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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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雨垂れ石を穿つ(前編)


 カウマン男爵家のカレンは、みじめな令嬢として有名だった。


 一流で知られているホテル・カリヤニで、二週間に一回、婚約者とお茶会をする。貴族しか使えない特別フロアの一角で、いつも最高級のお茶を用意して待っていた。


 だが婚約者のオリファント子爵家の令息グラッディは、一度も現れたことがなかった。グラッディには幼なじみの、リリスという愛人がいることで有名だ。


 グラッディは病弱だと噂のリリスをいつも優先し、看病を理由に、後からきた婚約者を二の次にしてきた。そのリリスはお茶会の日に限って熱を出すので、カレンとのお茶会に行ったことがない。


 だが最初から行かないと両親に叱られるので、いつも当日になって、「リリスの看病があるから」と手紙で断ってきた。


 最初の頃はその手紙も始まる時間に合わせていたが、最近では適当だ。終わる時間にようやく届く場合もあれば、忘れてしまったこともある。


 気の毒なことに、カレンの使っている席はまわりから丸見えだった。


 特別フロアは外の景色がよく見えるよう、周囲より何段か低くなっている。天井が吹き抜けで、庶民が使っている一階上のフロアから、その姿が丸わかりだ。ホテル側にしても、利用者にしてもそれが狙いだ。遠くからでしか眺められないような、身分の高い人々を、高級ホテルを利用することで拝む機会を得られるのだ。


 毎回、待ち合わせをすっぽかされる、可哀想な貴族令嬢。


 日時も場所もわかっているのだから、噂好きな人々のいいエサだった。そうは言っても市井の人々が、カレンの事情に詳しいのには理由がある。


 カレンの噂は王立学院で、ばら撒かれている。お茶会が行われた次の日、決まってグラッディとリリスが、みじめなカレンを笑いものにする。婚約者にまったく相手にされていない、取るに足りない令嬢と。


 そういった噂が駆け巡るのは早い。だが不憫なカレンにはどうしようもなかった。この婚約話はグラッディのオリファント子爵家から、家の力で強引にねじ込まれたもので断る術がない。グラッディは昔から愛人のリリスに、べったりだった。子爵夫妻もどうにかしないとまずいと思い、息子を説得したが上手く行かない。リリスは富裕層ではあるが、ただの平民でとても子爵家に嫁げない。


 そこでグラッディとリリスは、政略結婚で言いなりになる正妻を迎え、ついでに面倒ごとはそいつに押しつけてしまえと考えたのだ。なにからなにまで押しつけ、自分たちは楽をしようと。正妻に迎えてやるのだから、それくらいはやってもらおうと身勝手に考えていた。


 カレンは生け贄に選ばれた。だから結婚も拒否できないし、お茶会だってこなさなければならない。すべて義務で従うしかなかった。だから心を殺して、ただ耐えていた。


 そして有名になった不憫な令嬢に、ある時、見知らぬ青年が話しかけてきた。


「初めまして。カウマン男爵家のご令嬢でいらっしゃいますか。僕はレイノルド新聞の記者アーチボルドと申します。突然話しかけられて驚かれたでしょうが、ほんの少しだけでいいので、お話しを聞かせていただけませんか」


 青年はくたびれたスーツを着ている。靴も安物だ。だがカレンの前で精一杯印象を良くしようと、背筋をぴんと伸ばしていた。


 ちらりとアーチボルドの後ろを見ると、すぐに飛んでこられるようにスタッフが控えている。なるほど。アーチボルドに小銭を握らされ、話しかける許可は与えたものの、カレンが拒否したらすぐにでも、引き取ってもらえそうだ。


 だがカレンは椅子をすすめた。することもなく退屈していたということもある。豪勢なソファを勧められたアーチボルドはあわてて、小さなフットスツールを引っ張ってきて、ちょこんと浅く腰掛けた。


 カレンはみじめな悲しみを顔に貼り付けたままだったが、内心では大柄なアーチボルドが、小さく丸まって座る姿が、まるで熊がお行儀良くしているように見えてしまい、愉快に眺めていた。


 うら若い女性が身分差を盾に、つらい目に遭っているという話をアーチボルドは聞きつけ、許せなくて取材に来たのだという。カレンは世の中が求めているみじめで、可哀想な女性として、たっぷりと取材に答えてあげた。


 そしてその様子を多くの人が、好奇心丸出しで見物し、噂して歩いた。当然、新聞は飛ぶように売れ、カレンと、グラッディ、そしてリリスは一躍、時の人となったのだ。




 オリファント子爵家で新聞を読んだ夫妻の、怒号が上がった。


「ちょっと、グラッディ。これは一体どういうことなの?」

「私たちに説明しなさい」


 オリファント子爵夫妻は、大勢から批判され、息子のグラッディを呼び出した。


 だがグラッディは呑気にもリリスの所へ行ってしまい、帰って来ず、連絡がつかなかった。


 カウマン男爵家にも連絡を取ったが、カレンは男爵の代理で遠方に出かけてしまい、いないという。


 オリファント子爵家は力があり、カウマン男爵家に無理矢理、婚約をねじ込むことも可能だ。だがそれは、批判されないということではない。無理な婚約を結べば、当然世間の目は厳しくなる。それを防ぐには、婚約者同士が仲睦まじくするのが一番だ。


