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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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たった一人の跡継ぎ(後編)


「だがお前には、血筋のよい子を生んで貰わねば困る」


「どういう意味ですか」


「『王位』継承権を持つ女性との間に子どもを作ってもらう。お前の信用は地に落ちてる。生まれる子どもの後ろ盾となれる、女性を幾人か用意する」


「……いくにんか?」


 そして最初に、摂政ヴァレルの長女、ジャクリーン()()がやってきたのだ。


 暖炉に火が燃えさかる、カーテンがひかれた大きな寝台が置かれた部屋で、疲れ切ったタイロンはジュリウスと待機していた。


 部屋には、伯爵や、宰相、摂政や司教、書記、侍従侍女などが待機し、初夜の儀にかかわる書類のチェックを行っていた。嫌な儀式だ。


 ジャクリーンは軽蔑しきった目でタイロンを見た。


「よくも人間のような顔ができたものね。この能なしの獣が」


 年上の幼なじみ、ジャクリーンにそう言われたのは堪えた。


 ジャクリーンは夫と睦まじく、今回の話は『王命』でなければ成立しなかっただろう。ジャクリーンは従者に言った。


「あのけだものを殴りなさい」


 従者がさっと前に出た。タイロンは恐怖でびくりと震えた。その時、横に立っていた侍従のジュリウスがかばうように前に立ったのだ。


「どきなさい。伯爵閣下には許可をもらっていてよ」


「そうだとされても、従者が王子を殴ったとすると、後で問題になるかも知れません。私が殴りましょう」


「確かにそうね。ではお前がやりなさい」


 ジュリウスは多少、手加減して、タイロンを殴った。その後、タイロンは薬を飲まされ、最初の仕事を終えたのだ。




 父親と、ジュリウスに、初夜の儀について説明を受けたタイロンは、最初は拒否した。

 溺愛しているベルを、裏切りたくなかったからだ。


 だが自分の立場も、ベルの立場も危ういことも、わかってきていた。継承権を持つ女性との間に子どもを作らない限り、タイロンは唯一の王子という立場から、逃れることはできないのだ。


 そして、ベルとの間に子どもができた場合のことを考えた。タイロンとの間の子だと認められず、誰にもその存在を知られない子ども。それだけでも不幸だ。だが制度的なことはともかく、今の状態では、子どもが生まれても、乳母も、おくるみも、肌着すら用意することができないのだ。


 タイロンはベルに正直に話し言った。


「子どもは諦めて欲しい」と。


 ベルは、少し目を見開いた後、いつもの微笑みを浮かべた。


「わかっていたから、大丈夫」と。


 そして台所の片付けを始めた。

 お湯を沸かす準備をしているベルを見た後、タイロンは寝室に引っ込み、一人で落ち込んでいた。唯一の王子だからなにをしてもいいと、自分で自分の価値を暴落させた結果を、目の当たりにして。


 気がつくとベルが洗濯をする音が聞こえ、いつもの歌が聞こえてきた。洗濯をする時に故郷の歌を歌うのだ。その歌声に、タイロンは心を慰められ、耳を傾けていた。


 だから気がつくのが遅れたのだ。こんな遅い時間帯に、洗濯などするはずもないことを。あわてて、だがこっそりベルをのぞくと泣いていた。


 ベルは笑顔を浮かべながら、傾く日の光を浴びて、洗い桶の上で、規則正しい足踏みをしていた。そして歌を歌っていた。


 だがその目からは大粒の涙が、ぼとり、ぼとりと垂れ落ち、ベルの襟を、胸元を濡らし、タイロンから見てもわかるほどの、大きな粒が、足元に落ちていったのだ。ベルの胸元はいまや、ぐっしょりと濡れていた。


 タイロンは、見ないふりをして寝室に戻った。保身を図ったのではない。タイロンがみじめな姿を見られたくないように、ベルも見られたくないのではと思ったのだ。


 タイロンは、ベルのその姿が脳裏に焼き付き、長い間考え、一つの答えを導き出した。

 自分のせいでたいへんな思いをしているベルと、離婚してあげようと。


 だから、侍従のジュリウスに言って、父親の伯爵、駄目なら伯爵夫人に面会したいと願い出たのだ。何週間待たされても構わないからと。今の自分の立場なら、面会は叶わないかもしれないと思った。だが願い出ようと。


