雨垂れ石を穿つ(後編)
グラッディは最近、機嫌が悪かった。
リリスと二人で友人たちとおしゃべりをしていると、なぜかまわりから笑われるようになってしまったのだ。気分良く話しているのに、周りの態度が悪く、妙ににやついた顔で聞いている。ある日、忘れ物をして戻ろうとした所、自分が笑いものにされていた。
「嫁さんがみじめだって、繰り返されてもなあ」
「そんなみじめな嫁しか、もらえなかった自分こそみじめだろう」
一人が不思議そうに聞いた。
「なあ……。なんでそんな嫁しか、もらえなかったんだ」
「グラッディのやつ。しょぼい平民女に入れ込んでいて、そいつを愛人に迎えたいから、言うこと聞く格下女しか手に入らなかったんだよ」
その場にいた男たちが、一斉に下卑た笑い声をあげた。
「そんな馬鹿な話あるか。婿養子ならともかく。奴は子爵家令息だろう? それなりの嫁さんもらって、後から愛人を迎えればすんだ話じゃないか」
「だからその愛人に入れあげているから、馬鹿みたいに、お見合いでも連れ回して、結果、格下女しか手に入らなかったってこと」
「なんだそれは。それでは自分の下策のせいだろう。自分の無能を宣伝しているも、同じではないか」
「そうなんだよ。自分はバカですって、毎回宣伝しててさあ。あと最近お誘いがかからなくなったって、愚痴を言って回るのもおかしくて」
「あれな。自分で嫁さんの悪口を言って回ってさあ。それでそんな嫁なら招待をやめようと、各家がお茶会や集まりの招待を止め始めたら、お誘いがかからなくなったって。自業自得じゃないか」
「まったく理解できないな。そんなんだからオリファント子爵家は最近、事業契約をあちらこちらから切られて、経営が苦しいと聞くし、わざわざ自分の首をしめてどうするんだ」
グラッディはオリファント子爵家の、永遠の息子だ。
子爵夫妻が跡継ぎとして大切に育て、その結果、自分はなにをしても許されると勘違いしていた。リリスの件で突っ張ったら、子爵夫妻が許してしまったのも増長する一因となった。どこまでいっても自分は甘える側であり、誰かがなんとかしてくれると思っていた。
だからカレンが気に食わなければ、人前で文句を言うし、本心では消えて欲しかったから、あらゆる難癖をつけた。それはお互いが婚約者同士の時は、そこまで問題にならなかった。
だがグラッディの悪友たちも結婚し家庭を持つと、徐々にその意識は『息子』から、『夫』に変化していった。一年もたつと『父』になったものが増えた。そういった人々からすると、子どもの母親であり、夫の妻でもあるカレンの文句をやめないグラッディは、珍獣のような存在だった。
配偶者の愚痴というのは、会話のエッセンスだ。適度にあるから話題が盛り上がるのであって、主要な話題ではない。なぜならあまりに度が過ぎると、夫の評価も下がるからだ。
だがグラッディはそれが理解できず、過度に悪口を言い、それが社交に大きな影響を出していた。
あまりにも妻の評判を下げたため、様々な場に招待されなくなり、オリファント子爵家は締め出しを食らい始めたのだ。グラッディは、カレンが自分の妻であり、配偶者つまりは文字通りのパートナーであることを理解していなかった。
だからカレンの悪口を言えば、自分の評判が下がるということがわからなかったのだ。そのことを知ったグラッディは、多少考えを改めたものの、上手く軌道修正できなかった。
「ねえ、今度お宅で、大きな園遊会を開くんでしょう。行ってもいい?」
グラッディの家……オリファント子爵家の別宅で、集まっていた友人たちの一人に、リリスが招待状をねだった。その男性は困った顔をして、返事をしなかった。
「ねえ、駄目? ちょっとぐらい、いいじゃない」
グラッディと悪友達は、学生時代に散々遊んだものだ。その当時は平民のリリスも、混ざって遊び、大人たちの注意など、ものともしなかった。だが結婚しだんだんと、大人しくなっていった。学生時代は、そういった集まりで限度を超えてはしゃいでも、それが自分たちになんの影響もなかった。だが責任ある立場になってくると、評価に直結する。
「最近のりが悪いわ。空気読んでよ」
リリスは強気に迫った。グラッディに甘やかされ、なにをしてもいいと思っていた。男性は弱り切ってこう答えた。
「グラッディの妻カレン夫人は、評判が最悪なんだ。グラッディがそう宣伝しているから。そんな夫婦に招待状は出せないよ。私の責任問題になるから」
「でもどうせ出席するのは、私とグラッディなのだからいいじゃない」
「そういう問題じゃない」
「でも」
「リリス。もうやめろ」
呆れてグラッディが止めに入った。
「なんで止めるのよ。なんなの最近、みんな本当に乗りが悪いわ。いいわよ、園遊会当日乗り込んで遊んでやるから」
「いい加減にしろ。そんなことをしたら、オリファント子爵家とは縁を切る。ただではおかないからな」
