人数分の世界
「夫の素行調査?」
ジュリウスは目の前にいる、母方の従姉妹アイヴィの顔をまじまじと見つめた。アイヴィは結婚したばかりの二十歳で、騎士の夫ドリューがいる。そのドリューが仕事が忙しいからと、ろくに帰って来ず、子どもができないのが悩みだという。もっとも気がかりなのは、ドリューの勤務先に、ドリューの幼なじみマギーがいることだ。二人は子どもの頃から仲が良く、べったりだという。アイヴィは、ドリューとマギーの浮気を疑っていた。
「じゃあ、ドリューはマギーと結婚すれば良かったじゃない」
信じられないとばかりに、ジュリウスの妹シェリーがつぶやいた。
「だって……。ドリューが私を選んでくれたから」
そうアイヴィが言うと、シェリーはぎっとジュリウスをにらんだ。その目には、「それ選んだって言わない」と書いてある。うんうんと妹にうなずいて、ジュリウスはアイヴィに視線を戻した。
「あのさ、アイヴィ。私は確かに調査官だけど、そういったことは……」
「ダメ元でいいから。お願い」
少なくとも従姉妹から、そういったことを頼まれたと、リックに報告した所、快諾された。
「面白そう……いや、いいじゃないか。たまにはそういうのもやりたまえ。見識が広がるかもしれん」
「はあ、わかりました。ありがとうございます」
ジュリウスが退室した部屋では、リックを始めとした幾人かが、肩をぶるぶる震わせながら、笑いをこらえていた。
「いやあ、楽しみだなあ。あの生真面目なジュリウスが、痴情のもつれをどう報告するんだろう」
「笑わずに聞く自信がありません」
◇◇◇◇◇◇
アイヴィは王都の富裕層の生まれで、ちょっと学費の高い上流階級向けの良い学校に行っていた。そこで出会ったのが、後に夫になるドリューだ。
ドリューは貴族かと見間違うほどの美丈夫で、人気者だった。難関資格の騎士を目指していて、そんなところも注目されていた。とにかく女性にもてて、つねに人に囲まれていたのだ。
ドリューはとても明るく、大らかだった。細かいことを気にしない行動派で、失敗しても笑い飛ばす所があった。おまけに女性のエスコートが上手で、会話も上手く、プレゼント選びや、デートスポットにまで詳しかったのだ。学校中の女生徒がドリューに夢中になっていたと言って良い。
それなのに強力なライバルがいたのだ。ドリューの幼なじみマギーだ。マギーはアイヴィに比べて、大して美人でもなければ、お金持ちでもなかったのに、幼なじみということで、大きな顔をしていた。
アイヴィは大勢のドリューファンを出し抜こうと、懸命に努力した。その甲斐あって、騎士の試験に合格したドリューから求婚されたのだ。天にも昇る気持ちだった。あの時のまわりの嫉妬と、羨望のまなざし。アイヴィは勝ったのだという気持ちでドリューに嫁いだ。
ところが結婚してから、ドリューは変わってしまったのだ。職場から帰らないし、同じ職場のマギーとの噂ばかり聞こえてくるし。だから従兄弟のジュリウスに素行調査を頼んだのだ。
「それで……、騎士ドリューの職場での評判はいかがですか」
「最悪ですね」
「サイアク……」
ジュリウスは、王城の騎士団を訪問し、人事部からドリューの評判を聞いた。担当官はため息をつきながら、公式の愚痴をこぼした。
「ドリューは、とにかく軽薄で、大雑把、慎重さに欠け、落ち着きがなく、失敗しても反省がまるでないのです。正直、合格試験は不合格だったのですが、その年は受験者が少なかったですし、まだ若いから伸びしろに期待しようと、現場は判断したのです。伸びないどころかだんだん成績は下がっています。最初は褒めて育てようとしたのですが、お世辞を真に受けて努力しないし、その内、さぼるようになったので、今は寝る間もないほど厳しくしているところです」
「そうなんですか。それで家に帰れないと」
「違います」
ジュリウスの相づちを、担当官は即座に否定した。
「あの……」
「家に帰れないのは、女性に声をかけて回るのに忙しいからです」
「……」
