若き王女と王室儀礼規定改訂
第一章:朝食戦争の始まり
エリザベータは、一つの決意を固めていた。
「今年こそ、朝食の時間を直します」
侍女マリアンネは、もはや驚かなくなっていた。
「また始まりましたね、殿下」
「当然です。一年間、準備してきました」エリザベータは分厚いファイルを抱えていた。「完璧な提案書ができました」
王室儀礼規定改訂提案書を、侍従長フリードリヒに提出した。
「王女様、これは……」フリードリヒはファイルの厚さに驚いた。「五十ページあります」
「はい。過去百年間の朝食時刻の変遷、各国王の生活記録、医学的な最適朝食時刻の研究、侍従たちの勤務時間への影響分析、すべて調べました」
「……王女が作る提案書ではありませんね」
「内容に問題がありますか」
「いえ、完璧です」フリードリヒは溜息をついた。「だからこそ、困ります」
「なぜですか」
「これを承認すると、他の規定も改訂しなければならなくなります」
エリザベータの目が輝いた。
「他にも矛盾があるんですか」
「……王女様、それを聞いてはいけません」
「もう聞きました」
第二章:矛盾のリスト
フリードリヒは観念したように、古いノートを取り出した。
「実は、私も長年気になっていた矛盾があります」
「教えてください」
「王室儀礼規定には、百七十三箇所の『現実と乖離している規定』があります」
「百七十三!」
「はい。私が四十年間侍従として働く中で、気づいたものをメモしていました」フリードリヒはノートを開いた。「例えば、第五章第二十三条『王族は馬車で移動する』。でも、実際は徒歩で移動することも多い」
「それは規定を改訂すべきですね」
「第八章第十五条『謁見は午前十時に開始』。でも、実際は午前十一時が多い」
「それも改訂対象です」
「第十二章第七条『夕食は五皿とする』。でも、実際は三皿の日も多い」
エリザベータはメモを取り始めた。
「侍従長、そのノート、貸していただけませんか」
「……王女様、まさか全部改訂するおつもりでは」
「当然です」エリザベータは真剣だった。「百七十三箇所、すべて直します」
フリードリヒは頭を抱えた。
第三章:段階的改訂計画
しかし、エリザベータは無謀ではなかった。
一週間後、彼女は新しい提案書を作成した。
「『王室儀礼規定段階的改訂計画(三年計画)』」フリードリヒが読み上げた。
「はい。百七十三箇所を一度に改訂するのは現実的ではありません」エリザベータは説明した。「だから、三年に分けて改訂します」
第一年:緊急性の高い矛盾(三十箇所)
- 毎日の生活に関わる規定
- 朝食時刻、謁見時刻など
第二年:中程度の矛盾(七十箇所)
- 週単位・月単位で発生する規定
- 会議の様式、報告書の形式など
第三年:低緊急度の矛盾(七十三箇所)
- 年単位・特別な場合のみの規定
- 式典の細則、特別行事の手順など
「優先順位をつけたんですね」
「はい。そして、各年の改訂も、四半期ごとに区切ります」エリザベータは工程表を示した。「一度に多くを変えると、現場が混乱しますから」
フリードリヒは感心した。
「王女様は、実務を理解しておられる」
「当然です。規定は、使われてこそ意味がありますから」
第四章:最初の抵抗
しかし、改訂計画は簡単には進まなかった。
宮内局の会議で、保守派の官僚たちが反対した。
「王室儀礼規定は、百年以上の伝統です」年配の儀典官、ゲオルク・フォン・アルデンベルクが立ち上がった。「軽々しく変えるべきではありません」
「変えるのではありません」エリザベータは冷静に答えた。「現実と一致させるだけです」
「しかし、規定には伝統の重みがあります」
「では、ゲオルク様」エリザベータは規定集を開いた。「第三章第十二条『朝食は午前七時』。これは守られていますか」
「……それは」
「守られていませんね。では、伝統とは何ですか。守られていない規定が、伝統ですか」
