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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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婚約を解消されたジュリウス


 ジュリウスは始業時間ギリギリに、教室に滑り込んだ。


 昨夜は遅くまでリックの指示の元働いていて、忙しかったのだ。空いている席に座ると、斜め前にいたサーヴィアスがこちらを見て、にやにやと笑いかけてきた。無視して教壇に集中するが、気がかりに思うのは避けられなかった。


 ジュリウスは噂や、世間体をあまり気にしない。だから自分がこうしたいと思ったら、行動に移すし、人になにを言われても気にしなかった。他人はそれを自己が確立していると褒めるが、ジュリウスは不器用なだけだと思っている。だからジュリウスが上役に贔屓されているのを、サーヴィアスが嫉妬の目で見て来ても、気にしなかったが、最近のサーヴィアスの態度は、度が過ぎているように思えた。


 ジュリウスの祖父ゲイアスが、ボウエン伯爵家に重用されているのも、ジュリウスが最近、リックに取り立てられているのも、どちらもサーヴィアスにとっては、おもしろくないできごとだった。


 サーヴィアスのコーネリアス子爵家は、ジュリウスのラムレイ男爵家に比べれば、ボウエン伯爵家内での地位は高いが、家門の中では特に高い方ではない。おまけにサーヴィアスは三男だから、いずれ家を出る身だ。


 条件の違う、サーヴィアスとジュリウスを比べること自体が、間違っているのだが、サーヴィアスはつねに自分より下の人間がいないと安心できない性質で、最初に思い込んでしまったのだ。地位も低く、婿に出なければならないジュリウスは、自分より下だと。それが覆ったとサーヴィアスが感じた時の怒りは、凄まじかった。


 今のジュリウスは、ボウエン伯爵家に取り立てられ、伝統あるラッセル伯爵家の婿養子に予定されている。サーヴィアスからは殺意がにじみ出るほどだった。


 だがここ最近、妙ににやついた顔で見てくるようになっていた。ジュリウスはここの所仕事が忙しく、あまり真面目に学院に通えてなかった。だから、その妙な気がかりを放置していたのだ。


 それにはもっと優先する事柄が、あったからだ。

 そのラッセル伯爵令嬢のルシアと、会えていないのだ。泊まり込みの任務などもあり、確かに月に一度の面会を休むことはあるが、その場合は日にちをすらして、面会を取り付け直していた。だが上手く予定が合わず、結果として三ヶ月も面会が途絶えているのだ。


 ジュリウスは婚約者と会うのは、仕事だと思っている。だから仕事が上手く行かないこの状態が、落ち着かなかった。別に封書をしたためたり、贈り物をしたりしているが、なにか胸騒ぎがしたのだ。そのため今日は、ラッセル伯爵に直接、予定を取り付けていた。




 ラッセル伯爵邸は、中ぶりの本邸に、こぢんまりした別邸が並んで立つ作りだった。周囲に大きな堀があり、時代と伝統を感じさせる。


 玄関でブラック号を預けると、招かれるまま中に入った。そしていつもちょっと、お茶目なラッセル伯爵が、深刻な顔をして出迎えてくれたのを見て、ジュリウスは、なにかはわからないが、なにかが終わったのだという印象を持った。


「大変申し訳ないが、婚約の話はなかったことにして欲しい」

「理由を伺ってもよろしいでしょうか」


 最も格式の高い応接間に、通されたジュリウスは、ラッセル伯爵の疲れた顔を見ながら聞いた。


「私も昨日知ったのだが、娘のルシアが、君の同級生のサーヴィアス君、コーネリアス子爵家の三男だそうだが、その青年と付き合っているそうなんだ」


 ジュリウスはなにも言わず、伯爵の次の言葉を辛抱強く待った。伯爵はできれば言わないでおこうと思ったことを、沈黙に耐えられず口に出した。


「その、もう引き返せない所まで、いってしまったと」


 伯爵は胸のつかえがとれ、どこかほっとしたような顔をしていた。とんでもない話だったため、ジュリウスはあまり現実味がなく冷静なままだった。だからこう言った。


「私がそれを、ルシア嬢の件を受け入れれば、この婚約はどうなりますか」


 伯爵は落ち込んだように言った。


「私も同じことを娘に言った。ジュリウス君が許してくれれば婚約を続けられると。もちろん婚約の条件には大幅に色をつける。だが娘はどこかから君の悪い噂を聞いていて、それを信じ込んでいるんだ。だから君とは解消したいと」


