伝えたかったもの
ジュリウスは公園でチェスをしていた。
祖父のゲイアスと散歩をしていた所、チェスをしている人たちが何組もいたのだ。楽しそうな風景を眺めていたら、老齢の男性が声をかけてきた。チェスをしないかと。その時まわりの人たちが、妙に心配そうな顔をしていたのに気がついたが、まあ、チェスくらい、と勝負を受けた。
始まってしばらくすると、男性はこう言ってきた。
「坊ちゃん。ちょっと賭けないか?」
「今、あまり手持ちは……」
「そうは言っても持ってはいるだろう」
「気が散るので」
「固いこと言うなよ」
ジュリウスが断りの文句を出しても、しつこく食い下がってくる。ジュリウスの頭の中で危険信号が鳴っていた。こういう我を通そうという人間は、なにか企んでいることが多い。
「なあ、一局、これでどうだ?」
男は指を三本出した。
「レートは? 単位は?」
ジュリウスが、その三本が三シリングなのか、ポンドなのか確認した。
「……言わなくてもわかるだろう」
「わからないな」
ジュリウスは早めに終わらせようとしたが、男はなかなか手強く、勝負は進まなくなった。そして賭けようと誘ってくる。
よくある手口だ。最初は弱いふりをして、相手に賭けさせ、その後で実力を出すのだ。
結局、賭けずに勝負が終わると、男は不機嫌になり、あからさまに舌打ちした。そしてまたジュリウスのようなカモを探しに行った。まわりの人たちが声をかけてくる。
「えらいのに捕まっちまったな」
「あの爺さん。いつもああなんだ」
「とにかく金にがめつくてさ」
男の名前はブランドンと言った。
ここで賭けチェスをやっていて、あくどいやり方で勝負をしているらしい。事情を知らない新顔を騙して、あの手この手で高額をむしりとるのだ。公園でチェスをする常連には嫌われていた。
ジュリウスはブランドンのことが印象に残り、その後、街中でよく目に付くようになったのだ。路上で物乞いをして稼いでいたり、市場で値段をまけろと、店主に絡んでいたり、本当に迷惑な男だ。街中から嫌われている。
一番よく会うのが、夜警姿で日当を得ているブランドンだった。ジュリウスは不思議だった。
「一体、なににそんなに、お金が必要なんだ?」
職業柄、少し気になったのだ。
「ブランドンさんねえ。嫌われ者だよ。とにかく金にがめつくてさ」
「どこに住んでいるだい。家族はいるのかな」
「奥さんは早くに亡くなっちまったけど、子どもが五人いるよ。みんな結婚して家を出て行っちまった」
「どうしてだい」
「ブランドンさんが、家のお金を使い込んじまうんだよ。そのせいで、子どもたちはいつもひもじい思いをしてさ。みずぼらしくて、哀れなもんだったよ。そんな中、稼ごうとした長男が初任給を持って帰ったら、それもせびろうとしたって。それがきっかけで全員出て行っちまって」
「……なるほど」
ジュリウスは王都の上流階級が住む地域を訪ねた。この辺りは見晴らしがよく、訳ありの高級マンションが建ち並んでいる。
後ろ暗い理由で、警備が厳重な住民たちが住んでいるのだ。
ある一区画を訪ねて中に入る。通された部屋は、玄関を入ると、豪華な絨毯が敷かれた長い廊下がまずあり、その奥に続いている突き当たりには、舶来もののタンスが置かれていた。まるで貴族の屋敷のようだ。突き当たりを曲がった所に、豪華な応接間が見え、ジュリウスは帽子を脱いで、主人のギャリックに挨拶をした。
「初めまして。私はジュリウス・ラムレイと申します。少しお話しを伺いたくて……」
籾手をして、借用書を書かせようとした悪徳高利貸しのギャリックは、失礼にならない程度にジュリウスを観察した後、言った。
「客じゃない?」
「はい。すみません」
あからさまにがっかりしたギャリックは、社交辞令の仮面をかなぐり捨てた。
「ああ、時間と笑顔を損した」
「お礼はしますから」
「お礼と言われても。情報が欲しいなら買ってもらいたいものですなあ」
「ブランドンさんのことをご存じですよね」
それまで傲慢で、どこかへらへらとした笑みを浮かべていたギャリックは、急に無表情になった。
「なに、あんた。なにもの?」
「何者というほどでは。少し気になりまして。ブランドンさんはこちらに大きな借金があるとか」
「好奇心は猫をもころすって聞いたことない?」
「耳が痛いです」
「済みませんが、お引き取り願えますか」
ギャリックは、玄関を手で指した。ジュリウスはちらりとギャリックの目を見た。本気の目だ。こういう時は逆らわない方がいい。
「残念ですが、失礼いたします」
ジュリウスは帽子をかぶると、玄関へ向かった。長い廊下を歩き、玄関扉に手をかけようとした所、向こうから開いたのだ。外からブランドンが入ってくる所だった。ブランドンはジュリウスの顔を覚えていないのか、陽気に会釈して入ってきた。
陽気? いつもがめつく意地汚い顔をしているブランドンが、なにがあったのか、ほがらかだ。まるで酒でも飲んでいるかのように、鼻歌を歌いながら、廊下を進んでいった。ジュリウスは足音を忍ばせてついていった。
「あれ、ブランドン。どうしたんだ。ご機嫌だな」
「それが今日はついていてさあ。物乞いすれば、お貴族様が大金を恵んでくれるわ。チェスをすれば、諦めの悪いやつから三回戦分、ぶんどれたわで、お大尽なんだよ。俺」
ブランドンは、小銭まじりの札束を、テーブルの上にぶちまけた。
