己を武器にせよ
(ジュリウスは登場しません)
フィッツロイ子爵家の令嬢メロディと、ボネット男爵家の令息ゲイリーフォードとの、「真実の愛」は学院内で有名だった。
ゲイリーフォードは、メロディの姉、ヘンリエッタの婚約者だ。フィッツロイ子爵家には男子がいないため、長女のヘンリエッタが婿をとって跡を継ぐ予定だ。
その婿に選ばれたのが、ゲイリーフォードだった。だが婚約を結んだあと、フィッツロイ子爵家に通ううちに、病弱で儚げな美しいメロディと出会い、二人は恋に落ちたのだ。
妹のメロディは道ならぬ恋として、ずっと想いを内に秘めていた。だが体が弱くそれほど長くは生きられないだろう身の上のため、つい気持ちを表に出してしまった。それを恋に憧れる学院の生徒たちは応援した。
それには真実の愛を育む二人に嫉妬して、姉のヘンリエッタが妹を激しくいじめているという噂があり、メロディへの同情が集まっていたという背景があった。
そんな中、ゲイリーフォードは長く気持ちを押しとどめていた。相手は婚約者の妹なのだ。気持ちを移していい相手ではない。だからじっと耐えていたが、思わぬ応援があった。それはメロディの両親だ。
フィッツロイ子爵家は長い間、ヘンリエッタを差別してきた。妹のメロディは生まれつき体が弱く、不憫に思った子爵夫妻は、ことのほか可愛がり贔屓してきた。
メロディがほしいと言えば、なんでもあげたし、してやった。例えそれがヘンリエッタのものでも。そしてヘンリエッタがそのことに文句を言えば、「思いやりがない」「妹に冷たい」と叱ってきた。
どういうわけかメロディは、特にヘンリエッタのものをほしがり、手に入れても仕方がないものにまで手をだした。
ヘンリエッタの婚約者や、ヘンリエッタの跡継ぎとしての地位まで欲しがった。可哀想なメロディを気の毒に思った子爵夫妻は、すべて与えることにしたのだ。婚約者のゲイリーフォードも、子爵家も。
「そういった訳で、婚約相手をヘンリエッタから、メロディに変更する。それに伴い子爵家の跡継ぎもメロディにする。どうだいゲイリーフォード君」
関係者が集められた席で子爵にそう告げられ、ゲイリーフォードは頭が真っ白になったようだ。側で聞いていたヘンリエッタはショックで、目に涙がにじんでいる。それを見ているメロディは手で口元をおさえているが、どう見てもにやついているようにしか見えない。ゲイリーフォードの父親ボネット男爵は、用心深く黙っていた後、言った。
「……親として確認しますが、メロディ嬢は体が弱く、通学や試験を免除してもらっているとか。当然、結婚の予定もなかったし、子どもも生めない。この状態で跡継ぎの問題は、どう解決するのですか」
可愛い娘のメロディをエサにすれば、気持ちが揺れているゲイリーフォードは、すぐに飛びついてくるだろうと思っていたフィッツロイ子爵は、あてが外れたように感じた。
だがそんな問題はどうにでもなる。子爵家内で絶大な権力を振るう子爵は、簡単に考えた。長女のヘンリエッタという人間を、長く奴隷として扱ってきた子爵は、感覚がおかしくなっていたのだ。家庭内のことは、なんでも自分の思いどおりになると。
「それならヘンリエッタを、愛人にでもして下さい。どうせ家のことも、全部やらせる予定です。か弱いメロディに、そんなことはさせられませんから。ヘンリエッタに生ませた子どもを、メロディの養子にすればいいでしょう」
ヘンリエッタはあまりのいいように、両手で顔を覆って肩を震わせた。この時、子爵は本気でそう思っていたわけではない。だが子爵もか弱いメロディに、跡継ぎが生めるか不安があった。だからどうとでもなるヘンリエッタを、保険として引っ張り出したのだ。
「そんなことをすれば、ヘンリエッタ殿が生んだ子どもは私生児になってしまう。フィッツロイ子爵家を、私生児に継がせるおつもりですか」
こう言われて、さすがに子爵も冷静になった。なんでも思いどおりにしてきたとはいえ、子どもの籍はどうにもならない。この時、もう少し子爵に時間があれば、自分が薄氷の上を歩いていることに思い至ったろう。だがボネット男爵が、そんなことを許すはずもなかった。子爵の考えを、中断させるように話しかける。
