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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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9/16

冬梨

ジュリウスは登場しません

 

 グリゴリーは季節労働がきつく、王都まで上京してきた。


 確かに王都ではそれほど体を使わない仕事はあったが、とにかく物価が高く、もうどうしようもないほど生活がつらかった。楽しみは給金で買う好物の冬梨だけだ。


 グレゴリーは貧しい家の生まれで、親は仕事を求めて転々としていた。だが世の中は流れ者には厳しく、生活は厳しかった。家族は一人減り二人減り、気がつくとグレゴリーは一人になっていた。当てもなく彷徨い王都に来たのだ。


 初めて冬梨を食べたのは十年ちょっと前、八歳の頃だ。高級品である冬梨を栽培する農家で働いていたのだ。訳あり品を食べさせてもらった時、こんなにおいしい食べ物が、世の中にあるのかと驚いたものだ。当時は両親も祖父母も兄弟も全員揃っていて、貧しいながらも賑やかだった。


 一人になってしまった今も、冬梨を食べると、あの時の明るく楽しかった想い出が蘇ってくるのだ。


 薄汚いグレゴリーが高級果物店に顔を出すと、店主は困った顔をしながらも出迎えてくれた。店主はグレゴリーは冬梨が好きで、毎回大事そうに買っていくのを知っているからだ。

 ところが今日は、ほっとしたような顔で迎えてくれた。


「なあ、グレゴリーさん。おいしい冬梨の見分け方って知ってるか?」

「そりゃあ。持った時にずっしりと重くて、なんとも言えないいい香りがすれば」


「この中ではどれだい。五個くらい選んでくれ」

「これとこれかな」


 グレゴリーが選んだ冬梨を、店主はカゴに入れて、先に来ていたどこかの使用人らしき女性に渡した。女性もほっとしたような顔で、会計を済ませ出て行った。


「高級品の冬梨を、五個も買っていくなんて。お金持ちの使いかな」

「助かったよ。グレゴリーさん。あの人は……、ここら一体を取り仕切っている、アダーニ一家の使用人だ」

「マフィアの……」


 グレゴリーはそこでマフィアにかかわってしまった恐怖より、好物だが贅沢品の冬梨を、まとめて五個も買う姿に憧れを抱いた。


 この辺では高給果物店は二軒あり、前まではもう一軒のほうをアダーニ一家は利用していた。ところがなにか事情があり、その店の冬梨の流通が滞っているらしい。そのため店主の店を利用するようになったのだが、店主は冬梨の見分け方がよくわからず、困っていた。


 お届けしたところ選び方が悪いと、直々に言われたのだ。マフィアににらまれ、今でも生きているのが不思議だ。


「前にグレゴリーさんが言っていた選び方で、お届けしたんだが、どうもご満足頂けないようで。香りがわからないんだ。ほのかすぎて」


 店主がうなっている。


「グレゴリーさん。来週も来てくれないか? 高級品だからただとは言えないが、半額ぐらいはまけてもいいぜ」


 グレゴリーはもちろん引き受け、翌週も顔を出した。


 その日、店主は冬梨をカウンターに並べて待っていた。


「どうだい、こんなもので。これが俺が選んだ冬梨だ。グレゴリーさんも同じことをしてくれ」


 グレゴリーは木箱に並んでいる冬梨をチェックし五個選んだ。


「大体同じだが、俺はこっちのほうも良い香りがすると思う」

「そうか。その香りってどんな感じだい」


「とにかく良い香りで、きっと食べたら瑞々しく、それでいてほろほろした食感だろうと思わせる香りだ」

「まるで伝わらないぞ。好物だからこそわかるということか」


 その時、果物店の扉が開き、イナホ鈴が元気よく鳴り響いた。そして鷲鼻で髪がない小柄な老人が入ってきたのだ。男は眼光鋭く、貴族かと間違えるほど高級品に身を包んでいた。店主は真っ青になり、まるで鶏を絞める時のような変な声を出した。


「なんだ? 楽しそうなことをやっているじゃないか。冬梨の品評会でもやっているのか」


 店主はもうその場で倒れても、おかしくない顔色をしていた。


「入荷した冬梨のうち、どれが一番おいしいか、五個ずつ選んでいたんだ」


 背中を向けていたグレゴリーは、肩肘張らずに答えた。グレゴリーはずっと流れ者で、なんの、しがらみもないのだ。守るものがない人間特有の捨て鉢さがあった。


「へえ」


 現れたのは、アダーニ一家の首領ジーノ・サヴェッリで、悪魔のように残忍で、冷酷に人を処分する人物だ。だが彼はなぜか、ひどく驚いたように、グレゴリーをしばらく見つめていた。