 どこかとはサーヴィアスからに違いない。ジュリウスは伯爵に、サーヴィアスのことを説明した。伯爵は頭を抱えてしまった。


「とりあえず、ルシア嬢にサーヴィアスについて伝えて下さい。私はこの話を、祖父に、あ、いえ、父に伝えますので」


 つい習慣で祖父の顔が浮かんでしまった。やはり内心では動揺しているのだろう。翌日も会う約束を取り付け、ジュリウスはブラック号に乗って、帰路に就いた。そして気がつくと、ブラック号が耳を規則的に動かしながら、頭を振っているのを、馬上でぼんやりとただ眺めていた。自宅の近くの路上で馬に乗ったまま、意識が飛んでいたのだ。


「すまない。ブラック号」


 ジュリウスが足に力をいれると、待っていましたとばかりにブラック号が歩き出した。時々、大丈夫?と心配げに、こちらを見る。自分では平気だと思っていたが、やはりショックを受けているようだった。



 ◇◇◇◇◇◇



「なんだ、その話は。お前、自分で言っていて情けなくないのか」


 無神経な父親は、そのものずばり、ジュリウスが気にしていたことを、指摘した。


「……お父様」

「お前なあ。いい年をして言葉を選べ」


 妹のシェリーと祖父のゲイアスは同時に、父親のオルダスを糾弾した。オルダスは武術に生きている男で、仕事のほとんどを、自分の父親のゲイアスか、息子のジュリウスに任せている。腕はおそろしく立つが、無神経が服を着ているような男だった。


「要するに嫉妬男に女を寝取られたって話だろう。くだらない。そんな女、こっちからくれてやれ。願い下げだろう」


「……ですが、ラッセル伯爵家との縁組みは、我がラムレイ男爵家に多大な利益をもたらします。ですから」


 ジュリウスは冷静なつもりで道理を説いた。


「くだらない」

「おい、オルダス」


 ゲイアスが、一喝したオルダスをなだめた。


「おい、ジュリウス。お前、裏切り者と家庭を築けるのか?」

「……………………いいえ」


 オルダスに本当のことを言われ、抵抗していたジュリウスも、しぶしぶと現実を受け入れたのだ。


「よし、それなら明日は派手に婚約解消と行くか。さっさと手を切ってさっぱりしようぜ」

「オルダス。引っ込むんだ。私が行くから」


 ゲイアスがあわててオルダスを押さえた。


「たまには父親らしく……」

「しなくていい。そうだ、あれだぞ。解消には書類手続きがつきものだぞ」



 翌日、ゲイアスとジュリウスは、ラムレイ男爵家としてラッセル伯爵家を訪れた。


 伯爵の話によると、サーヴィアスについての説明をルシアにしたところ、理解はしたが、サーヴィアスに入れ込んでいて、信じたいという気持ちが強いのだそうだ。


 サーヴィアスと手を切らせるのなら、家を出ると言いだしていて、お手上げの状態らしい。貴族令嬢がどうやって家を出るのかも謎だし、そのことをルシアが具体的に考えているのかも謎だが、今まで従順だった娘の反抗に、伯爵は途方に暮れていた。このままでは娘をサーヴィアスと結婚させるしかないのだ。


 伯爵にとっても苦渋の決断ではあったが、解消の話は進んだ。

 第一に溺愛している娘のルシアが、サーヴィアスを信じ込んでしまい、添い遂げると言い張っていること。

 第二に、サーヴィアスは、ジュリウスと同じ、ボウエン伯爵家門下であり、婿の首をすげ替えるのは容易に思えたからだ。



 賠償金は契約条項に盛り込まれていたものの、五割増しとなっており、伯爵家の誠意は感じられた。ジュリウスはこれで家計が一息つけると、ぼんやりと考えていた。


 そしてあまりなにも考えずに、登校したのだ。


 だってジュリウスは、人の噂や世間体をあまり気にしない人間だったから。



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスは登校してすぐに、世の中への認識が間違っていたと気がついた。


