我田引水
ジュリウスがワイリーのことを知ったのは、王都近くの港でだ。
活気があり、人々の喧噪で溢れている中、突然、剣で襲われた海兵隊員がいたのだ。
助けようとブラック号から降りた所、たったそれだけの時間で、海兵隊員は襲ってきた男三人を、返り討ちにしていた。カットラスと呼ばれる独特の形をした剣を抜きもせず、手刀と足のみで。
海兵隊の士官の制服を着ており、その身のこなしから相当な使い手であることが伺え、感心して見ていたものだ。それだけでも覚えている理由に充分だったが、士官の制服を着ているのに、妙に若そうなのも印象に残った理由だった。せいぜい二十代半ばに見えたのだ。
その時、彼はワイリーと呼ばれていた。そしてジュリウスはそのことをしばし忘れていた。
ジュリウスはある日、仕事帰りに王都の端を、ブラック号で歩いていた。
現在の王都ができる前の、古代の道が交差する広い場所で、真ん中に巨大な噴水があり、そこから郊外に向かって長い街道が延びていた。日の沈みが遅くなり、夕方のこの時間帯でもまだ明るい。
その時、街道に沿って残っている古いレンガ塀の壊れた所に、誰かが潜んでいるのが見えたのだ。抜き身の剣をひっさげており、穏やかではなかった。
ジュリウスは気づかぬふりで、ブラック号に乗ったまま通り過ぎると、馬を降りた。自分の後ろから若い海兵隊の青年が、やってくるのが見えたのだ。彼が襲われ、そして返り討ちにしたのは一瞬だった。襲撃犯は逃げ足も早かった。
ジュリウスは手助けをしようと、剣を抜きその場に駆けつけたが、襲撃者の仲間だと思われたのか、青年に斬りかかられたのだ。
「待ちたまえ。私は彼らの仲間ではない」
「ふざけるな。このタイミングで襲ってきて仲間ではないと」
「誤解だ」
両者一歩も引かず、剣で押し合っていた。埒があかないと思ったジュリウスは言った。
「わかった。では私から剣をおさめよう。頼むから、早合点はするなよ」
そう言って、自分の剣の力を徐々に引き、一歩後ろに下がった。用心しながら、間合いを取り、剣を鞘に収めると、青年は戸惑いながらも、体の力を抜いたようだった。
「先ほど潜んでいた輩に気がついて、様子を見ていたんだ。それで君が襲われたから、助太刀しようと。いらぬお世話だったようだが」
「ああ、なるほど……、そういう、こと、か」
青年は少しぼうぜんとしたまま、妙に間延びした返事をした。
「私はジュリウス・ラムレイと申す。このあたりを取り仕切る、ボウエン伯爵家の手の者だ。君の名前を教えてくれないか」
「ワイリーだ」
もしやそうではないかと思っていたジュリウスは、ワイリーという名を聞いて確信した。港で見事な腕を見せた男だ。
「先ほどの男たちは」
「……」
ワイリーは黙ってしまった。
「済まないが、話してもらえないか。報告する義務があるのでね」
「断る。言わないと逮捕でもされるのか」
「場合によっては。だが単純に、問題に巻き込まれているようだ。手助けするが」
「手助け……、ならさあ、今夜の宿を手配してくれないか。あんたの紹介なら安全そうだ」
ワイリーは急に、くだけた態度になった。
「宿……、構わないが。それなら良かったら、私の家に来ないか。ここからなら、宿に行くより近い」
「願ってもない。あんたみたいな強い奴の家なら安心できそうだ」
ジュリウスは指笛を吹いた。ブラック号が待っていましたとばかりに、嬉しそうに歩いてきた。
「今までの宿は、安心できなかったのか」
ジュリウスが聞くと、ワイリーは疲れたように額に手をやった。
「こんな状態だとね。寝不足は訓練で慣れているとはいえ、続くと思ったよりも体に負担でさあ。とにかくゆっくり眠りたいんだ」
ジュリウスと供に、ラムレイ男爵家を訪れたワイリーは、最初に着いた家畜小屋で倒れるように眠ってしまい、担いで部屋に運び込むことになったのだ。翌朝、よく眠れたらしいワイリーは上機嫌で起きてきた。
