進歩しないもの
雑貨屋で用を済ませたジュリウスは、肩の荷が下り、鼻歌交じりで街を歩き出した。
街の広場には市場が立っていたが、午後になり商品がなくなった店から、たたみ始めている。広場は最後の買い物に来た客と、店じまいをしている男たち、のんびりと通り過ぎる人々で、それなりに人出があった。
身なりのいい男性が、商店街で買い物でもしたのか、物見遊山で歩いている。こういった下町がめずらしいのだろう。少しきょろきょろしているところが、危なっかしい。
思った通り、スリが男性にさりげなくぶつかり、財布を抜き取るのが見えた。まだ少年のすりだったため、ジュリウスは事を荒立てる気にはならず、真似てスリの少年から、盗まれた財布を盗み返してみる。
案外上手く行き、初めて挑戦したスリの成功に気を良くしている内に、男性を見失ってしまった。
少し間抜けな気分のまま、なにか身元がわかるものはないかと、男性の財布を改めていると、中から薬局が処方する薬の包みが出てきた。包み紙には毒の種類とマークが、手書きで書かれていて、中身はヒ素だ。
毒薬の処方そのものは、違法でも何でもない。特にヒ素はねずみ取りに使われるため、大量に処方される。だが逆に、こんな小さな包みでは、処方されないものだ。どう見ても人間に使うためとしか思えず、ジュリウスはとたんに気分が暗くなった。
道行く人に尋ねて、男性の行方を追う。男性を追って歩く内に、街の高台にたどり着き、王都を見渡せる美しい公園に着いた。人気もなくなり、これ以上は行方を追いようがない。しばらく途方に暮れていると、物々しい争う声が聞こえてきた。
駆けつけると先ほどの男性が、十名ほどの男たちに襲われ、誘拐されそうになっていた。大柄な男性は簡単に気絶させられると、襲った男たちが二人がかりで、馬車に運ぼうとしている。
男性の体を持ち上げようとしていた男二人の利き手に、ジュリウスはナイフを投げて突き立てた。男二人は腕を押さえ、男性を地面に落とす。
続いてジュリウスは剣を抜き、斬りかかってきた男の剣を下からなぎ払うと、男の手から落ちた剣を足で蹴飛ばし、遠くにやった。上段から渾身の力で打ち込んできた、四人目の男の剣を受け止め、なんとか踏みとどまってこらえると、押し返し、つばぜり合いをする。そこに斬りかかってきた五人目の刃をぎりぎりでかわし、相手を足で蹴飛ばし、誘拐されそうになっていた大柄な男性の側まで回り込み、彼を背中にかばった。
その場にいた男たちの反応を見るに、相手は無抵抗の男性を誘拐しに来たためか、手練れは一人しかいなかった。突然現れて五人の男を一気に相手したジュリウスに、困惑しているようだ。だが無抵抗の男性を誘拐するのに、これだけの人数を用意したのは、よほどの重要人物なのか、人に目撃されたくなかったのだろう。なんとしてでもジュリウスを倒して、口を封じ、誘拐を成功させようとしていた。
背後で見守っていた男が、馬車の中で待っている首謀者らしき男に囁いた。
「あの男。ボウエン伯爵家の手の者です」
「なんだと。それならなおさら渡すな。早くしろ」
男たちは命令に従うしかない。ジュリウスを取り囲み始めた。全員、それほどの腕ではなかったが、人数がいると厄介だ。
斬りかかってきた一番腕の立つ男の剣を払い、返す刀で横に払うと、相手の両腕を深く切りつけ、派手に血を飛ばした。それを見て敵の士気が一気に下がった。ただの誘拐で、怪我をさせられては、どれだけ手当をもらっても元が取れない。
男たちは一応追撃する姿勢を見せたが、雇い主にはそう見せないように、動きを鈍らせた。
「歩けますか。逃げますよ」
気がついていた男性にそう声をかけると、がくがくと震えながらジュリウスについてきた。半ば抱えるようにして歩く。男性の名前はキンデルと言った。近くの馬留に止めてあったブラック号の手綱をほどいて乗せ、逃げるために人通りの多い所を歩く。
「あの男たちは一体……」
キンデルはそのことになると、黙りこくってしまった。なにか事情があるのだろう。だが狙われているのは間違いない。放っておけず保護を頼むため、雑貨屋のブラックフライアーズまで連れていった。丁度、バロネスがいたため、鷹便で護衛付きの馬車の手配を頼んだ。
待つ間、裏手の小さなテーブルでキンデルにお茶を出す。キンデルは思い詰めた様子で、急にがたがたと震えながら隠しを改めると、ようやく財布がないことに気がついたようだった。
