ローズの日誌
コルトナー侯爵家の受け入れ態勢が整い、ボウエン伯爵家の長女ローズは輿入れしていった。
当初の予定通りあっさりとことは終わり、残された面々はなんともいえない、さびしさを感じていた。
クィンタスは、めずらしく心の中を表に出していて、さびしいと同時に、ほっとしたような表情を浮かべている。じいやとして兄の大切な孫を預かり、その成長を見守ってきた。その重圧たるや言葉にできないほどのものだったろう。大きな事件に巻き込まれたものの、とにかく無事にやりおおせたのだ。
マックスも寂しそうではあるが、いつもの通り元気いっぱいでもある。
その時、侍女がやってきて、ローズの覚え書きを置いていった。
伯爵家を訪れる人々の接待の記録を残した文書で、通常なら、後任に引き継ぐものだ。だがイワンのごたごたがあって、決まらないため、クィンタスに一時的な保管をお願いしてきた。
紐でとじられた日誌は分厚く、まるで箱のようだった。クィンタスはなんの気なく、自分のページをめくると、クィンタスの好きなもの、嫌いなものが事細かに書かれていた。ため息がもれる。
「こんなつまらないものを、残さなくていいのだが」
びっしりと書かれた記録に、クィンタスへの愛情が感じられる。
それをはしたなくも後ろから興味津々と覗いていたマックスは、クィンタスが日誌からちょっと離れた隙に、自分のページをのぞいた。そこにはマックスの好きなものが、たくさん書かれていた。
「へー。俺の弟と妹の話も、書いていてくれています。覚えていてくれたんですね」
マックスは嬉しそうに、机で作業しているジュリウスに話を振った。誰かが自分の記録をきちんと取っていてくれていたのを見るのは、なんだか嬉しいものだ。
「ジュリウス殿も見ませんか」
「…………私はいい」
ジュリウスは、ローズが嫁ぎ、一仕事やり終えた気持ちで一杯だった。たくさんの想い出をもらったし、大きな失態もなく、送り出せたと思う。
そう、文字通りやり終えたのだ。だからそれで十分だった。もうこのまま想い出として終わっていく。それ以上のものはいらなかった。なにより……。これ以上胸をかきむしられるようなことがあっては、耐えられそうになかった。
「えーと、ジュリウス殿は」
マックスは、ぱらぱらとページをめくった。その時、なにかに思い至った顔をしたクィンタスが、めずらしく大声を出した。
「やめろ!」
驚いたマックスは、ジュリウスのページを開いたまま、覚え書きをテーブルの上に落とした。覚え書きから畳んだ手紙のようなものが、飛び出し、それがめくれて、ぱたぱたとページを広げた。
ジュリウスのページには書き込みが一杯だった。
途中でページが足りなくなったのだろう。新しく紙を貼り付けて、ページを増やしている。それでも足りなくなり、何回も何回もその作業は繰り返された。
最初から長い紙を貼り付ければよいものを、それはできなかったのだろう。だってローズには婚約者がいる。だから今度こそ最後だと、自分に言い聞かせながら、ページを増やした。
あらゆる行動も言動も人に見られているローズは、公式の文書にしか自分の気持ちを残す場がなかった。最初は抑えても、あふれる想いを一行、二行、見られても大丈夫なように記した。その内、記述は増え、日誌のようになっていった。中身はなんということのない。文字通り日誌だ。
だがその量を見れば、ローズの気持ちは一目瞭然だった。それでもやめることはできなかった。もしやめたら……きっとその想いが口からあふれて、止まらなくなってしまうだろう。
マックスはそれに気がついた後、あわてて目をそらした。他人が見ていいものではなかった。そして少し迷った後、自分の荷物を取り歩き出した。
「用事を思い出したので、これで失礼します」
そう言って出て行った。
「私も少し席を外す」
クィンタスも出て行った。
ジュリウスはのろのろと立ち上がると、テーブルに近寄り自分のページを見た。ページには、簡単な特徴や、身長、家族構成、注意書きなどが並んでいる。お茶は熱いのが好きだの、菓子は甘い砂糖菓子を好むだの、つまらないことがびっしりとだ。途中から記述が増えていき、ある日の氷菓子についての記述から、リズムが変わっていった。
◇◇◇◇◇◇
……せっかくの寒い季節なので、客人に出すための試作品として氷を使って、氷菓子を作った。マックスと違って、いつも自分の作業が終わってから、休憩を取るジュリウスは、時間が経って少し溶けた氷菓子を食べ始めた。
