晩餐会の災難
第一章 憂鬱な予定
「殿下、今夜の晩餐会の準備を」
マリアンネが執務室に入ってきた時、エリザベータは分厚い規定集に埋もれていた。
「晩餐会……ああ、そうでした」
エリザベータは顔を上げた。23歳の王女は、明らかに面倒そうな表情をしている。
「模倣国の使節団歓迎晩餐会です。お忘れですか」
「忘れていません。ただ、優先度が低いだけです」
「殿下、これは公式行事です」
「分かっています」
エリザベータは手帳を確認した。
本日の予定:
午前:様式第701号の調査(完了)
午後:宮内局との会議(完了)
夕方:規定集の読書(進行中)
夜:晩餐会(必須、但し非生産的)
「『非生産的』って書いてありますね」
マリアンネが手帳を覗き込んだ。
「事実です」
「殿下、外交は重要です」
「分かっています。だから出席します」
エリザベータは規定集を閉じた。
「ところで、マリアンネ。晩餐会の席次、誰が決めているんですか」
「宮内局の儀典課です」
「規定はありますか」
「はい。『王室儀典規定』に詳しく」
エリザベータの目が輝いた。
「読んだことがありません。見せてください」
「殿下、今はそれより着替えを」
「5分だけです」
マリアンネは深く息を吐いた。
第二章 発見
『王室儀典規定』は予想以上に分厚かった。
エリザベータはページをめくりながら、晩餐会の席次に関する章を読んだ。
「面白いですね」
「何がですか」
「席次の決定方法、かなり複雑です」
規定によれば、席次は以下の要素で決まる:
爵位
官職
年齢
外交上の重要度
過去の前例
「でも、この規定、矛盾していませんか」
「どこがですか」
エリザベータは該当箇所を指差した。
「第17条では『爵位を最優先』とありますが、第23条では『外交上の重要度を考慮』とある。どちらが優先されるんでしょう」
「それは……状況によるのでは」
「曖昧ですね」
エリザベータはメモを取り始めた。
「殿下、本当にそろそろ」
「分かりました」
しかし、エリザベータの頭は、既に席次の矛盾でいっぱいだった。
第三章 晩餐会開始
宮殿大広間。煌びやかな装飾、整然と並んだテーブル。
エリザベータは、王族用の正装で現れた。品位はあるが、過度に華美ではない。彼女らしい服装だ。
「エリザベータ王女殿下、お美しい」
模倣国の使節団長が挨拶してきた。
「ありがとうございます。ようこそ、本家国へ」
社交辞令は完璧だ。エリザベータは王族としての礼儀作法を熟知している。
ただし、使う気がある時だけ。
席に着くと、彼女は周囲を観察し始めた。
右隣は模倣国の外務次官。左隣は本家国の宮内局次長。向かいには、模倣国の経済顧問。
「規定通りの配置ですね」
エリザベータは小声で呟いた。
マリアンネが遠くから不安そうに見ている。
第四章 最初の「やらかし」
前菜が運ばれてきた。
模倣国の外務次官が、社交的な話題を振ってきた。
「王女殿下、本家国の宮殿は素晴らしいですね」
「ありがとうございます」
「特に、この大広間の天井画は見事です」
「はい。125年前の作品です」
エリザベータは答えながら、視線を天井に向けた。
そして、眉をひそめた。
「……あれ?」
「殿下?」
「天井画、一部色が変わっていませんか」
周囲の人々が天井を見上げた。
確かに、北東の隅の部分だけ、微妙に色が違う。
宮内局次長が慌てて言った。
「おそらく、照明の関係かと」
「いいえ」
エリザベータは立ち上がった。
「修繕の記録と違います」
「殿下、お席に」
しかし、エリザベータは既に侍従を呼んでいた。
「梯子を持ってきてください」
「梯子、ですか」
「はい。天井を確認します」
大広間が静まり返った。
国王リオナルド三世が、遠くから娘を見ている。表情は変わらない。
第五章 調査開始
「殿下、晩餐会の最中に梯子は」
宮内局次長が必死に止めようとした。
「問題ありません。第一皿と第二皿の間には、規定で15分の間隔があります」
「それは、給仕のためであって」
「規定には『給仕のため』とは書いてありません。『15分の間隔を設ける』とだけあります」
エリザベータは侍従が持ってきた梯子を登り始めた。
模倣国の使節たちは、唖然としている。
本家国の官僚たちは、頭を抱えている。
マリアンネは、もはや諦めた顔をしている。
エリザベータは天井近くまで登ると、問題の箇所を確認した。
「やはり」
「何か問題がございますか」
下から宮内局次長が尋ねた。
「この部分、修繕記録にない補修がされています」
「それは……」
「記録によれば、最後の修繕は12年前。しかし、この塗装は明らかに新しい。5年以内です」
エリザベータは手帳にメモを取った。
「宮内局次長、説明していただけますか」
次長は困惑した顔で答えた。
「私も、詳しくは……調査いたします」
「お願いします」
エリザベータは梯子を降りた。