 それにもかかわらず、息子グラッディは気ままに振る舞い、やりたい放題。子爵夫妻はさすがに見かねた多くの人から苦言を呈され、肩身が狭い思いをしていた。だがグラッディとリリスは変わらなかった。だって彼らは何一つ、痛い思いをしていないのだから。


 子爵夫妻はなんとかしてカレンに会って、自分たちに都合の良いことを、新聞に話させようとした。だが遠出しているカレンが戻るのは、次のお茶会の日であり、出先から直接ホテルに行くので場所の変更はできないとのこと。それでも夫妻は楽観視していた。そんなものはその場で、場所の変更を提案すればいいと。子爵家の人間に、ただの小娘が敵うはずもないと。そう思ってホテルに向かった。


 夫妻を出迎えたのは、この舞台を見に来た観客の、無邪気で残酷な好奇心だった。普段だったら一般人の視線など気にしない夫妻も、居心地が悪く感じる。早めに会いたかったため三十分ほど早く来たのも失敗だった。


 カレンは時間ぎりぎりに、ぞろぞろと人を引き連れてやってきた。学院の友人たち、そして記者のアーチボルドだ。目下に嫌な場所で待たされた子爵夫妻は、かっとなってきつい口調で責めた。


「目上を待たせるとは何事だ。何様のつもりだ。もう少し早く来なさい」


 何をしに来たのかを、うっかりとした夫妻は、しまったと口を押さえたがもう遅かった。


「時間通りに来たとは言え、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。いらっしゃるのを知らなかったもので。いいえ、言い訳になりませんわね。例え『誰も来なくても』早めに来て待つのが、オリファント子爵家における私の役割ですものね」


 カレンは頭を深々と下げて、よく通る声で謝罪をした。

 フロアのざわめきが大きくなり、無責任な抗議の声も聞こえる。


 自分たちの立場を思い出した子爵夫妻は、なんとか頭を上げてもらおうとしたが、中々上げない。その間も批判に晒され、夫妻は自分たちの思いどおりに動いてくれないカレンに、すっかり苦手意識を植え付けられたのだ。


 おまけにその後三十分たっても、息子のグラッディは来ない。まさに針のむしろだった。


「そういえば結婚式はいつなの」

「卒業してすぐ……」


 子爵夫妻の目の前で、カレンが友人と盛り上がっている。なにをしに来たのかぞろぞろと。彼らのせいでカレンと話せず、夫妻は苛立ちを募らせていた。見ていると、二卓あるテーブルの片方を、学生たちで占領している。これではグラッディが来た時に、すぐに使えないではないか。そう思った子爵夫人は、控えめに嫌みをいった。


「ここはグラッディのための場所ではないの?」


 学生たちが不思議そうな顔をしている。


「ですから……グラッディのために空けておかないと」


 子爵夫人に、学生の一人、ジュリウスという青年が言った。


「グラッディ君は今日、来ませんよ」


「どういうことかしら。きちんと来るように今朝、伝えたわよ」


 ジュリウスは淡々と答えた。


「グラッディ君は、今日は来ないと言っていました。リリスさんが熱を出すので、看病に行くそうです。ご両親から催促されたら面倒なので、今日は一日連絡がつかないようにするとも」


「しかしそれではおかしいではないか。一日連絡がつかないのなら、君はいつその話をしたんだ?」


「昨日です」


「昨日?」


「グラッディ君は、新しく迎える使用人のために、時間を割く気はないそうです」


 子爵夫妻は言葉を失った。


 確かに夫妻はカレンも、その実家カウマン男爵家も格下に見ている。なんでも言うことを、聞かせられると思っている。


 だがそれはあくまで政略結婚という枠組みの中の、嫁になる令嬢という立場に対しての話であって、使用人なんて目で見たことはない。


 リリスの一件から息子グラッディとの間に、距離ができはじめたのは薄々感じていた。だが「使用人」という言葉に、取り返しの付かないほど、息子が遠くなった気がした。グラッディが学院でどんな話をしているのかが気になって、夫妻は学生達に聞き始める。そして自分たちの置かれている状況が、大分深刻なことに気がついた。


 確かに子爵家の力で、カレンを嫁にする予定だ。カレンには選択肢はない。だが子爵家が選ぶ側かといえばそうでもない。ここまで悪評が広がってしまえば、嫁の来てはないだろう。今手中にしているカレンという駒を逃したら終わりだ。



 それ以降、世間での立場がわかった子爵夫妻は、カレンに気を遣うようになった。



 それからもカレンは、お茶会を続けた。子爵夫妻はそんなことをされては、自分たちの評判が下がると止めたが、どういうわけかグラッディとリリスが、かたくなに拒んだのだ。夫妻がやめるように手配したり、グラッディを叱責したりしても、なぜか翌日学院に登校すると、誰かにたき付けられて、お茶会を続けるようカレンに圧力をかける。