 驚くことに、ジュリウスは願い出に行って、その足で戻ってきた。今すぐ会っても良いと。


 伯爵夫人は、忙しなく物を食べながら、侍女たちと打ち合わせをしている最中で、夫人の部屋は、人でごった返していた。時間がなく行儀悪く立って食べている侍女もいて、落ち着きがない。夫人はすぐ隣にタイロンを座らせた。


「それで。どうしたのだ」


 あの騒動以来、タイロンと夫人の間には距離ができていた。以前は、過保護で、真綿でくるむようなところがあったが、今は、厳しい上司のようだった。


「ベルと、離婚したいと思っております」


「それはまた急だな。なぜだ」


「私がベルを妻に選んだのは、たった一人の最愛とするためでした。ですが、他の女性たちとの間に子どもを作らねばならず、それでいてベルとの間にできた子は、今のままでは認知できません。こんな裏切り行為をする夫など、いないほうがましです。ベルを……解放してやりたいのです」


 夫人はタイロンを鼻で笑った。


「解放だと。お主は女はか弱いものだと、まだ思っておるのだな。結婚までしたのに」


「というと」


「女は男が思っている以上にしたたかだ。別に悪い意味で言っているのではない。それより、その、『か弱い女を守ってやる強い男』という眼鏡は、いい加減に捨てろ。お前たちは結婚したのだろう。夫婦のことは夫婦で話合え。最初に、自分の母親に相談するような情けない男なぞ、わらわだったらごめんだ。お主は健気な妻のために、決死の覚悟をしたとでも思っているのかもしれんが、やっていることは親から自立できない恥知らずではないか」


 極度に辛辣な物言いをされて、タイロンは言葉を失った。だが目の前の伯爵夫人は、そう突き放した感じでもない。どちらかというと、長年、妻という名の先達をしている立場から、夫婦について教えをたれているようだ。


「妻とよく話合え。わかったか」


「はい」


 タイロンは殴られたような衝撃を抱えて、ベルの元へ戻った。そして自分たちの置かれた状況について、詳しく説明したのだ。ベルは強い姿勢で言った。


「離婚はしない。あなたを愛しているから」

「でも、子どもを諦めないといけないんだ」


「子どもも諦めない。あなたとの子よ」

「だが子どもを生んでも、温かい家庭を持てない」


「温かい家庭も諦めない。あなたと築くの」

「だが、どうやって? 我々にはなにもない」


「時間があるわ」


 タイロンの瞳をのぞきこむベルの目は、とても力強かった。肉体労働をするようになって、筋肉の付いた手で、タイロンの手を握りしめた。


「あなたはこの先、他の女性と何人も子どもを作るわ。でもそれって、百人とか二百人も必要なわけじゃない。せいぜい五人とか、十人でしょう。そのために拘束されるのって、十年くらいかしら。もっと短いかも。つまり私たちが十年後の二十八歳になる頃には、解放されているのよ。その時、城の中には、あなたより重要な王子たち、王女たちがたくさんいる。あなたはもう政治的に必要じゃない。だからその時には、子どもがいる温かい家庭を作れるはずだわ」


 ベルは少し狂気じみた光を瞳に浮かべて、まくし立てた。


『必要ない』という言葉は、普通なら否定的な意味を持つだろう。だがタイロンとベルには、救いの言葉だった。タイロンはベルの提案で、この地獄のような時間にも、いつか終わりが来るのだと、安堵したのだ。



◇◇◇◇◇◇



 二人目の初夜の儀の相手は、宰相ラスキンの娘リリーだった。


 流されるままだったタイロンはこの時、初めて物事を真剣に考え、どうしたらこの狂った世界を抜け出せるのかを考えた。


 リリーは父方の祖父、つまり前伯爵の係累で、現在十三歳だ。幼いときから相思相愛の恋人がいて、二人があまりにも仲が良いため、身分差を超えて結婚する予定だった。


 タイロンの五歳年下で、身近に自分より年下の子どもが、あまりいなかったタイロンは、リリーを本当の妹のように可愛がっていた。リリーのほうも懐いていて、難しい立場だったタイロンには、癒やしだったのだ。