「希に見る女好きで、見かける女すべてに声をかけるのです。ずっと女と話しているせいか、会話運びが上手で、女性が好むプレゼントや、流行のデートスポットなんかにも詳しいんですよ。最初の内は、そんなんだから相手の女性にきゃあきゃあと騒がれるのですが、その内既婚者だとばれ、にじみでる気持ち悪さから、振られる。その繰り返しです」
「ふーむ。あのう、ここで勤めているマギーさんとは」
「ああ、あのお気の毒な」
「おきのどく?」
「いえ、私がそう思っているだけです。ドリューにつきまとわれて可哀想にと。勝手な憶測を言ってはいけませんから、本人に聞いて頂けますか」
ジュリウスは茫然としながら、次の部署へ移動した。まだ数人に話を聞いて、裏取りをしないと断定できないが、物事というのは一方から聞いただけでは、本当にわからないものだ。女官が勤める部署で、事務の下働きをしているマギーを訪ねた。
「お忙しい所申し訳ありません。マギーさんに、ドリューさんの件でお伺いいたしました」
ジュリウスの第一声で、その場にいた女性たちが、きっと睨んできた。マギーを心配そうに見たり、かばう仕草をする女性もいる。諦めきったマギーを背にした、責任者の女性が進み出た。
「どのようなご用件でしょう」
「実はドリューさんの……、素行調査を行っております。それでマギーさんに、少しだけお話しを伺いたく」
「失礼ですがお名前は」
「ジュリウスと申します。……ダイアー伯爵家からの使いで来ました」
ジュリウスは自分の家名を、もしかしたらマギーは知っているかもしれないと心配した。それでリックの家名を名乗った。ダイアー伯爵家の指示で動いているのは間違いではないのだ。
「わたくしもその調査とやらに、同席してもよろしいですか」
「もちろんです」
一見柔らかではあるが、断固とした申し出を受けると、責任者の女性にようやく安堵の笑みが浮かんだ。マギーから聞いた話をまとめると、こんな風だった。
マギーの幼なじみのドリューは、母親との関係があまりうまくいかず、いつしか女性という存在をつねに見下し、それでいて異様に執着するという、歪んだ人間に成長した。
心配したマギーの母親が母子の仲裁に入ったり、真摯に話をしたりしたが、ドリューの状態は悪くなる一方だった。
不安を感じたマギーとその母親が、ドリューから離れようとしたのだが、どこの学校に通っても、金にあかせてついてきてしまうのだ。
マギーからドリューに話しかけたり、近づいたりを一切やめているのに、ドリューは平気でマギーに話しかけ、つきまとった。マギーは疲れ切って、ただ座っているだけなのに、ドリューはマギーの噂を流した。マギーはドリューを狙っていて、幼なじみという自分の立場を利用して側にいるのだと。
恐ろしいことにドリューはそれが、真実だと思っているのだ。
マギーは必死で勉強した。この怪物から逃れるために、特別な職場と高給が欲しかった。マギーのような平民でも、王城の女官試験に合格すれば、そこの事務に配属されるのだ。そこならドリューのような怠け者には、追いかけてこられない。
だがマギーが勉強しているのを知ったドリューは、たいした努力もせず騎士の試験を受けたのだ。そして人材不足で、受かってしまったのだ。
それからは絶望的な毎日だった。職場にまでドリューは、騎士の身分を利用し入ってくる。くだらない話を延々とし、マギーはドリューにつきまとっているという噂を流した。また学校で言われたように、噂に基づく中傷をされるのかと、おののいていたが、まわりはなにも言わなかった。そしてある時、上司に言われたのだ。
「一人で悩んでいないで、誰かに相談しなさい。例えば、私とか」
それ以来、マギーの職場では、配属二年以内の騎士は、任務に集中するため立ち入り禁止になった。
「……大変でしたね」
ジュリウスは本心から言った。
なかなかわかってもらえない感覚だが、つきまといに関する恐怖は、男と女ではまるで違う。男性が力をこめたというほどでもない動作でも、女性は抵抗できなくなってしまうのだ。
仲の良い妹がいるジュリウスは、マギーの話を聞いて戦慄したのだ。知ってしまった以上、後戻りはできない。ジュリウスはマギーをなんとか助けたかった。
「離婚した方がいい? どうして? あんな素敵な人いないのに」
ジュリウスは従姉妹のアイヴィに、離婚を勧めた。