ゲオルクは言葉に詰まった。
「伝統とは、『続けられているもの』のはずです」エリザベータは続けた。「守られていない規定は、既に伝統ではありません。だから、実際の伝統に合わせて規定を直すことこそ、伝統の尊重です」
会議室が静まり返った。
宮内局長エドゥアルトが発言した。
「エリザベータ王女様の論理は正しい。しかし、一つ懸念があります」
「何でしょうか」
「改訂作業の負担です。百七十三箇所を改訂するには、膨大な事務作業が必要です」
「それは承知しています」エリザベータは資料を示した。「だから、私が作業します」
「王女様が?」
「はい。改訂案の作成、各部署への確認、文書の整理。すべて私がやります」
「しかし、王女様には公務が」
「公務の合間にできます」エリザベータは微笑んだ。「むしろ、これが私の公務だと思っています」
エドゥアルトは考え込んだ。
「……分かりました。ただし、条件があります」
「何でしょうか」
「各改訂案は、必ず関係部署の承認を得ること。そして、最終的には王室会議で審議すること」
「承知しました」
第五章:第一号改訂
二週間後、エリザベータは最初の改訂案を完成させた。
王室儀礼規定改訂案 第一号
第三章 第十二条(朝食の時刻)
【現行規定】
王族の朝食は、午前七時より開始する。
ただし、公務がある場合は、午前六時三十分に繰り上げることができる。
【改訂案】
王族の朝食は、午前八時より開始する。
ただし、公務がある場合は、午前七時三十分に繰り上げることができる。
【改訂理由】
過去二十年間の実績を調査した結果、朝食は常に午前八時に実施されている。
現行規定は実態と乖離しており、形骸化している。
実態に合わせて規定を改訂することで、規定の実効性を回復する。
【影響範囲】
- 王族の生活習慣:影響なし(既に午前八時で定着)
- 侍従の勤務時間:影響なし(既に午前八時対応)
- 厨房の準備時間:影響なし(既に午前八時対応)
【関係部署の意見】
- 侍従長:賛成
- 厨房長:賛成
- 宮内局:賛成
【添付資料】
- 過去二十年間の朝食時刻記録
- 各部署へのヒアリング結果
王室会議で、改訂案が審議された。
国王リオナルド三世が議長を務めた。
「エリザベータ、説明してくれ」
「はい、父上」エリザベータは立ち上がった。「この改訂は、実態を規定に反映させるだけです。新しいことは何もありません」
王妃エリーザベトが質問した。
「でも、なぜ今、改訂する必要があるの」
「規定が現実と違うと、二つの問題が起きます」エリザベータは説明した。「一つ目、新しい侍従や職員が規定を読んで混乱します。二つ目、いざ規定に従おうとしたとき、誰も従い方を知りません」
第一王子ヴィルヘルムが賛成した。
「エリザベータの言う通りだ。僕も新しい侍従に『規定では午前七時だが、実際は午前八時だ』と説明して、混乱させたことがある」
国王は微笑んだ。
「では、採決する。この改訂案に賛成の者は」
全員が手を挙げた。
「全会一致だな」国王は宣言した。「第一号改訂、承認する」
第六章:連鎖反応
第一号改訂が承認されると、思わぬことが起きた。
他の部署から、改訂要望が届き始めたのだ。
「王女様」侍従長フリードリヒが報告に来た。「厨房から、夕食の規定改訂の要望が来ています」
「夕食?」
「はい。現行規定では『夕食は五皿』となっていますが、実際は季節や行事によって変わります。厨房長が『実態に合わせた柔軟な規定にしてほしい』と」
エリザベータは微笑んだ。
「良い要望ですね。受け付けます」
次は、儀典部から。
「謁見の時刻について、改訂を希望します」
「図書室の使用規定も、見直してほしい」
「馬車の運用規則が、実態と合っていません」
一週間で、二十件の改訂要望が集まった。
侍女マリアンネが心配した。
「殿下、要望が多すぎます。すべてに対応できますか」