男性はそう言い残し、足音荒く出て行った。リリスはきょとんとしてそれをみていた。
「ねえ、どうして急に怒っちゃったの? どうして急に変わっちゃったの?」
「リリス。もう止めてくれ。このままではどこからも縁を切られてしまう。私が悪かった。カレンの悪口を言って回るのはやめよう」
そう言われたリリスを見て、グラッディは地雷を踏み抜いたのがわかった。
リリスは感情の波が見えない顔のまま、なにかをぶつぶつとつぶやいた。だが激怒しているのがわかった。
「どういうこと? なんでカレンをかばうの? カレンはわたしたちの敵でしょう? あの女のせいで、私たちは幸せになれないのに。あの女がいるから。あの女さえいなければ。それなのにかばうなんて、私を裏切るの? 私と私の子どもたちを裏切るの。そんなの…………絶対に許さない」
その場にいた友人達は、とっくの昔に逃げ出していた。その時、別邸に本家の家令がやってきて告げた。
「オリファント子爵家の、爵位継承が行われたことを報告します。前オリファント子爵のご病気により、爵位と財産はすべて孫のシルフィード様、御年十二歳が継承されました。後見人は前子爵ご夫妻、お母上のカレン夫人、親族会です。国王の承認は経ております」
子爵家からの連絡をすべて無視し、遊びほうけるグラッディも、敷居が高くて足を向けないリリスも、さすがに子どもたちを連れて実家に向かった。
オリファント子爵は十日前に、心臓発作を起こして倒れたのだ。幸い大事には至らなかったものの、遠方の親族まで駆けつける大騒ぎになった。当然ながら長男のグラッディを呼び出そうとした。
カレン夫人は、まだ子爵が倒れたという、事情を知らない使用人に言いつけた。生憎その日はどしゃぶりで、外に出たくない使用人は、一日家畜小屋でさぼっていた。
なぜならグラッディに連絡がつかないことは、使用人の間で有名で、その上、そのことで子爵夫妻に叱責されるのも使用人だからだ。最近は夫妻も長男の本質に気がつき、あたりが柔らかくなったが、どうせ叱られるのなら、ずぶ濡れになってまで、なにかをする気になれなかった。
次の日、まだグラッディに連絡がついていないことに、気がついたカレン夫人は、横になっている子爵の目の前で、自分の部下に言付けをした。
部下はグラッディに伝えると言い残し出て行き、子爵は倒れてから丸三日、自分の息子を待った。そして来なかったことで決心をしたのだ。
こんな緊急時にすら、連絡がつかないような人間に跡は任せられない。
爵位は孫に譲ろうと。
まるであらかじめ準備してあったかのように、継承手続きが滞りなく進み、誰かが得でもするのかと思うほど、速やかに議会の承認も得た。
それでも来ないグラッディの元へ、家令が向かった。前子爵となった父親に向かって、グラッディは「そんな話知らなかった」、「なんの知らせも受けていない」と言い訳をした。いつものことだ。弁解の一つでもすれば、まだ可愛げがあるものを、知らぬ存ぜぬで通すのだ。
何十年も繰り返された釈明は、聞く価値もないと一蹴された。
子爵家から追い出されたグラッディは、茫然として別邸に戻った。
今までは子爵夫妻の息子という、未来ある立場だっのに、これからは子爵の父親という立場になる。子爵家のただの縁者だ。リリスとの子どもたちはどうなるのだろう。こうなるならリリスとの子どもを、正妻カレンとの間の子どもだと、届け出しておけばよかった。リリスも始めは乗り気だったのに、カレンとなにか話した後、激怒してしまった。「こっちからお断りよ」と息巻いて。
別邸で妙に落ち着きのないリリスを、問い詰める。
「なにを隠している。変にぴりぴりして」
「だって…………知らなかったんだから、仕方がないでしょう」
一週間前に、カレン夫人の部下が来たのが思い出される。その男はリリスにこう言った。
「グラッディ様の奥方であらせられるカレン夫人から、旦那様への伝言です。そのままお伝え下さい。『お義父様の体の調子が良くありません。そろそろ外で女と遊ぶのを控えて、戻ってきて下さい』と」
むかついたリリスは伝えなかった。それを聞いて責められない。
そういった連絡を今まで散々無視してきたのは、グラッディだ。だが従順なカレンの、妙に挑発的な伝言が気になった。それにこのままでは自分の立場が危ういし、リリスとの子どもたちの将来が危ぶまれる。そのため息子のシルフィードに面会を申し込んだのだ。
シルフィードは能面のような顔をしていた。子どもの頃にカレンの子どもだからと、軽い気持ちで怒鳴ったり、嘲笑したりしたことがあった。それを覚えているのだろう。今では悪いと思っているし、軽率だったと後悔している。シルフィードの横にはカレンが座り、シルフィードに仕えているのであろう、侍従や侍女、使用人たちが何人も控えている。