「おもしろそうだな。俺も参加しよう」


 ジーノはおもむろに、冬梨を選び始めた。そして五個中四個は、グレゴリーが選んだものとかぶったのだ。


「さっそく試してみようぜ。おい、剥きたまえ」


 店主はあわてて高級品の冬梨を、店主が選んだ分を合わせ、八個も剥く羽目になったのだ。不安と恐怖で気絶しないようにするのがやっとだった。ジーノはちょっと考えながら、食べていたが、グレゴリーはご機嫌だった。なにがどう転がって、こんなおいしい展開になったのかわからないが、高価な冬梨が食べ放題なのだ。いまやグレゴリーの目はきらきらと輝いていた。


「おい、お前。見分け方はどこで知ったんだ」


「子どもの頃……、冬梨を作っている農場で働いたことがあって、そん時に。でも結局はおいしいもんを食べてえっていう、気持ちが一番さね」


 グレゴリーがなんのてらいもなく答えると、ジーノは陽気に笑い始めた。


「違いねえ。おい、勘定」


 ジーノは控えていた部下に支払いを任せて、店主に言った。


「次回から、この男に配達をまかせろ」


 グレゴリーを指名して出て行ったのだ。


 ジーノの仕事は簡単で払いが良かった。頼まれた果物のうち熟しているものを選んで、アダーニ一家に届けるのだ。ついでに雑用も手伝ったり、使いも頼まれたりした。一家の使用人の内、目つきの悪い者は雑用をしなかった。堅気の使用人はびくびくしており、グレゴリーが手伝うと喜び、自分は逃げ帰った。食べるものにも不自由しない職場だったので、だんだんと馴染んでいったのだ。


 ある時、寝床にしている定宿に帰ると、主人が弱り切った顔でグレゴリーを見た。使っている六人部屋に入ると、いつもごろごろしている他の住人は席を外しており、かわりに質素に見えるが明らかに高級品に身を包んだ青年がいたのだ。


 青年はリックと名乗った。


「初めまして。急にお邪魔して申し訳ない。君に頼みたいことがあってね」


 リックは柔らかい笑顔を浮かべた、穏やかな青年だった。貴族特有の高圧さはなかったが、人に命令し慣れている人間特有の、無言の圧力を持っていた。リックによると、アダーニ一家のことを知りたいとのことだった。グレゴリーは聞かれるまま答え、リックの部下たちが記録をとっていった。


 翌日、グレゴリーは、アダーニ一家に行くと、ジーノに呼ばれた。


「お前、なにか隠していることはないか?」


 そう聞かれた。グレゴリーはなんの後ろめたさもなかった。だってなんの後ろ盾もないのだ。偉そうな人間に聞かれたら、ただ答えるだけだった。だから質問を深く考えず、テーブルの上の冬梨を見ていた。「食べたいなあ」と。