「できます」エリザベータは要望リストを整理していた。「むしろ、良いことです」
「良いこと、ですか」
「はい。今まで、みんな『規定は変えられない』と諦めていました。でも、変えられると分かったら、積極的に改善を提案し始めた」エリザベータは嬉しそうだった。「これこそ、私が望んでいたことです」
「しかし、作業量が」
「では、手伝ってもらいましょう」
第七章:改訂委員会の設立
エリザベータは、新しい提案を宮内局に提出した。
「『王室儀礼規定改訂委員会』の設立を提案します」
宮内局長エドゥアルトが資料を読んだ。
「委員会、ですか」
「はい。私一人では限界があります。各部署から代表を集めて、組織的に改訂作業を進めたいんです」
王室儀礼規定改訂委員会 組織案
委員長:エリザベータ王女
副委員長:侍従長フリードリヒ
委員:
- 宮内局代表
- 侍従部代表
- 厨房代表
- 儀典部代表
- 図書室代表
- その他関係部署代表
役割:
- 改訂要望の受付
- 改訂案の作成
- 各部署への確認
- 王室会議への提案
「これなら、組織的に改訂できますね」
「はい。そして、重要なのは……」エリザベータは続けた。「各部署が『自分たちで規定を改善できる』と実感できることです」
二週間後、第一回改訂委員会が開催された。
十名の委員が集まった。
「では、第一回会議を始めます」エリザベータが議長席に座った。
若き少女が、大人たちを前に堂々と議事を進める姿は、異様でもあり、頼もしくもあった。
「本日の議題は、三件です。第一、夕食の皿数規定。第二、謁見時刻規定。第三、図書室使用規定」
各部署の代表が、現状と改訂案を説明した。
エリザベータは、それぞれの案について質問し、改善点を指摘し、承認した。
「では、次回会議までに、正式な改訂案を作成してください。私が最終チェックします」
会議は、二時間で終了した。
会議後、厨房長のハンス・ミュラーがエリザベータに言った。
「王女様、本当に感謝します」
「何がですか」
「私たちの意見を、真剣に聞いてくださったことです」ハンスは目を潤ませた。「三十年間厨房で働いていますが、王族が現場の声を聞いてくださったのは初めてです」
「当然です」エリザベータは微笑んだ。「規定は、現場で使うものですから。現場の声が一番重要です」
第八章:予想外の発見
改訂作業を進める中で、エリザベータは興味深い発見をした。
「侍従長、これを見てください」
エリザベータは古い規定集を開いた。
「第十五章第三十二条『王族は週に一度、民衆と対話する機会を設ける』。この規定、知っていましたか」
「……初めて見ました」
「この規定、八十年前に作られています。でも、実施されていません」
「おそらく、忘れられたのでしょう」
「いいえ」エリザベータは別の資料を示した。「七十年前の記録を見ると、一度だけ実施されています。でも、その後途絶えました」
「なぜでしょう」
「理由は書かれていません。でも……」エリザベータは考えた。「この規定、実は良い規定だと思います」
「良い規定?」
「はい。王族が民衆と直接対話する。これは、現場の声を聞くという意味で重要です」
エリザベータは、第一王子ヴィルヘルムに相談した。
「兄上、この規定、復活させませんか」
「民衆との対話か」ヴィルヘルムは考えた。「でも、どうやって」
「月に一度、王宮の広場で『王族相談会』を開きます」エリザベータは計画を説明した。「民衆が自由に訪れて、王族に相談できる機会です」
「それは……革新的だな」
「いえ、八十年前の規定に書いてあることを、実施するだけです」
ヴィルヘルムは笑った。
「お前は、古い規定を使って、新しいことをするのだな」
「古い規定の中にこそ、忘れられた良いアイデアがあります」
第九章:初めての王族相談会
三ヶ月後、第一回『王族相談会』が開催された。
