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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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落日

(師弟関係の考え方が古いです)


「お兄様。お手紙が届いております」


 妹のシェリーにそう言われて、ジュリウスは自室の机の上の手紙を広げた。

 その中には、ぶっきらぼうなほど簡素な紙が入っており、そこには、サン・スティルブライトの訃報が書かれていた。


 ジュリウスはかつての師範の死の便りに、忘れようとしていた不快な想い出が蘇り、なにかが胸につっかえるような気がした。そしてそんなジュリウスの気持ちも知らぬまま、頭は過去の記憶を蘇らせていったのだ。



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスが市井の道場に入門したのは、十二歳の頃だ。


 それまでジュリウスは、祖父と父親に家で武術を習っていた。だが体が大分できあがり、体格の小さな馬に乗って、移動できるようになると、一人で街に出かけられるようになったのだ。街には門下生を募る、様々な道場があった。ゲイアスの知り合いに誘われ、その内の一つに入門したのだ。


 その道場の師範がサン・スティルブライトだった。


 彼はその当時六十八歳で、もう老齢だった。それにもかかわらず、ぴんと伸びた背筋、美しい所作、無駄のない体捌き。どれをとってもジュリウスには感心な人物だった。老齢のため、もう力技の試合や、体力のいる早い動作などは、さすがに無理だったが、それでも十分に戦えたのだ。


 ジュリウスがその道場に入門したのは、理論を習うためだった。父親のオルダスは、感性で武器を扱う人間だったため、きちんとした座学を教わりたかったのだ。


 スティルブライトの教えはわかりやすく、深い教養に裏打ちされたもので、ジュリウスは尊敬の念を深めていった。老齢だが尊敬できる師範だと、当時は思ったのだ。年を召したものの見本であると。


 そうは言っても、寄る年波にはあらがえず、スティルブライトは徐々に衰えていった。そしてまわりはそれが当然だろうと、受け流していた。


 ある日、道場に、とても美しい双子の兄妹が入門したのだ。


 その時、ジュリウスは十四歳になっていた。


 あまり見目のことで騒がないジュリウスですら、目を見張るほど美しく、一幅の絵のようだった。また武術の腕も確かで、二人は師範のお気に入りになったのだ。


 最初は他の門下生に比べて、よく面倒を見ているというていどだった。だが双子は物怖じせず、はきはきと話す所が、返って目上の者に可愛がられ、あっという間に道場の人気者になったのだ。


 その頃から、道場に不穏な空気が流れ始めた。


 師範も人間だ。お気に入りの生徒というのは、当然いる。だが、師範という肩書きなら、当然、門下生全員に気を配らないといけない。しかしそう上手く行かなかった。


 それはひとえに師範の年齢のせいだった。師範はいくら実力があっても、もう齢七十を超えていたのだ。そうするとどうしても、体力や気力の衰えが目立つ。その結果、「老齢なのだから、仕方がない」と、まわりのものが師範を見過ごすようになっていったのだ。


 そして、道場内でえこひいきが行われるようになり、師範の横暴や、怠慢も、皆が見て見ぬふりをするようになった。師範は双子を稽古だといって、見せびらかすように連れ回すようになった。その姿がみっともないと、一部の門下生から批判が出た。


 師範は、道場で実技の時間が始まると、門下生の前で模範演武を見せる。

 強いものと打ち合うこともある。相手はジュリウスが選ばれることが多かった。オルダスとゲイアス仕込みの実践力と、師範の教えを忠実に再現した所作を、高く評価されていたからだ。


 だがジュリウスは迷っていた。というのも、ここのところ師範の力や技が、がっくりと衰え、本気で打ち込むことができなくなっていたからだ。それにもかかわらず、師範はジュリウスを相手に選んだ。


 そこでジュリウスは見本になるように、門下生たちに体捌きをよく見せた。そして師範に対しては、手加減をして、花を持たせるようになった。つまりは本来、師範がやるべき門下生への見本を、ジュリウスがやっていたのだ。


 そのことがどうにも、ジュリウスをもやもやさせた。


「なあ、ジュリウス。お前、いつまで接待、続けるんだ」


 そんなことをしていると、今日を限りで道場をやめるという門下生に、そのものずばりと聞かれたのだ。


 その頃になると、それほど武術の腕が磨かれていない門下生にも、師範とジュリウスの茶番はわかっていた。師範の腕が衰えてくると、逃げ足の速いものたちは、なにも言わずに別の道場に移った。