「ヘンリエッタ殿を結婚させ、フィッツロイ子爵家と、ボネット男爵家の縁続きの子どもを生ませましょう。その子を養子にすればいいのです。相手は……そうですね。ゲイリーフォードの弟がいいでしょう。まだ十六歳ですがしっかりしていますし。それに……子どもを生ませるためだけの夫婦なのですから、なんの資格もいらないでしょう」
耐えられなかったらしいヘンリエッタは、部屋から出て行った。フィッツロイ子爵家とボネット男爵家は、細かい契約書を作成し、婚約書類を成立させた。
翌日、体調の良かったメロディは第一学年の教室に、姉の新しい婚約者ルーアンの品定めにいった。ゲイリーフォードの弟なら、同じように美しい青年かも知れないと思ったからだ。万が一、もっと美しかったら、婚約者を取り替えてもらおうと思っていた。なぜならメロディはつねに一番であり、姉はそのおこぼれをもらうだけのみじめな存在だと、子爵家において決まっているからだ。
だがルーアンは不潔な髪の毛をのばし、すき間から見える顔のあばたを隠していた。高い襟のある服を着て、両手に手袋をしているのも肌が汚い証拠なのだろう。ぞっとしたメロディはすぐに教室から立ち去ったが、姉のヘンリエッタがあれと結婚すると思うと、笑いが止まらなかった。
メロディがいなくなった後の教室で、同級生たちがルーアンを取り囲んだ。
「おい、ルーアン。メロディ嬢が立ち去ったぞ」
教えられたルーアンは、どこかに行ったと思うと、髪をまとめきれいになって戻ってきた。
年下のルーアンが卒業すると、ヘンリエッタはすぐに結婚し、ボネット男爵家で新婚生活を始めた。すぐに子どもが生まれ、男爵家ですくすくと育っている。
メロディも卒業してすぐに、ゲイリーフォードと結婚し、フィッツロイ子爵家で新生活を始めた。子爵家では結婚した後も、ヘンリエッタをこき使う気だった。だが余所の家に嫁いだ後も同じように使うことはできず、要請してもボネット男爵家に断られてしまう。
たまに手伝いに来てくれるが、そんな時はゲイリーフォードと、打ち合わせをしてばかりだ。そのため子爵家の執務は、なにも知らないゲイリーフォードを頼るしかなかった。だがゲイリーフォードは不思議なほどに子爵領に詳しく、即戦力になり、巧みにその手腕を奮った。
十年経った今では仕事の七割以上は把握していて、子爵家をまかせられるほどになっていた。
そんな子爵夫妻の心配事は、メロディに子どもが出来ないということだ。メロディは子どもの頃、体が弱く、夫妻はずっと甘やかして、なんでもいうことを聞いてやった。ヘンリエッタと明確な差をつけて育ててきた。
だが実際の所はどうかというと、別にそこまで弱くはない。
婚約の時の、妊娠や養子の条項は、普段からずっと「体が弱い」と言い続けたため、自分でも軽い暗示にかかって、体が弱い前提で契約書を作ってしまった。今さら嘘でしたと言えるはずもなく、もし言ったら、学院などに提出してきた診断書も嘘になってしまう。
それでも気になって、結婚五年目にゲイリーフォードに聞いたのだ。
「なかなか子どもが……その……」
ゲイリーフォードには、明るく言われた。
「気に病まないで下さい。できないことは始めからわかっていた結婚ですから」
子爵は、「悪いのは私のほうなのか?」と強い疑問を抱いたが、婚約書類は子どもができない前提で作られた。そして実際にできていない。ボネット男爵にはこんな嫌みを言われた。
「確かにできないだろうと覚悟していましたが、一人くらいはとも思っていました。まあ仕方がありませんね」
子爵は、子どもができない嫁が、姑にちくちくいびられる気持ちがわかった気がした。
こうなっては、メロディに養子を取るしかない。予定通りヘンリエッタと、ボネット男爵家との子どもだ。
