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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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恩返し


 郊外から王都に戻る途中、ブラック号が変な所で、立ち止まってなにかを見ている。ジュリウスにはなにも見えないが、その先になにかあるのだろう。自由にさせていると、頭を大きくふりながら、なにかを考えているようだ。


 首をぽんぽんと叩いてやると、時々こちらを見る。視線の先に歩を進めると、背の高い草むらの中で、疲れ切った年配の女性がうたた寝をしていた。ジュリウスは野犬に襲われないかと、心配になって辺りを見回した。


「もし。ここは危険です」


 そう声をかけると、はっと息を呑むように目を覚まし、体を緊張させてジュリウスを見た。


「心配でお声を。大丈夫ですか」


 かくかくと震えるように頷き、心臓に手をあてた。相当驚いたようだ。


「ご心配をおかけしました。ちょっと疲れておりまして」


 そう答えると、そこから動こうとしない。


「……あの、どこか近くまでお送りしましょう」


 女性は用心深く、怪我をしているらしい足首をかばいながら微笑んだ。


「いえ結構です」


 しかし近くで犬のうなり声が聞こえた。野犬が近づいている。ブラック号が興奮し、大きないななきをあげた。ジュリウスも女性もぎょっとして、身を縮める。


「とにかく乗って下さい」


 無理矢理女性を乗せると、相手もさすがに抵抗せず、早足でその場を後にした。


 そのまま途中にある病院に寄り、空腹だったらしい彼女に、昼食をごちそうしたのだ。もっと後になって、医者から、その女性は服や化粧で年配に見せているだけで、傷の手当てをしたところ若い女性だったと言われた。だがそれほど記憶に残るできごとではなかったので、忘れてしまっていた。



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスの現在の任務は、盗賊団の隠れ家への潜入だ。


 年々、犯罪の凶悪化は進んでいて、王都では強盗は社会問題になっている。今、潜入している一味も、手口がエスカレートしている。逮捕したら、全員が絞首刑の予定だ。


 潜入がばれたら、捜査官の身はただでは済まない。命がけの任務だった。組織の構成や、計画はだいたいつかんだ。だが隠れ家の間取りがつかめておらず、強制捜査するときのために、もう少し調べる時間が必要だった。


 そして調べている内に、地下への秘密通路を発見した。危ない所だった。ここに気がつかなければ、手入れの時に、地下から下水道に逃げられてしまっただろう。


 細かく調べたジュリウスは、通路への隠し扉を閉めようとした。しかしその時、失敗した。鍵の仕掛けの一部になっているランプを元に戻そうと、中途半端な姿勢で本棚に体を預け、ランプにつかまったところ油が塗られていたのだ。


 つるりとすべった感触すらなく、勢いよく体のバランスを崩し、頭をしたたかに打った。そしてそのまま気を失ったのだ。


 しばらくして割れるような頭痛と、首と背中の痛みで目を覚ました。痛みはひどいが、経験から深刻ではなさそうだ。起き上がろうとすると、誰かに止められる。一味の一人サマンサだ。サマンサは仲間のボクサーと、なにやらおしゃべりをしている。


「すまないねえ。ジュリウス。私が面倒なことを頼んだばっかりに」


 わざと大きな声で話しかけてくる。そういうことにしておいてくれるらしい。しかし、なぜ。


「サマンサが驚いて俺を呼びに来たんだ。寝台まで運んでやって感謝しろよ」


 ボクサーは素直に、サマンサを信じている。粗暴な性格だが仲間意識は高く、打ち解けると良い奴だ。


 ランプの油は、ジュリウスのように、仕掛けを探ろうとする者を、罠にはめるためにぬられていたのだろう。あのまま倒れていたら、即、殺されていた。肝を冷やすできごとだった。


 サマンサとボクサーが部屋を出て行き、残されたジュリウスもそっと抜け出す。隠れ家の裏口に置いてある植木鉢の向きを変える。潜入捜査官の定時連絡だ。気絶していたため、前回分は連絡できなかった。おそらく外で待機していた組は、ジュリウスの安否を気にしているだろう。


「心配したよ。何時間も連絡が途絶えたと聞いて」


 定時連絡の後、機会を見つけて雑貨屋で経緯を報告すると、リックは安心したように言った。


「済みません。頭を打ってしまいまして」


「隠れ家の間取も分かったことだし、至急、踏み込もう。どうしてその女が黙っているのかも気になるし。準備しておいてくれ」


 そしてすぐに一味は検挙された。



◇◇◇◇◇◇



 全員の処刑が決まり、後は刑の執行を待つだけという時に、ジュリウスはサマンサに呼び出された。リックやバロネスと一緒に牢に顔を出すと、厳しい取り調べだったのか、サマンサの身はぼろぼろだ。