 そんなものは当たり前だ。門下生たちは金を払って、武術を習いに来ているのだ。なにが悲しくて年寄りの接待をしないといけないのだ。


 その結果、道場の実力レベルはどんどん落ち、今では金を払って武術を習いに来てはいるものの、別にうまくなる気もない。そういった裕福な子弟が大半を占めていた。


 道場主は思いきって、師範のスティルブライトに、進退について声をかけた。しかしそれは無視された。スティルブライトの言い分はこうだ。


「まだ若い人たちに必要とされているのだから、やれる限りのことをしたい」


 きれい事だ。


 だが道場主は、人の進退について口を出しても仕方がない、という持論の持ち主でもあった。それは長年の経験から来ていた。だが、この問題は、どうにかして解決しないと、いけないだろうとも感じたのだ。


 ジュリウスが道場をやめなかった理由は、とにかくここへは、まずは座学を学びに来ているというのが大きかった。そうでなければとっくにやめていたろう。




 しかし胸のモヤモヤは消えず、道場が、衰えた師範に私物化されているという悩みを、祖父ゲイアスにしたのだ。


「嫌な話だ。聞きたくない」


 ゲイアスはめずらしく、話を途中で遮ると、どこかに行ってしまった。


 取り残されたジュリウスは、どうしたらよいのかもわからず、頼りの祖父に拒否されて、傷ついて座っていた。しばらくしてゲイアスは戻ってきた。


「さっきはすまない。話を聞かず」

「私の方こそ済みません。嫌な話を」


「お前は悪くない。だが……年を取るとな、本当にすべてが衰えるんだ。判断力や、思考力だけでなく、羞恥心や、思いやりといったもの。明日は我が身と思うと、恐ろしくてな。話が聞けなかった」


「……」

「続き、話してみろ」


「ですが」

「いいから、話してみろ。そうだな、私がその師範のようになったら、止めてくれ。きっとお前の話なら、私は聞けるだろう」


 ゲイアスに覗き込むように微笑まれ、ジュリウスは安心してようやく話し出した。


「…………最悪だな」


 話を最後まで聞いたゲイアスは、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。


「それで、誰かその師範に進退を伺った者はいないのか」

「どうやら道場主が。そのことで軽く言い争いになったようです」


「道場主が? 彼はそういった立ち入ったことに、あまり口を出さないタイプだが……」

「お爺さま。こう言った場合は、普通、どうするのですか」


「どうもこうも、進退など己で決めるものだ。誰かに口を出すこともないし、出されるものでもない」

「では、師範はこのままなのですか?」


 ゲイアスは頭を抱え、ぼやくようにいった。


「たまにいるのは確かだ。その座にしがみつくものが。そういう時は、関係者が集まって説得することはある。だが、とにかく嫌なものだ。辞める気がない者を、説得するなど」


 めずらしく、ゲイアスが「ああ、嫌だ、嫌だ」とぼやいた。よほど嫌なようだ。


「そんなに……、嫌なものですか?」


「お前には、まだ、わからないだろうな。

 自分の人生の戸締まりを始める気持ち、その心細さよ……。

 手の中に残った若さにしがみつき、みっともなくあがく身に、迫る死の恐怖。


 人が高潔でいられるのも、なにかを潔く諦められるのも、所詮は次があるからだ。

 我々には、もうない。それがわかっているもの同士で、進退について話すなど……。

 目の前に死が迫っているものに、美しく生きようなどと言って、なんになるのだ」


 頼もしい祖父の心にも、死への恐怖がにじんでいるのを見て、ジュリウスにも恐怖が訪れた。


 父親代わりの祖父は高齢で、ジュリウスが成人する前に、亡くなる可能性もあるのだ。そうなったら途方に暮れるだろう。


 そして師範のスティルブライトは、ゲイアスよりも、二十歳近く年上なのだ。いつ亡くなってもおかしくない。


 そんな人間が、最後の力を振り絞って、みっともなくあがいている。それを、みっともないからやめろ。美しく生きよう、などと。祖父の言うとおり、空しさばかり募る。


 スティルブライトのまわりの人々は、道場主も、経営者も、その気持ちがよくわかるから、せめて最後は本人に決断させたいのだ。


「ジュリウス。別の道場に移りなさい」

「は……」


 ジュリウスは、ゲイアスにそう言われて、ほっとしていた。


「少し師範の心情に、引きずられすぎだ。お前は武術を習いに行っているのだ。落日に立ち会っているのではない」


(落日……)


