生存者(後編)
「そんなわけで手助けしてくれないか」
ブラナ男爵家との契約書の更新のために、男爵家を訪れたヴィオレット一行に、弱り切ったチューザーが切り出した。ここで、「とつぜん、なんの話かしら」とでも聞こうものなら、面倒ごとに巻き込まれると思ったヴィオレットは、黙って書類だけおいて立ち去ろうとした。
チューザーは卑怯者を見る目でヴィオレットを見た。
「また逃げるのか」
ここで、「何のことでしょう」と言ったり、「逃げているのはあなたでしょう」と言ったりしたら、巻き込まれてしまう。話は途中だが仕方がない、代理を立てて……。
ヴィオレットはねずみ色で裸の尻尾がある生き物のように、素早く立ち去ろうとした。しかしチューザーは伊達に領地を駆け回っているわけではない。猿のように机を超えて飛んでくると、ヴィオレットの前に回り込んで、頭を下げたのだ。
「お願いだ。頼む。話を聞いてくれ」
ヴィオレットの護衛が素早く間に割って入った。しかしここまで言われては、話を聞かないわけにはいかない。いや、別に聞かなくてもいいのだけれども、多少の変化を見せたチューザーに、一歩譲ってもいいかとは思ったのだ。
「一つだけ、こちらの言うことを聞いてくれるのなら」
「一つだけでいいのか?」
チューザーはほっとして顔を上げた。
「チューザー様。人の話に耳を傾けて下さい」
「なんだそんなことか。わかった」
「では、これから一年間、領地に行くのはやめて下さい。一年経った後も、どうしても駄目な用事以外は代理で済ませて下さい」
チューザーの目が泳ぎ始め、汗をかき始めた。口をぱくぱくさせている。
ヴィオレットは、チューザーを捨てて帰ることにした。つきあっている時間がもったいない。それを見て、あわてて引き止めるようにチューザーは言った。
「わかった。わかった。仕方がない。従うから」
まるでヴィオレットが涙目でチューザーに懇願して、仕方なくチューザーが受け入れてやったみたいな反応だ。冷たく軽蔑した目で見た後、ヴィオレットはまたも立ち去ろうとした。
「別にそこまでして、受け入れて頂かなくて結構です。なぜなら私にとっては、もとより関係のない、どうでもいい話ですから」
チューザーはまたしても頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇
「子育ての相談ということですが、解決するのは簡単ですわ」
「本当か。どうすればいい」
「男は家を支配したがる生き物です。女は家庭を支配したがる生き物です。グレタ様は、息子であるチューザー様と、娘であるサブリナ様を支配しました。そこへ嫁のエルザ様が入ってきたから毒殺したわけです。そして次に、孫のビクトール様を支配したと。独裁者の最後は、死亡のみです。それ以外を受け入れませんから。だからグレタ様に死んで頂くか、まあ、他には幽閉といった手段もありますわね」
「……、一体なんの話をしているんだ。毒殺などと物騒な」
「私も食事に毒をいれられましたよ。それにあの家では、使用人が幾人か不審死しています。もう感覚が麻痺しているのでしょうね」
「君が結婚初日に逃げ出して、帰って来なかったのもそれが理由か」
「ちゃんと手順を踏みましたよ。毒を入れられた。目撃者もいます。当主であるあなたには事情を話して、別居の許可もいただきました」
「そんな手紙は出していない」
「これがその手紙です。でもあなたに記憶があるかなんて、どうでもいいです。だってこの家では当主以外の人間が、好き勝手に当主の手紙を、出せるようになっているんですもの。こちらにとって都合のよい手紙を書いてもらえて、便利でしたわ」
「だが、毒などと」
「ご不審なら確実な証拠は、簡単に手に入りますわ」
「どうやって」
ヴィオレットは、くすくすと笑い出した。
「何人もの人間が亡くなっているんです。不自然な死に方をした、お宅の墓地の遺体を調べてご覧なさい。全員から証拠が出るでしょう」
そしてチューザーと、視線を合わさないように口にした。
「あなたって、本当にすごい人ですわね。奥様が毒殺されても気がつかない。家の中で毒がばらまかれているのにも気がつかない。後妻が一日で実家に戻っても、理由を自分で調べようともしない。挙げ句の果てにたった一人の跡継ぎが、異常な教育を施されているのにも気がつかない。いいえ、気がつかないのではなく興味がないのね。
それでいて領地を自分の目で確かめたいなどと……。そんなことは代官でもできる仕事でしょう。あなたの役割は貴族家当主ではないの? さすが教区で、実母と実妹との間に、子どもを生ませた男と噂されるだけのことはあるわ。ビクトール様はもう終わりよ」
