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王女殿下と防災計画書

王女殿下と防災計画書



王女エリザベータ・ルイーゼは、衝撃的な事実を知った。

「本日より、殿下には『王族防災教育課程』を履修していただきます」

侍従長が、分厚い冊子を差し出した。

表紙には、『王族のための防災基礎知識(第九次改訂版)』と書かれている。

「……防災?」

「はい。王族は、国家の象徴として災害時の適切な行動を示す義務があります。ゆえに、成人前に必修課程を修了していただく必要があります」

エリザベータは、冊子を開いた。

目次には、以下の項目が並んでいた。


第一章:災害発生時における王族の基本行動

第二章:避難計画の理解と実践

第三章:防災関連書類の読み方

第四章:災害時における象徴的行為の実施手順


「……これ、全部やるんですか」

「はい。期間は六ヶ月。週二回、防災室より講師が派遣されます」

エリザベータは、冊子を閉じた。

「拒否権は」

「ございません。王族の義務です」

侍従長は、淡々と答えた。

こうして、王女の受難が始まった。



初回の授業は、三日後に開催された。

講師として現れたのは、防災室連絡員のマルティンだった。

「では、本日は第一章『災害発生時における王族の基本行動』を学びます」

マルティンは、緊張した面持ちで教材を開いた。

王女に教えるなど、人生初の経験である。

「まず、災害が発生した場合、王族がすべきことは何でしょうか」

エリザベータは、考えた。

「避難、ですか?」

「いいえ」

「救援?」

「いいえ」

「では……何もしない?」

「正解です」

エリザベータは、目を丸くした。

「何もしない、が正解なんですか」

「はい。王族は、災害時に個人的判断で行動してはいけません。すべて、事前に定められた計画に従って動く必要があります」

マルティンは、別の資料を広げた。

『王族避難計画(災害種別統合版)』

分厚い冊子には、あらゆる災害のパターンが記載されていた。

「例えば、火災の場合。殿下は、まず侍従長の指示を待ちます。侍従長は、『王族火災時避難手順書』に従って行動を指示します。殿下は、その指示通りに動くだけです」

「私が『早く逃げよう』と言っても?」

「それは、計画外の行動です。従ってはいけません」

エリザベータは、頭を抱えた。

「……私、災害時は役立たずってことですか」

「いいえ。殿下は『計画通りに動く象徴』として、極めて重要です」

「それ、慰めになってません」

マルティンは、真顔で答えた。

「慰めではなく、事実です」



二回目の授業は、さらに衝撃的だった。

「本日は、実際の防災計画書を読んでいただきます」

マルティンが差し出したのは、『王宮火災対応計画(第十二次改訂版)』だった。

三百ページを超える大作である。

「……これ、全部読むんですか」

「はい。王族は、自分に関わる防災計画の内容を理解している必要があります」

エリザベータは、最初のページを開いた。


第一章:火災発生時の初動対応

第一節:発見者の行動

第一項:火災を発見した者は、速やかに最寄りの緊急通報装置を作動させる

第二項:通報後、『火災発見報告書(様式第三号)』を作成する


「……火事の最中に、報告書を書くんですか」

「はい。記録は重要です」

「燃えてる最中ですよ!?」

「ゆえに、様式は簡易版になっています。通常の報告書より、記載項目が三割削減されています」

エリザベータは、様式第三号を見た。

確かに簡易版だったが、それでも記載項目は二十以上あった。

「これ、書いてる間に燃え広がりませんか」

「その可能性はあります。ゆえに、第二項は『可能な範囲で』という但し書きが付いています」

「……可能な範囲って、誰が判断するんですか」

「発見者です」

「じゃあ、結局判断してるじゃないですか」

「いいえ。『可能な範囲』という基準は、事前に定義されています。『火災発見時行動基準(補足資料)』をご覧ください」

マルティンは、さらに別の冊子を差し出した。

エリザベータは、静かに机に突っ伏した。



三回目の授業で、事態は予想外の方向に進んだ。

「殿下、質問があります」

エリザベータが、手を挙げた。

「はい」

「この『王宮火災対応計画』ですが、第三章第五節に矛盾がありませんか」

マルティンは、該当箇所を確認した。


第五節:王族の避難経路

王族は、第一避難経路を使用する。ただし、第一避難経路が使用不可能な場合、侍従長の判断で第二避難経路を使用する。


「どの部分でしょうか」

「『侍従長の判断で』とありますが、第二章第三節では『避難経路の選択は、防災担当次官の承認を必要とする』と書いてあります」

マルティンは、第二章を確認した。

確かに、そう書いてあった。

「……これは」

「矛盾してますよね。緊急時に、侍従長が防災担当次官の承認を待つんですか? それとも、判断するんですか?」

マルティンは、冷や汗をかいた。

「……確認します」

エリザベータは、さらに続けた。

「あと、第四章第二節の『王族一時待機場所』ですが、ここ、去年改装されて倉庫になってますよね」

「え」

「私、先月そこで迷子になったので知ってます。今、薪が山積みです」

マルティンは、青ざめた。

「……それは、計画の更新が遅れているということですね」

「第七章の『消火設備配置図』も、古いです。この位置にあった消火栓、三年前に移設されてます」

「なぜ、ご存知なんですか」

「宮殿で十六年暮らしてますから」

マルティンは、メモを取り始めた。

王女が、防災計画の不備を次々と指摘している。

これは、大問題だった。



翌日、防災室は緊急会議を開いた。

「王女殿下が、『王宮火災対応計画』の不備を十三箇所指摘された」

マルティンの報告に、室内が静まり返った。

防災担当次官ヴェルナーが、口を開いた。

「……十三箇所」

「はい。矛盾が三箇所、情報の古さが七箇所、実現不可能な手順が三箇所」

「実現不可能?」

「第九章の『夜間火災時の王族起床手順』です。『侍従が寝室に入り、殿下を起こす』とありますが、殿下の寝室の扉は内側から鍵がかかっていて、緊急時でも外から開けられないそうです」