 ジュリウスは声に出さずつぶやいたのだ。




 ジュリウスは事前に根回しをして、ご進物を用意して最後の日を迎えた。

 その日は、例の双子もやめる日だった。

 双子は、二つの道場を掛け持ちして通っていたが、スティルブライトから離れることにしたのだ。二人はかなり疲れた顔をしていた。師範から辛辣なお小言を言われたらしい。


 ジュリウスと双子が早めに着きすぎてしまい、外で時間を調整していると、師範と道場主の言い争う声が聞こえてきた。

 開いた窓から、道場主と師範、それと初めて見る師範代に、この道場の経営者が、話しているのが見えたのだ。


 ジュリウスは立ち聞きしてはいけないと思い、その場を離れた。しかし双子の方は興味津々に、立ち聞きしていた。話が終わったと見るや、ジュリウスに報告してきた。


「師範。お辞めにならないそうだ。その代わりに、新しい師範代が入るんだって。師範と師範代の二人分の報酬を払うために、受講料が値上がりするって」


 ジュリウスは今でも、師範のスティルブライトを尊敬している。


 美しい所作に、見事な体捌き。だが体はもう衰え、満足に人に教えることも、出来なくなっている。立派なのは頭の中の理論だけだ。門下生に充分な教育を施せないのに、金だけは取り、師範を名乗るのだ。


 ジュリウスはこれ以上、この話にかかわると、なんだか自分の心が汚れてしまいそうに感じ、早々に道場を辞そうとした。


 しかし師範に引き止められ、辞めることについて、長々とお説教を受けたのだ。見損なったと言われ、自覚がないと叱責された。ジュリウスはただ頭を下げ、話を聞いていた。


 話の内容はとても立派だった。つけいる隙もない、ご高説を拝聴賜ったのだ。だが、その長さは異常だった。尽きぬ説教を何時間も続けたのだ。


 ジュリウスは自分が尊敬していた人物が、自らの行いによって、評価を下げていくのを、ただ黙ってみていた。途中で、見かねた道場主が仲裁に入り、ジュリウスは部屋から出されたのだ。


 道場から出ると、表で双子が遊びながら待っていた。


「お疲れ様。俺らも昨日、おんなじ目にあったぜ」

「まあ、犬に噛まれたと思って、次、行きましょう」


 ジュリウスはなんだか、乾いた笑いがもれた。「犬に噛まれた」とは、いい表現だなと思ったのだ。だからそう思おうとした。そして尊敬する師範を、なんの抵抗もなく、「犬」に例えていたことに笑いがもれた。


 例えどんな理由があるとしても、人をそんな風に例えるのは、気持ちの良いものではなかった。しかしこれは自分のせいだろうか。師範自身がそう振る舞っているのだ。


 年を取るというのは、なんと難しいものだろう。尊敬していた人物が年を取り、見下げ果てた人物に変わっていくのを、目の前で見せられるのは、なんと空しいものだろう。




 友人のケントンから紹介された、新しい道場は活気があった。指導は厳しかったが、門下生の士気が高く、切磋琢磨できたのだ。


 門下生の中には、前の道場で一緒だったものもいて、「移ってくるのが遅い」などと、からかわれたりした。ジュリウスは、もう前の道場には、かかわらないつもりだった。


 だが同じような世界にいると、どうしても耳に入ってくる。


 前の道場では、鍛錬が始まる前に、師範から一言ある。だがその時間がだんだん長くなり、ついには、三十分近くになったそうだ。


 もし真剣に聞いている門下生がいたら、さすがに師範に一言進言したかも知れない。つまりは誰も聞いていないのだ。


 今や、門下生は、毎月の受講費を払って、武術道場に通っているという実績が欲しいだけの、富裕層の市民ばかりになってしまった。痛くてたいへんな思いをしたくない彼らにとって、長いお説教は、楽してさぼれる時間なのだ。