 教室に入ると、いつも目立たないジュリウスを、今日は教室中の人が振り向いて注目した。サーヴィアスは嬉しくてたまらないとばかりに、笑いが止まらず、サーヴィアスと親しい友人たちも残酷な笑みを浮かべていた。


 だが正直それらの攻撃的な感情は、ジュリウスになにも影響を与えなかった。


 ところが大勢の人が向ける、哀れみのこもった、腫れ物に触るような視線は、堪えたのだ。ジュリウスは別に昨日と変わりない。婚約の話も終わったことだ。だが人々の視線はそうは言ってなかった。


 自分自身の価値が、世の中大勢の人に塗り替えられてしまうという経験を、初めてしたジュリウスは、世間体というものを気にする人々の気持ちが、ようやくわかったのだ。自分が自分のことをどう思っていようと、世の中では哀れな男という烙印を押されるのが、ここまできついものだとは思わなかった。


「ジュリウス君。急で済まないが人手が足りなくて、二三日頼めないか」


 リックが教室にやってきてそう頼んできた時、ジュリウスは天の助けとばかりに飛びついたのだ。だがその内容がどう考えても、急ぎのものではないことに気がついた時、リックにも気を遣われていることに思い至ったのだ。



 みじめだった。



 不思議なことに、ジュリウスは自分のことを、みじめだと思っていないのに、『みんな』がみじめだと思うと、みじめだということになってしまうのだ。



 自宅に戻り、寝台で横たわっていると空しかった。

 それが三日続いたジュリウスは、このままでは良くないと、ブラック号で遠乗りに出かけたのだ。生憎の雨で天気が悪かったが、気温はそれほど低くないし、雨も小雨で、ブラック号はそれほどご機嫌を損ねなかった。


 出立前に、ラッセル伯爵家から最後の機会とばかりに、もらってきた貴重な角砂糖をあげると、喜びすぎてしまい何度もジュリウスのポケットに鼻を突っ込もうとし、「もうないよ」と両手を上げると、ジュリウスの鼻をべろべろなめたのだ。だからその日のブラック号は張り切っていた。


 だが郊外に出ようとして、後をつけられているのに気がついたのだ。

 ジュリウスには心当たりがなかった。一つあるとすれば、リックに仕えているという点だが、機密に関わるような大きな仕事はしていないはずだ。たまたま同じ方向ということも考えられるので、郊外から街道に出る道を進んだ。相手は旅支度をしているようにも見えなかったので、その姿で街道に出るとは思えなかった。


 しかしそれでも後をついてこられたジュリウスは、馬を回し、剣の鯉口に手をかけたのだ。後から考えればそんなに過敏になる必要はなかったのに、やはり疲れていたのだろう。相手は弱り切った顔で馬上にいたが、小雨の中さっと鷹が舞い降りてきたのだ。


「こんな雨の中……」


 鷹便で送られた通信文を読んだ男は、安堵した顔で白い布を掲げて、ジュリウスの元へやって来た。


「あんた、ジュリウス坊ちゃんだろ? 俺はバロネス。ボウエン伯爵家のものだ」


「ボウエン伯爵家の?」


「正確には臣下のダイアー伯爵家の者で、リック坊ちゃまの下で働いている。あんたの様子が変だったから、見張っててくれって頼まれてて。それなのにこんな天気の中、いきなり外出するし、街道に向かっているから、どこかに出奔するのかと焦ったよ」


 ジュリウスは首まで真っ赤になった。つまりはまわりに心配をかけていたのだ。それにも気がつかず、のんきに悪天候の日に遠乗りなんかに出て、申し訳ない気持ちで一杯だった。


「さっき話しかけてもいいって許可が鷹便で出たから。ぎりぎり間に合ったよ。もう少し雨が降っていたら、使えない手段だった」


「それはどうも。しかし迷惑をかけて言うのもなんだが、さすがに出奔するなら、リック殿に挨拶してから行くよ」


「なんだ結構、元気じゃないか。リック坊ちゃまが心配するほどのことはないのか」


「ああ、まあ。堪えてはいるがね。すまなかった」


「いやいや、お前さんが悪いわけじゃないし」


 バロネスが王都の方へ馬を回し、ジュリウスもそれに従った。バロネスは愛用の鷹の水しぶきを丁寧にふいてやり、懐に入れてやった。さきほどまでのきりりとした佇まいを捨てて、鷹はべったりと甘えている。