「その……手伝える仕事はないかと思って。これでも一応教育を受けたから」
グラッディは自分が役に立てることを、アピールした。今からでも子爵家に食い込まないと、グラッディとリリス一家は終わりだ。しかしカレンははっきりと断った。
「お断りします」
「なぜだ」
「シルフィードが幼い頃に、私の子どもだからという理由で、きつくあたりましたね。あれ以来あなたに怯えているのです。側にいて欲しくありません」
「それは、その、大変申し訳なかった。謝る。だから機嫌を直してくれ。嫌なら離れた部屋で働くから」
グラッディは精一杯の笑顔で、シルフィードに笑いかけた。
「シルフィードは怯えています。あなたに側にいてほしくないのです」
「だからそれは謝るから」
「……あのですね。シルフィードは当主なのです。当主がなぜ、怯えてまで部下を置かねばならないのですか。当主が嫌だと言っているのです。部下になりたいあなたが、なぜ偉そうに指示しているのですか。当主の命令を黙って聞くのが部下です。それもわからない人間に、働く場所はありません」
グラッディは反射的に、「俺はオリファント子爵家の跡継ぎだぞ」と言いそうになった。だが今の彼は何物でもなかった。
「リリスさんとの生活が、心配なんですよね。それなら大丈夫です。別邸に生活費を送りますから。あなたはリリスさんと永遠に、なにもしないで暮らせますよ」
「……」
それはグラッディとリリスにとって、ずっと願っていた夢だったはずだ。だがどういうわけか目の前が真っ暗になった気がした。グラッディはオリファント子爵家に、もっと強くしがみつかないと終わりだという気持ちになり、冷たいカレンではなく、シルフィードの方を向いた。
「シルフィード。お父さんが悪かった。なんでもするから許してくれないか」
「……なんでもしてくれるの?」
「もちろんだ」
「それなら僕の前に、もう姿を見せないでほしい」
グラッディはとっさに反論しようとしたが、護衛に玄関先に放り出された。ついてきたカレンは、なにか吹っ切れたような顔でグラッディに囁く。
「良かったですね。これで病弱な幼なじみのリリスさんの、看病に専念できますね」
何年も前に使っていた言い訳を持ち出されて、グラッディは急に学生時代に引き戻された気がした。
「まさか、……計画的な犯行なのか? 我が家をずっと狙っていたのか? 汚い手を使いやがって……。今からでも親父に言いつけてやる」
「確かにきちんと計算は練りましたが、この計画を始めたのも、進めたのもあなたです。グラッディ」
「なんのことだ」
「だって言うことを聞く格下だからという理由で、婚約話を持ち込んできたのは、あなたではありませんか。それがなければ我がカウマン男爵家は、なにもできないに決まっているでしょう。だって格下なのだから」
「……」
「婚約を結んだ後も、結婚した後も、私の悪口を触れ回ってくれましたね。ご両親が何度も諫めたにもかかわらず。おかげで夫からそこまで言われる妻として、私の評判は地に落ち、つられてあなたとオリファント子爵家の評判も徐々に落ちていきました。やはり跡継ぎの影響力は大きいですね。そのため子爵家はいまや、カウマン男爵家の援助なしでは成り立ちません。金銭面や人材面、事業面で両家は太くつながっています。これこそが政略結婚の醍醐味です。跡継ぎであるあなたの頑張りがあってこそです。お疲れ様です」
「親父に……言いつけて……」
グラッディは自分でそう言いながら、なにを言いつけるのかわからなかった。
「オリファント子爵家はもう手に入ったので、これから評判を上げていきます。そのためにグラッディとリリスさんご一家には、世間から退場して頂きます。それが生活費を保証する条件です」
「そう上手く行くか」
憎々しげににらみ付けたグラッディに、カレンは冷静に答えた。
「私の評判も、オリファント子爵家の評判も戻りつつありますよ。そんなの当たり前ではないですか。あなたは確かに跡継ぎでしたが、なんの仕事もしていません。そんな人間がお酒の席で放言するのと、目に見える確実な実績を積むのとどちらが強いか。良い評判を浸透させるテクニックというのがありますから……、これはあなたが流した悪い評判を広める時に、腕を磨かせて頂き得たものです。まあ、なんといいますか……」
カレンは目的を達成した、爽やかな笑顔でグラッディに告げた。
「あなたはカウマン男爵家が、格下だと舐めきっていましたね。格下だから抵抗できないだろうと。格下だから同じ舞台に登れないだろうと。でも戦い方はいくらでもあります。オリファント子爵家を、同じ舞台にまで引きずり下ろすとかね」
永遠の息子であるグラッディは、後継者の座から引きずり下ろされ、当主の座を息子に取って代わられた。そしてそれはカレンが指摘したとおり、自分の手で招いた結果だった。