「いやあ、すまないね。世話になって」
「構わないが」
「万が一、襲撃があってもここだと安心だな」
「命を狙われているのか」
「まあな」
「その、話す気は、ないか?」
「すまない。どうしてもその気になれない」
そしてそのまま居着いてしまったのだ。
ジュリウスは時間をかけて、話を聞き出すつもりだった。だが、ブラック号に乗って外出すると、軍属の制服を着た男に呼び止められた。そしてその男に、金をはずむから、ワイリーを暗殺して欲しいと頼まれたのだ。男は先日、街道沿いでワイリーを襲った男で、執拗に付け狙っているらしい。
ジュリウスはしばらく考えた後、その殺しを引き受けることにした。なぜならここで断っても、別の誰かに頼むのは、目に見えていたからだ。
「ワイリー。君の暗殺を頼まれた。軍属の男に」
「…………心当たりはない」
「そうか。なにか話す気に……」
「……世話になっておいて済まない」
「気にするな。好きなだけいたまえ」
ジュリウスは、軍属の男の件をリックに報告したり、資料を調べたりした。ワイリーについては、義理堅い男のようだから、そのうち話してくれるだろうと期待している。そしてリックから機密情報を教えられたのだ。
「海兵隊に所属していた、ワイリーという男が突然辞めたそうだ」
「どんな事件があったんですか?」
「失恋したらしい」
「……失恋」
「おっと、馬鹿にしないでくれたまえ。実は恋愛問題で、使い物にならなくなったり、辞めたりするやつは意外に多い。上司の立場にとっては深刻な問題なんだ」
「はあ」
「それで、ジュリウス君の言っていた、軍属の男はわからなかった。普通に調べても出てこないということは、私的な関係だろうな」
リックに聞かされた情報が、ワイリーの今の状態にどう関係があるのかわからず、ジュリウスは考え込んだ。ワイリーは律儀な所があるし、失恋で仕事を辞めるというのがピンとこなかったのだ。よほどひどい失恋でもしたのだろうか。
「ワイリー。別に無理して話さなくていい。だが今の状態を、どう考えているのかは、教えてくれないか」
「……俺にとっては、もう終わったことなんだ。すべて忘れたい。その殺しを頼んできたやつにもそう言ってくれないか。もうすべて終わったんだって。忘れてくれって」
「わかった。会ったら伝えておくよ」
ジュリウスも、もうこの話は終わらせても、良いのかも知れないという気持ちになった。放っておけないが、だがワイリーにとっては、過去のできごとなのだ。
翌朝、ジュリウスはすっきりとした気持ちで目覚めた。素振りをしていると、最近では、父や祖父だけでなく、ワイリーも加わるようになった。ワイリーは動物の扱いがうまく、厩舎の馬たちも懐いている。朝の世話を買って出てくれるようになったのだ。
ワイリーの腕を知っているジュリウスは、もし働く気があるなら、リックに紹介しようかと思っていた。腕の立つ人間ならいつでも大歓迎だ。もっともワイリーは疲れ切っていて、今はただただ休みたいようだった。
ブラック号たちの寝わらを、ワイリーと一緒に交換していると、そこへジュリウスの父親のオルダスがやってきた。
「ジュリウス。なんか家の周り、うろついていた奴いたから、ぼこぼこにして、ふん縛って納屋に積んでおいたぞ。後で警ら隊に届けてくれ」
「「……」」
ジュリウスは少し、ワイリーが気の毒になった。ワイリーがいくら終わったことだとしても、事件のほうが彼に、ちょっかいをかけてきてしまうようだ。
「すまない。父がやり込めてしまったので、どのみち病院に連れて行かないと。そうするとどうしても、警ら隊に届けることになってしまう。いいかな。ワイリー」
ワイリーは天を仰いでぼやいた。
「仕方ねえなあ」
捕まった男は馬車で警ら隊本部まで連れて行かれ、事情聴取を受けた。
「それで、事件の真相を知っている、ワイリー君を口封じしようとしたんだね」
