親不孝者
ジュリウスを中心とした他登場人物は、以下のエピソードにも登場します。
人物関係については、「登場人物一覧」もあわせてご参照ください。
「調査官の任命」(「サーヴィアスの退学」)「貧乏男爵家の調査官日誌」
山は春の盛りだった。
花の姿が見える前に、風に乗って甘い香りがただよい、なんの花が咲いているのかが予想できるほどだった。そして遅れて、色とりどりの花が姿を現すのだ。
ブラック号はそれはもうご機嫌で、尻尾だけでなく、頭まで右に左に大きく振っていた。何度も大きな鼻息をして、時々、ジュリウスのほうを向いては、まるで「良いお天気ですね」と、話しかけてくるように見てくる。
隣を歩くリックの馬は、対照的に大人しく、しずしずとおしとやかに歩いていた。道は山の姿に遮られ日陰になっており、全体的に薄暗いが、そんなことがちっとも気にならないほど、暖かかった。
最初に聞こえたのは、悲鳴と話し声だ。
少しして一方的な剣戟の音が聞こえてきた。ジュリウスが馬を走らせると、道の折り返しで、二人の男が争っていたのだ。
一人の青年が男に押されていて、どんどん足元に広がる崖の方へ退いていく。青年は剣を手に持ってはいるが、弱々しく構えているだけで、振るってはいない。そこを怒り狂った男が感情的に、剣を振り回すように切り込んでいた。
ジュリウスはすばやく馬を降りて、駆けつけながら剣を抜くと、二人の間に割って入ろうとしたが、遅かった。
青年はジュリウスの登場に驚き、なぜか男をかばうように突然、姿勢を変えたのだ。だが男の方は泣き叫んでおり、前をよく見ていなかった。そのため男が闇雲に振るった剣を、よけようとした青年は崖から足を踏み外した。青年は長い悲鳴を上げて、崖を落ちていったのだ。
「危ない!」
反射的に青年を助けようと、男は叫んで手を伸ばした。
引き起こした事態に、顔を真っ青にしている。
ジュリウスは男を捕まえようとしたが、眼下に広がる崖は大きく、犯人を捕まえるよりも、落ちた人間を助けるのが先だと考えた。荷物の中から麻縄を取り出すと、木に結びつけて降りていったのだ。後から駆けつけたリックも、犯人よりも救出を先にしたほうがいいと判断し、崖の上から状況を見守った。
途中で麻縄の長さが尽きたジュリウスは、生えている木を手がかりに更に下に降りていった。五十メートルほど下に、青年がひどい怪我を負って意識を失っていた。落ちた高さは大したものだったが、崖の傾斜具合と木、下にたまっていた腐葉土がクッションになって、命は助かったようだった。
よく見ると、先ほどの道を下に下っていき、折り返した部分と意外に近く、リックに場所を説明して、助けてもらうことにしたのだ。手伝いの人員を呼んできてもらうのに時間がかかり、ジュリウスはその場所で一晩過ごした。また誰かに襲われないとも限らないからだ。ばたばたとしている間に、問題の男は立ち去っていた。
夜中、真っ暗な中、うめき声だけがひびいていた。ジュリウスは持っていた水筒の水を、垂らすように与えていたが、それも尽きていた。止血はしたが、手当ができたわけではない。
青年は何度も「痛い」と訴え、その内、気がついたのだ。
「父さん。どこ? ……ごめんなさい。ごめんなさい。そんなに傷つくなんて思わなくて。僕、なんてひどいことを……」
ジュリウスは声をかけた。
「大丈夫かい。朝になったら、助けが来るから」
「あなたは、どなたですか。ここは……」
「ここは、王都の南東にあるアルト山だ。君の救助のために控えている。一体なにが」
青年は息を呑んだ後、黙ってしまいしばらく口を聞かなかった。
ジュリウスは事件のことを聞くのをやめて、ただ元気づけるように話しかけた。すると青年は少しずつ返事をするようになった。答えないと悪いと思ったらしい。どうも気弱な青年のようだ。だが自分のことになると口が重く、名前すら教えてくれなかった。
