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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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調査官の任命

 

「ジュリウス君。婚約が解消されたのを幸いと言ってはまずいが、新しい任務を引き受けて欲しいんだ」


 ボウエン伯爵の次男レイモンドの執務室で、ジュリウスは嬉しそうなリックから説明を受けていた。この様子だと、ラッセル伯爵家に婿養子に行くからと、リックが諦めていた仕事を、ジュリウスは任せられるらしい。


「ボウエン伯爵家では、調査官がいつも足りなくてね。信頼できる人間でないと任せられないから」

「光栄ですが……、そのような重要な役職はこの身に余ります。デフォ男爵のような立派な方でないと」


「デフォ男爵が調査官になったのは、十八歳の時だよ。君の一つ上でしかない」

「そんなに早かったんですか。ですが……」


「調査官に必要な技術は経験で身につく。だが資質は持って生まれたものだ。公平性、忍耐力、実直さ、落ち着き、君の資質はどれも得がたい。調査官に向いているとお墨付きをもらっている」

「お墨付き? 誰からですか」


「みんなだよ。私の下で君が働いている間、みなから話を聞いていてね。調査官に推薦するものが多かった。なあ、ジュリウス君。こちらは人手不足で困っているんだ。断るなんて悲しいことは言わないよね」


 そうリックに笑顔で『命令』されては、腹をくくるしかなかった。


「謹んでお受けいたします」


 ジュリウスは臣下の礼を執った。


「それで最初の任務なんだけど……」


 リックが言いかけると、話を聞いていたらしいレイモンドが口を挟んだ。


「子どものお守だ」



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスはボウエン伯爵家の、自分専用の部屋になった執務室に通され、少し緊張した。正直な話、どんな仕事をしたらいいのかわからないし、役に立てる自信もなかった。


「初めまして、ジュリウス殿。私はクィンタス・フェイビアスと申します」

「お初にお目にかかります。ジュリウス様。俺はマックス・クーチです」


 老年にさしかかっているクィンタスという、厳めしい男性の挨拶を受けた。ご意見番といったところで、ジュリウスに助言してくれるそうだ。もう一人のマックスという小姓の少年は、二三歳年下のようで、子ヒツジのようにはつらつとしている。挨拶がてら、ジュリウスはおしゃべりをして親睦を深めた。


「それで、最初の仕事というのは……」


 クィンタスが話し始めた。


「ご当主であらせられる伯爵閣下の長女ローズ様の、補助をしてもらいたい。ローズ様はご結婚にあわせて様々な研修を行う予定だ」


「具体的には……」


「……」


 クィンタスが無言になり、ジュリウスは「子どものお守り」と言われた理由が、なんとなくわかった。大事な嫁入り前の娘になにかをさせている気にさせて、絶対に傷をつけないように囲い込んでおくことが任務なのだろう。


 ボウエン伯爵の第三子ローズは、行動的で家に閉じ込めておくのに、苦労しているという話を聞いている。


「なにか、準備しておきますか」


「そうですね。ローズ様は地図がお好きな方なので、一度、我々で地図の整理でもしてみたら、ご興味を持ってくだ」


 突然、なんの予告もなく扉が開き、人が入ってきた。クィンタスと、マックスはさっと臣下の礼を執り、遅れてジュリウスも続いた。そして初めてローズを間近に見たのだ。


 ローズは輝く漆黒の髪を後ろに流し、黒曜石のようなきらめく瞳をしていた。ぼってりとした魅力的な唇は真っ赤で、陶器のように白い肌を際立たせていた。とてもきつい顔立ちの美人であるにもかかわらず、その目に宿る好奇心が印象を和らげていた。


 ジュリウスは女性の美しさに心を奪われ、我を忘れるという体験を初めてしたのだ。


 クィンタスが何度か咳払いをし、ようやく我に返ったジュリウスは、人前での失態で、あまりの恥ずかしさに赤面を免れ得なかった。見蕩れられていたローズのほうは、いつものことらしく、ただただずんでいる。クィンタスがジュリウスを紹介した。