リックは、ワイリーとジュリウスにも話を聞いていた。
ワイリーには長く付き合っている、恋人のソワネがいた。ワイリーは海兵隊員で、配属された部署の関係上、秘密任務や、時間外勤務が多く、二人の中はだんだん冷えていったのだ。だがワイリーはそれでもソワネを信じていた。ソワネは美しく、実家が資産家のため、とても、もてていた。それなのに泥臭いワイリーと付き合ってくれていたのだ。
そんな時、海兵隊の事務所で横領事件が発生した。犯人はワイリーの友人で、軍属のマッドだった。
マッドはずっと、ソワネに誘いをかけていた。海兵隊のエリートだと嘘をついて近づいていたのだ。そしてワイリーが捜査で忙しい間に、ソワネに、ワイリーが横領事件を起こしたと。嘘を吹き込みつづけ、自分のものにしてしまった。
「どっかで聞いた話だなあ」
リックは、声に出さずつぶやいた。
ソワネに横領事件の件でなじられ、釈明しても信じてもらえなかったワイリーは、なんだかすべてがどうでもよくなってしまったのだ。だから勢いで仕事もやめて、飛び出してきた。ところが、後ろ暗い所のあるマッドは、ワイリーの口を封じようとしたのだ。
ジュリウスは、ワイリーがなにも言わないのを不思議に思い聞いた。
「そのこと……、ソワネさんには言わないのか」
「マッドのこと信じ切っていたし。俺のこと信じてくれなかったしなあ。まあ、幸せならいいかな、って」
「これからどうするのだ」
「しばらくぼんやりしたい」
すっかり疲れ切った顔で、ワイリーは言った。
「ワイリー。君はどんな気持ちで、ソワネさんに真実を打ち明けないんだい」
「そんなのは簡単さ。人間って真実なんて知らなくても、信じたいほうを信じるんだ。ソワネがマッドを信じた時点で、俺の恋は終わったのさ」
「なるほど……」
素朴な答えを聞いて、ジュリウスは目からうろこだった。
真実がなにか、という話ではなく、ソワネが誰を好きかという問題なのだ。そういう意味では、確かにこの話はもう終わっている。
「ワイリー君は真剣に働く気はなく、勤めていた港に戻る気はないんだね。だったら私の所で、ちょっとだけ働かないか?」
リックは、さっそくワイリーに目をつけていた。へらへらと笑いながら、勧誘している。
「ちょっと……、ちょっとなら、まあ、いいか」
「ジュリウス君と互角に戦えるくらいお強いのだろう。それなりの給金を出すぞ」
ワイリーはのろのろと立ち上がると、ゆっくりと背筋を正した。
「よろしくお願いします」
「いいのですか?」
ジュリウスがリックに聞くと鷹揚に頷いた。
「海兵隊に所属していたのだから、身元は確かだしな。有能そうだし、その上、強いなら大歓迎だ」
◇◇◇◇◇◇
ジュリウスとリックの二人は、マッドの取調室に入った。
「それで……なにがしたかったんだ」
マッドは不満そうにジュリウスを見上げた。
「どうせワイリーの野郎が全部しゃべったでしょう。俺が横領したとか、ソワネに嘘をついたとか。奴のいうことは全部嘘ですから」
「……なにも言ってなかったよ」
「は?」
「私は、彼を預かっている身で、しばらく一緒に過ごしている。その間、ワイリー君はずっと君のことを黙っていたし、ソワネさんのことも自分から話していない」
「そんなわけないでしょう」
「どうしてだかわかるかい?」
マッドは用心深そうに、ジュリウスを見た。
「ワイリー君にとっては、この話はもう終わった話なんだ。ソワネさんが、マッド君を選んだ時点で、彼にとっては、その恋は終わったんだ。だからソワネさんのことも、君のこともどうでもいいことにしようとしている。気持ちを切り替えようとしているんだ。それでわざわざ、私たちに話したりもしなかったんだ」
「……」