 横から呆れたため息が聞こえてきた。


「食べて良いぞ」


 グレゴリーはなんの遠慮もなく、一番おいしい冬梨を選びむき出した。


「おい、俺の分も、寄越せ。あと立ってないで座れ。お前、でかいんだよ」


 部屋にしゃくしゃくと、おいしそうな音が響きだした。


「お前は本当に冬梨を選ぶのは天才だな。それで。隠していることは?」


 グレゴリーは聞かれるまま、リックの話をした。側に控えている子分たちは、ぞっとしたようにグレゴリーを見ていた。


「ぺらぺらしゃべりやがって。おい、リック様も聞く相手を間違えているぞ。もっと口が固い奴を選べ」


 ジーノは、とくに怒らず、終いには変な文句を言い始めた。


「リック様って何者なんすか?」

「この辺りを取り仕切っている、ボウエン伯爵家の側近だ」


「あんなに若いのに」

「御曹司だよ。その癖、こんな前線に出張りやがって。今はロッソ一家とごたついている最中だというのに。うっとうしい野郎だ。おかげで商売あがったりだよ」


「いいなあ」

「なにがだ」


「だって御曹司だったら、食いっぱぐれないでしょう。一生食べるものに困らないなんて、冬梨だって食べ放題スよ」

「お前なあ……、そんな悲しいこと言うなよ。自分で成り上がろうとは思わないのか」


「無理無理。俺は冬梨さえ食べれれば」

「冬梨と御曹司の立場だったらどっちを取るんだ」


「そりゃあ、冬梨で」

「結局、冬梨があればいいんじゃないか」


 ジーノは呆れた顔で、グレゴリーを見た。だがどういうわけか、その目には郷愁のようなものが宿っていた。


「どうして……、どうしてそんなに冬梨が好きなんだ」


「子どもの頃の想い出スね。初めて食べたのは八歳のころで、本当にうまかったなあ。こんなにうまいもんがあるなんて、感激したスよ。あの時は家族が揃ってて、両親も祖父母も兄弟もいて、賑やかだったことを、食べる度に思い出すんでさあ。末の弟なんか、俺が剥いたのが食べたいって、わがままばっか言いやがって。……病気で死んじまいましたが。だからおいしいくて、昔の幸せが蘇るのに、食べ終わると、現実に引き戻されて、さびしいって思いながらくってます」


 おしゃべりだったジーノが急に静かになった。グレゴリーはなにも気にせず冬梨を、「うめえ」と言いながら食っていた。


「馬鹿馬鹿しい」


 突然室内にジーノの怒鳴り声が響いた。


「つまりお前は、つまらん郷愁とやらで冬梨を食ってるのか。

 今の生活を良くしようと戦いもせず、与えられた物で満足して、負け犬の分際で、そんなへらへらと笑いやがって。どうして悔しいって思わないんだ。

 そんなんだから、いつもいつも損してばかりなんだよ。挙げ句の果てに…………」


 ジーノはたまらなく苦しくて、仕方がないとばかりに声を絞った。


「俺はお前みたいな奴が一番嫌いだ。いますぐ出て行け」


 ジーノの怒気をはらんだ声に、部屋にいたものが全員緊張から背筋を正した。グレゴリーをのぞいて。失うものがないグレゴリーは、なにやら失敗したらしいと思い、まだ食べていなかった冬梨をさっとつかむと、退散したのだった。




「バロネスさん。ジーノさんて何者なんですか」


 グレゴリーは、リックの部下に聞いてみた。


「元は戦災孤児と聞いてますねえ。同じ国の出身者を集めた互助組織が、アダーニ一家の始まりです。汚いことを平気でするし、残酷無慈悲ですが、そうしないと生き残れなかったでしょうし、あれだけの組織を維持できないでしょうね。まあ同情は出来ませんが」


 つまりは負けん気が強く、誇り高く、粘り強いのだ。風来坊のグレゴリーとは気が合わないはずだ。気が合うのは冬梨が好きという点だけだったのだ。


「グレゴリーさん。ちょっときな臭くなってきましたから、もう一家には顔を出さない方がいいですよ」




 翌週もグレゴリーは果物屋に顔を出した。店主はほっとしたように、グレゴリーに冬梨を選んでもらい、グレゴリーはそれを届けに行ったのだ。


 特になにも考えていなかった。だがせっかく冬梨を食べ合った中なのだ。

 「なんか怒らせちゃってゴメンネ」とでも言って、殺される前に逃げだそうと軽く考えていた。


 こっそり届けに行くと、ジーノはめずらしく外出するのか、馬車に乗ろうと外に出てくる所だった。決まりが悪そうなジーノと、ばっちりと目が合ったグレゴリーは、持っていた果物カゴを、あわてて近くにいた護衛に無理矢理持たせ、大きな声で謝りながら逃げ出した。


「こないだはホントごめん。悪気なかったんだ」

「お前は、本当に。どこまで人を馬鹿にすれば気が済むんだ」


 ジーノは頭のてっぺんまで真っ赤にしながら、腹を立て、怒りのあまり今にも倒れそうだった。無事に逃げ出したグレゴリーは、殺されずに済んだことに安心し、定宿までの道を歩き出した。


