王女エリザベータ、規定に目覚める
王女が規定に目覚める
第一章:最初の疑問
むかし
エリザベータは、王宮の図書室で自分の背丈より高い机に囲まれて退屈していた。
「つまらない……」
王族として受けるべき教育――歴史、文学、音楽、舞踏。どれも、エリザベータには退屈だった。
「エリザベータ様」家庭教師のアンネ・フォン・ブルーメが呆れた顔をした。「また、授業中に別の本を読んでいますね」
「だって、詩の授業は退屈です」
「王族として、詩作は重要な教養です」
「なぜですか」
「それは……伝統ですから」
「伝統だから、という理由では納得できません」エリザベータは本を閉じた。「詩が王族の職務にどう役立つか、論理的に説明してください」
アンネは困った顔をした。
「……エリザベータ様は、いつもそうやって理屈ばかり」
「理屈が間違っていますか」
「間違ってはいませんが……」
その日の午後、エリザベータは図書室で一人過ごしていた。
詩集を読もうとしたが、どうしても集中できない。
「なぜ、詩を読まなければならないんだろう」
ふと、隣の本棚に目が行った。
『王室儀礼規定集』
分厚い、地味な装丁の本だった。
「なんだろう、これ」
エリザベータは手に取った。重かった。
ページを開くと、細かい文字でびっしりと規定が書かれていた。
王室儀礼規定 第三章 第十二条
王族の朝食は、午前七時より開始する。
ただし、公務がある場合は、午前六時三十分に繰り上げることができる。
「……朝食の時間まで、規定で決まっているの?」
エリザベータは興味を持って読み進めた。
第二章:最初の矛盾
その日の夕食。
王族一家が食卓を囲んでいた。
国王リオナルド三世、王妃エリーザベト、第一王子ヴィルヘルム、そしてエリザベータ。
「父上」エリザベータが尋ねた。「王室儀礼規定第三章第十二条では、朝食は午前七時と書いてありますが、私たちはいつも午前八時に食べていますね」
国王は目を上げた。
「……お前、儀礼規定集を読んだのか」
「はい。面白かったです」
国王と王妃が顔を見合わせた。
「エリザベータ」王妃が優しく言った。「あれは、王族が読むべき本ではないわ」
「なぜですか」
「退屈だからよ」
「でも、面白いです」エリザベータは真剣な顔をした。「それに、規定と実際が違うのは、なぜですか」
国王が答えた。
「規定は古いからだ。誰も気にしていない」
「でも、規定に書いてあるなら、守るべきでは」
「規定はあくまで規定だ。現実とは違う」
エリザベータは納得できない顔をした。
「それって、おかしくないですか」
第三章:侍従長との出会い
翌日、エリザベータは侍従長フリードリヒ・フォン・アルトハイムの執務室を訪ねた。
「エリザベータ王女様、どうされましたか」侍従長は、驚いた様子だった。
「侍従長、質問があります」
「何でしょうか」
「王室儀礼規定第三章第十二条では、朝食は午前七時と書いてありますが、なぜ実際は午前八時なんですか」
侍従長は困った顔をした。
「……それは、先代の国王陛下の時代に、午前八時に変更されたからです」
「では、規定も変更すべきでは」
「規定の変更には、手続きが必要です」
「どんな手続きですか」
侍従長は分厚いファイルを取り出した。
「『王室儀礼規定改訂手続き要綱』に従う必要があります。まず、改訂提案書を作成し、宮内局長の承認を得て、王室会議で審議し、国王陛下の裁可を仰ぎます」
「……面倒くさいですね」
「その通りです。だから、誰もやりません」
「でも」エリザベータは言った。「規定と現実が違うのは、気持ち悪くないですか」
侍従長は初めて、興味深そうな顔をした。
「……気持ち悪い、ですか」
「はい。規定があるのに守られていない。守られていないのに規定が残っている。それって、何のための規定なんですか」
侍従長は少し考えた。
「王女様の言う通りです。しかし、誰も気にしていません」
「私は気になります」
第四章:三十二枚の銅貨
その週末。
エリザベータは王室会計報告書を読んでいた。
侍女マリアンネが、年上らしい呆れた顔で見ていた。
「エリザベータ様、なぜそんな退屈な書類を」
「面白いですよ」エリザベータは真剣だった。「王室がどれだけお金を使っているか、全部書いてあります」
「……それの何が面白いんですか」
「例えば、ここ」エリザベータは数字を指差した。「『不明支出:銅貨三十二枚』って、何ですか」
「不明支出……つまり、使途が分からないお金でしょう」
「でも、おかしくないですか。銅貨三十二枚がどこに消えたか、誰も分からないんですか」