「ローズ様。こちらがラムレイ男爵家の、ジュリウス殿です」

「年はいくつなの?」


「十七です。ローズ様」

「まあ、わたしと同い年ね」


 ローズはそのきつい顔立ちに似合わぬ、親しみやすい笑みを浮かべた。


「ジュリウス。よく励んでね」

「は。誠心誠意努めます」


 ローズは、部屋のソファに座ると、クィンタスとマックスが整理していた日誌を手に取った。


「クィンタス。これはなあに?」

「そちらは……」


 クィンタスが説明しているのを、ローズは嬉しそうに聞き始めた。ローズについてきた使用人たちは、ローズの側に控えたり、お茶を入れたりしている。その内の一人、侍従の制服を着た男がジュリウスに囁いた。


「男爵令息風情が。思い上がって心得違いをしないことだな」


 冷たく見下した視線で言われ、ジュリウスは驚いた。男の口ぶりから、ローズに手を出すなと言う警告だが、そもそも主君の娘など、身分が違いすぎて、そんな風に考えたりしないだろう。


「マックス。あの侍従姿の男は誰だ?」


 ジュリウスは、隅に控えていたマックスに小声で聞いた。


「ご当主様の弟のマーティナ様は、もちろんご存じですよね」


「もちろん」


「あの方はマーティナ様の次男の、イワン様です」


 ジュリウスはそれを聞いて、わかったような、わからないような気分になった。弟のマーティナは、若い頃はとても優秀だったと聞く。周囲は跡継ぎになるものと盛り立てたが、跡を継いだのは兄のジェイムズであった。その件でひどく荒れてしまい、兄のジェイムズの補佐にでも回れば良かったにもかかわらず、なにやらつまらぬことで失策してしまい、マーティナ一家は、政治的にはかなり低い立場になってしまった。


 イワンがそのマーティナの次男という立場なら、従姉妹のローズにあやかって、起死回生をはかりたいだろう。主君の娘に仕えるにあたって、政治的立場が違う人間が混ざり込んでいるなら注意が必要だ。


 ジュリウスはイワンの発言を聞いて、いくつかの考えが頭を駆け巡った。人間というのは、明らかに自分より下の人間を、見下したりしないものだ。なぜなら『自分より下』なのが事実であるならば、見下すという行為が必要ないからだ。むしろ自分と立場が変わらないと、脅威に感じている時ほど、相手を見下す。見下すことで脅威を感じている自分を、安心させたいからだ。つまりイワンは、ジュリウスの存在に、なんらかの脅威を感じているということになる。


 そしてもう一つ、『心得違いをするな』だが、人とは、相手を自分の鏡として見るものだ。

 もし誰かが笑った時、心に劣等感があれば、「笑われた」と不愉快になるものだ。だが心当たりがなければ、「思い出し笑いだろう」と済ませてしまう。

 この警告をジュリウスのやり方で解釈すると、「イワンはローズに心を寄せている」ということになる。


 初めての任務に、難しい人間を放り込まれたジュリウスだった。




 ローズは、クィンタスにやりたいことを上げていた。


「乗馬がしたいわ」

「なりませぬ。危険です」


 ローズが言った言葉をクィンタスが切り捨てた。


「釣りがしたいわ」

「いけません。針が危のうございます」


「ボート遊び……」

「駄目です。万が一水に落ちたら」


「『かふぇ』というのに行ってみたいわ。お茶やお菓子が出るって」

「店で出る物を、すべて持ってこさせます」


「そういうのではなくて……。そうだわ。今度、星祭りというのが城下で行われるそうよ」

「街中を歩くなど、危険です」


 心を鬼にして却下するクィンタスに、ローズはしょんぼりとなった。ジュリウスはそれをぼんやりと聞いていた。


 ローズは結婚前の、多少自由な時間がある内に、様々なことに挑戦したいと思っていた。結婚したらどうせ次々に子どもを生んで、息つく暇ないのだ。


「クィンタス殿。荷運びに使う大人しいロバに、横乗りするのはいかがでしょう」


 ずっと黙っていたジュリウスが、突然話し出したことで、部屋の視線が集中した。


「もちろん安全には気を配って。釣りは、針を使わないカエル釣りなら、工夫次第でなんとかなるかと」


 ジュリウスはつらつらと話した。


「ボート遊びは、中庭の噴水にボートをしっかりと固定しましょう。十分に楽しめるはずです。星祭りは大型のバルコニーがあるホテルを貸し切りすれば、雰囲気を楽しめると思います」