「……サマンサ。こんなことを言うのはなんだが、私が隠れ家で気絶していたときに、助けてくれてありがとう。君が知っているかはわからないが、もしあのまま放置されていたら、私は殺されていた可能性が高いんだ」


 サマンサは、鼻で笑い、そしてそのせいで痛みを感じたのか、少し身をかがめた。


「もちろん知っていたに決まっているさ。あんた隠し通路調べていたんだろう。運ぶの大変だったよ。ボクサーが単純で助かった」


「その、どうして、助けてくれたんだ?」


「あんたさあ。街道からドミ村に入る道で、小汚い貧乏人を助けたことはないかい? 怪我した女で、馬に乗せて病院に連れて行き、昼食を恵んでやった」


「……いつのことかな」


「一年前かな」


「一年も前か。待ってくれ。今、思い出すから」


 ジュリウスは真面目に記憶をたどった。


 それをおかしくて仕方がないとばかりに、サマンサは見ていた。そしてそのサマンサの気持ちが、リックとバロネスにはわかった。


 おそらくサマンサは、助けられたことを強く感謝しているのだ。だから危険をおかしてジュリウスを助けた。それなのにジュリウスにとっては、覚えていないほどのことなのだ。そしてそんな人物だからこそ、なんの得にもならない見知らぬ貧乏人を助けた。


「ああ、思い出した。怪我をしているらしい、年配の女性を病院に連れて行ったことがある。その時、食事にも事欠いている様子だったので、食べ物を提供した。だがあれは、お世話になった医師の分も含めて、買ってきたので、君は気にしなくても良かったのに」


 ようやくその中年女性が、サマンサの変装と気がついたジュリウスは言った。あまりにも見当違いの発言をされて、サマンサは久しぶりに愉快な気分になった。


「…………あの時は、最低な気分でさあ。

 警らには追われるし、それでひどい怪我を負うし、金もなくて、行く当てもない。

 でも………………………………………………帰れるわけもねえし。あのままあそこで、野垂れ死ぬのもいいかなって。あそこなら…………もしかしたら…………。でも、あたしゃ根性ないからさあ。やっぱ野犬の声聞くと怖くなっちまって、そしたらあんたが病院に連れてってくれたんだよね。あん時はもうどうでもよくなっちまって、されるがままさ。どうせ体目当てだろう。それとも売り飛ばされたり、変な仕事させられてもどうでもいいやって。それなのにさあ、あったかい飯食うとうめえんだよ。生き返った心地してさあ。すると急に命が惜しくなるんだよね。焦って、なんとかあんたから、逃げようとしたんだ。だって病院代なんて払えないし。そしたらさあ、医者に言われたんだよ。あんたはとっくの昔に帰ったって。病院代も全部払ってあるって。そんで金を恵んでくれたよね。たぶんあんたにとっちゃ、はした金なんだろう。でも、あたしはそれで毎日パン食べることができたんだ。あの金がどれだけ助けになったか、きっとあんたにはわかんないだろう」


 ジュリウスは、「そんなに大したことではない」と言いかけて、言葉を飲み込んだ。以前に知人から、同じことを言われたことがある。


「だから隠れ家で、あんたを見たときに驚いたよ。すぐにあたしらの敵だってわかったけど、助けてやれないかと思って、見ていたんだ」


「気がついていただと。ずっと? なぜ逃げなかったんだ」


 思わず大きな声が出て、ジュリウスは口を手で押さえた。リックも驚きで目を見張っているが、バロネスはなんとなく、サマンサの気持ちがわかるらしく、少し悲しそうな目で見ていた。ジュリウスに気がついて、すぐに逃げ出せば、サマンサは今回の検挙から逃げおおせたはずだ。


「助けたかったからさ。役に立ちたかったんだ。ああでも、気にしなくていいよ。もちろん逃げ出す準備はしていたんだ。だけど、一日だけ、もう一日だけって、ずるずると。それにもう…………逃げる生活に疲れちまって……。それで今日はあんたに、一個だけお願いがあってさ。あんたじゃなきゃ駄目なんだ。お願い。引き受けてくれないか」


 うまく動かせない体で、無理に礼の姿勢をとったサマンサは、ジュリウスに頭を下げる。


「頼むよ。ジュリウス。今のあたしにできることなんて、ほとんどないけど、なんでも」


「構わない。引き受けよう。なにをしてほしいんだ」


 ジュリウスは、サマンサが懇願している途中で、何の気なしに承諾の返事をした。ジュリウスにとっては、知り合いに頼まれたというだけで、引き受けるには充分だった。それにこの願いはサマンサの最後の願いになるはずだ。


「……」


 サマンサの目に涙がぶわりと浮かんで、たまらず声を上げて泣き始めた。頼みを引き受けたのに、泣かれてしまったジュリウスはおろおろして、ハンカチをなんとかサマンサに投げるが、牢の中なので届かない。