「たった銅貨三十二枚ですよ。気にする必要は」
「金額の問題じゃありません」エリザベータは立ち上がった。「不明ということは、記録が間違っているか、誰かが嘘をついているか、制度が機能していないか、どれかです」
「エリザベータ様……まさか、調べるおつもりでは」
「当然です」
エリザベータは会計係の執務室を訪ねた。
会計係長のオットー・シュミットは、十二歳の王女が突然訪ねてきて驚いた。
「王女様、どうされましたか」
「この『不明支出:銅貨三十二枚』について教えてください」
オットーは困った顔をした。
「それは……記録の不備でして」
「どんな不備ですか」
「先月の帳簿と今月の帳簿で、数字が合わないんです」
「なぜですか」
「それが……」オットーは資料を広げた。「先月担当者は『雑費』として銅貨三十二枚を記入しました。しかし、今月担当者が確認したところ、『雑費』の領収書がないんです」
「領収書がない?」
「はい。つまり、本当に使われたのか、記入ミスなのか、分からないんです」
エリザベータは考えた。
「では、先月の担当者に聞けば」
「先月の担当者は、既に地方へ異動しました」
「……つまり、確認する方法がない」
「その通りです。だから『不明支出』としました」
エリザベータは眉をひそめた。
「それって、おかしくないですか。担当者が変わっただけで、お金の行方が分からなくなるなんて」
第五章:制度の欠陥
その夜、エリザベータは自室で考え込んでいた。
「銅貨三十二枚の問題は、金額が小さいから放置されている。でも、本当の問題は『制度』だ」
エリザベータはノートに書き出した。
問題点:
1. 担当者が変わると、情報が引き継がれない
2. 領収書の管理が曖昧
3. 「雑費」という曖昧な項目がある
4. 誰も問題だと思っていない
原因:
- 会計の記録方法が統一されていない
- 引き継ぎの規定がない
- チェック体制がない
「これって、制度を変えれば解決できるんじゃないか」
エリザベータは立ち上がった。
翌日、エリザベータは再び会計係の執務室を訪ねた。
「オットーさん、会計の規定を見せてください」
「会計の規定……ですか」
「はい。どんな規則に従って、帳簿をつけているんですか」
オットーは古い冊子を取り出した。
「『王室会計規則』です。五十年前に作られました」
エリザベータはページをめくった。
「……『雑費は、その他の項目とする』。曖昧ですね」
「はい、昔からそうなっています」
「では、『雑費』の内訳は記録しなくていいんですか」
「規則には『記録する』とも『記録しない』とも書いていません」
「だから、担当者によって対応が違う」エリザベータは理解した。「これが、混乱の原因ですね」
第六章:最初の提案
二週間後。
十二歳のエリザベータは、生まれて初めての『改善提案書』を作成した。
王室会計規則改訂提案書
提案者:エリザベータ・ルイーゼ王女
提案日:○○年○月○日
問題点:
現行の王室会計規則では、「雑費」の定義が曖昧であり、
記録方法も統一されていない。これにより、担当者交代時に
情報が失われ、「不明支出」が発生している。
改訂案:
1. 「雑費」を廃止し、すべての支出を明確な項目に分類する
2. 新項目「少額経費」を設ける(銅貨五十枚以下)
3. 少額経費も、必ず用途を記録する
4. 担当者交代時、前任者が引き継ぎ書類を作成する
5. 月次で、会計係長が全記録を確認する
根拠:
王室会計規則第二条「会計は正確に記録する」
王室会計規則第五条「不明な支出があってはならない」
添付資料:
- 過去五年間の「不明支出」一覧
- 新様式案「少額経費記録簿」
エリザベータは提案書を、侍従長に提出した。
侍従長フリードリヒは、提案書を読んで驚いた。
「王女様……これを、お一人で作られたのですか」
「はい。何か問題がありますか」
「いえ、問題はありません。むしろ、完璧です」侍従長は感心した。「十二歳の王女がこれを作られるとは」
「それで、承認していただけますか」
「私は承認します。しかし、宮内局長の承認も必要です」
「では、宮内局長に会わせてください」
侍従長は少し考えた。
「……王女様は、本気ですね」
「当然です。規定と現実を一致させたいんです」
侍従長は微笑んだ。
「分かりました。宮内局長に取り次ぎましょう」
第七章:宮内局長の反応
当時の宮内局長、エドゥアルト・フォン・ノイマンは、
数十年を制度の中で過ごしてきた、慎重な官僚だった。
「エリザベータ王女様、提案書を拝見しました」