だがなぜかゲイリーフォードから、強い牽制がかかっている。フィッツロイ子爵は、爵位をメロディに譲る気ではあるが、娘になにかできるとも思っていない。だからゲイリーフォードに子爵代理をさせ、その後すぐに孫である養子に譲る気だ。そのためこの爵位継承に、ゲイリーフォードは重要な役割を担う。
ゲイリーフォードからは、子爵になにかあった時に、自分だけで家を維持できるようにしたいので、先に業務をすべて引き継いでほしいという要求があったのだ。確かにいずれはそうするつもりだ。だがそれをしてしまっては、簡単に家を乗っ取られてしまう可能性がある。
ゲイリーフォードのことは信頼しているが、中々踏ん切りがつかなかった。だがヘンリエッタの子どもは、ボネット男爵家で養育している。仕事と後継ぎを握っているゲイリーフォードの、フィッツロイ子爵家での発言権は膨れ上がり、もう子爵ですら太刀打ちできないほどになっていた。
ゲイリーフォードはまめに顔を出している、実家のボネット男爵家に行った。子ども部屋は大勢の子どもたちが集まり、まるで動物園のように歓声がわいていた。たった一人の大きくなった娘と、それを甘やかす老いた両親しかいない、フィッツロイ子爵家との大きな違いだ。
「ゲイリー」
今年十二歳になるヘンリエッタと、ルーアンの息子コーニーが飛びついてきた。
来年寄宿学校に入る予定なので、それまでフィッツロイ子爵家に行かせるのは、延期させる予定だ。ただ甘やかし、こどもの教育を怠っている子爵家で、大事な甥に教育を受けさせる気はなかった。
続いて、その妹のケイティと、弟のスティーヴィーも駆け寄ってくる。
「今日はみんな、なにをして遊んでいたんだ?」
部屋にはゲイリーフォードの長兄、次兄、そして弟の子どもたちが集まっていて賑やかだ。子どもができないゲイリーフォードにとって、甥姪たちは宝物だった。
◇◇◇◇◇◇
子どもの頃、伝染病にかかったゲイリーフォードは、体にあばたの痕がある。命は助かったもののひどい高熱を出し、医者には子どもが望めないだろうと言われたのだ。
とてもつらかった。
一生結婚できないだろうし、貴族子息として、なんのために生きているのかもわからない。両親が他の兄弟と同じように、育ててくれるのがかえって悲しかった。このままいけば自分の人生は、兄弟たちの補助で終わる。
だがある時、そんなゲイリーフォードに転機が訪れた。
弟のルーアンと、フィッツロイ子爵令嬢ヘンリエッタが恋に落ちたのだ。二人は生徒会の手伝いを通して知り合い、仲良くなった。だが学院内の、妹をいじめる姉の噂を不思議に思い、ルーアンが距離を近づけていった。
おそらく最初から好意があったのだろう。
事情を知ったルーアンが、家族に相談し……。
ゲイリーフォードはその話を始めて聞いた時、閃くものがあり、電光石火の早業で計画を組み立てた。
ずっと自分に言い聞かせていた。自分は一生日陰者だと。表舞台に出る機会はないと。だが本心では、そんなことを認めたくなかったのだ。その気持ちが抑えようもなく心の奥底から、あふれ出した。
だからルーアンにも、父親にも、その場で自分の計画を話した。
男として、フィッツロイ子爵家を手に入れる、一世一代の大勝負をしたいと。
話の展開の早さについていけない家族は、茫然としていた。二人の兄たちは考え始め、リスクや不確定要素を叩き出している。ルーアンも真剣な顔をしている。
ゲイリーフォードはただひたすら、祈るような気持ちで父親を見ていた。
ボネット男爵は片手で顔を覆い、しばらくその姿勢だった。呆れているのか、嘆いているのか、あの手が下りた時、計画を却下されてしまうかもしれない。それでも何度も提案するつもりだった。
しかしその内、男爵の目からぽろりと涙が落ちたかと思うと、肩を震わせて笑い出したのだ。最初は小刻みに体をゆらす笑いが大きくなり、終いには腹を押さえてげらげらと笑った。そうしてやっと息を整えたかと思うと、ゲイリーフォードに向かってこう言った。
「ここ数年、妙に大人しくしていると思っていたら、牙を研いでおったのか」
ボネット男爵家の全面協力の下、こうやってゲイリーフォードは名のある子爵家を手に入れたのだ。




