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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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たった一人の跡継ぎ(前編)

(食べ物に虫がわく描写があります)


 ジュリウスは、自分が通っている王立学院に、部下のマックスが潜入しているのには、すぐに気がついた。


 マックスは、ジュリウスの下につけられているが、実際は様々な任務に当たっている。年齢は三歳年下の十四歳で、話しぶりから上流階級ではあるものの、貴族ではない。おそらく主君、ボウエン伯爵家に、なんらかのつながりがあるのだろう。


 学院は貴族子弟のための学び舎だが、現実問題、貴族子弟はそんなに数いるわけではないので、三分の二ぐらいが平民だ。


 平民は入学にあたり、きっちりとした規則に従っているが、貴族はそうではない。何歳で入学してもいいし、卒業に厳しい規定があるわけでもない。平民は十六歳からしか入学できない学院に、十四歳のマックスが出入りしているのを見て、なにかの任務だろうと、すぐに思ったのだ。


 マックスはセネット伯爵家の一人息子タイロンと、その愛人マッキー男爵家のベルに、ついて回っていた。タイロンの小姓をしているようだ。


 タイロンは有名なセネット伯爵家の跡継ぎ息子だ。セネット伯爵家は、現在の王朝より前からある、とても古い貴族家の一つだ。その領地は広く、国が現在のまとまりある体制を形作る前は、セネット伯爵家そのものが一つの国を成していた。


 つまりはタイロンは、セネット国の唯一人の王子なのだ。


 現在は伯爵令息を名乗っているが、領地に帰れば王子として扱われる。当然、学院でも彼は特別扱いを受けていた。


 セネット伯爵家は今、とても大きな危機を迎えていた。

 跡継ぎが彼一人しかいないという。


 国王……いや、セネット伯爵とその妻との間に、どういうわけか、タイロン一人しか生まれなかったのだ。しかしその問題は、当初そこまで深刻に捉えられなかった。なぜなら、セネット伯爵は四人兄弟だったのだ。全員結婚しており、いずれは従兄弟たちが生まれ、タイロンを補佐してくれるだろうと思われていた。


 ところが、セネット伯爵の弟夫婦に子どもが生まれなかったのだ。


 弟のアライスターは、妻のイライザを溺愛しており、仲睦まじかった。それにもかかわらず、子どもが生まれない。アライスターは最初、問題が長期化するとは思わず、子どもが出来なくても、イライザを愛し抜くという、見当外れの宣言をした。


 問題を放置し、なんら対策を取らなかったのだ。そしてそのまま、年を取ってしまったのである。


 セネット伯爵には、あと二人妹がいたが、それぞれ有力な貴族家に嫁いでいる。しかし生まれたのは女子ばかりで、まれに男が生まれても、それはその貴族家の跡継ぎとして必要だった。


 だからセネット伯爵家という『王朝』に、生まれた王子がタイロンだけになってしまったのだ。


 そこで人々は問題を、次世代に先送りしようと考えた。多産で有名な、ボロウ伯爵家の令嬢セオドリーアを、婚約者の座に据えたのだ。周囲はセオドリーアに一身に期待をかけた。幼い頃から、王子タイロンの将来の妻として、礼儀作法や芸術、法律、語学などを、一流の教授に学ばせた。


 そのためか、セオドリーアはいつも暗く、笑わない少女に育った。そのことがタイロンはとても不満で、あれこれ文句を言ったのだ。しかしこれしか対策はないのだから、仕方がなかった。


 そんなタイロンは、進学で王都に来て、学院でマッキー男爵家のベルという、美しい少女に出会ったのだ。ベルは王都で育った、華やかな女性で、明るく感情表現がはっきりとし、物怖じしないところがあった。故郷ではまず見ないタイプで、タイロンはたちまち夢中になったのだ。