夜が明けると、リックたちが救出に来てくれた。青年はとてもひどい状態で、病院では医師に、よくもちこたえましたねと感心されたのだ。
なにも話さない青年に、病院では「ジョン」と名付けた。
ジュリウスとリックが、ジョンと話した印象では、王都の上流階級以上で、伯爵家以下の身分。裕福ではあるが、そこまででもない家庭の育ちといったところだ。気弱で、武術の腕はなく、率直に言って優秀というほどでもない。ここまでわかれば、あとは時間をかければ、身元は割れるはずだ。
「それで身元はわかったの?」
話を聞いたローズと、部下のマックスは、興味津々だった。ここはジュリウスの執務室で、ローズは日課のように来ていた。ジュリウスやマックスから、外の話が聞けるからだ。じいやのクィンタスは、興味なく別の仕事をしている。
「今のところわからないんです。ただ……事件の予想はつきますが」
「確かにそうね。なんとなく事情は……」
「俺もわかりました」
わざとではないとは言え、ジョンは父親に危うく殺されそうになったのだ。だがその犯人が父親だと言いたくない。だから、自分の名前すら秘密にしている。
きっかけとなった父親はその時、号泣しており、つらそうに泣き叫んでいた。
「おそらく父親をかばっているのでしょう」
「そうね。ジョンは父親になにかを悪いと思っているみたいだし」
「なにがあったのでしょうね」
ジュリウスはしばらく考えてから口を開いた。
「それにしても父親はどんな理由で、あんな事件を起こしたのでしょう」
ジュリウスの耳に舌打ちと、「馬鹿馬鹿しい」という小さな声が聞こえた。
近くに控えていたローズの侍従イワンだ。
会ったばかりの時は、なにかと突っかかってきて、とても攻撃的だった。だがクィンタスが、ジュリウスやローズの肩を持つことが多く、最近は大人しくなっていたのだ。大人しいと言っても、面と向かって暴言を吐かないというだけで、相変わらず態度は悪かった。
今も、ローズには聞こえない大きさで悪態をつくなど、悪意が一杯だ。クィンタスがいるから口に出したことはないが、なぜこんなに不穏な男をローズの側に置いているのだろう。ジュリウスには大きな謎だった。
そこへリックが、バロネスを連れて入ってきた。
「ダウエル男爵家の当主、ジャッドソンの長男ウィンフレッドだった。面通ししたら一発だったよ」
「……ということは、その当主ジャッドソンが、ウィンフレッドの事件の犯人なのですか」
「そうだね。彼は息子を溺愛していると評判だそうだ」
「溺愛?」
◇◇◇◇◇◇
ダウエル男爵家の当主ジャッドソンの父親、ゲイレブは不遇だった。
ゲイレブには婚約者がいたが、ゲイレブの弟ドンと浮気し、乗り換えたのだ。当時貧しかった男爵家は、その婚約者を後ろ盾にすることで、家を切り盛りする予定だった。つまり婚約者と結婚した男が、男爵家を継ぐ。
ゲイレブは浮気され、面子を潰され、継ぐべき家を乗っ取られたのだ。その上、貧しいから弟の世話にならなければならない。失意の底で死んだゲイレブは、自分の息子ジャッドソンに、その話を呪いのように繰り返し、なんとしてでも家を取り返せと教育した。
ジャッドソンは父親に刻み込まれた、その「願い」という名の呪いを、遂行しようと懸命に努力した。家を継げるよう勉学に励み、幼い頃から男爵家当主ドンにおもねり、役に立つよう励んだ。
幸いドンは転がり込んできた当主の座に執着はなく、またドンの息子フリップは放蕩者で、駆け落ちをしてしまったため、ジャッドソンに当主の座が巡ってきたのだ。
ジャッドソンは寝る間も惜しんで、働いた。家を再興し、裕福にした。自分自身が貧しくさみしい家庭で育ったため、妻を愛し、子どもを慈しんだ。なにもない子ども時代だったため、自分の子どもにはなんでも買ってやり、なんでもさせてやった。ジャッドソンがしたくてもできなかったことを、なんでもさせてやったのだ。
ところが息子のウィンフレッドは言ったのだ。
「ドンの息子フリップの、子どものスノウに、跡を継がせたい」と。