「サマンサ……」

「ジュリウス殿」


 突然、バロネスが話し始めた。


「俺も貧しくて結構、後ろ暗い育ち方しています。リック様に拾われるまでは、お縄をかけられるようなことも。虐待されたり犯罪に走る連中は、誰かに『助けて』と言えない奴が多いです。つまりは子どもの頃に助けを求めても、誰も助けてくれなかったって話です。そういう連中が、人に助けを求めるのは、考えられないほどの勇気がいるんです。信じられないと思いますが。でもサマンサは、おそらくジュリウス殿なら、自分を助けてくれるだろうと思った。そして実際に助けてもらえることに、ひどく動揺して取り乱しています。だから少し待ってやってくれませんか? 落ち着くのを」


 ジュリウスはただ待った。ここではサマンサに、なにもしてやることができない。だからジュリウスにできる「待つ」をした。サマンサはぼろきれのようになった上っ張りで、派手に鼻をふくと、なぜかジュリウスのハンカチを拾い、使わずに仕舞った。



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスはドミ村に来ていた。村への道の入り口でサマンサと、出会ったのを思い出す。あの時、サマンサは村に帰りたくてあそこにいたのだ。


「こんにちは。あなたがロンダさんですね。姪御さんの遺骨を届けに来ました」


 ロンダは用心深く睨んだ後、不愉快なことを聞いたという顔になった。


「あの子、なんで死んだんだい」


「王都で事故に遭われて」


 ロンダは笑い飛ばした。


「そんな平和な死に方をするような子じゃないね。散々迷惑をかけられて、うんざりだ。どうせなんか悪いことやって、処刑されたんだろう」


 もしジュリウスが、正式な役割で来た役人なら、サマンサのことも正確に伝える。だがジュリウスは、この業務をサマンサの希望で、委託されてやっている。リックからは好きにしていいとも言われていた。


 だからなんとなくサマンサの刑罰を隠した。そう、なんとなく。上手く言えないが、助けられたからという理由で、助けてくれたサマンサのことを、悪く言いたくなかったのだ。


 サマンサの生家は最悪の環境だったらしい。両親ともに酒浸りで暴力をふるう。取り調べの途中で胸が悪くなるような実態が浮かび上がり、同情はできないものの、心情をくんでやる担当官は多かった。


 だからサマンサは若い頃からひどく荒れていた。


 そんなサマンサに唯一優しくしてくれたのが、父親のかなり年の離れた妹ロンダで、その叔母が帰省する時期だけを楽しみに生きてきた。


 叔母が結婚で村に定住すると聞いて、サマンサは胸が躍るようだった。

 だが結婚した相手に、年頃になったサマンサは襲われそうになったのだ。ロンダの夫はサマンサから誘ってきたと言い張った。村の鼻つまみ者サマンサを、言いくるめるのは簡単だと思ったからだ。


 だが自分が誘ったことにしたほうが、ロンダが傷つかないだろうと思い込んだサマンサは村を出た。ロンダにもらったネックレスだけを持って。極度に自分に自信のないサマンサは、襲われたにもかかわらず、自分に落ち度があったと考えた方が楽だったのだ。


 ロンダはそのことに抗議したが、夫も両親も村の人々も、サマンサが悪いことにしたほうがいいと説得し、事件はうやむやになった。村という社会に一人で抵抗するのは不可能だったのだ。当然の帰結として、味をしめた夫は、同じような事件を再度起こした。


「あんたもなんであの子かばうのさ。お金でももらったのかい。いや、あの子に金なんかないか。それなら」


「命を助けられたのです」


「……」


 急に静寂が訪れた。


 ロンダはサマンサの言ったとおり、優しい人なのだろう。不遇にも村を追い出された姪が、不幸な死に方をしたなど聞きたくないのだ。それならいっそサマンサになにか落ち度があったことにして、憎まれ口を叩く。だが本当はそれだけではないのを知っているから、気丈に耐えて辛そうに下を向いていた。


 ジュリウスは犯罪のことは隠して、サマンサを助けたときのこと、そして助けられたときのことを話した。


「それでお礼を兼ねてこちらへ」


「…………そうだった。あの子、変に義理堅い所があった。そう、確かに。頭が固くて、不器用で、視野が狭くて、気が利かない癖に、恩だけは忘れないんだよ」


 静かになってしまったロンダに、ジュリウスは荷物を渡した。


「なんだい、これ」


「遺品です」


 小さな袋に入った白いハンカチと、子ども用の安いネックレスを渡すと、ロンダは黙って立っていたが、やがて涙を流し始めた。


 ジュリウスは見てはいけないものを見たように感じ、静かに外に出る。


 ブラック号に乗り、ロンダの家を後にしたが、いつまでも嗚咽の声が耳から離れなかった。


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