 タイロンはすっかりベルにのめり込み、つねに側に置くようになり、『恋人』として扱った。

 ベルも、おとぎ話から抜け出てきたような、麗しいタイロンに夢中になった。


 その間、婚約者のセオドリーアは放っておかれた。セオドリーアを慰めてくれるのは、幼なじみのイーライアスだけだったのだ。




 ジュリウスは仕事をしていると、マックスが定時連絡でやってきた。


「明日、学院のカフェテリアで、タイロン殿が婚約破棄を宣言します」

「…………正気の沙汰とも思えないが」


「婚約者のセオドリーア嬢との婚約を破棄し、愛人の……恋人のマッキー男爵家のベル嬢と、結婚するそうです」

「大幅に妥協して、それはいいとしてもだ。なぜ学院で、それも大勢の前でする必要があるんだ」


「いくらタイロン殿は唯一の王子とはいえ、婚約破棄は難しいです。人前で宣言して証人を作りたいのでしょう」

「…………それで、どうして私に連絡するんだ」


「あれ、聞いてないんですか。タイロン殿が、ベル嬢と結婚するために領地に戻ったら、そこでの潜入捜査は、ジュリウス殿がするんです」

「聞いてない。聞いてない」


 遅れて、部屋にリックが入ってきた。


「というわけで潜入捜査だ。頼む」


「その、潜入捜査の目的は……」


「セネット伯爵家の後継者問題は、国も注目していてね。一歩間違うと、セネット国が崩壊するわけだ。だから、誰かが潜入しないといけないんだけど。タイロン殿がまたちょっと、常識が通じない所があるからね。みんな嫌がっちゃって、王子殿下たちがくじ引きで決めたんだ」


「くじ引き」


「そしたら第一王子殿下が外れくじを引いてしまって。あの方、くじ運が悪いんだよね。そこで第一王子派閥の我々が行くことになった」


 ジュリウスは、いろいろな意味で嫌な任務だと感じた。


「先方にはボウエン伯爵家派閥の、ラムレイ男爵家ジュリウスが、潜入捜査に行くと伝えてあるから」


「それは潜入捜査なのですか。名前まで明かして」


「セネット伯爵家は、今でも一つの国家みたいなものだからね。隠しても意味ないよ」




 複雑な胸中で、翌日を迎えたジュリウスだった。

 タイロンは、大勢の人の前で婚約破棄を宣言した。


「お前のような暗くて、しめっぽい女など、ずっと嫌だったんだ。私には、明るくて、はきはきとしたベルのような女性が相応しい。婚約は破棄する。セオドリーア。今すぐ私の前から立ち去れ」


 人が大勢で混み合っているカフェテリアで、タイロンはベルの肩を抱きながら、セオドリーアにそう宣言した。セオドリーアはひどいショックを受けたが、同時にそれを予想していたこともあり、ふらふらと立ち去った。そこを幼なじみのイーライアスが、急いで追いかけた。タイロンはなにかの演劇と勘違いしているのか、高笑いをあげた。


 タイロンは唯一の王子だ。


 だからごり押しすれば、結婚相手は自由に選べるはずだ。だってタイロンはかけがえのない存在なのだから。そう思っていた。


 タイロンは物事には、義務と権利という、二つの側面があることを知らなかった。唯一の王子である権利を行使できるように、どうやっても唯一の王子である義務から、逃れることができない、ということを。


 タイロンは鳴り物入りで、ベルを連れて帰った。そして昔、国王の間であった大広間で宣言したのだ。ベルと結婚すると。


「男爵令嬢など正気か。しかも家門でもなければ、同派閥でもない。なんの関係もない、後ろ盾もない令嬢など、このセネット伯爵領で生き延びることはできん」


「正気に戻るのだ。冷静に考えろ。タイロン」


 伯爵夫妻は、タイロンに訴えかけた。

 大広間には、婚約を破棄されたセオドリーアと、その幼なじみのイーライアスがいて、二人は固く手を握り合っていた。もう若い二人は、それぞれ後戻りできなさそうだった。


 侍従の格好をして、控えているジュリウスは、玉座とおぼしき椅子が並べられ、高い天井からカーテンが吊り下げられ、普通の貴族家ではまず見ない豪華さに、セネット伯爵家の歴史を感じた。


 この大広間も、城も、領地も、確かに昔は一つの国だったのだ。それを考えると、この領地になんの関係もない男爵令嬢のベルが、なんの後ろ盾もなく、やっていけるとは思えなかった。


「私はこの国唯一の王子なのです。だから妻を選ぶ、『権利』があるはずです」


 タイロンはたかだかと宣言した。しかしそういったとたん、大広間の空気が変わったのだ。とんでもないことをしても、それでも息子だと、説得しようとしていた伯爵夫妻が、絶句していた。その姿は、先ほどまでの慈愛に満ちたものではなかった。