「君はそうではないみたいだね。どうしてだかわかるかい? ワイリー君にとっては、これは恋の話だ。ところが君にとっては、嘘の話なんだ。君はソワネさんに、横領したのはワイリー君だと嘘をついた。でもワイリー君は捜査側だから真実を知っている。嘘が通じないから、口封じをしようと思ったのだね。だけどワイリー君は強いから無理だった。だからこれから永遠に、ワイリー君を口封じしようとするのだろうね。でももう、君には時間が残されていない」
「……どうしてだ」
マッドは聞きたくないけど、聞くのを我慢できなかった。
「君はワイリー君のことを正確に知らない。彼は海兵隊の士官で特殊任務にあたっている、特別捜査官だったんだ。その彼を何度も襲撃した。未遂でも、無期か絞首刑だ」
「……」
マッドは驚きすぎて、なんの反応もできなかった。
「冗談でしょう。だって……未遂じゃないですか。それに、知らなかったから」
「制服や装備を見れば、少なくとも士官だということはわかると思うが」
「奴みたいな若い士官がいるなんて、おかしいでしょう。あの制服は見栄を張って嘘ついているんですよ」
ジュリウスは一笑に付した。
「そんな馬鹿な話あるわけないだろう。自分が平気で嘘をつくから、まわりもそうだとでも思っているのか」
「……」
「ワイリー君が横領したという嘘さえつかなければ、口を封じる必要もなかったね。嘘にまみれた生き方をしていると、それが自分の首を絞めることもある。ワイリー君が横領したなんて嘘、なんのためにつく必要があったのか、私には不思議だ。なぜならソワネさんは、最初からマッド君を信じて、ワイリー君を信じなかったんだろう。だったら、そんな嘘つく必要、なかったではないか」
「……」
「君は必要のない嘘をついて、そのためにワイリー君を口封じしないといけない立場に陥って、そして重罪になったのだ。する必要のないことに懸命になって、地獄へ落ちるとはね」
ジュリウスはそう言い終わると、リックを置いて取調室を出て行った。
ジュリウスの目からは、マッドが、とても欲張りに見えた。自分に都合の良い人生を送るために、嘘をついてまわるのはまだわかる。だがそれを本物にするために、必要のない殺人を犯すなど。
ワイリーは自分からは言わなかったが、マッドを告発しなかったのは、ソワネを守りたかったからだ。ソワネを犯罪に巻き込みたくなかった。そこにつけこんで何度も襲撃を繰り返した。どこまで強突く張りなのだろう。そしてその姿勢が、なんだか悲しかった。彼に真摯に忠告してくれる人は、誰もいなかったのだ。
待合室にはソワネと、その父親が、ジュリウスを待っていた。マッドを探していた所、こんな所を案内され、二人とも困惑している。ジュリウスはどうしても、一緒に過ごしたワイリーに肩入れをしてしまい、公平な立場になるように、気持ちを落ち着けた。
「マッドはどうして捕まったんですか」
「ワイリー君を何度も襲撃した罪で、勾留されています」
「それはなにかの誤解です。マッドはとても優しい人です。ワイリーはいろいろあって、今、荒れていて」
ソワネは、すぐさま反論した。はっきりと主張する性格のようだ。
「ワイリー君は、港から王都に移動するまでの間で、なんどか襲われています。私の目の前でも二回襲われました」
「でも……、やはりなにかの誤解です」
「ワイリー君にはなにがあったと言うのですか」
「ワイリーは職場で横領したんです。それで首になって、だから荒れてるってマッドが」
「海兵隊に確認しましたが、軍属の事務所で横領したのは、マッド君です。ワイリー君はそれを捜査する側でした」
「嘘です。だったらどうして首になったんですか」
ソワネははっきりと、嘘と言った。目の前にいるジュリウスに向かって。
「嘘ではありません。横領したのはマッド君。ワイリー君は捜査側です。その後、自主退職しました。首ではありません」
「そんなこと私は信じません」
「ご自由にどうぞ。私には関係のない話です」
「……」
「もう失礼してもよろしいですか?」
「待って下さい。マッドが私に嘘をついていたって言うんですか」
