問題がある」

「孤児院は、すでに安全確認済みの施設です」

「だが、通常は訪問の一週間前に再確認を行っている」

「それを、三日前に短縮することは可能ですか」

警備局の担当官は、規定を確認した。

「……可能だ。ただし、警備員の配置計画を変更する必要がある」

「では、ご協力いただけますか」

「殿下のご希望なら」

警備局の印を得た。

次は、式典局。

「『励ましの言葉』以外の行動を追加する? それは、式典の台本にない」

「台本を、拡張していただきたいのです」

「拡張……例えば、どんな行動だ」

「孤児と一緒に庭仕事をする、食事を配る、絵本を読む、など」

式典局の担当官は、絶句した。

「……それは、式典ではなく、日常作業だ」

「はい。だから、新しいんです」

「新しすぎる」

ヘルマンは、提案書を差し出した。

「孤児院側の要望です。ご一読ください」

担当官は、報告書を読んだ。

しばらく沈黙した後、溜息をついた。

「……分かった。台本を作り直す」

式典局の印を得た。



三ヶ月後、十二の局すべてから承認を得た。

『王族による孤児院訪問改善計画(最終版)』

エリザベータの元に、完成した計画書が届いた。

最終ページには、承認印が四十九個並んでいた。

「……増えてますね」

マリアンネが、苦笑した。

「各局が、それぞれ関連部署にも確認したようです」

「でも、全部通ったんですね」

「はい。殿下のご提案が、実現します」

エリザベータは、計画書を開いた。

細部は調整されていたが、核心は残っていた。

年八回、短時間、準備不要、共同作業。

「やりましたね」

「はい。ただし、殿下」

「何ですか」

「この計画、殿下ご自身の負担も二倍になりますが」

エリザベータは、笑った。

「それは承知の上です。でも、意味のない視察を年四回やるより、意味のある訪問を年八回やる方が、ずっと良いです」

マリアンネは、深く頷いた。

「では、最初の訪問は来月です。準備を始めましょう」



最初の「新方式」訪問は、王都北部の孤児院で実施された。

エリザベータが到着すると、院長が出迎えた。

「王女殿下、ようこそ」

「お邪魔します。今日は、庭の草取りを手伝わせていただきたいのですが」

院長は、驚いた顔をした。

「本当に、よろしいんですか」

「もちろんです。子供たちは」

「庭で待っております」

庭には、十人ほどの孤児が集まっていた。

エリザベータは、彼らに近づいた。

「こんにちは。一緒に草取り、してくれますか」

子供たちは、最初は緊張していたが、エリザベータが実際に草を抜き始めると、次第にリラックスした。

「王女様、この草も抜いていいですか」

「うん、抜いていいわよ」

「こっちにも、いっぱいあります」

「じゃあ、みんなで競争しましょうか。誰が一番たくさん抜けるか」

子供たちは、笑い声を上げながら草を抜き始めた。

エリザベータも、その中に混じって作業を続けた。

一時間後、庭はすっかり綺麗になった。

「ありがとう、みんな。とても綺麗になったわ」

「王女様も、お疲れ様でした」

子供たちが、笑顔で手を振った。

エリザベータは、その笑顔を見て、確信した。

これは、「励ましの言葉」より、ずっと良い。



三ヶ月後、慈善事業局に報告書が提出された。

『新方式孤児院訪問・効果測定報告書』

作成者:各孤児院院長(連名)

内容は、驚くほど好評だった。


王女殿下の新方式訪問により、孤児たちの表情が明るくなった。

「王女様が、また来てくれる」という期待が、日常の励みになっている。

共同作業を通じて、殿下との距離が近く感じられるようになった。


ルートヴィヒは、報告書を読んで、満足そうに頷いた。

「成功だな」

ヘルマンが、答えた。

「はい。王女殿下の判断は、正しかった」

「いや、判断だけではない。殿下は、制度を変えられた」

「制度、ですか」

「『王族の視察は形式的なもの』という前提を、殿下は覆された。これは、大きな変化だ」

ルートヴィヒは、窓の外を見た。

「他の王族にも、この方式が広がるかもしれない」

「それは……」

「良いことだ。制度は、現場の声で変わるべきだ」



一年後、エリザベータの訪問回数は予定通り八回に達した。

各孤児院からの評価は、さらに高まった。

ある日、国王が尋ねた。

「エリザベータ、お前の孤児院訪問、評判が良いそうだな」

「はい、父上。子供たちが喜んでくれています」

「だが、お前の負担は増えたのではないか」

「増えましたが、楽しいです」

国王は、複雑な表情をした。

「王族の仕事を、『楽しい』と言うのか」

「はい。意味があると感じられるので」

「……そうか」

国王は、少し考えた。

「実は、私も似たような提案を受けている」

「何の提案ですか」

「地方視察の方式を、変更してはどうかと」

エリザベータは、目を輝かせた。

「やってみてください、父上。きっと、良い結果が出ます」

国王は、笑った。

「お前が言うなら、やってみるか」

窓の外では、馬車が孤児院へ向かう準備をしていた。

エリザベータの次の訪問は、明日だった。

彼女は、すでに次の「共同作業」を考えていた。

今回は、子供たちと一緒に、絵本を作る予定だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