 その一言の後は、師範による模範演武だ。だがそれについては、ジュリウスはそれほど心配していなかった。なぜなら、師範の体捌きは、今でも見事なものだったからだ。


「……剣をまともに持てていない?」

「ああ、もう。あの人は終わっている」


 現在の師範を見てきた友人に、そう言われてジュリウスは絶句した。


 師範のスティルブライトは、ジュリウスと双子が辞めた後、驚くほど急激に老化が進み、ただゆっくりと演武をすることすら、できなくなっていたのだ。


 まだ若いジュリウスにとって、想像も付かなかった。たった一、二年で、それまでできていたことが、できなくなるほど体が衰えるなど。身の回りに老人がそれなりにいるジュリウスにとっても、老いの影響の強さが怖く感じられた。


 それにもかかわらず、スティルブライトは、門下生の前で、模範演武をすることをやめなかった。そして終わった後に、「今日はちょっと調子が悪くて」と言い訳をするようになったのだ。


 その癖、師範代が代わりになにかしてみせると、「踏み込みが甘い」などと言って、厳しく説教をするようになった。師範代はただ頭を下げて、黙って聞いていた。




 スティルブライトは長い間、人々に良い影響を与え、尊敬を集めてきたのだ。その実績はとても立派なものだった。彼に直接、教わったことがない人々にも、敬愛されてきたのだ。


 だからこの話を聞いたかつての教え子たちは、みな、それはなにかの間違いだろうと思ったのだ。そしてそれが本当だとわかると、反応はいくつかに分れた。


 一番多かったのは、師に、そして人に、なにか申すべきほどのものを、自分は持っていない。そう思い沈黙を守った人々だ。


 そしてほんのわずかだが、自分のようなものでも、かつての師の役に立てないかと、直接、訪ねに行った人々もいた。しかしそういった人も、話を聞いて引き下がった。


 スティルブライトの問題について、道場主と師範代、道場の経営者は、場を設け、身の振り方について話合ってきた。そんな風にいうと聞こえは良い。皆、使う言葉にはとても慎重だった。


 だが結局の所、言った内容をまとめると、こうだ。


「お前はもう、もうろくした老いぼれで、なんの役にも立たない」と。


 こんな話し合いを、誰がしたいだろうか。

 そしてそれを誰かに見て欲しいだろうか。


 道場主は話が大きくなり、人の目に止まる前に、この問題に片付いて欲しかった。だから心配で話を聞きに来た人たちに、こう言ったのだ。


「この話は聞かなかったことにして、黙って立ち去って欲しい」と。


 そしてこの問題は、自然の理が解決した。


 師範代に絶対に負けたくないと思った、スティルブライトだが、さすがに寄る年波には勝てず、道場に通えなくなったのだ。

 一日休み、三日休み、そのまま来られなくなった。

 そして数年後に亡くなったのだ。


 没年七十三歳だった。



◇◇◇◇◇◇



 訃報を受け取った十七歳のジュリウスは、改めて師範についての想い出を思い返してみると、それほど不快に感じないことに気がついた。

 ジュリウス自身も年齢を重ねたことで、心境に変化が訪れたのだ。


 当時は、心の底から尊敬していた人物が、みっともない有様を晒すのが、つらく感じた。

 だが今となっては、それも『老い』の一つの姿だと感じる。


 その時は、師範を野放しにする、道場主たちに疑問を抱いたが、今では、人がそう、誰かの思いどおりに動かないことを、経験でわかっていた。




 人間の長所と短所は、その人の表と裏だ。


 うがち過ぎかも知れないが、武術の道をとことん究めた、スティルブライトだからこそ、晩年をあそこまで汚すほど、最後までみっともなく足掻いたのではないかと、今のジュリウスには、そう思われた。


 若いときに武術に真剣に打ち込んだ姿も、年老いて生に醜くしがみついた姿も、根っこは同じなのではないかと。


 彼が残した輝かしい実績だけが、彼の足跡なのではない。その後のみじめに足掻く姿、すべてを含めて彼の人生だったのだ。


 スティルブライトは、亡くなる最後まで、あがきつづけた。

 本気で一つの道を生きた。

 その証明なのだと。


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