「財布が……財布がない。どうすればいいんだ。これでは」
「キンデルさん。あなたもしや……自ら死を選ぶつもりだったのですか?」
キンデルの財布を、ジュリウスが差し出すと、飛びついてきた。恐怖で震える指で中を見て動揺している。
「どこにやったのですか。あれを」
「死ぬと分かっていて、渡すことはできません」
「そんな……」
ひどいショックを受けているが、それでいて毒がないことに、どこかほっとしているように見えた。
「あなたはボウエン伯爵家で保護します。よろしいですか」
「ボウエン伯爵家ですって」
まるでもう終わりだと言わんばかりの、絶望のうめき声を上げた。
「私を殺すのですか。それとも飼い殺し。まさか拷問……。お願いです。そんなことをするくらいなら、もういっそここで殺して下さい」
キンデルはがっちりと、ジュリウスの両手をつかんだ。多少その姿は滑稽ではあったが、毒まで用意しているのだ。おそらくキンデルには人に言えない事情があり、彼なりに真剣に悩んだ結果なのだろう。
ここでただ保護しますからというのは、無責任な気もした。先ほどの男たちも、キンデルも、ボウエン伯爵家という言葉に過敏に反応している。
「わかりました。キンデルさん。私はなにがあってもあなたを守ります。最後までやりきるつもりです」
「口ではなんとでもいえます」
「ですが、上司や上層部から、無理にあなたを引き渡せと言われたら、確かに私一人では守り切れません。その時はあなたに例の毒薬をお渡しします。道はご自身で選んで下さい」
「…………そんなことをしては、あなたの責任問題になるでしょう?」
「確かに大きな問題になるかもしれません。ですが私は、あなたを守ると自分に誓いました。自分を裏切るよりマシです。だからボウエン伯爵家に来ませんか。事情も話して頂きたいです。お力になれるかもしれません」
悩むと思ったがキンデルは、なにかを諦めたように、ジュリウスについていくと口にした。
「信じて下さったのですか」
そう嬉しそうにジュリウスが言うと、キンデルは首を横に振った。
「違います」
疲れたようにこめかみをもむと、迷いながらも自分の考えを説明する。
「私は、信念を持っている人とは、言い争いはしないことにしているんです。これでもいっぱしの研究者を気取っていますが、信念をお持ちの方は、言葉は悪いですが、論理的思考が通じなくて、話合っても時間の無駄なので」
そうは言いつつキンデルは、お礼をしようとジュリウスに頭を下げた。
「ですがジュリウスさんが、私を助けて下さったお気持ちは通じました。そのことに深く感謝します。ですから、ボウエン伯爵家という敵地に、あなたを信じてついていきます。例え論理的には矛盾していても」
キンデルこそ「論理的思考」という信念を持っているように見えたが、そのことはジュリウスは黙っていた。
レイモンドとリックの元に連れて行くと、二人とも驚いて大きな声を出した。
「キンデル博士ではないですか。なぜこちらへ」
キンデルはボウエン伯爵家を警戒していて、ジュリウスの背中に隠れた。
「お知り合いですか?」
「ああ、民間の兵器開発会社にいらした有名な博士だ。ボウエン伯爵家も引き抜こうとしたことがる」
キンデルは民間の最大手である兵器開発会社で働いていた。軍需産業の世界では、名が知られている。新しい技術を設計図に落とし込む才能に長けており、重宝されていた。
しかし残念なことに一年前に事故にあったのだ。
新しく開発した兵器を、実験している最中に爆発に巻き込まれ、強く頭を打った。幸いすぐに意識を取り戻し、仕事に復帰したが、しばらくして周囲が異変に気がつき始めた。妙に物忘れが激しいことに。
調べてみると、キンデルの頭の中に大きな変化が起きていた。彼の昔の記憶はきちんと保存されていたが、日々新しく書き加えられる記憶の定着が難しくなってしまったのだ。
新しく仕事を与えられても、それをはっきりと覚えておくことができない。次第にうっかりミスが増えて、仕事が減らされていった。
病気で前線から外された兵士は、定年を迎えるのが普通だ。キンデルも同じように引退することになった。だが彼の頭の中には兵器の設計図が、びっしりと詰め込まれている。そして使えないと判断された今でも、図面に起こす才能は高く評価されていた。通常の守秘義務契約は結んでいたが、事故の後の彼の頭脳は予想のつかない働きをする。