そして、何事もなかったかのように席に戻った。
「失礼しました。続けましょう」
模倣国の外務次官は、言葉を失っていた。
第六章 第二の「やらかし」
主菜が運ばれてきた。
しかし、エリザベータの頭は既に天井画の謎でいっぱいだった。
彼女は、ほとんど無意識にナイフとフォークを動かしながら、修繕記録を思い出そうとしていた。
「王女殿下」
向かいの模倣国経済顧問が話しかけてきた。
「はい」
「本家国の財政制度について、お伺いしたいのですが」
「どうぞ」
「予算編成過程で、最も重視される要素は何でしょうか」
エリザベータは即座に答えた。
「効率性です。費用対効果の分析が最優先されます」
「なるほど。では、その分析手法は」
エリザベータは目を輝かせた。
「詳しくお話ししましょう」
彼女は、財務局での研修で学んだ内容を、詳細に説明し始めた。
予算要求の様式、査定の基準、配分の優先順位。
10分後、周囲のすべての会話が止まっていた。
エリザベータは、晩餐会のテーブルで、完全な予算編成講義を展開していた。
「……そして、様式第203号の第7欄は、特に重要です。ここで費用対効果を数値化するのですが」
「殿下」
マリアンネが小声で割って込んできた。
「はい」
「これは晩餐会です」
「知っています」
「予算の話は……」
エリザベータは周囲を見回した。
模倣国の使節たちは、メモを取っている。
本家国の官僚たちは、苦笑している。
国王は、相変わらず表情を変えていない。
「……あ」
エリザベータは気づいた。
「失礼しました。話しすぎましたね」
模倣国の経済顧問は、目を輝かせて言った。
「いいえ、大変勉強になりました。本家国の制度は、本当に合理的ですね」
「ありがとうございます」
エリザベータは、少しばつが悪そうにした。
第七章 第三の「やらかし」
デザートが運ばれてきた。
エリザベータは、ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた。
「今度こそ、静かに食べましょう」
彼女は自分に言い聞かせた。
しかし、運命は彼女を放っておかなかった。
デザートのプレートが置かれた時、彼女は気づいてしまった。
「……これ、おかしくないですか」
「何がですか、殿下」
隣の宮内局次長が尋ねた。
「プレートの配置です」
エリザベータは周囲のテーブルを見回した。
「国王陛下のテーブルは8人、我々のテーブルは9人。しかし、『王室晩餐会規定』では、すべてのテーブルは偶数人数と定められています」
「それは……」
次長は慌てて確認した。
「確かに、9人です」
「なぜですか」
「おそらく、急遽一名追加されたのでは」
「それは規定違反です」
エリザベータは立ち上がった。
「殿下、どこへ」
「儀典課長を呼んできます」
「今ですか」
「はい。規定違反は、見過ごせません」
マリアンネが飛んできた。
「殿下、お願いですから」
「マリアンネ、規定は規定です」
「分かっています。でも、今は」
その時、国王リオナルド三世が立ち上がった。
大広間が静まり返る。
国王は、娘の方を見た。
「エリザベータ」
「はい、父上」
「席に戻りなさい」
「しかし、規定が」
「規定の確認は、晩餐会の後でできる」
エリザベータは少し考えた。
「……はい」
彼女は席に戻った。
国王は座り、晩餐会は続いた。
第八章 晩餐会終了後
晩餐会が終わり、客人たちが退席した後。
エリザベータは、儀典課長を捕まえた。
「晩餐会のテーブル配置、規定と違いましたね」
「申し訳ございません、王女殿下」
儀典課長は深々と頭を下げた。
「模倣国の使節団、当初は16名の予定でしたが、急遽17名に増えました。時間がなく、やむを得ず」
「やむを得ない、では規定違反の理由になりません」
「はい……」
「では、どうすべきだったか、教えましょう」
エリザベータは手帳を開いた。
「『王室晩餐会規定』第52条、緊急時の対応。テーブルを再編成するか、王族が一名追加で出席すればよかったんです」
「しかし、再編成する時間が」
「だから、王族を追加すればよかった。弟たちは全員、宮殿にいました」
儀典課長は黙り込んだ。
エリザベータは続けた。
「次回から、こういう事態に備えて、予備の席次表を用意してください。様式第……」
「殿下」
国王の声が聞こえた。
エリザベータは振り返った。
「父上」
「少し、話がある」
第九章 国王との対話
国王の私室。
父と娘、二人きり。
「お前は、今夜何をした」
「晩餐会に出席しました」
「それだけか」
「……天井画の不備を発見し、予算制度について説明し、席次の規定違反を指摘しました」
国王は深く息を吐いた。
「お前は、晩餐会の目的を理解しているか」
「はい。外交関係の強化です」
「では、なぜあのような行動を」