そして普段は、なにを食すにも、丁寧に美しい所作で、味わいながら食べる。祖父のゲイアスに食べ物に感謝しろと、教育されているからだそうだ。そのジュリウスが、ぱくぱくと一気に食べてしまった。無表情だが、名残惜しそうに器を見る姿を見て、軽い気持ちで、また作ってあげた。
すると出した途端、マックスのようにいそいそとやってきて、無言で食べ始めた。その姿が無表情なのにとてもおいしそうで、それからついつい何度も作ってしまった……。
◇◇◇◇◇◇
別のページにはこう書いてある。
……ジュリウスは基本的に無表情なことが多い。だが馬の話を振ると、急に温かい顔をする。
愛馬のブラック号を大切にしていて、ブラック号のためにいつもポケットに黒糖を入れている。ブラック号はとてもかしこい馬で、仮に手綱を放してしまっても、指笛を吹けば戻ってきてくれるという。それをめずらしく自慢するように話し、得意げにしていた。そういう時は優しい目をしているのだ……。
◇◇◇◇◇◇
……今日、ジュリウスは左手に包帯をまいていた。どうしたのかと聞いても教えてくれない。元気なふりをしているが、かなり落ち込んでいる。ジュリウスは無自覚のようだが、普段は無表情なのだ。へらへらと笑った時こそ、なにかがあった時だ。
リックとなにか話していたので、聞くと、山中の寒村で火事に巻き込まれたという。その時、きっとなにかがあったのだろう。今日は特別に氷菓子を作ろう……。
◇◇◇◇◇◇
……マックスと妹の話をしている。
マックスには妹が一人、弟が二人いる。そのせいか長男のマックスは、まだ十四歳なのにしっかりしている。ジュリウスには二歳年下のシェリーさんという妹がいらして、二人兄弟だ。ジュリウスもしっかりしているので、下の兄弟がいる兄はみんなそうなのだろうか。
ジュリウスは妹さんに、なにか世話になったらしく、プレゼントを贈りたいという話をしている。意外だが、マックスもジュリウスも妹がいるせいか、王都の女の子に流行しているものに、詳しかったりする。そのどれかを贈るのだろう。ちょっとうらや……。
最後の文字はインクで塗りつぶしてあって、読めなかった。
◇◇◇◇◇◇
ジュリウスは自分のページを開いたまま、その上にそっとうつ伏せになった。
汚さないように、慎重に。
胸に強くこみ上げるものがあって、自分の感情をやりすごそうと、息を整えるが上手く行かない、まるで刃物で切られているような、鋭い痛みをかんじるほどだ。
だが問題ない。人間なんてものは、すぐにすべてを過去のものにできるのだ。きっと上手く行く。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせる。例え、今はそれができそうになくても。
なんとか気持ちを抑え、痛みをやり過ごし、呼吸を整えようとした。なにも考えてはいけない。頭を真っ白にして……。
呼吸を整えていると、扉が開いて誰かが入ってくる音がした。だがどうでも良かった。今の自分の情けない姿を見られても、どうでもいいと思うくらい、投げやりだった。
「ジュリウス殿」
頭の上から、クィンタスの声がした。
ジュリウスは、のろのろと頭を上げた。
何か言われるのを待っていたが、クィンタスは黙って、ローズの覚え書きを寄越すように手真似した。
少し落ち着いてきたジュリウスの心が再び血を流し、悲鳴を上げた。この身がちぎれそうだ。だが黙って、覚え書きを返した。これはボウエン伯爵家のものだからだ。
ローズは当然、この覚え書きは後で人の目に触れ、問題になるだろうということはわかっていた。だがどうしても自分の手で、処分することができなかった。自分の気持ちを自らの手で殺すようで、できなかったのだ。
だから後任者が問題にし、秘密裏に処分してくれることを願った。なにも知らない他人の手で葬って欲しかった。
ローズには立場があり、大勢のひとびとの命運を握っている、責任ある者の一人だ。そしてその大勢の人の中にはジュリウスや、その家族がいる。ジュリウスに気持ちがあるからという理由で、ジュリウスの生活を壊すなど、絶対にやってはいけなかった。
それなのにそうしてしまいそうな自分が怖かった。歯を食いしばって、自分の気持ちをボウエン伯爵家の覚え書きに残し、そしてその処分を願ったのだ。
ジュリウスは覚え書きを渡すと、息を吐いた。
ゆっくりと立ち上がり、振り返って背後の自分の机に置いてあった、荷物をまとめた。机の上をきれいに片付け、いつものとおりにまっさらにする。