 ジーノがなんで怒ったのかは知らない。グレゴリーには関係のないことだ。だから謝ったらもうおしまいなのだ。


 グレゴリーは悩みがなさそうな頭で、途中にある歌劇場に立ち寄った。田舎から王都に出てきて、繁華街の美しさにだけは感動した。街が華やかに照らされて……。




 グレゴリーは不思議そうにまわりを見回した。どうしてこんなに明かりに照らされているんだろう。いつもはもっと明かりが少ないはずだ。


 かなり暗い時間帯にもかかわらず、視界の上を鷹が飛び、歌劇場の上にバロネスが潜んでいるのが見えた。田舎育ちのグレゴリーの視力は良く、暗くても、普通は見えない距離が見えるのだ。


 妙に殺気だった人たちが多く、なにも知らずのんびりと歩く人たちと対照的だった。歌劇場の貴賓席専用通路に、ジーノの馬車が横付けされ降りた途端、襲撃が始まった。敵対しているロッソ一家だ。


 襲撃で馬がパニックになり、馬車を引きずって暴走を始めた。盾になる馬車がなくなったジーノたちは、入り口の柱の陰に隠れていた。部下たちは前方ばかり警戒している。だが劇場側の背後から、一人の襲撃犯が近づいていた。そのことに一人だけ気がついたグレゴリーは何度も叫んだ。ジーノに、後ろだと。しかし音がうるさく届かないようだった。


 喧噪に、今度は警ら隊と、リックの部下たちが突入し、さらに混乱を極めた。しかし体制側が加わったことで、襲撃犯の数が減り、グレゴリーは思わず飛び出した。


「ジーノ。後ろだ。襲撃犯が」


 その声が届いたのか、ジーノの部下たちが、相手に応戦した。グレゴリーがほっとしていると、なぜかジーノやその部下が、グレゴリーを見て真っ青になったのだ。

 ジーノは悲壮な声で叫んだ。


「兄さん!」


 グレゴリーの周囲、四方八方から、あらゆる人々が飛び出してきた。

 襲撃犯が斬りかかり、ジーノの部下が反撃しようとし、そこに警ら隊が割って入ろうとし、リックたちが敵の数を減らそうとした。そしてグレゴリーが誰かに引きずり倒されたところへ、それをかばってジーノが飛び込んできて撃たれたのだ。


 倒れたジーノのところにグレゴリーが駆けつけると、不自然な姿勢で口から血を吐いており、助からなさそうだった。

 だがジーノはグレゴリーを見ると得意げに嘲りの笑いを浮かべた。


「ざまあみろ」


 そうつぶやいたのだ。


「そう毎回助けられてばかりじゃねえんだよ。俺だって兄さんを助けることくらい……」


 普段の態度からは想像がつかないほどに、あわてたリックが叫んでいた。


「早く手当てしろ。死なせるな。絶対に。ええい、私がやる」


 そしててきぱきとジーノの手当を始め、両手のひらを血まみれにして、なんとか止血しようとした。待機していた医師も走ってきて加わったが血は止まらず、ジーノはその場で亡くなった。


 警ら隊の本部に置かれたジーノの遺体の前で、グレゴリーは茫然としていた。現実味がなかったのだ。




 ジーノの死は警ら隊にとっても、リックにとっても明らかな失態だった。

 地下組織の首領ともなると、たった一人で組織をおさえている。それが亡くなったとなると、跡目争いから、資金の流用、抱えていた問題人物たちの社会への流出など、あらゆる問題が発生する。だから力のある首領一人を、大事にし、押さえておけば、いざという時に、体制側も話し合いという名の『取り引き』ができるのだ。

 内部分裂し、話が通じなくなった組織ほど怖い物はなかった。


 今回は敵対組織からの襲撃ということで、弔い合戦は免れない。もしそれで誰かが命を落とせば、争いは永遠に続くのだ。




 グレゴリーは冬梨を一杯買って、枕元に置いてやりたかった。だが高くて一個しか買えなかった。それを枕元で剥いてやりながら、つらつらとジーノのことを思い出していた。

 戦災孤児だったジーノには、おそらくグレゴリーに似ている兄がいたのだろう。

 グレゴリーは冬梨を剥くと、いつもグレゴリーの手から食べたがって、まとわりついてきた弟のことを思い出していた。小さな口を精一杯に開けて、「あーん」と何度もねだるのだ。


 グレゴリーは横になっているジーノに剥いた冬梨を差し出した。


「あーん」


 答えてくれるものはいなかった。


 グレゴリーは冬梨を自分の口に入れ、むしゃむしゃと食べた。家族が死んでいった時も、一人になった時も、いつでも冬梨はおいしかった。


「うめえ」


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