口だけの小料理屋
ジュリウスはその日、リックの仕事でかなり遅くなり、王都の繁華街の裏道を、ブラック号に乗って近道していた。
その時、視界にキラリと、なにかが光ったのが見えた。
ジュリウスは反射的に馬を降り、無意識に刀の鯉口に手をかけた。
活気のありそうな店の裏口から出てきた、ゴミバケツを持った中年の女性に、三人組の男が襲いかかったのを見て、ジュリウスはためらわず、二人を刀の柄で、一人は手刀で倒す。
三人は自分たちが襲われるとは、露程も思っていなかったらしく、呆気なく崩れたのだ。女性は遅れて事態に気がつき、男たちが倒れた後、奇声のような悲鳴をあげた。
「本当に助かりました」
ぺこぺこと頭を下げた女性と、その母親らしきしゃっきりとした老女、そして手伝いの男性がジュリウスを店に招き、警ら隊が男たちを引き取った後、残り物で歓待してくれた。中年女性はエディスといい、母と親戚の男性の三人で、お酒も出す小料理屋を開いているという。
「先ほどの男たちは?」
ジュリウスは、事情を聞いていた警ら隊が、難しそうな顔をしていたのが気になっていた。その話になると、エディスも暗い顔をし、下を向いた。母親のカーチャと手伝いのアーチーは、弱り切っていたのだ。
エディスの家は、昔は割と裕福だった。準男爵家の凜々しい婚約者ニコライがいて、将来が約束されていたのだ。だがニコライの地位と金に目がくらんだソフィアという女性が、ニコライを騙し、関係を持ち、先に妊娠してしまったのだ。当時のエディスはとても傷ついたが、なにを言っても仕方がないと黙って耐えてきた。
ニコライと縁が切れてからは、エディスの家は資金繰りが苦しくなり、今では小料理屋を営むだけになってしまった。
だがエディスはこういったお客さんの顔を見る商売は好きで、誇りを持ってやってきたのだ。
だがニコライのほうは、別だった。
ソフィアは汚い手段を取るだけあり、気が強くて金遣いの荒い女だった。ニコライは気の休まらない生活に不満を持ち、だんだんとソフィアへの苛立ちを貯めていった。だが面と向かってソフィアに言う気概もなく、なんとそれをエディスの店にやって来て、こぼすようになったのだ。エディスと結婚すればよかったと。
エディスもカーチャもアーチーも困惑した。エディスにとってはもう終わったことで、ニコライは過去の人だった。だがどうもニコライにとっては、そうではないようなのだ。しかし庶民とは言え公衆の面前で、夫に悪口を言われるのをソフィアが許すはずもなく、ソフィアはソフィアで、夫ではなく、エディスに文句を言ってきたのだ。
「この薄汚い泥棒猫め、と言われました」
ジュリウスは、どうしてそういった悪口を言う人たちは、舞台のセリフのようなものを好むのだろうと、考えていた。
とにかくそのせいでソフィアから、店は嫌がらせを受けるようになり、ニコライにもう来ないで欲しいと頼んでも、自分は客だから来る権利があると主張し、話が通じないのだという。
幸い、店は繁華街のいい場所にあるため、ソフィアの嫌がらせは、周辺の店の用心棒や、近くの警ら隊の本部の威信の前に、規模が抑えられていた。
だが今日、とうとうエディスに直接手を出してきたのだ。ここで警ら隊がソフィアに直接注意しても、意味がないだろう。問題はニコライなのだ。だがニコライはただ店を利用しているだけで、なにか悪いことをしているわけではない。こういった場合はどう動くのがいいのだろう。ジュリウスは悩んだ。
ジュリウスは日誌を書きながらため息をついた。ふと視線を感じ、横を向くと、ローズ、クィンタス、マックスの三人がじっと見ていたのだ。
「申し訳ありません。うるさかったですか」
「さっきから何度もついているわ。なにかあったの?」
「大したことでは」
ジュリウスはなんとか誤魔化そうとした。実際、姫に話すようなことでもないのだ。
「話しなさい」
「……はい」
ローズに命令されて、ジュリウスはしぶしぶと話し出した。
「こういうわけで。ニコライはなにもしていないのです。だから罪に問えませんが、気にかかって」
「罪には問えるだろう。なぜならその男はなにもしていないのだから」
「そうね。じいや」
ジュリウスもマックスも、クィンタスとローズのほうを向いた。