室内から、呻き声が漏れた。

「つまり、火事が起きても、殿下を起こせない」

「はい。殿下ご自身が気づいて起きるのを待つしかありません」

ヴェルナーは、頭を抱えた。

「……それは、計画とは言えない」

「殿下も、そう仰ってました」

防災室連絡員(宮殿)が、弱々しく手を挙げた。

「あの、この計画、最後に現地確認したのはいつですか」

「……記録によれば、十二年前」

「十二年!?」

「当時の担当者が、『宮殿は変化しないから、頻繁な確認は不要』と判断したようです」

「その担当者、今どこに」

「退職して、地方都市で雑貨屋を営んでおられます」

室内に、重い沈黙が流れた。



会議の結論は、明快だった。

「『王宮火災対応計画』を、全面改訂する」

ヴェルナーの宣言に、全員が頷いた。

「ただし、改訂には現地の詳細な知識が必要だ」

「現地調査班を編成しますか」

「いや」

ヴェルナーは、マルティンを見た。

「王女殿下に、協力を要請する」

「……は?」

「殿下は、宮殿の構造を熟知しておられる。これ以上の適任者はいない」

マルティンは、目を丸くした。

「でも、王女殿下に、防災計画の改訂作業を手伝っていただくなんて」

「規定上、問題はあるか」

「……ありません。『防災計画改訂における外部協力者の活用について』という規定があります」

「ならば、殿下は『外部協力者』だ」

防災室連絡員(宮殿)が、恐る恐る口を開いた。

「王女殿下を、『外部協力者』扱いするんですか」

「書類上は、そうなる」

「……斬新ですね」

「制度に則っている」

ヴェルナーは、書類を整理した。

「マルティン、殿下に協力を要請せよ。様式は……」

「『外部協力者招聘申請書(様式第百三号)』ですね」

「それだ」

こうして、王女殿下は「外部協力者」として、防災計画改訂プロジェクトに参加することになった。



一週間後、改訂作業が始まった。

会議室には、防災室のメンバーと、「外部協力者」エリザベータ王女が集まった。

「では、第一章から確認します。殿下、この避難経路は実際に使用可能ですか」

「いいえ。ここ、去年の改装で壁ができました」

「……では、代替経路は」

「裏階段がありますが、照明がないので夜は真っ暗です」

「照明の設置は可能ですか」

「宮殿管理局に申請すれば、可能だと思います」

記録係が、淡々とメモを取る。

「第二章、消火設備の配置ですが」

「この図、古いです。実際の消火栓は、ここと、ここと、ここにあります」

エリザベータは、正確に位置を指し示した。

「……殿下、なぜそこまで詳しいんですか」

「子供の頃、宮殿中を探検しましたから。隠れんぼで使える場所は、全部覚えてます」

マルティンは、メモを取り続けた。

王女の知識は、驚くほど実践的だった。



三回目の会議で、エリザベータは重要な指摘をした。

「この『王族一時待機場所』ですが、ここ、災害時に本当に安全なんですか」

「設計上は、最も頑丈な構造になっています」

「でも、上の階は図書室ですよね。本がぎっしり詰まってます」

「……はい」

「火事になったら、本が燃えて床が抜けませんか」

室内が、静まり返った。

防災室連絡員(宮殿)が、青ざめた。

「……確認します」

「あと、この部屋、扉が一つしかありません。そこが塞がれたら、出られません」

「窓は」

「ありますけど、三階です。飛び降りるんですか」

マルティンは、頭を抱えた。

「……では、この待機場所は不適切ということですね」

「はい。代わりに、東棟の小広間を提案します。一階で、出口が三つあって、上には何もありません」

「なぜ、元の計画ではそこが選ばれなかったんでしょう」

「多分、『頑丈さ』だけで選んで、『逃げやすさ』を考えなかったんだと思います」

ヴェルナーは、深く頷いた。

「殿下の指摘は、的確だ」

「ありがとうございます」

「我々は、書類上の基準だけで判断していた。実際の使用者の視点が欠けていた」

ヴェルナーは、計画書を閉じた。

「この改訂作業、殿下なしでは完成しなかっただろう」



二ヶ月後、『王宮火災対応計画(第十三次改訂版)』が完成した。

全面的に書き直され、実地確認を経て、実現可能な内容になった。

巻末には、「改訂協力者」として、エリザベータの名前が記載された。

ただし、肩書きは「外部協力者」だった。

「……私、王女なんですけど」

「書類上は、『外部協力者』です」

マルティンは、真顔で答えた。