チューザーは、何度も口を開けとうとう言った。
「どういうことだ? 終わりなどと」
「これだけ言われてもわからないの? 世間ではビクトール様の実母は、グレタ様かサブリナ様と噂されているの」
「そんなわけあるか。なぜそんな馬鹿な話に」
「だってグレタ様とサブリナ様の嫁いびりは、有名だったわ。そして前妻エルザ様の不審死。それなのに夫のあなたは、きちんと調べもせずに埋葬して、喪が明けないどころか、葬式が終わってすぐに領地に飛んでいったじゃない。あの時点で、エルザ様の毒殺の主犯は、あなただと噂されていたのよ。エルザ様のご実家が猛抗議したけれど、おそらくあなたの耳には入っていないわね。グレタ様が握りつぶしたのでしょう。
その後、六年間エルザ様のご実家は沈黙している。これがどういうことか、言われないとわからない? ビクトール様は、母方のご実家に見捨てられたのよ。不貞、それも異常な間柄が疑われる子どもは、自分たちの親族ではないと。閨閥で構成されている貴族にとって、絶縁は致命的なダメージだわ。そもそもビクトール様本人が、グレタ様のことを母親、サブリナ様のことをママと信じてらして、学院でもそう話してらっしゃるのよ」
チューザーは直ちに、ビクトールと話合わないといけなかった。社会での立ち居振る舞い、すべて改めないといけない。それなのに、ビクトールから、母親をいじめる悪い男と思われて、一切話を聞いてもらえないのだ。おまけに血筋を疑われ……。
「今、確実にできることは、エルザ様のご遺体を検死して、毒殺ではなかったとご実家に証明することかしら。それだけでもずいぶんと、ご実家の反発は和らぐでしょうね」
だがヴィオレットは毒殺だろうと確信している。
「そしてビクトール様に良縁を持ってくることね。それだけで悪い噂は間違っていたと、意見を変える人が増えるでしょう」
いくら人が興味本位だったとしても、さすがにビクトールの件については、間違いだったと聞かされた方が安心するだろう。だが良縁など手に入るはずもない。今の状態で。
「まあ、でも、どうでもいいではありませんか。だって当主のあなたが、興味を持っていないのですもの。司祭に呼ばれるという、自分に被害が及ぶことがあって始めて、動いただけでしょう。噂など気にしなければいいのです」
「そのう、済まないが、家を建て直すのに協力してもらえないか」
「ああ、それ無理です」
「なぜだ。母親のことはなんとかする」
「ブラナ男爵家の当主はチューザー様です。ご本人が家のことに興味がないのに、外野がどうこうすることはできません」
「頼む。心を入れ替えるから」
「口ではなんとでも言えます。だったら、結婚した六年前はなにをしていらしたんですか。エルザ様とご結婚なされたときも。わかっていますか。人一人死んだのです。自分の妻であり、子どもの母親である女性が。そのことに興味を持てない人間が、心を入れ替えてなにが変わるのですか」
「それは、確かに、だが私には君が必要なんだ」
「私にはあなたは必要ではありません」
「頼む」
「……本当に心を入れ替えるのですか」
「ああ」
「では最初にやるべきことはなんでしょう」
「ビクトールの再教育だ」
「次は」
「えっと、母上から権限を取り上げて、謹慎させる。そしてその権力を君に」
「他には」
「……サブリナをどこかに嫁がせる」
「それから」
「今までやっていた領地のことは代官にまかせる」
「そして」
「……ビクトールの縁談か?」
「その後」
「……」
チューザーは、とうとう話すことがなくなった。これがヴィオレットの試験だということは、薄々感じている。答えられなければ後がない。ヴィオレットは、チューザーと目が合わないように、少し斜めを向いて口にした。
「……本当に興味がないのですね」
チューザーは不合格だったようだ。
「済まない。教えてくれ。俺はなにを思いつかなかったんだ」
軽蔑を通り越して、ヴィオレットはまるで景色でも眺めるように、チューザーを見た。
「真っ先に、エルザ様の墓を掘り返して、遺体の検死を行い、その結果を報告して下さい。彼女のご実家に。そしてご遺体をご実家に返却するかどうか伺って、結果が不審死でも、そうでなくても、謝罪して下さい。ご両親にしてみれば、若かった娘の死に、悔やんでも悔やみきれないでしょう。感情的な対応をされても、じっと耐えて下さい。あなたはそれだけのことをしたのです。
そしてその時に、ビクトール様に、生母はエルザ様だということを、じっくりと教えて差し上げて下さい。どんな方だったのかということも、分かる限り詳しく。グレタ様のことを、否定するようなことを言っては絶対になりません。ただビクトール様にはもう一人、ご自分を大事にして下さった、大切な方がいたことを教えてあげて下さい。