そんなキンデルは会社にとって、いつ爆発するかわからない爆弾のような存在だった。どこかに引き抜きになって、うっかり機密をもらされたら。守秘義務を守ったとしても、まだ若く後何十年も監視しないといけない。本人ですら自分に自信を持てない。おまけに彼は第一線で働いていた。彼が描いた設計図に基づく武器や兵器が、これから活躍する時代を迎えるのだ。
「では、あの誘拐犯たちは、雇用していた兵器開発会社なのですか。キンデルさんを暗殺しようとして?」
「そうです。暗殺なんてことがばれたら、他の研究員たちの士気が下がります。だから秘密裏に。今の社長は設立者の孫というだけで地位に就いた男で、研究開発へ知見がなく、考えがとても短絡的なのです。そんな恐ろしい目にあうくらいなら、いっそ自分の手でと」
大柄なキンデルは、自分よりも小さいジュリウスの背中にぴったりとはりつき、大きな子どものようにおびえていた。
その話を聞いたレイモンドとリックは、なにやら考え込み始めた。ボウエン伯爵家は軍事に関わる家柄である以上、キンデル博士の重要性は熟知している。それはつまりキンデルの会社が恐れていた、拷問をしてでもキンデルから、情報を吐き出させようとする可能性もあるということだ。
ジュリウスも考え込んでいた。彼の専門は武術だ。確かに一子相伝の技などはあるが、基本的に術は公開されていて、各自がそれぞれ真髄を究めていく。
「武術と、軍需産業では考え方がまるで違うのですね」
ジュリウスの言葉に、リックは首を横に振った。
「いいや。こういった兵器開発の世界にも、情報を公開する考え方はあるよ。というか、今回はそれでいずれ解決するかもね」
「様々な場所にいる化学者や研究者たちが、全員で同じ研究をしていたら、無駄が多いだろう。だから研究者同士では案外、情報を交換していたりするしな」
そういったレイモンドの言葉を受けて、立ち上がったリックを見て、キンデルはびくりとし、ジュリウスにしがみついた。それを見たリックは、再びゆっくりと下がって椅子に深く座り込んだ。その姿勢でキンデルに話しかける。
「キンデル博士。ぜひボウエン伯爵家で雇用させて下さい。博士が研究開発に参加されてからは、ライフル銃や起爆装置の小型化が一気に進みましたね。技術や理論を、あれだけの小さい図面に落とし込む才能は素晴らしいです。もちろん前社の守秘義務に、抵触しない範囲で構いません」
キンデルは引き抜きの誘いに、だいぶほっとした。現在のキンデルを見込んで採用してくれるのなら、拷問される可能性も低いと安心したのだ。キンデルは満足に働けなくなったが、助手や秘書をつけてくれれば、限定的な形で働けると、レイモンドたちと前のめりになって交渉を始めた。伯爵家の中で雇用すれば、自動的に身の安全も保証される。だが。
「前の会社の問題はどうするのですか?」
「私は特には心配していない」
レイモンドは言った。同意するようにリックも強くうなずく。
「軍需産業の発展は驚異的だ。今や日進月歩で技術は進んでいて、ほんの三十年前の兵器が時代遅れになる有様だ。この速度で進めば、キンデル博士の頭の中の機密も、すぐに時代遅れになるだろうね。二十年ぐらいで問題は解決されると私は予想しているけど」
「レイモンド様とリック殿がそうお考えなら、そうなのでしょう。ですが、それならなぜ、前の会社の社長は暗殺などと、早まったことを考えたのでしょうね」
キンデルが勤めていた会社の設立者の孫だという社長は、ジュリウスから見ると、浅慮で、視野が狭かった。
レイモンドとリックが同時に笑い出した。
気むずかし屋のレイモンドは、めずらしく少年のように無邪気に笑っている。リックは笑いをこらえながら、ジュリウスを見て言った。
「どれだけ技術が進んでも、一つだけ進化しないものがあるんだ。……それを使う人間だよ」
「優秀なキンデル博士を、使いこなせないからという理由で追い出し、果ては暗殺しようとした。そんな人間が、伝統ある最大手の兵器会社を与えられた所で……。まあ、我々の敵ではないな」
レイモンドは皮肉たっぷりに口にした。
数年後に、遠くの地タウリカで大きな戦争が起こり、技術の進歩は一気に進んだ。あっという間にキンデルは自由の身になったのだ。