ウィンフレッドが言うには、自分には貴族家の跡継ぎなんて向いてない。でもスノウはとても優秀だから、きっと跡継ぎに向いている、と。
これ以上ない裏切りだった。
ジャッドソンが、すべてを捨てて手に入れた家を、よりによってドンの孫に与えるなど。せっかく取り戻した、家の価値がわからないのだ。ジャッドソンのすべてであるこの家を、ウィンフレッドに遺したかった。それをいらないと言ったのだ。ジャッドソンは、こんなにも尽くしたのに。
その話し合いは何度も行われた。だがウィンフレッドは、家を継ぐことを拒否したのだ。ジャッドソンの人生そのものを、否定したも同じだった。
ジャッドソンが物音に気がついて顔を上げると、執務室に使用人が入ってきた。
客人を連れている。二人とも若く、仕立ての良い服を着た青年だった。
「こんにちは。ボウエン伯爵家家門のリック・ダイアーと申します。こちらは、部下のジュリウス・ラムレイ」
「もっと早くにいらっしゃるかと、思っておりました。どうぞおかけ下さい」
ジャッドソンはしばらく待った。すぐに逮捕されるかと思ったが、二人ともなにもしない。
「逮捕はしないんですか?」
「なんの逮捕ですか」
「とぼけないで下さい。私を捕まえにきたのでしょう。どうせ息子がぺらぺらと、しゃべったことでしょう。ウィンフレッドは気弱な根性なしだ。私があいつを一人前にするのに、どれだけ苦労したか」
ジャッドソンはどうせ吸い納めだろうと思い、とっておいた上等の葉巻を取り出した。ハサミで吸い口を切る。
「私がどれだけ苦労したか。あいつにはわからない。私がはいつくばって、仕事を手に入れ、家を手に入れ。それをどんな思いで大きくしたか。血反吐を吐くような思いをしたのに」
葉巻に火をつけると、少し甘い花のような香りが広がった。
「あいつがほしがるものは、なんでも与えてやったのに。私ができなかったことを、なんでもさせてやった。こんなに尽くしてやって、なんの不満があるんだ。私は。私は息子に裏切られたんだ」
気持ちがたかぶったジャッドソンの目に、涙が浮かんだ。
座っていたリックは、ちらりとジュリウスの顔を見た。いつものように怒って、眉根を寄せているのだろうとおもったのだ。ジュリウスの顔は無表情だった。穏やかに座ったままだ。だがその全身から怒りの感情が立ち上っていた。しかし、それだけではなく、哀しみや、憐れみなども見え、胸中は複雑なようだ。
ジュリウスも、上司のリックをちらりと見た。だからリックは、まかせるとばかりに頷いたのだ。
「あなたの息子さんと思われる青年は、なにも話していません」
「…………そんな馬鹿な。一体どうして?」
ジャッドソンは心底、意外だとばかりに目をむいた。そのまま茫然としている。
「父親のくせに、そんな簡単なこともわからないんですか」
「ですが、それなら、どうしてここに、あなた方が」
当たり前のことを聞く、ジャッドソンがむしろ哀れだった。
「捜査をしたからに決まっているでしょう」
ジュリウスが吐き捨てるように言った。
「『どうして』ですか……。息子さんは父親をかばって、口を閉ざしています。そんなのは父親が大切だからに、決まっているではないですか。そんなこともわからないのですか」
「…………」
ジャッドソンはようやく冷静になり、絶句した。
手元から葉巻がほろりと落ちて、机の上を転がる。
先ほどまで自分が世界一不幸だと思い、その世界に浸って酔いしれていたのが、現実に引きずり戻され、頭から水を浴びせかけられたような気分だった。
「あなたは息子が思いどおりにならないと、命の危機にさらすのですね。息子さんはあんなひどい大けがをして死にかけても、父親をかばっているのに。どっちが相手を思っているのでしょう」
「…………」
ジュリウスが、次々に投げかける言葉に衝撃を受け、まるで実際に殴られているように感じるほど、痛みを感じた。そして始めて、目をそらしていたことを、頭に思い浮かべた。病院に入院している息子の容態だ。本心ではずっと心配していたのだ。