 バロネスはおしゃべりな性質らしく、一人で話し出した。


「それにしても、そのサーヴィアスという小僧、大変なことをやりやがって、これからどうするんでしょうねえ」


「どうもこうも、ルシア嬢と結婚するだろう。ラッセル伯爵家への婿入りなんて素晴らしいことだ」


 バロネスは鼻で笑った。


「そんなわけないじゃありませんか。結婚したらそれこそ地獄ですよ」


「……というと?」


「だってそのサーヴィアスは、婿になるほどの能力がないから、ラッセル伯爵家に選ばれなかったんでしょう。そこを恋愛結婚とやらで潜り込んだって、突然優秀になるわけじゃない。つまりルシア嬢と結婚できても、当主にはなれないんですよ。一生」


 バロネスは冷笑という言葉にぴったりの笑みを浮かべていた。


「それとジュリウス坊ちゃまも聞いていたと思いますが、ボウエン伯爵閣下が結婚祝いを用意していたんです。ラッセル伯爵家との結婚で、お互いの門下との事業提携をしようと。それ、白紙になりました」


 ひゅっとジュリウスの喉が鳴った。まさかそんな大きな話になっていると、思わなかったのだ。ボウエン伯爵門下と、ラッセル伯爵門下との事業提携は、国の事業レベルの話だ。それをたかが婿養子の首がすげ代わったくらいで、中止になることなどあるだろうか。なぜならどちらもボウエン伯爵門下の子息なのだ。


「解せないって顔ですね。ボウエン伯爵閣下の、ラムレイ男爵家への信頼は厚い。事業提携は、ラッセル伯爵家の婿養子が、ジュリウス殿だから、成立したんです。そこんとこをね、サーヴィアスもですが、ラッセル伯爵もよくわかっていなかったみたいですね。白紙に戻って茫然としていたそうですよ」


 雨が小雨から霧にかわり、歩きやすくなったが、日が低くなり気温は下がってきた。


「つまりサーヴィアスは、意気揚々とラッセル伯爵家に乗り込んで、その結果、門下全体を左右するような大きな契約を潰して、一人娘を使い物にならなくして、挙げ句に当主になれる能力をもっていないから、その危機を自分で乗り切ることもできないんです。誰かにやってもらわないと。これが地獄でなくしてなんなんでしょうね」


 バロネスの鷹は懐に入れてもらった後、まるで赤ん坊のように満足そうにしていた。それをあやすようにぽんぽんと、バロネスはたたいた。


「まあ、俺の予想では、おそらくサーヴィアスとルシア嬢は、結婚させるでしょうが、家の経営には一切関わらせないでしょう。跡継ぎは現伯爵の弟一家になるでしょう。なんせ事業提携をつぶした責任を、誰かが取らなきゃいけない。つまりは現伯爵がね」


「それは……、確かに地獄だな」


 バロネスはちらりとジュリウスを見た。


「それでこの地獄には続きがあるんですよ」


「まだあるのか?」


 ぎょっとしてジュリウスは、だんだん気持ちが悪くなってきた。


「いやいや、ホント、ゲイアス殿といい、ジュリウス殿といい、自覚がないですよね。ゲイアス殿は、現当主からも大殿からも気に入られています。ジュリウス殿は当主や側近たちに気に入られています。そんな家の縁談と、大がかりな事業提携を壊した家はどうなるでしょうね」


 ジュリウスは自分のことで落ち込んでいたものの、さすがにそう言われて、サーヴィアスのコーネリアス子爵家が心配になった。自分に出来ることがないとわかっているが、どうにかできないものかと考えてしまうのをやめられなかった。バロネスはそんなジュリウスを観察しながら、満足そうに頷いていた。


「時間をつぶしたいなら、リック坊ちゃまのところに顔を出しませんか。暇だって言ったら、山ほど仕事もらえますよ」


 ジュリウスはしばらくなにも考えたくなかった。だからその提案に乗ることにした。


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