「……そんな風に思っていたのか」


 タイロンを見る伯爵の目は、とても冷たかった。伯爵夫人は、まるで他人を見るような目で見ている。


「私たちは、お前一人しか産めなかったことを、お前に申し訳なくて済まないと思っていた。罪悪感で一杯だったよ。だがお前は、人の後ろめたさにつけ込み、自分が自由にする権利を得たと思っていたのだな」


 少し軽蔑の入り交じった目で、伯爵はタイロンを見た。


「タイロン。本当にセオドリーアと婚約を破棄し、そのベル嬢と結婚したいのか」

「もちろんです。私たちは愛し合っているのです。なにがあっても乗り越えて見せます」

「……なにがあっても」


 伯爵は、途方に暮れたような顔をした。


「お前が王子としての義務を果たすのなら認めよう」

「ありがとうございます。父上」


 認めてもらったタイロンは歓声を上げ、ベルを抱きしめた。その遠くで、セオドリーアとイーライアスも抱き合っていた。


 王都の学院での婚約破棄騒動。選んだ女性は男爵令嬢。自分の立場への不正確な理解。どれをとっても、タイロンは玉座に相応しくなかった。


 だが王子はタイロン一人なのだ。だからどれだけ逃げ出したくなっても、タイロンはそこに座り続けるほかなかった。そう、どんなにつらいことがあっても。




◇◇◇◇◇◇



 タイロンは城の中にある、教会の鐘の音で目を覚ました。


 ベルが寝ている隙に、起きて、下着姿のまま井戸に向かった。桶を投げ込み、半分ほど水が入ったのを、光の反射で確認しながら引き上げる。その水をもう一つの桶に入れ替え、また井戸に投げ込む。これを数回繰り返して、持ち運び用の桶が一杯になると、台所の水カメに入れた。


 これを何度も繰り返し、今日の分の水をくみ上げるのだ。


 最初の頃はやり方がわからなくて、ベルと二人、四苦八苦した。だがジュリウスという名の侍従が教えてくれたのだ。


 最後にくみ上げた水で、タイロンは身だしなみを整えた。ここには鏡がないため、最初は苦労したものだ。


 それが終わるとベルが起きてきて、身だしなみを整え始めた。タイロンは今ではかなり筋肉がついたが、最初の内は様々なことが上手く出来ず、それをベルに見られるのが苦痛だった。そのことを口に出したことはないが、ベルは気を遣ったのだろう。タイロンが肉体労働をしている間は、寝たふりをするようになったのだ。


 前はなんでも率直に言い合っていた恋人同士だが、夫婦になってからは、お互いに腫れ物に触るような距離を取っていた。


「行ってきます」


 タイロンはなるべく優しく見えるように、ベルに笑いかけた。ベルも今まで見なかったような、慈愛に満ちた表情で微笑む。


 二人っきりで暮らすようになってから、タイロンはこのつらくて、みじめな生活の愚痴を、ベルにこぼさないようにしていた。タイロンを信じてついてきてくれたベルのほうが、裏切られた気分で、もっとつらいだろう。


 タイロンは食堂の机に置いてある、頑丈で大きなカゴを手に取って、歩き出した。


 城の片隅にある別邸から、食糧を手に入れに行くのだ。


 別邸は今は使われていなくて、放置されている平屋の小さな建物だ。城を通り抜けないと外には行けない造りだが、そもそも見張りも立っていなかった。タイロンが、一人で外に行けるとは、誰にも思われていないのだ。そしてベルに至っては、出て行って欲しいと思われているのだ。だから見張りがいなかった。


 タイロンが城の中に入っても、誰も見向きもしなかった。興味を持たれていない。タイロンは最初の頃、人々に無視をされるのは、悪意からきていると勘違いしていた。だから怒ったり、抗議したりした。だが、ジュリウスという侍従に言われたのだ。


「あなたは、城の一人一人に関心がありましたか。あなたがないように、向こうもないだけです」と。


 タイロンは、母親の部屋に入って、その机に並んでいる豪華な食事を、次々にカゴに入れていった。


 母親は三人の侍女に指示を出しながら、ブドウを食べていて、使用人がその手を拭いている。別の侍女は打ち合わせをしながら、クラッカーを食べている。


 タイロンは、パンやチーズ、果物、ハム、ゆで卵などをいれていった。部屋の隅にあった高級茶箱を無造作に手に取ると、それを見ていたタイロンの乳母が首を振った。そして明らかに安っぽい作りの茶箱を渡してきたのだ。