「そこまでは。ご自分でお考え下さい」
「それじゃあ、どうしてワイリーは私になにも言ってくれなかったんですか」
「そちらも、ご自分で考えて下さい」
「でも」
権威ある人間から説明されても、自分が納得いかなければ聞き入れない。そして相手に攻撃的に反論を続け、関係のない質問をぶつける。そして自分が『納得』する答えを引き出すまで、それを続けるのだ。ちらりと隣の父親を見るが、止めようともしていない。ソワネは相当甘やかされた子どものようだ。こういった人間には、最小限の事実を述べ続けるしかない。しかしお優しいジュリウスは助言をしてしまった。
「警ら隊本部のものが、先ほどから説明しているのです。それを誤解だ、嘘だと仰るなら、なにを言っても無駄でしょう。ご自分の信じたいものを信じたらいかがですか。ワイリー君にも、どうせ、マッド君を信じるって仰ったのでしょう」
案の定、ソワネは噛みついてきた。
「待って下さい。だって、おかしいじゃありませんか。それならどうして誰も、私に本当のことを教えてくれなかったんですか」
関係ない。ソワネのその質問は、警ら隊にはまったく関係のない質問だ。だがジュリウスはついつい答えてしまった。
「……マッド君を信じていることを、前面に出していた。それでは誰もが、本当のことを言っても無駄だと思ったでしょう」
「私が悪いっていうんですか」
「言っていません。とにかくこれで失礼します」
「待って下さい。どうしてなにも教えてくれないんですか?」
ジュリウスはゆっくりと振り返った。
「私は先ほど事実を説明しました。これ以上なにが聞きたいのですか」
「なにもかも、わかりません」
そうやってソワネは、話を最初まで戻した。
「マッド君は勤務先で横領しました。それをワイリー君が捜査し、その後、自主退職しました。以降、ワイリー君はマッド君に何度も命を狙われ、とうとうマッド君は逮捕に至りました。以上です」
「どうしてそんなことをしたんですか」
「…………あなたは、ワイリー君と付き合っていた。そしてマッド君と交際している。それなのになぜわからないんですか」
「そんなことを言われても」
「あなたは今教えろと言いましたが、ワイリー君が横領の件について説明しようとした時、話を聞きましたか? きちんと」
「あの時は……、その、マッドから、ワイリーが犯人と聞かされていたので。その」
ソワネは始めて口ごもった。主観的な話ではなく、事実を聞かれると弱いのだ。
「あなたに当事者がきちんと説明しようとしても、結局、聞かなかったのでしょう。後になって教えてもらえないと言うのは、卑怯ではありませんか」
「だってそんなの知らなかったから」
「それで今度はこちらが説明すると、面と向かって、嘘だと。とても失礼なことを言っているのは、わかっていらっしゃいますか」
「それは……だって……」
「とにかくこれ以上説明することはありません」
ジュリウスは待合室から、立ち去ろうとした。
そこへ最悪のタイミングで、ワイリーが通りかかった。ソワネを見るとぱっと立ち去ろうとしたものの、ソワネに腕をつかまれ、うんざりとした顔をしている。
ワイリーは確かにソワネを愛していたが、失恋から時間も経ち、大分気持ちが切り替わっていたのだ。なにより、距離を置いたことで、それまでは仕方がないと受け入れていた、ソワネの我が儘で自分勝手な強引さに、うんざりし始めていた。
「どうして本当のことを教えてくれなかったの」
ソワネはさっそく質問攻めにした。ソワネの『質問』というのは、それはつまり相手を責め、自分が優位に立つための、『詰問』だ。
「……何度も言ったけど?」
「でもきちんと教えてくれないとわからないわ」
「……きちんと教えたぞ」
「全然、伝わってこないわ。もっとちゃんとして」
なにをどう言おうと、ソワネが正しいのだ。ワイリーは耐えかねたように反論した。