エリザベータは真剣な顔で答えた。
「問題を見つけたからです」
「問題は、いつでも見つかる。しかし、いつ対処するかは、選ぶべきだ」
「……はい」
エリザベータは少し反省した顔になった。
「しかし、父上。天井画の無届修繕は、重大な規定違反です」
「それは、明日調べればいい」
「はい」
「お前に質問する。模倣国の使節たちは、今夜どう思ったと思うか」
エリザベータは考えた。
「おそらく……本家国の王女は、変わっていると」
「それだけか」
「……いいえ。本家国は、規定を重視する国だと、理解したかもしれません」
国王は微笑んだ。
「その通りだ」
「え?」
「お前の行動は、確かに型破りだった。しかし、本家国らしさを、見事に体現していた」
国王は続けた。
「模倣国は、我々の制度を学びに来た。お前は、制度への執着を、実演して見せた」
「それは……意図していませんでした」
「意図していなくても、結果は同じだ」
国王は娘を見た。
「エリザベータ、お前は王族らしくない」
「よく言われます」
「だが、それが本家国らしい」
エリザベータは微笑んだ。
「父上、それは褒め言葉ですか」
「最高の褒め言葉だ」
第十章 翌日
翌朝、エリザベータは宮内局を訪れた。
「天井画の無届修繕について、調査結果を教えてください」
担当者は報告書を提出した。
「7年前、天井の一部に雨漏りが発生しました。緊急で修繕しましたが、記録への記載を失念していたようです」
「失念、ですか」
「はい。担当者は既に退職しており」
「では、記録を補完しましょう」
エリザベータは提案書を取り出した。
「『事後記録登録様式』を作成しました。過去の未記録修繕を、遡って登録できます」
担当者は書類を見て、感心した。
「よくできています」
「ありがとうございます。承認をお願いします」
第十一章 模倣国使節団の感想
その頃、模倣国の使節団は宿舎で会議をしていた。
「昨夜の晩餐会、どう思う?」
使節団長が尋ねた。
外務次官が答えた。
「率直に言って、驚きました。晩餐会の最中に梯子を登る王女など」
経済顧問が笑った。
「しかし、王女殿下の予算制度の説明は、極めて有益でした」
「確かに」
使節団長は考えた。
「本家国という国を、理解した気がする」
「どういう意味ですか」
「彼らは、形式を重んじる。しかし、盲従はしない。規定は守るが、問題があれば指摘する」
「王女殿下は、その象徴ですね」
「ああ。あの王女がいる限り、本家国の制度は進化し続けるだろう」
使節団は、報告書に記した。
「本家国の強さは、規定への執着と、改善への意欲の両立にある」
第十二章 マリアンネの愚痴
侍女部屋。
マリアンネは同僚に愚痴をこぼしていた。
「昨夜は、本当に大変でした」
「聞きましたよ。梯子を登ったとか」
「はい。晩餐会の最中にです」
「王女殿下らしいですね」
「もう、ついていけません」
しかし、マリアンネの顔には、どこか誇らしげな表情があった。
「でも、殿下のおかげで、天井画の問題が見つかりました」
「それは良かったですね」
「ええ。結局、殿下の行動は正しかったんです」
「意地ですね」
「はい。殿下も、私も」
マリアンネは笑った。
第十三章 エリザベータの記録
その夜、エリザベータは日記を書いた。
本日の成果:
天井画の無届修繕を発見→記録補完の仕組み提案
模倣国使節に予算制度を説明→外交成果(?)
席次規定の不備を指摘→改善提案準備中
反省点:
晩餐会での行動、やや性急だった
父上の助言:問題対処のタイミングも重要
新たな疑問:
他の天井画にも、未記録修繕があるのでは?
『王室晩餐会規定』、他にも矛盾がないか?
エリザベータは手帳を閉じた。
「充実した晩餐会でした」
マリアンネが呆れた声で言った。
「普通、晩餐会はそういう場所ではありません」
「でも、問題が見つかったじゃないですか」
「もはや意地ですね」
「はい」
エリザベータは微笑んだ。
「次の晩餐会も、楽しみです」
「お願いですから、普通に出席してください」
「努力します」
しかし、二人とも知っていた。
エリザベータが「普通」の晩餐会に出席することは、決してないだろう。
終わり
エピローグ:三ヶ月後
『王室晩餐会規定』は、エリザベータの提案により全面改訂された。
主な変更点:
緊急時の席次変更手順の明確化
事前チェックリストの導入
過去の前例の文書化
儀典課長は、感謝の言葉を述べた。
「王女殿下のおかげで、規定が大幅に改善されました」
エリザベータは微笑んだ。
「良かったですね」
「次の晩餐会では、問題なく運営できます」
「それは素晴らしい」
エリザベータは手帳にメモした。
次の調査対象:『王室式典規定』
「まだ、やることがたくさんあります」
課長は、もはや驚きもしなかった。
晩さん会最中に梯子を上る王女はおそらくエリザベータしかいない