そしてグレタ様と同じように、もしかしたらビクトール様を大事にしてくれたかもしれない、母方の祖父母についてもです。グレタ様が間に入ったことで、ビクトール様は母方の祖父母、伯父伯母、従兄弟などと縁をつなぐことができませんでした。ですが、そういった人たちがいるということ、それだけでも大人になったときに心の励みになります。
そしてチューザー様と、ビクトール様のお二人で、エルザ様のお墓参りを、最低でも年に一回はしてください。多ければ多いほどいいです。なんてことのないささやかな習慣が、案外その人の人生の支えになることがあるからです。きっとビクトール様の生きていく、よすがになるでしょう。
それからこの館で不審な亡くなり方をした使用人たちにも、同様に検死を行って下さい。使用人といえども、あなたと同じように、両親もいれば、妻や夫、子どももいたはずです。
そしてビクトール様にきちんと謝罪を……謝って差し上げて下さい。ビクトール様から父親と母親を取り上げたことを。適任ではないものに養育をまかせたことを。この点をきちんと自覚して、ビクトール様と向き合わないと、しっかりした関係を築くのは望めないでしょう」
静かに話すヴィオレットは、最後に締めくくった。
「今述べたことを、仮にチューザー様が思いついたとしても、私は協力しませんが」
「念のために、それはなぜか聞いても良いか」
力が抜けたチューザーは、自分に見切りをつけたようだった。
「なぜなら、当主夫人として私が今、必要とされるように、エルザ様も必要とされていたはずです。いいえ、ビクトール様の実母だったのですから、何倍も何十倍も。でもブラナ男爵家は毒殺しました。チューザー様が知らなかったことは関係ありません。この家は単に邪魔だからという動機で、必要な人材を殺害する家です。
それなのにあなたが厚顔無恥にも、ええ、厚顔無恥にも、次の人材である私に家に入れという理由は明らかです。一人目のエルザ様の死に関心がないからです。同じように私が死んでも関心を持たないのでしょう。なぜそんな家に、入らなければならないのですか。理解できません。馬鹿馬鹿しい」
喉が渇いたのか、ヴィオレットが視線を送ると、侍女が水筒を取り出して、ヴィオレットに渡した。ヴィオレットの前に並んでいる、お茶もお菓子も手をつけられていない。それも当然だ。
「あなたが言っているのは、こういうことです。『この家に入ると毒殺されちゃうんだ。でも入ってよ。だって僕が入って欲しいんだから。君が死のうとどうでもいいけどね。ねえ、いいでしょう?』って。自分で言っていて、頭がおかしいと思いませんか?」
チューザーはのろのろと下を向いた。
「あなた方に未来があるなら、人材を使わすなど工夫はしますが、あなたの家族は誰一人として未来がありませんし。それでは失礼します」
ヴィオレットがホテルに戻るのを、今度はチューザーも邪魔しなかった。
◇◇◇◇◇◇
チューザーは自分の執務室で何時間も考えていた。そしてまずは爵位を返上できないかと考えた。今のままでは、誰か別のものに継がせても、悪評はそのままだ。そのことを話すとグレタとサブリナは反発した。
「教区で私と、母上とサブリナには、体の関係があるという噂が広まっています。そしてビクトールはその結果の子どもだと。現当主にも次期当主にもこのような噂、もうどうにもなりません。……それと、前妻エルザの実家から、ビクトールは不義の子として、正式に関係を切られました」
「……そんな。でも、それならエルザの遺体を掘り返せば、出産の痕を証明できるわ」
「本当にそんなことをしていいのですか。母上」
グレタとサブリナは、エルザを毒殺したことを、ようやく思い出したようだ。
「つまりはそういうことです。ビクトールをエルザの息子だと証明するには、遺体の検死が一番です。他の方法では偽造だと疑われてしまう。ですができません。毒殺が公になってしまうから。エルザの両親は、どうせできないだろうと踏んで、悪評のあるビクトールを切り捨てるおつもりです。そしてエルザの実家から公式に縁を切られたビクトールは、母上かサブリナの子どもであることが、『確定』します。世の中において」
サブリナが音を立てて立ち上がり、狂気をはらんだ目でチューザーを見た。
「何とかしてよ。ねえ、何とかしてよ。そんな気持ち悪いの。耐えられない」
「なら、なんで母親代わりになって遊んでいたんだ」