 だが儀式のために、抵抗しないように縛られたリリーを、父親の宰相ラスキンは、寝台に乱暴に転がした。リリーは泣き叫び、これ以上ない恐怖の顔でタイロンを見ている。


 タイロンは父親に言われるまま、従ってきたが、これ以上は絶対に進めないと思った。なにより、リリーに化け物のように見られるのが、一番堪えたのだ。


「や、やめないか。もう、こんなことは」


「早くして下さい。早く終わらせましょう」


 ラスキンは投げやりに言った。


「こんなことは良くない。そうだ。良くないと思わないか」


 誰もタイロンの言葉を聞かなかった。部屋にいる大勢の者たちが、みな事が終わるのを待っている。タイロンは、唯一の王子である『義務』を求められているのだ。


「こんなことは、非人道的だ」


「あなたが始めたことでしょう。あなたが大人しくセオドリーアと結婚していれば、こんな無茶苦茶な事態にはならなかった」


「……そうかもしれない。その、私が、悪かった」


 タイロンは汗びっしょりだった。自分は唯一の王子だから、なにをしても自由だと勘違いし、その通りに振る舞った。その結果、もっとひどい事態に陥ったのだ。義務を放棄した結果、どれだけまわりに被害が及ぶかなど、考えもしなかった。


「済まなかった。私は周囲のお膳立てを無にし、セオドリーアの努力を、大勢の前であざ笑い踏みにじった。こうなると思わなかったんだ。ベルとの結婚を無理押しし、その結果、継承権を持つ女性たちの貞操を脅かしている」


 この事態を引き起こす前なら、セオドリーアを無理矢理引きずり戻して、結婚すれば、なんとか事は収まったろう。


 だが大勢の前で、タイロンは自分の価値を、暴落させてしまった。


 タイロンは今や、血筋が良いだけの、なんの後ろ盾にもならない男に、成り下がったのだ。そのため伯爵は、継承権を持ち、後ろ盾となり得る背景を持つ女性を選んだ。そんな女性がたくさんいるわけもない。すでに未婚既婚の区別すら、する余裕がないのだ。


 ジャクリーン夫人は、現在城に作られた仮の後宮に入っている。彼女の幼い子どもたちは面会できるが、最愛の夫とは、タイロンの子の出産が終わるまで会えないのだ。


 タイロンは誰も話を聞いていない中、必死に続けた。もうタイロン自身も、なにを言っているのかわからない。なにをしたいのかも、わからない。だが絶対に、流されてはいけないと思ったのだ。

 とにかく話を引き延ばし、なにかが起こるのを待った。……なにかとはなんだろう。


 喉がカラカラで何度も咳をした。舌が口内でくっつき、机の上にあった誰かのコップから、勝手に水を飲んだ。


 部屋の中にはリリーの泣き叫ぶ声と、父親の宰相ラスキンの舌打ち、護衛の騎士たちが姿勢を変える度に、腰の武器が金属的な音を響かせた。司教は疲れたのか座って待ち、摂政ヴァレルは大きな暖炉の側に立って、時折、窓の外を見ている。


 タイロンの懇願は、二時間近く続いた。誰にも遮られなかったのは、誰だって、こんな嫌な儀式をしたくなかったからだ。タイロンはすでに神に祈る気持ちで、まわりに情けを乞うていた。



 その時、摂政ヴァレルがゆっくりと、窓に近づいた。


 こんな夜中にたいまつを掲げた伝令が、馬を飛ばして走ってきていた。城の跳ね橋を渡り、馬の足音を響かせ、中庭に入ってきたのだ。伯爵家の城は大きいが、夜中の振動と音は伝わるものだ。