「ありがとうございます」
「正直に申し上げます。この提案は、理論的には正しい」エドゥアルトは眼鏡を外した。「しかし、実施は困難です」
「なぜですか」
「会計係の人員が不足しています。新しい様式を導入すれば、作業量が増えます」
「増えません」エリザベータは資料を示した。「現在、『不明支出』の調査に毎月五時間かけています。新様式を導入すれば、調査が不要になり、結果的に作業時間は減ります」
エドゥアルトは驚いた。
「……作業時間まで計算されたのですか」
「はい。会計係のオットーさんに聞きました」
「なるほど……」エドゥアルトは考え込んだ。「では、試験的に実施してみましょう」
「試験的?」
「はい。まず三ヶ月間、新様式を試してみて、問題がなければ正式採用します」
エリザベータは微笑んだ。
「ありがとうございます」
第八章:最初の成功
三ヶ月後。
宮内局の会議室で、結果報告が行われた。
会計係長オットーが発表した。
「新様式導入後、『不明支出』はゼロになりました」
会議室がざわついた。
「また、作業時間は月あたり三時間削減されました」
エドゥアルト宮内局長が驚いた。
「本当に、作業時間が減ったのか」
「はい。記録が明確になったため、月次確認が簡単になりました」
エドゥアルトはエリザベータを見た。
「王女様の提案通りでした」
「当然です」エリザベータは微笑んだ。「規定を正しく設計すれば、効率は上がります」
会議の後、侍従長フリードリヒがエリザベータに言った。
「王女様、おめでとうございます。初めての改革が成功しました」
「ありがとうございます。でも、これで終わりじゃありません」
「と、言いますと」
「王室儀礼規定第三章第十二条、朝食の時間の件は、まだ解決していません」エリザベータは次の提案書を取り出した。「次は、これを改訂します」
侍従長は笑った。
「王女様は、止まらないのですね」
「当然です。矛盾を見つけたら、放っておけません」
第九章:父王との会話
その夜、国王リオナルド三世がエリザベータを執務室に呼んだ。
「お前の改革、聞いているぞ」
「はい」
「会計規則の改訂、見事だった」
「ありがとうございます」
国王は少し考えてから言った。
「エリザベータ、お前はなぜ、規定に興味を持ったのだ」
エリザベータは答えた。
「規定と現実が違うことが、気持ち悪かったからです」
「気持ち悪い?」
「はい。規定があるのに守られていない。それって、規定が無意味か、現実が間違っているか、どちらかです」
「では、どうすればいいと思う」
「規定を現実に合わせるか、現実を規定に合わせるか、どちらかです」エリザベータは真剣に言った。「そして、どちらを選ぶかは、論理的に判断できます」
国王は微笑んだ。
「お前は、感情ではなく、論理で物事を見るのだな」
「感情は曖昧です。論理は明確です」
「しかし、人は感情で動く」
「だから、規定が必要なんです」エリザベータは言った。「規定があれば、感情に左右されず、公平に物事を進められます」
国王は長い沈黙の後、言った。
「エリザベータ、お前は王族らしくない」
「……それは、批判ですか」
「いや」国王は笑った。「最高の褒め言葉だ」
第十章:使命の自覚
その夜、エリザベータは自室で日記を書いた。
○○年○月○日
今日、父上に「お前は王族らしくない」と言われた。
でも、「最高の褒め言葉だ」とも言われた。
私は、詩も音楽も舞踏も得意じゃない。
王族として「らしく」ないかもしれない。
でも、規定を読むことは好きだ。
矛盾を見つけることは楽しい。
それを直すことは、達成感がある。
これが、私の役割なのかもしれない。
王族だから、規定を変える提案ができる。
王族だから、各部署に話を聞ける。
王族だから、誰にも遠慮せず問題を指摘できる。
これって、すごく面白い。
明日からも、規定を読もう。
矛盾を見つけよう。
そして、直そう。
一つずつ、確実に。
エリザベータは日記を閉じた。
そして、次の規定集を手に取った。
『王室儀礼規定』
「さて、朝食の時間の件、どうやって直そうかな」
王女の目が、輝いていた。
それから長い年月のあいだに、
エリザベータは百を超える規定を改訂した。
海外でも、国内でも、災害現場でも。
すべての始まりは、あの日。
規定集を手に取った日。
銅貨三十二枚の「不明支出」を見つけた日。
「これ、おかしくないですか」と言った日。
エリザベータ・ルイーゼ・フォン・本家国。
制度フェチの王女の物語は、こうして始まった。