今日はもう帰ろう。とても仕事になりそうにない。
荷物を持って、クィンタスに挨拶した。
「クィンタス殿。大変申し訳ありませんが、今日はこれで失礼します」
「少し待ちたまえ」
クィンタスは覚え書きをまとめていた紐をほどいて、一部のページを取り除いて、新しい冊子を作っていた。鮮やかな手つきで、ジュリウスのページだけ、別にまとめた。そしてまるで武器でも渡すかのように、差し出してきた。
「持って帰って、大事にしてやれ」
「……ですが、これは、ボウエン伯爵家の記録」
「こんなものが役に立つか」
「……」
「ローズには自由にできることなんて、なにもなかったんだ。ひとつくらい、いいだろう?」
「……」
クィンタスのほうが、よっぽど悲しそうな顔をしていた。
ジュリウスはひどい恐怖に襲われた。
これを受け取ってしまったら、現実に起こったことを認めざるを得ないのだ。ローズの気持ちも。自分の気持ちも。ずっと穏やかな気持ちで生きていた自分が、激情に飲まれるのかと思うと、怖かった。
だから受け取ろうと伸ばした手が、みっともなく、がくがくと震えてしまった。受け取った日誌を落としそうになってしまい、あわてて荷物に大切にしまう。
最も激情に飲まれて、今からローズの元へ駆けつけた所で、ジュリウスの身分では会うどころか、連絡をつけてもらうことすらできない。そしてそうやって騒いだ話は、ローズの醜聞となる。
ジュリウスは堪えた。身一つでコルトナー侯爵家に嫁いで、覚悟を決めて新たな生活を築き始めたローズの足を、引っ張るような行いは死んでもしたくなかった。
「失礼します」
ブラック号に乗って、ボウエン伯爵邸を辞去した。
芝居なら、馬を全速力で走らせるのだろう。だがジュリウスはこんな時でも、自分の感情を押しつけて、大切なブラック号に無理をさせる気にはならず、おだやかにぽくぽくと農道を歩いていた。
ジュリウスの心境とは裏腹に、ちょっと汗ばむ陽気で、時折吹き抜ける爽やかな風が、汗を飛ばしてくれる。ブラック号は様々な匂いを嗅ぎ分けているのだろう。ご機嫌だ。だが時折、ちらりとジュリウスを見てきて、心配そうな顔をしている。常ではない気分なのが伝わってしまっているようだ。ジュリウスはただ黙って、ブラック号で歩いていた。
……大分経ってから、独り言をもらした。
「両思いだったのだな」
そんな言葉、自分には縁が無いと思っていた。
勝手に好きになったのだから、どんなにつらい気持ちになっても、仕方がないと、投げやりになった時もあった。報われないし、一方通行だし、さびしいものだと、自分で自分を皮肉っていた。それでも自分の気持ちを、変えることはできなかった。
だが覚え書きに書かれていた、たくさんの記述。あれが愛情でなくてなんなのだろう。ジュリウスは愛されていたのだ。
「愛されて……いたのか」
ジュリウスは先ほど激情に襲われるのかと恐れたが、自分の気持ちはもっと穏やかなものだった。心がぽかぽかと暖かくなるような、満足感を覚えた。
それはもちろんつらいし、切ない。今でも胸から血が流れているような気がする。だが、ローズの気持ちを知って、今はどれだけ痛みを感じても、この胸の傷はいつかは和らぐのだろうと感じた。
ジュリウスはずっと恐れていた。自分がローズの人生を壊してしまうことを。
気持ちのまま、もう会えないローズの元へ行って、彼女の築いてきた人生を、ぶち壊しにするような真似はしたくなかったのだ。
覚え書きの気持ちが本当なら、ローズはジュリウスになにも言わず、結婚する道を選んだ。もとより彼女には選択肢なんてものはなかったが。それならローズの精一杯の気持ちを尊重したかった。
強い女性だ。日誌に残したあれだけの想いを、自分一人の胸の中にしまって、立ち去っていった。ジュリウスには、もう幸せを願う道しか残されていないし、きっと幸せをつかむのだろう。
様々な想い出が駆け抜けて、ふと爆弾で吹っ飛ばされた時のことを思い出した。ジュリウスは笑い出した。
「それでは、重傷を負ってでも、助けたかいがあったのだな」
ジュリウスは何ヶ月ぶりに深呼吸した。体の怪我が回復して治ったように、いつか心の傷も癒えるのだろう。
「貧乏男爵家の調査官日誌」は、これで一区切りになります。
この後は、だらだらと番外編を書く予定です。
皆様に読んで頂けて大変励みになりました。
誠にありがとうございました。