 伝令は息を乱しながら、最初に、摂政と宰相のいる、初夜の儀の間までやってきた。そして大声で告げた。


「王弟アライスター殿下の妃、イライザ様が、ご懐妊です」


 一瞬、部屋の中が静まりかえった後、歓声が沸き起こった。へとへとの伝令は、部屋の隅にある水差しから、直接喉を潤している。


「じゃあ、もうこれはいいな」


 宰相のラスキンは、乱暴に娘のリリーの縄をほどいてゆく。


 セネット伯爵家という王国に、国王の甥か姪という、これ以上ない、新しい世継ぎが誕生したのだ。

 無理にタイロンの子どもが必要なくなり、そうなればリリーのような年若い者に、無体を働く理由もない。


 伝令は伯爵夫妻に伝えるために、飛び出していき、部屋にいた人々が、解放されたように出て行った。


 ラスキンは茫然としているリリーを、大切に抱え上げると、摂政のヴァレルに向き直った。


「いいか、もう二度と俺はこんな茶番には付き合わない。今度やったら、お前ぶん殴って、この国出るからな」


 ラスキンは殺意をこめて、ヴァレルをにらむと出て行った。


 残されたタイロンは、遠くにあって飲めなかった水差しを抱え込み、浴びるように飲んでいた。ようやく一息ついた所で、やっと頭が働き出したのだ。


 そして今の、宰相ラスキンと、摂政ヴァレルのやりとりを、疲れ切った頭で考えていた。ぼんやりしていたせいか、かえって頭が働いた。


 タイロンが顔を上げると摂政のヴァレルが、じっとこちらを見ていた。


 部屋は儀式のために薄暗くなっており、ヴァレルのいる暖炉のまわりだけが明るくなっていた。暖炉に下から照らされているヴァレルは、あごに立派な髭があるのも相まって、不気味な顔に見えた。真っ黒なローブを着ており、顔だけが暗闇に照らされる様は、まるで恐ろしい人形のようだった。


「わたしは……」


 部屋のどこかから話し声が聞こえたと思い、ぎょっとすると、目の前のヴァレルからだった。


「わたしはたった一人の愚か者が、なにかをしたからといって、国が滅ぶとは思いません」


 突然話し始めた内容は意味不明だった。だが、タイロンに向かって話しかけている以上、ヴァレルには言いたいことがあるのだろう。


「なぜなら、一人が愚か者だとしても、残りの九十九人が、努力すればいいだけだからです」


 ヴァレルはぼそぼそと話し続けた。


「愚か者のせいで国が滅ぶなら、それは残りの九十九人も怠慢だからです」


 そう言い終わると、ヴァレルは足音も立てずに、部屋から出て行った。

 王弟の子という予想以上の釣果に、満足して。


 部屋はそれまでの賑やかさが消え、暖炉が燃えているのに、急に寒くなったように感じた。立ち尽くしていたタイロンに、最後まで従っていた、ジュリウスが優しく声をかけてきた。


「がんばりましたね」


 ジュリウスに助けられてタイロンは部屋から出ると、ベルの待つ別邸に帰った。




 その後、三ヶ月の間に、つぎつぎとご懐妊ラッシュが起こった。


 タイロンのおかれた状況は、公にされてきた。

 子どもを作るためだけの王子。

 無体を強いられる女性たち。

 多くの者たちが心を痛めたのだ。


 そして子どもが生まれないから、仕方がないと諦めていた、継承権のある夫婦たちは、もう一度努力した。必要な人数は生まれたからと、そう思っていた夫婦もだ。


 それが一組だけなら、難しかったろう。だが何十組もいるのだ。


 セネット伯爵夫妻は、どちらに転んでも良いように、圧力をかけて回った。その結果、望み以上の結果を引き出したのだ。


 セネット伯爵家は、その後に、続く出産ラッシュを迎えた。

 タイロンは五年で解放され、ベルと温かい家庭を築くことができたのだ。


 結果的にタイロンの血を引く子どもは、ベル以外には、ジャクリーン夫人との間に生まれた、チャールストンだけになった。

 チャールストンは、腹違いの三人の義兄と、母親ジャクリーンと、その夫であるゲイド伯爵に可愛がられ、活発で明るい子どもに育った。


 摂政ヴァレルはこの騒動を利用して、血統の良いサラブレッドの外祖父になったのだ。


 チャールストンは最終的にセネット伯爵家を継ぎ、ジャクリーンとその夫ゲイド伯爵を後ろ盾に家を再興した。


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