「あのさあ、じゃあ、マッドはなんて言ったんだ。それでどうしてそれを信じたんだ。俺のことは信じなかったのに」
「だって、その時は……知らなかったから」
「なにも知らなかったよな」
「そうよ。仕方がないでしょう」
「なにも知らないのに、マッドを信じたんだろう」
「どうしてそう揚げ足を取るの」
ワイリーとソワネとの間に、ソワネの父親が割って入った。
「なあ、そろそろ機嫌を直して帰って来ないか。ソワネとやり直そう」
父親はさすがに警ら隊の説明を、疑ったりはしなかった。娘がせっかくエリートの男を捕まえたと思ったら、犯罪者だったのだ。そいつとはさっさと、縁を切る必要がある。そして娘に変な噂が立つ前に、それなりの男を捕まえる必要があった。ワイリーのような海兵隊の士官を。美しいソワネを目の前にぶら下げたら簡単だろう。
ワイリーは呆れたように口を開けた。
「もう遅いです。それは俺の気持ちが、どうこうという問題ではありません。ソワネさんは大勢の前で、俺よりマッドを選ぶと宣言したんです。ソワネさんは横領をするような、犯罪者とは付き合いたくないと言いました。事情も聞かずに立ち去れと」
「それは誤解だとわかったから、もういいじゃないか」
父親は必死に、ワイリーをなだめようとした。
「そんな訳ないでしょう。俺は横領する犯罪者と、大勢の前で烙印を押されたんです。その上、海兵隊をやめたから、その噂を信じる人はたくさんいるでしょう。おまけにマッドは逮捕され、死刑の予定です。そんな男を大勢の前で選んだお嬢さんが、無事なわけないじゃないですか。我々は終わったんですよ。夢を見ている暇があったら、身の回りの始末をどうつけるか、考えたらいかがですか」
父親は一生懸命、うさんくさい笑顔でなにかを言おうとしたが、やがて諦め、大仰に舌打ちした。
「終わったってどういうこと?」
ソワネだけがなにもわかっていなかった。
「ねえ、ワイリー。海兵隊に戻りましょう。あんな素敵な職場ないわ。みんなから、うらやましがられるし」
「戻る気はないが、仮に戻ったら、君と縁が切れるな」
「……どういう意味?」
「もうやめなさい。ソワネ」
ソワネを、父親が止めようとした。
「どうして止めるの? パパ。ねえ、どういう意味」
「俺が海兵隊のエリートに戻ったら、格下の君とは釣り合わないという意味だ」
かっとなったソワネは、父親を見て言った。
「パパ。ワイリーになにか言ってやって」
「…………ワイリーの言うとおりだ」
「どうして? ねえ、なんで?」
ソワネは、よりによって自宅で開催したパーティーで、ワイリーを犯罪者と罵った。マッドを信じて。その姿は大勢の人に見られて、あっという間に話は広がった。ソワネが付き合っていた男は、横領をするような犯罪者だと、本人が言ったのだ。そしてその噂は、海兵隊を辞めたことで、信憑性が増していた。
美しい姫君ソワネに、ワイリーの横領を教え、犯罪者から救い出した英雄マッド。ソワネとマッドは、その時、大勢の前で感動的な愛を誓ったのだ。
だがその場に海兵隊のエリートを名乗るマッドが登場したことで、ソワネは二股をかけていたと公言したも同じだった。
そして今後行われる、マッドの処刑。
一人でも世間の目は厳しいのに、二人続けて犯罪者と付き合ったことが、衆目に晒されるのだ。ソワネ本人になにか問題があると思われても、仕方がない。
本人には自覚がないのだろう。だからそれを隠すという手段すら、取らない。世間体を考える人々から、そのことに対する恐怖で、距離を置かれたのだ。父親に説明されたソワネは、ようやく最近誰からも誘われない理由に思い至り、ショックを受けていた。
「マッドが悪いのよ。嘘をつくから。私はただ騙されただけじゃない。だから私は悪くないわ」
ジュリウスは気の毒な目で、ワイリーを見た。ソワネのような人間は、どこまでも反省せず、自分の言い分を相手が受け入れるまで、永遠に話し続けるのだ。