王宮の広場に、五十人ほどの民衆が集まった。
エリザベータ、ヴィルヘルム、第二王子カール、第三王子アルブレヒトが参加した。
「ようこそ。今日は、皆さんの声を聞かせてください」エリザベータが挨拶した。
最初に、年配の農夫が前に出た。
「王女様、相談があります」
「どうぞ」
「私の村の橋が壊れています。でも、修理の許可が下りません」
「許可が下りない理由は?」
「『予算がない』と言われました」
エリザベータはメモを取った。
「村の名前と、担当部署を教えてください。調べます」
農夫は驚いた。
「……本当に、調べてくださるのですか」
「当然です。それが、この相談会の目的ですから」
次に、若い母親が相談した。
「子供が病気になったとき、医者を呼ぶお金がありません」
「医療支援の制度はありませんか」
「知りません」
エリザベータは考えた。
「医療支援制度は存在します。でも、周知されていないようですね」エリザベータは約束した。「制度の案内を、各村に配布するよう手配します」
母親は涙を流した。
「ありがとうございます、王女様」
相談会は三時間続いた。
十五件の相談を受けた。
その夜、エリザベータは受けた相談をすべて整理した。
相談内容の分類:
インフラ関連:5件(橋、道路、井戸)
医療関連:3件(医者不足、薬代)
教育関連:2件(学校の不足)
制度周知不足:5件(知られていない支援制度)
「問題の多くは、『制度はあるが、周知されていない』か、『申請方法が分からない』です」
エリザベータは新しい課題を見つけた。
「制度を作るだけでは不十分。使われるように周知する必要がある」
第十章:一年後の成果
十四歳の誕生日。
エリザベータは、一年間の改訂成果をまとめた。
王室儀礼規定改訂 第一年次報告書
改訂完了:32箇所
改訂承認待ち:8箇所
改訂準備中:15箇所
主な成果:
- 朝食時刻規定の改訂
- 夕食皿数規定の柔軟化
- 謁見時刻規定の実態化
- 図書室使用規定の明確化
- 馬車運用規則の現代化
副次的成果:
- 王族相談会の開始(月1回)
- 改訂委員会の定着(月2回開催)
- 各部署の改善意識向上
新たな課題:
- 制度周知の不足
- 申請手続きの複雑さ
- 地方への情報伝達の遅延
国王リオナルド三世が報告書を読んだ。
「一年で、ずいぶん進んだな」
「まだ百四十一箇所残っています」エリザベータは言った。「あと二年かかります」
「焦らなくてもいい」
「焦っていません。計画通りです」
国王は笑った。
「お前は、本当に計画的だな」
「計画がなければ、達成できませんから」
「では、お前の次の計画は何だ」
エリザベータは新しいファイルを取り出した。
「『制度周知計画』です。良い規定があっても、知られていなければ意味がありません」
「……お前は、止まらないな」
「当然です。まだまだ、やることがありますから」
エリザベータは微笑んだ。
その夜、エリザベータは日記を書いた。
○○年○月○日
まだ祝われる側でいるはずの日に、エリザベータは「朝食の時間を直す」と決めた。
今日、それは達成された。
でも、それだけじゃなかった。
改訂委員会ができた。
王族相談会が始まった。
各部署が、自分で改善を提案するようになった。
一つの規定を直すことが、こんなに大きな変化を生むなんて。
規定は、単なる文字じゃない。
人と人を繋ぐ、仕組みなんだ。
そして、その仕組みを作ることが、私の役割なのかもしれない。
明日からも、続けよう。
百四十一箇所の改訂。
制度周知計画。
新しい課題の発見。
一つずつ、確実に。
これが、私の道だ。
エリザベータは日記を閉じた。
そして、次の規定集を開いた。
エリザベータは大きく成長した。
単なる「矛盾を見つける王女」から、「仕組みを作る王女」へ。
そして、その旅は、まだ始まったばかりだった。