 その後ろでは、新しく入ってきた若い侍女二人が、タイロンの所業を、非難がましい目で見ていた。最初の頃は、それにいちいち傷ついたりもしたものだ。今となってはなにも感じなくなった。


 タイロンは逃げるように母親の部屋を後にすると、ベルの元に帰った。


 ベルは、なかなか食べられないハムがあるのを喜び、その笑顔を見て、タイロンは自分の心が慰められるのを感じた。


 そして乳母にもらった茶箱を開けて、お茶を飲もうとしたところ、中に虫が湧いているのに気がついたのだ。ベルに気がつかれないように席を外し、庭の隅にあったザル置き場の箕で、茶葉と虫をふるいわけた。そしてさりげなく戻って、二人分のお茶を入れた。


 以前なら半狂乱になっただろう。だが今は冷静だった。タイロンをずっと見守ってきた乳母が、なにかしたとも思えない。そもそも、食糧調達に苦労していたタイロンに、朝の伯爵夫人の部屋なら、食べ物が豊富にあることを教えてくれたのは乳母なのだ。しかしさすがに高価な茶葉だけは渡せず、中途半端に安いものを仕入れた結果が先ほどなのだろう。


 朝食が終わったベルは、片付けと洗濯の準備を始めた。食べ終えたタイロンはすぐ隣にある、執務室とは名ばかりの空き部屋に入り、座って待った。しばらくして侍従のジュリウスが、書類を持ってやってきたのだ。



◇◇◇◇◇◇



 ベルを選んで結婚したタイロンは、城を含む領地で透明人間になった。


 あんなことをしたタイロンに領地を治められるとは思えない。跡継ぎとして振る舞えるとも思えない。だから伯爵夫妻は、すべての事柄を取り上げ、タイロンを世継ぎを作るためだけの人間とした。


 動物のように、城で飼うことにしたのだ。


 タイロンは最初は理解できなくて暴れた。だが誰も自分の言うことを聞かなくなり、孤立しているのに気がついたのだ。無視され、食べ物を手に入れるのも難しい環境で、タイロンの心は簡単に折れた。


 侍従のジュリウスが、持ってくる書類も、最初は文句をつけたのだ。こんな署名だけのつまらない作業はやらないと。そうごねたところ、誰もなにも持ってこなくなった。一日中なにもすることがないということを体験したタイロンは、暇を持て余した。


 書類にいちゃもんをつけたり、破いたり、いろいろしたが、今は一つ一つの書類に目を通し、丁寧に署名するようになった。今ではタイロンは、自分のやった愚かな行為を、反省するようにまでなっていた。




「明日、ジャクリーン()()と初夜の儀を行います」


 ジュリウスにそう告げられ、いよいよ来たかと、タイロンは覚悟した。


 タイロンは、セオドリーアと婚約している時、セオドリーアと結婚し、ベルを愛人として抱えようかと悩んだことがある。そうすれば、つつがなく過ごせるからだ。


 だがタイロンはベルを真剣に愛していた。

 だからベルだけを愛したかったのだ。


 タイロンは愚かにも、セオドリーアとの婚約を破棄すれば、ベルだけを愛することができると思い込んでいた。だが父親に言われたのだ。


 ベルと結婚するのは構わない。好きにすれば良いと。


 だがベルは身分が低すぎて、後ろ盾もなく、子どもを生んでも、タイロンの子どもと認められない。百歩譲って認めてもいいが、だからと言って、なんの役にも立たない。ベルはなんにん子どもを生んでも、その存在は私生児も同然で、存在しないものとして扱う。


 そう言われたのだ。あまりにも残酷な扱いに、タイロンは口をきけなかった。


「だがお前には、血筋のよい子を生んで貰わねば困る」


「どういう意味ですか」


「『王位』継承権を持つ女性との間に子どもを作ってもらう。お前の信用は地に落ちてる。生まれる子どもの後ろ盾となれる、女性を幾人か用意する」


「……いくにんか?」


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