「職場からの評価だけど、首寸前だ。成績が良くないし、勤怠評価も悪いし、職場で女性を追いかけ回して評判が悪いそうだ」
「誰の話をしているの?」
「ドリューだ」
「さっぱり心当たりないわ。ドリューは女性を追いかけ回したりなんかしない。女性が追いかけ回しているのよ」
ジュリウスの説明を聞いた、アイヴィは混乱した。
「とにかく成績が悪いのは事実だ。遅刻欠勤も多い。これは記録に残っている」
「そんな」
「責任者にはっきり言われた。女性を追いかけ回している、と。マギーさんの件も、そうだ。マギーさんは内勤で、仕事も休憩も同じ場所で取って、そこから一切出ない。その場所へドリューが足繁く通うから、今は立ち入り禁止になっている。いいか、ドリューが、マギーさんのいる場所へ、入るのを禁止されたんだ」
ジュリウスの話を、アイヴィは頭から信じず、受け入れようとしなかった。
「そんなの嘘よ。だってドリューはいつだって人気者なのよ」
「どの辺が」
「見ればわかるでしょ。あんな美丈夫。それに騎士なのよ」
アイヴィはジュリウスに遠慮なく怒鳴った。
「アイヴィ。ドリューが勤めているのは騎士団なんだ。騎士であることは当たり前で、なんら特別ではない。それに貴族出身者が多い騎士や、王城では、ドリューは並以下の容姿なんだ。仮に君が同じ場所にいて独身だったら、もっと美しくて、貴族出身の男がたくさんいる世界で、ドリューに話しかけるか?」
アイヴィはがたんと立ち上がると、なにも言わずに帰った。
アイヴィは帰り道の途中、行きつけのカフェに寄った。お気に入りの紅茶を飲んで気を静めようとしたのだ。ドリューと別れる気なんて、さらさらなかった。だからジュリウスにとても腹を立てていたのだ。だが観葉植物の向こうから聞こえてきた会話で、気が変わった。学生時代の同窓生の声が聞こえてきたのだ。
「今日、夫に用事があって王城にいたら、またドリューに馴れ馴れしく話しかけられて。うんざりしたわ。話長いし、内容はつまらないし。流行のお菓子がとか、デートスポットがとか、自分が何歳と思っているのかしら」
「頭の中、学生時代で止まっている男、ってか女もいるよね。外見だけ年とってくのかなあ」
「でもドリューの場合は、学生時代からやばかったよね。最初は人気あったけど、なんか気持ち悪くて、みんな距離を取ったのに、その後も女に声をかけまくって」
「一番、可哀想なのマギーさんだよね。どこに逃げてもつきまとわれて。あれって犯罪にならないのかなあ」
「それにしてもドリューの奥さん、アイヴィさんだっけ。ちゃんとドリューを捕まえておいてくれないと困るよ。まあ、彼女、お金しかないもんね。強く言えないのかも」
アイヴィは、他の女を押さえて手に入れた自慢の男を、誰も羨ましがっていないのを知り、先ほどまで感じていたドリューに対する執着心が、あっさりと消えてしまった。そして驚くほど簡単に離婚したのだ。妻から離婚を切り出されたドリューはプライドが許せず、自分から離婚してやったと触れ回った。
人事部はこれ幸いと、今までの低評価と、妻に離婚された騎士というのを理由に、解雇した。人材不足も解消されたからだ。のびのびと仕事するようになったマギーは、別人のように明るくなった。
「結果がそうなると、予想していたのかい?」
妙に、にまにました顔のリックに、ジュリウスは質問された。
「いえ、これはローズ様の助言です。そういう女性もいると」
「へえ」
情報は集まったものの、どう対応するかを考えあぐねていると、ローズが言ったのだ。
「アイヴィのような人間は、割といる」と。
自分に自信がないから、社会的身分の高い人間を手に入れることで、安心するのだと。きっとドリューの社会的価値が下がれば、あっさりと手放すだろうと。その通りに、ドリューの悪評を教えると、ジュリウスが驚くほど短期間に離婚が成立した。騎士団では離婚は不名誉なこととされている。真面目な隊員ならともかく、ドリューはひとたまりもなかった。
「それにしても、人ってわからないものです」
ジュリウスがぼやくと、リックはしみじみと言った。
「皆、自分の見たいものしか見ないからな」