いまやこの場はソワネに支配されていた。ソワネがもういいと飽きるまで続く。誰になにを言われても、『知らなかったから仕方がない』、『ちゃんと言われなかったからわからない』と、詰問を続け、今度は『騙されていただけだから、私は悪くない』が始まったのだ。
ジュリウスは先ほどから、待合室の入り口にいるリックに目をやった。通りがかったのか、ワイリーとジュリウスを見て、なにやら考え込んでいる。
しばらく様子を横で見ていたリックは、ソワネに近づき話しかけた。
「…………仮にマッド君に騙されたのだとしても、ワイリー君の言うことだって、信じてあげても良かったですよね。なにかの『誤解』だと。あなたがよく使う言葉です。でもわざわざ大勢の前で、罵った。どうしてそんなことをしたんですか? その時にワイリー君が何度も釈明したのに、一切話を聞かなかった。『誤解』かもしれませんから、別に聞いてあげてもいいではありませんか。どうしてですか? それにワイリー君がいるのに、マッド君ともつきあっていたことを大勢の前で話したなんて、それこそ迂闊ではありませんか。誰がどう見たって世間体が悪い。どうしてそんな自分に損するようなことを、したんですか? なぜですか?」
リックが立て板に水の質問で迫り、ソワネはそれまでの勢いをなくし、たじたじとなっていた。
「それは、だって……。その時はマッドを信じていたから、騙されてしまって……」
リックは手を緩めない。
「私が聞いているのは、どうして大勢の前で、まるでアピールでもするかのように、横領を問い詰めたのかという点です。大勢の前で二股を公言するのだって普通はしない。どうしてですか? なぜですか?」
「それは、だって、…………そのほうが、エリートのマッドとの熱愛を、みんなにアピールできるって、その時は思ったから。それが良い方法だって……」
「まさにアピールだったんですね」
「そうよ。いけない?」
ソワネは開き直った。
ワイリーよりももっといい男を捕まえ、そして自分は二人の男から同時に愛され、争われているということを、見せびらかしたかったのだ。
「つまり、ワイリー君の横領が真実であるほうが、あなたには都合が良かったんですね。アピールに使えて」
誰もがわかっている真実をリックが口にすると、なぜかソワネはあわてた。
「ちが、違う。そんなことない。そんなつもりじゃ」
「違う? ではマッド君からそれを聞かされたときに、最初になんと思ったか、正直にお答え下さい」
ソワネは視線を泳がせ考えていたが、やがて下を向いた。先ほどまでの、誰にでもつっかかって、まとわりつき、相手を質問攻めにし、決して逃がさないという勢いはなくなっている。ここで、『都合が良いと思った』と答えてしまえば、自分は騙されていた被害者という前提が、崩されてしまうのだ。逆に答えれば、「ならなぜワイリーを信じなかったのか」という話になってしまう。
そんなソワネを意地悪くにやにやと眺めているリックは、手真似でワイリーとジュリウスにその場を退散するよう指示を出した。
遅れて部屋に戻ってきたリックに、ワイリーだけでなくジュリウスもお礼を言った。
「「助かりました」」
リックは呆れたように二人を見ていた。
「……二人とも、よく、あんなのに付き合っていたな」
「付き合いで」
「成り行きで」
「愚か者に付き合うは、また愚か者なり」
リックがぼそりとつぶやいた。二人を見る目は意外に厳しい。ワイリーもジュリウスも赤面して、恥じ入った。
「二人とももっと精進したまえ」
「「肝に銘じます」」
その週の内にマッドの刑は執行された。最後まで、自分の刑を信じようとせず、最後はパニックを起こしていた。彼の嘘の力は現実の前には無力だったのだ。
◇◇◇◇◇◇
ジュリウスは翌週出勤すると、こざっぱりとしたワイリーとすれ違った。すれ違いざまに、爽やかに挨拶される。
「これから、よろしくお願いします」と。