「息子になんでもしてやったと息巻いてますが、それは結局、あなたが子ども時代にしたかったことを、押しつけているだけではないですか。息子さんはあなたを思って、従っていたのではないですか」
「ですが……、それなら、どうして、家を継がないなんて」
ジャッドソンはたまらず、一番気にしていることを口に出した。
「そんなもの、聞けば良かったでしょう。ただ一言、『どうして?』と。まあ、私はなんとなく予想できますが」
「お願いです。教えて下さい」
がたんと大きな音を立ててジャッドソンは立ち上がり、自分の机のまわりを回り、ソファに座っているジュリウスの側に、ひざまずいた。
「ウィンフレッド君は優しくて気弱です。本人が言ったとおり、貴族家の跡を継ぐ自信がなかったのでしょう。でも大好きなお父さんが、大事にしている家を守りたかった。だから再従兄弟のスノウ君に、頼んだのではないですか。せめてあなたと血がつながっている人が、後継者になるように」
そんな風に物事を見たことがなかった、ジャッドソンは口もきけなかった。
「あなたはご自分では、素晴らしい父親だと思っているようですが、私から見ると最低な父親です。恥を知れ、と言いたいところです。ですが、あの優しいウィンフレッド君を育てたのなら、……まあ、見込みはあるのでしょう。とにかく一度、病院にいらしてください。やらなければならないことがあるでしょう」
「それは……一体」
もうふらふらで、倒れそうなジャッドソンは、なにも考えずに聞いた。
「ウィンフレッド君に謝罪するのです」
ジャッドソンは、言われないと気づかなかった自分が、あまりに未熟で、羞恥心から消え入りそうだった。
自分はなんと愚かで、恥ずかしい人間なのだろう。
長い間、額に手をやり、同じ姿勢のまま動かなかった。
やがて、その場に膝をつき、床に手をついてジュリウスとリックに頭を下げた。
「この度は大変申し訳ありませんでした。皆様にはご迷惑おかけし、どのような処罰も受ける覚悟です」
ジュリウスは、ジャッドソンの肩を叩いて言った。
「さあ、病院に行きますよ」
ジャッドソンの支度を待つ間、ジュリウスがソファに座っていると、リックがなにか思案している。
「すみません。少し言い過ぎてしまったようです」
リックはほがらかに答えた。
「良かったと思うよ。私がやると、ネチネチと責めて、威圧的に反省させるだけで、根本的な解決にならなかっただろうから」
「ネチネチ」
「それにしても……」
懸念事項を口にしたリックは言いよどんでいる。
「……ウィンフレッド君は、あんな事件を起こそうとした父君を受け入れるかな……」
「それはウィンフレッド君次第ですが……。
今日、ここにくることを伝えたら、ひどくあわてて、明らかに父親を心配していました。何度も、自分が崖に落ちたのは事故だと繰り返して……。だから大丈夫だと思います。それに子どもは、親を嫌いになれないものです」
「というと」
「子どもというのは親からなにをされても、親を求めてしまうものです。よく親の愛は無限と言いますが、実際は子どもの愛情のほうが無限です。いっそ親を嫌いになれたら、どれだけ楽か」
「それ、経験談だよね」
リックはすかさず指摘した。
「はい。そうです。私は……、私が息子だったら、ジャッドソン氏ときちんと冷静に話したいです。許す、許さないは、その上でウィンフレッド君が決めることです。私はどちらを選択しても、彼を応援します」
リックはその話が、一見美談のように聞こえるが、実際の所は呪いのようだと感じた。
「親子なんてそんなものです」
だが達観したように笑ったジュリウスの顔には、自分の両親への愛情が溢れていて、自信に満ちていた。
確かに親子なんて、『そんなもの』なのかもしれない。
そして今日これから、その答えが出るのだ。