「規定により、王族は公的記録に役職として記載できません。ゆえに、『外部協力者』という形式になります」

「おかしくないですか」

「おかしいですが、規定です」

エリザベータは、苦笑した。

「まあ、いいです。でも、一つお願いがあります」

「何でしょうか」

「この計画、三年後にまた見直してください。宮殿は、意外と変化するので」

「了解しました。三年後の見直しを、計画に明記します」

マルティンは、メモを取った。

「あと、もう一つ」

「はい」

「次の見直しの時も、私を呼んでください。また『外部協力者』として」

マルティンは、意外そうな顔をした。

「……よろしいのですか」

「面白かったです。書類ばっかりの作業でしたけど、これが国を守ることに繋がるんだと思ったら、やりがいがありました」

ヴェルナーが、珍しく微笑んだ。

「殿下は、優秀な『外部協力者』です。三年後も、ぜひお願いします」

「了解しました」

エリザベータは、敬礼の真似をした。



それから半年後、エリザベータは「王族防災教育課程」を修了した。

修了証書には、こう書かれていた。


王女エリザベータ・ルイーゼ殿下

貴殿は、王族防災教育課程を修了し、

災害時における王族の適切な行動を理解したことを認定する。

加えて、防災計画改訂作業への貢献により、

特別功労賞を授与する。


式典で、ヴェルナーが証書を手渡した。

「殿下の貢献により、王宮の防災計画は大きく改善されました」

「ありがとうございます。でも、まだ他の計画も古いものがありそうですね」

「……鋭いご指摘です」

「特に、『王宮水害対応計画』。あれ、絶対古いです。地下の水路、五年前に改修されてますから」

ヴェルナーは、メモを取った。

「……確認します」

エリザベータは、にっこり笑った。

「必要なら、また『外部協力者』としてお手伝いしますよ」

「……ありがとうございます」

式典の後、マルティンが呟いた。

「王女殿下、防災室に入りたいんじゃないですか」

「王族は、公職に就けない。規定だ」

「でも、『外部協力者』なら」

「……それは、制度の抜け穴だな」

二人は、顔を見合わせた。



三年後、予定通り『王宮火災対応計画』の見直しが行われた。

「外部協力者」として、エリザベータが招集された。

「お久しぶりです、マルティン」

「お久しぶりです、殿下」

会議室には、新しい資料が並んでいた。

「では、前回からの変更点を確認します」

「はい。まず、第一章の避難経路ですが、去年また改装があって……」

エリザベータは、淀みなく説明した。

三年間で、さらに宮殿の知識が増えていた。

会議は、スムーズに進んだ。

終了後、ヴェルナーが声をかけた。

「殿下、一つ提案があります」

「何でしょうか」

「『王宮防災計画恒常的監視者』という役職を、新設したいのですが」

「……それ、どんな仕事ですか」

「宮殿の変化を日常的に観察し、防災計画への影響を報告する。年に四回、定期報告書を提出していただく」

エリザベータは、目を輝かせた。

「それ、私の仕事ですか」

「殿下以外に、適任者はいません」

「やります!」

即答だった。

マルティンが、書類を差し出した。

「では、こちらに署名を。『外部協力者長期契約書(様式第百八号)』です」

「『外部協力者』のままなんですね」

「王族は、公職に就けませんので」

エリザベータは、笑いながら署名した。

こうして、王女殿下は正式に、「外部協力者」として防災計画の一翼を担うことになった。



彼女の提出する『王宮防災環境観察報告書』は、防災室で最も信頼される資料の一つになっていた。

ある日、国王が尋ねた。

「エリザベータ、お前は防災室の仕事が好きなのか」

「はい、父上」

「……王女が、書類作りに情熱を燃やすとは」

「でも、面白いんです。私の観察が、計画を改善する。計画が改善されると、みんなが安全になる」

国王は、複雑な表情をした。

「お前は、良い王族だ」

「ありがとうございます」

「だが、お前がやっていることは、王族の仕事ではない」

エリザベータは、首を傾げた。

「では、何の仕事ですか」

「……官僚の仕事だ」

「でも、私は『外部協力者』です」

国王は、笑った。

「そうだな。書類上は、そうだ」

窓の外では、宮殿の改修工事が行われていた。

エリザベータは、それを見て、メモを取った。

来月の報告書に、書くべきことがまた増えた。

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