「ジュリウス君。例えばこの屋敷で火事が起きたとする。気がついていたのに、放置して。全焼させたら、罪に問われるかな?」
「……なるほど。問われます。なにもしなかった罪で。ニコライも同じですね」
「うむ。だが街の警ら隊が動かないのは、単に身分を気にしてのことと思うね。それはどう解決するかな」
ジュリウスはニコライと直接会っていない。だが話を聞く限り、自分勝手で、人目を気にするタイプなのだろう。だから結婚前に、婚約者がいるのにソフィアと浮気し、あげくそれをソフィアのせいにし、だが妊娠させたからと責任を取り、それなのに人前でソフィアの文句を言うのだ。
「マックスは潜入捜査の訓練を受けているよね。ニコライの家に潜り込んで、ソフィアの動向を探って欲しい」
「馬鹿か。お前は」
横で聞いていたイワンが、ジュリウスに言い放った。
「そんな街中で起きた事件は、警らみたいな下っ端に任せておけばいいんだよ。なぜボウエン伯爵家が関わらないといけないんだ。大体、マックスはお前の部下じゃない。顎で使うな。上に言いつけるぞ」
ジュリウスはリックに、王都で起きたことには『首を突っ込め』と教育されていた。王都に根を張ることが、ひいてはよりよい調査官になることだと言われたのだ。だから止める気はなかったし、内容によってはしかるべき所へ回してきた。今回は身分の問題が絡むから、警ら隊ではなくジュリウスが出張ろうと思ったのだ。
「あのー、俺、ジュリウス殿の部下ですよ。命令を聞くように言われています」
マックスは呆れたように言った。
「そういう意味じゃない。今回はこいつがボウエン伯爵家と関係のない事件に、お前を使おうとしている。職分を超えているだろう」
「イワン。わきまえろ」
突然クィンタスが厳しい声で言った。
「は? ……なにを言っているのですか。この男が勝手をしようと」
「イワン。お前はローズについている、『ただの侍従』だ。侍従が調査官の行動にくちばしを突っ込むな。それこそ職分を超えている」
「え、ですが、しかし」
「調査官にはそれだけの権限が与えられているんだ。ただの侍従は知らないかもしれないが」
「ですが」
「他人の職分をどうこう言うつもりなら、まず己の職分を守れ」
顔を真っ赤にして怒ったイワンは、また足音を立てて部屋を出て行った。扉が大きな音をたてて閉まった時、今度はローズが大きなため息をついた。
「じいや、いつまであの男を側に置かないといけないの?」
満面の笑みを浮かべているが、目が笑っていなかった。ジュリウスは驚いて、ローズの顔をまじまじと見つめた。なぜならローズとイワンはとても仲良く、息ぴったりで、まるで恋人同士のように見えたからだ。
イワンはローズが欲しいもの、探しているもの、考えているものがすぐにわかり、間髪入れず提供した。イワンの話ではもう五年も前から侍従として仕えていて、従姉妹ということで、姫様の側に置きにくい男性の使用人として役に立っていたのだ。
二人の間には他の使用人すら入れず、ジュリウスは時々、二人がいちゃいちゃしているように見える時間を、耐えて忍んでいたのだ。
「嫁ぐまでの辛抱です」
「そんなに心が持たないわ」
めずらしく疲れきっているように見えるクィンタスとローズの会話を、盗み聞きしながらジュリウスは無表情を保つのに苦労した。いや、実際は保てず、書類を持ってあわてて立ち上がり、窓に向かった。
手で口元を押さえても、ゆるむのが止められず、自分で自分が気持ち悪かった。ローズはイワンとなんともなかったのだ。
◇◇◇◇◇◇
「まあ、そんなわけでエディスさんの襲撃は、また来週行われます。警ら隊からは、ニコライとソフィアの両方に警告がありましたが、貴族位ということで強制力はありません」
体制側からの指示は無視、被害者は平民階級、今回注意しても、また時間をおいてやるだろう。なぜならニコライが、ずっとソフィアを挑発しているからだ。
「今回は実力行使と行こう。なにもしないでいるとどうなるか、身をもって知ってもらうんだ」
決行当日、意気揚々とやってきたニコライは、カーチャのおつまみに舌を打ち、安酒にほろ酔いした。そして別の客の相手をするために、近くを通ったエディスの手を取ったのだ。
「ニコライ様。離して下さい。私とあなたはもうなんの関係もないんです」
「冷たいことを言うな。君が逃げなければ、私がこんな目に遭うことはなかったのに」