「黙れ。いい加減なことを言うな。姫様になにかあったらどうする気だ」


 イワンが立ち上がって、怒鳴った。


「お前みたいな身分の低いものには、高貴の方の大事さが想像できないのか。どうせ姫様に気に入られたいだけだろう。この、『ごますり野郎が』」


 サーヴィアスに言われた悪口をイワンに言われ、ジュリウスはまるで学院の教室にいるような気持ちになった。


「姫様、こんな奴の言うことは信じてはなりません」


 しかしそう言ったイワンの大声を、誰も聞いていなかった。なぜならクィンタスが考え込んでいたからだ。ローズは今や目をきらきらと期待に輝かせて、クィンタスを見ていた。それに気がついたクィンタスは厳かに言った。


「検討します。期待はしないで下さい」


 しかしローズは、クィンタスの言葉は社交辞令ではなく、本心からであると知っていたので、クィンタスに抱きついて喜んだ。


「ありがとう。じいや」

「クィンタス様……」


 イワンは許せないとばかりに、顔を真っ赤にして部屋から出て行った。ジュリウスはマックスに尋ねた。


「あの、マックス。クィンタス殿……様は何者だ」


「クィンタス殿は、前当主様の腹違いの弟君になります。ですからローズ様とイワン殿から見ると、祖父君の弟となります。立場上、表には出られないので、ご存じない方が多いです。ご本人も臣下として、違う名字で振る舞っていますし。だから『殿』って呼ばれているんです」


 ジュリウスは失礼な振る舞いは、なかっただろうかと内心焦りながら、イワンという異物を、頭から押さえつけられる存在に頼もしさを感じたのだ。




 まあ、そんなわけで出入りの業者からロバを借り上げ、さっそく乗ってみることにしたのだ。


「まあ、なんて大きいの」


 間近でロバを初めて見たローズははしゃいだ。


「クィンタス様。こんなことをして、殿にご忠告申し上げねばなりません」


 イワンは受け入れられず、クィンタス相手にちくちくと嫌みを言った。


 ロバが動かないよう、マックスは飼い葉を与え続けた。ロバの方は、動かずに飼い葉をもらえて満足な様子だった。


 クィンタスに支えられたまま、ロバに乗ったローズはご機嫌だった。


「すごく背が高くなったみたい。それにロバってさわると温かいのね。意外となめらかな手触りだわ。それに……」


 ローズはくすくすと笑い出した。


「動物の匂いって、臭いのね」


 困ったように眉根を寄せたローズは、嬉しそうに言った。



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスが学院に登校すると、今日もサーヴィアスがにやにやと笑いかけてきていた。まわりの人々の哀れみの視線は、収まってきていた。

 状況が明らかになってくると、サーヴィアスの立場が悪くなるだろうと、予想した者が出てきたのだ。それでも人から哀れみの視線で見られるのは、虚勢を張っている気持ちをくじけさせるには、十分だった。


 だが最近のジュリウスは、なんだか穏やかな気持ちだった。


 授業を受けながら、こんな時、クィンタスやマックス、ローズのことを思い返すだけで、心が明るくなるのだ。


 昨日は星祭りの話をしていて、国の伝統行事としての祭事をローズが説明していると、クィンタスが子ども時代の祭りについて話だし、今に比べるともっと素朴だったなどと、興味深い話を始めた。


 マックスはそもそも、お菓子が食べられる日という認識しかなく、クィンタスもローズも知らない、「星祭りのお菓子」とされているものの説明を始めたのだ。下町では祭りの内容は独自の進化を遂げていて、それはそれで興味深いものになっていたのだ。