答えは簡単だ。文字通りサブリナは、母親代わりをして遊んでいた。母親になって責任を取る気はなかったのだ。
「母上……、一体なにがしたかったんですか。あなたは完全にこの家を支配していた。だったらエルザを毒殺までする必要はありませんよね。それに殺してしまったら、もう子どもが望めない。とはいえ百歩譲って、それは見なかったことにしましょう。ですが、そこまでして手に入れた世継ぎを、家を継げないどころか、貴族社会から退場させなければならないほど、破壊し尽くした」
「私……そんなつもりでは」
「まあ、あなたに育てられた私自身も、まともな人間ではありません。今回のことでよくわかりました。それで二人は、これからビクトールの母親として、人生を送ります。よろしいですね」
「「やめて!」」
グレタとサブリナは、同時に叫んだ。
おかしなことに、二人は今までずっとビクトールの母親として見られたがっていて、それ故、実母エルザの殺害までしたにもかかわらず、それが本物になろうとした途端、拒否したのだ。
「わかりました。それではこの事態の発端となった、エルザの毒殺を公表します。エルザを殺害したのは、ビクトールの実母だからでしょう? それらの事実を効果的に公表すれば、ビクトールの悪評、ひいてはあなたがたの悪評も消すことができます」
「いや、嫌よ。そんなことを知られたら、死刑になってしまう」
「私だって嫌よ。死刑なんて」
二人は泣き叫んだ。
「でもこうすれば、ビクトールの悪評が消え、彼は社会に復帰できるんですよ」
「「そんなの知ったことではないわ!」」
グレタとサブリナは、同時に同じことをわめいた。
チューザーはこの時まで、なんだかんだ言って、ビクトールのために犠牲になる道を、二人は考えてくれるかも知れないと、どこかで期待をしていた。だが馬鹿を見ただけだった。
待機していた警ら隊に、心置きなく二人を引き渡すと、チューザーも、男爵家の中で起きていた毒殺事件について、厳しい取り調べを受けた。
捜査側の心証は真っ黒だったろう。だが皮肉にも、チューザーの放浪癖がアリバイを証明した。そしてビクトールの唯一の保護者ということで、見過ごされた。
数年の間に、支離滅裂に起きた数件の毒殺事件。そのすべてにおいて、男爵家を不在にしていたという証明がなされた。チューザーは毒殺事件には関与せず、捜査側の印象は本来は良くなるはずだ。だが一件、一件、疑いが晴れる度に、捜査官は厳しい表情になっていった。すべての疑いが晴れた時、その場の責任者がつぶやくのが聞こえた。
「恥知らずが」と。
なんの関係もない警ら隊から見ても、男爵家を放棄して、殺戮現場にし、その癖、男爵でございとふんぞり返っていたチューザーは、見下げ果てたものだったのだ。
爵位の返上は叶わなかった。もとより一貴族の好き勝手で、できるものでもない。そのため、父方の従兄弟に継承すると、チューザーは使用人の一人として、従兄弟に仕えることとなった。
チューザーはその後、真面目に働いた。元々、仕事に集中する性格で、実直だと言われてきた。だがいくら成果を上げても、実績を積んでも、評価されることはなくなった。別にチューザーは評価されたい訳ではないが。
だが気がつくと、他人に鼻で笑われるようになった。チューザーは明確な罰を受けなかった。なぜなら刑罰を受けるようなことはしていないからだ。だが責任を放棄し、好きなことだけをやった結果、チューザーの努力も言動も、軽視されるようになったのだ。
ビクトールにはきちんと事情を説明し、元の寄宿学校に入れた所、最初こそ不安定だったものの、意外にもすんなり順応した。学友達の影響が大きい。
彼の同級生たちは、あまり細かいことを気にしない、大らかなタイプが多く、ともすれば自暴自棄になりがちなビクトールは、その環境に少しずつ安心するようになっていった。いつも友人達に囲まれ、それでいて、つかず離れずの良い関係だ。
異常な環境で育てられたビクトールだが、それでも通常の反抗期や親離れなどの成長が、彼の元へ訪れ、社会と接する助けになっていった。
そして優秀な成績を修めて卒業し、ブラナ男爵家を身元保証人に、最終的には外交官になった。
ビクトールは常に支配者の顔色を伺い、そのご機嫌を取るのが上手かった。自分の意見を持たないため、求められた役割を演じ、自分を消して生き延びる技術に長けていた。つまりはそういった職業に才を発揮したのだ。
確かに、どこか空虚な面があったのは確かだ。
だが人生の始めにどんなに重い枷をつけられたとしても、それでもそれを引きずって生き続けるしかない。ビクトールはそんな逆境をなんとかやり過ごし、薄氷を踏みつつも生き抜くことに成功した。