「はあ? あなたが浮気したのが原因でしょう」
客の前で小声で話していたエディスは、怒りのあまり声が大きくなった。騒ぎに気がついたアーチーが駆けつけ、エディスを背にかばった。
「おい。なんだお前は。身の程を知れ。切り捨てるぞ」
アーチーとエディスがぎょっとすると、そこにジュリウスが割って入った。
「ここらで警らの手伝いをしている、ジュリウスと申します。最近、エディスさんの店が嫌がらせを受けている件について、お話しがあります」
「私には関係ない。なにも関わっていないし、私がやったことでもない」
「ですが……、奥様が犯人なのはご存じですよね。ニコライさんが来店するのをやめてくれたり、奥様を説得して下さったりすれば、事態は改善しますが」
「なんでそんなことをしないといかんのだ。私の行動をあれこれ指図される謂れはない。不愉快だ。帰る」
ニコライはがたんと立ち上がった。そして預けてあった上等なコートと帽子を寄越せと、怒鳴ったのだ。ジュリウスは、荷車の荷がぶちまけられてしまった事故があり、表玄関が使えなくなっていると伝えた。そのためニコライは裏玄関につながるクロークルームだと案内され、裏口からそのまま出されたのだった。その時、ジュリウスはエディスがいつも使っているスカーフを、ニコライの頭にふわりとかぶせたのだ。
目が見えなくなったニコライは、頭と足元に強い衝撃を受け、受け身も取れずに裏路地に転がった。地面に仰向けになったニコライは、とどめの一撃を犯人がふりかぶったのを見て、鶏のような耳障りな悲鳴をあげた。別人だと気がついた襲撃犯はぱっと逃げ出したのだ。
「助けてくれ」
「大丈夫ですかぁ」
ジュリウスは間延びした声をかけた。
「ああ、ソフィアさんが雇ったごろつきですね。ニコライさんは、エディスさんと間違えられたんですよ」
「冗談じゃない。訴えてやる。犯人たちめ。貴族の俺を暴行するなんて、全員縛り首にしてやる」
「誰を訴えるんですか?」
「そんなの……」
貴族夫人の監督責任はその夫にある。あまりにも悪質な場合は別だが、今回の場合はソフィアがなにをやるかまで、ニコライは知っていた。
「ジュリウスさん。荷車引いてきましたよ」
「では病院に運びましょう。ひどい怪我をしてしまいましたね」
ニコライは特に足にひどい怪我を負い、入院する羽目に陥ったのだ。ニコライは怒り心頭でソフィアの悪口をばらまき、遂にはエディスのことも悪く言い始めた。エディスに間違えられて襲撃されたのに、見舞いの一つにもやってこないと。しょっちゅう店に訪れて贔屓にしてやったのにと。
そんな面白いネタを放っておくはずなく、王都の新聞社が競って、ニコライについての記事を書き始めた。妻の機嫌を損ねる態度をとり続け、妻が恋敵に張った罠に、うっかりかかって怪我をした、『おしゃべりな腰抜け男』と。それに怒ったニコライがまわりに抗議すると、皆同じ反応をした。
「ああ、ハイハイ」と。どうせなにもしないと思われているのだ。
そして今日の見出し記事は、エディスとアーチーの結婚についてだった。アーチーの初恋はエディスだった。十歳年上のエディスの婚約が解消された時は、当然そんなことを言えるわけもなく、だがずっと側にいて支えてきたのだ。
何度も求婚したが、年上のエディスはためらい、遠慮し、断ってきた。
その理由を紙面に、『私は男を見る目がないから怖かった』とエディスは答えた。
今回の騒動でアーチーの粘り勝ちで、エディスを捕まえたのだ。
新聞でエディスの結婚を知った、ニコライは叫んだ。
「この裏切り者め。世話をしてやった恩を忘れ、男に媚びを売りやがって。この商売女が」
まるで誰かを傷つけるような激しい言葉だったが、まわりは鼻で笑った。ニコライは最近、生活しにくかった。なぜかなにを言っても、周囲から軽く見られるようになったのだ。
アーチーはジュリウスに相談した。
「ジュリウスさん。またニコライが来たらどうしましょう」
「私を呼んで下さって構いませんよ。ただ、もう来ないと思います」
「なぜですか?」
「ああいう男は、自分が痛い目を見たり、恥をかいた場所には、なんだかんだ理由をつけて近寄らなくなるものです。プライドが高いので。それに同じ目に遭った時、さすがに今度は、他人のせいにできなくなりますからね」