 あの時の、クィンタスとローズの、興味津々な顔といったら……。



 ジュリウスは、つい口元にうっすらとした笑みを浮かべた。


 そのとたん、椅子ががたんと倒される大きな音が教室に響き渡り、立ち上がったサーヴィアスを友人たちが止めていた。


「おい、ジュリウス。お前、なにを笑ってやがる」


 激しい怒声が響き渡り、廊下で警備している騎士が、遅れて教室に入ってきた。


「人のこと笑いやがって。何様のつもりだ」

「誤解だ。なにもしていない」


「笑っていただろう。今」

「だから誤解だ」


 教壇の教師の注意も聞かなかったため、サーヴィアスは騎士に連行された。騒ぎを聞いて駆けつけた同じ階の教室の、教師たちが注目する中、連れられていったのだ。ジュリウスは学院長に簡単に事情を聞かれた。


 このことでボウエン伯爵家の評判が下がるのではと、責任を感じる。その心配が顔に出ていたのだろう、学院長は困ったように、だがしっかりと言った。


「そうは言っても、学校というのは失敗してもいい場でも、あるからして。まあ、あまり気にせずのびのびしなさい」


 そう言われたのだ。一方、サーヴィアスは事情を聞く教師たちに、怒りをぶつけていた。


「あいつ、俺の顔を見て笑ったんですよ。いけ好かないやつ。人のことを馬鹿にして、ちょっと贔屓にされているからって、調子に乗りやがって」


「笑っていたからと言って、そうとは限らないだろう。それに」


「そうに決まっています」


 教師の言葉を遮り、サーヴィアスは暴言を続けた。途中から聞いていた学院長は、こう提案した。


「二人は離れた方が良いのう。サーヴィアス君は今の三組から、四組に移ろうか」


 そう言われたサーヴィアスは、学院長に対しても、押さえきれない怒りで反論した。


「なぜ、なにもしていない、この俺が、あいつより下のクラスになるんですか。俺より身分が低い奴の下のクラスなんて、絶対に受け入れません」


 学院のクラス分けは成績順のため、ごくまれだが平民が一クラスになることもある。だが身分でも分けているので、高位貴族は基本的に一クラスに所属し、ジュリウスやサーヴィアスのように低位貴族の場合、三か四クラスに所属していた。三から四への移動は、通常なら「成績が極端に落ちた」ことを示していた。


「学校側の指示を守れないと?」


「そんな屈辱耐えられません。もし俺を四クラスに移動させるというのなら、絶対に従いません。力尽くでも三クラスに通い続けます。だいたい、ジュリウスの方を移動させればいいではないですか」


「そうさのう」


 サーヴィアスは、ジュリウスを移動させる案に心動いた学院長を見て、にやりとした。四クラスに落とされる不名誉を、無事にジュリウスに押しつけたのだ。



 翌日サーヴィアスは、最近いい顔をしなくなった友人たちを連れて、登校したジュリウスの後をつけ、四クラスまで笑いに行ったのだ。だがジュリウスは二クラスに入っていった。驚いたサーヴィアスはそのまま続こうとしたが、高位貴族のいる一、二クラスには近づくこともできなかった。


 だから教室の近くで事務的な話をしていた教師に、文句を言ったのだ。


「おかしいでしょう。男爵令息風情が、なんで二クラスに入れるんですか」


 教師はあまりに攻撃的な態度に、むっとした顔で答えた。


「学校側の決定だ。クラスを引き離すのが目的なんだから、どこのクラスに行かせてもいいだろう」


「じゃあなんで俺の時は、四クラスにするって言ったんですか。なんで俺ばっかり。どうして俺ばっかり損をするんです」


「そりゃあ、君は問題を起こす生徒だからだろう。昨日も問題を起こしたし、今日も今まさに起こしている。そんな危ない生徒を、高位貴族もいる二クラスに入れるわけがないだろう」


「俺は問題なんて起こしていません。昨日のはジュリウスが悪いんです。あいつが俺を笑ったから。どうしてあいつを罰しないんですか。こんなのは不公平です」


「今、君は騒ぎを起こしているよね。問題を起こしているわけだ。だったら問題を起こす生徒だと、烙印を押されても仕方がないだろう?」


「じゃあ、どうしろっていうんだ!」


 サーヴィアスは絶叫した。


 サーヴィアスと教師とのやりとりは注目を集めており、警備している騎士も、教室や廊下の学生たちも、騒ぎを聞いてやって来た、教師や事務員らも唖然として見ていた。サーヴィアスにくっついていたはずの友人らは、とっくに姿を消していた。


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