 グラッディもリリスも、自分の思いどおりになる負け犬を、まわりに見せびらかして優越感に浸りたかった。カレンはそんな二人に従い、お茶会を続ける。それは激怒した子爵夫妻が、グラッディを呼び出して、お茶会を禁止するよう厳命するまで続いた。


「カレン君。君の狙いはなんとなくわかったが、それでもこれでいいのかい? どこまでを目標にしているかはわからないが、あと数年はかかる。それまで君の気持ちがもつか心配だ」


 お茶会でカレンとおしゃべりをしていたジュリウスは、疑問を口にした。


 この場には、カレンが学院で親しくしている、男女数名が揃っている。いくら目的があるとは言え、カレンだって年頃の少女だ。たった一人で毎回みじめに過ごすのはつらいため、頼んで来てもらっている。ジュリウスたちは、そんなにみじめなら、せめて人目のない場所で、お茶会を設定すればいいと思っていた。つまりカレンには、なにか考えがあるのだ。


 カレンは人前で自分の境遇をさらけだした。そして考えなしのグラッディとリリスが、その気の毒な境遇の噂をばらまき、そのせいでカレンの社交界における地位は、底辺まで落ちている。そしてそれにつられてオリファント子爵家の評判も、徐々に落ち始めていた。


 このままいけば子爵家の収入も、目減りしていくだろう。それを防ぐ一番の近道は、いくら注意してもやめない、噂の発生源であるグラッディとリリスを切り捨てることだ。だがそうすると跡継ぎが、不在になってしまう。しかしそれなら作ればいい。やがてカレンは、グラッディと結婚して子どもを作るだろう。後がない子爵夫妻の協力の下に。


 カレンは既に子爵家に入り込み、子爵の元で働き、実権を握り始めた。遊んでばかりのグラッディとリリスが、頼りにならないからだ。


 要するにカレンとその実家カウマン男爵家は、オリファント子爵家を手に入れる気なのだ。


 だが夫になるグラッディに嫌われ、嫁の立場のカレンが、格上の貴族家を手に入れるには無理がある。だからカレンはグラッディをたき付けることで、嫁であるカレンの評判を地に落とした。これでそんな底辺の嫁と結婚する夫、グラッディの評価も下がる。そんな息子夫婦しかいない、子爵家の評判も同様だ。グラッディを煽って、子爵家を手に入れた後は、順次、悪い因子を切り捨てていって、評判を元に戻していけばいい。


「大体こんな所ではないかと思うが……」


 ジュリウスの問いかけに、カレンは肯定も否定もしなかった。その場にいた全員が、同じことを考えていたのだから、口に出しても出さなくても意味はない。カレンは人ごとのように話した。


「確かにやる気を保つのは苦労するでしょう。でもここにいる我々全員が、そもそも結婚相手を選べる立場ではないでしょう。だったら与えられた条件で、精一杯の結果を出すように努力をするしかないのではないかしら」


「確かに」


 ジュリウスは自分を納得させるように、強く頷いた。カレンはそんなジュリウスを横目で見ていて、ずっと目を背けていた不安が急に大きくなり、口からこぼれてしまったのがわかった。


「一つだけ不安があって……」


「なんだい」


 よほど口を閉じようかと思ったが、ジュリウスの真摯なまなざしに、するりと言葉にしてしまった。


「グラッディとの間に生まれた子どもを、愛せるか自信がなくて……」


 この計画の肝は、その子どもにかかっている。オリファント子爵家の正統なる跡継ぎであり、カウマン男爵家の血を引く子どもだ。カレン陣営の旗頭になる。カレンを第一にするよう、大切に育てなければならない。


 だがグラッディの子どもと思うと、愛せる自信がなかった。深刻な悩みにその場にいた全員が下を向く。一人だけ下を向かなかったジュリウスに、カレンは尋ねた。


「ジュリウス君はどう思う?」


 それはただの問いで、答えが返ってくるとは思っていなかった。


「無責任なことは言えないけど、あまり心配しなくてもいいかなと思う」


「どういうこと?」


 驚いて声が少し大きくなった。


「私がその子の立場なら、全身で親を愛するだろう。カレン君はそれを見て、愛さないでいられるほど冷たい人ではない。仮に手放しに愛するのは無理でも、努力しようとするだろう。それだけで子どもは嬉しく感じると思う」


 カレンの頭の中では親は完全な人間で、子どもを愛さなければならないという固定観念があった。だが完璧でなくてもいい。子どものために努力できるのなら……。カレンはその言葉に張り詰めていた気持ちが緩んで、前に進むことができた。


 そして結婚してグラッディとの間に、長男のシルフィードが生まれた時、そんな不安は杞憂だったとわかったのだ。


 生まれたばかりの真っ赤でぐにゃぐにゃの、肉の塊のようにしか見えないシルフィードが、けいれんするように右手を動かし、カレンの指をきつく握った時、この子はカレンにとって特別に大事なもので、命に代えても守らなければならないと強く感じた。それは理屈も筋道も超越した暴力的な感情で、あっという間にカレンを支配した。


 カレンはその時わかったのだ。自分はシルフィードのために生まれてきたのだと。


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