「おっと、これはすごいな。ブランドン。借金の返済も大分進んだぞ」
「そうだろう。そうだろう」
二人は仲良く盛り上がっている。とても悪徳高利貸しと、借金持ちに見えない。
「そうだ。さっき借金の返済に来た奴が、利子だって言って、ロールパンを大量に持ってきたんだ。いらねえって言ったのによお。昼飯に食べてけよ。ブランドン」
「おっと、助かるね。飯代が浮くよ」
機嫌のいいブランドンを、ギャリックは伺うように見た。
「………………お前さあ。もうあらかた返済し終わったんだから、これ以上、無理しなくてもいいんじゃないか。俺、もう、金に困ってねえし」
「ギャリック。それじゃあ、俺の気が済まねえんだよ。借りたものはきっちり返さねえと。恩知らずになっちまう」
「そんなに固く考えるなよ。もうお互い、いい年なんだ。無理すると体壊すぞ」
「丁度いい。俺、遺言状に俺の遺体を献体するって書いてるんだ。いい値段になるだろうなあ。買取金額で最後の借金も全額、返せる算段さ」
「ブランドン……」
暗くなってしまったギャリックを見て、調子に乗ってしまったと気がついたブランドンは、帽子をかぶり直した。
「悪い。今日のところは帰るよ。でも、俺の葬式で、残額きっちりと取り立ててくれ。それが俺の願いだ」
「おい、ちょっと待て。パンは持って帰れ。そして食べろ。本当に体壊すぞ」
ギャリックは布に包まれたパンを、ばたばたと足音を立てて取りに行き、もう帰ろうと廊下を歩き出したブランドンに押しつけた。
「ちゃんと食べるんだぞ」
そういってブランドンを送り出したのだ。
「どうやって降りよう」
その頃、見つからないようにバルコニーに逃げ出したジュリウスは、途方に暮れていた。扉は外側からは開かないようだった。
「おや、コートが破れているね。どうしたんだい」
「……ちょっと」
まるで家畜小屋の寝わらに、飛び込んだようなジュリウスは、リックに照れ笑いをした。
「……よかったら、相談してみないか。私に。答えられることもあるかもしれない」
「金にがめついことで有名な、町民のブランドンについて調べていて」
「知らないなあ」
「そうですよね。ただの町民ですから」
「他には」
「……悪徳高利貸しのギャリックなどは」
リックはすぐに思い当たったようだった。
「知っている。街の高利貸しだな。ただ、悪徳ではないが」
「そうなのですか」
「昔は確かにそうだったらしい。だが最近はかなり良心的だ。彼がなにか」
「その……ブランドンが、ギャリックに金を借りていると」
リックは少し考え込んだ後、すらすらと話し出した。
「……高利貸しのギャリック。アダーニ一家が後ろ盾で、不動産業も営んでいる。結構羽振りが良いそうだ。独身で馴染みの愛人がいる。昔は相当がめつかったと聞くが、だが、悪い噂は聞かないね。なんでも近郊のウファ村出身らしい」
「……ウファ村」
リックの情報を聞いて、ジュリウスは思い至った。
「雑貨屋の店主が、ブランドンは、ウファ村の出身だと言っていました」
人口が二百人程度の小さな村だ。同世代のブランドンとギャリック。親しくて当たり前だ。同郷の出身なのだ。この大都会で、協力して生きてきたとしたら。
「そういえば……不思議ではありませんが、それにしても、どうしてギャリックのことをご存じなのですか」
「不思議な形で、誘拐事件にかかわったことがあるんだ。だから印象に残っていた」
「誘拐事件?」
「なんでも町民の子どもが、間違って誘拐された事件があって。その時に、ギャリックが身代金を工面したんだ。理由までは覚えていないが。なにせ昔の記録だったし」
「その資料、どこにありますか」
ジュリウスが調べた所によると、三十年前に、ブランドンという名前の町民の子どもが誘拐された。五歳の女の子で、教会で一緒にいた富裕層の少女と間違えられたらしい。犯人からは、巨額の身代金が要求された。
富裕層の少女の親は、関係ないからと我関せず。ブランドンは身代金を用意せねばならなくなったが、土台無理な話だった。
王都では遺体は需要があり高価だ。献体など様々な用途に使われるため、身代金が払えなかった場合、無事に戻ってくる確率は、とても低かった。
そのため、ブランドンは同郷のギャリックを頼ったのだ。返せる当てもない大金を貸して欲しいと。他の人間だったら、ギャリックも貸さなかっただろう。だがブランドンは返すと言ったら、必ず返す男だった。だから、貸したのだ。実際の所、全額返してもらわなくてもいいとも思っていた。
だがブランドンは、三十年間、こつこつ返し続け、完済まであと一歩だった。
「この誘拐犯は、捕まったのか」
ジュリウスとリックの質問に、当時を覚えている捜査員が答えた。
「別件で、半分くらいが捕まりました。でも、金は……」
「それじゃあ、払い損か」
「まあ、そうなんですが、この話を新聞記事で読んだ奇特な夫人が、結構な大金を警ら隊を通じて被害者に寄付しましてね。だからブランドンも、生活自体はなんとかなるはずだったんですが。それを全部、金貸しのギャリックに渡してしまったらしいんです。まあ、だからギャリックの商売は一息つけたでしょうね。でもブランドンと子どもたちは……」
「子どもは無事だったんだな」
「……まあ、命は無事でした」
「どうして記録にきちんと載っていないんだ」
「……ブランドンが頼み込んだそうです。誘拐されたのは、女の子でしたからね。詳しいことが新聞記事に載ってしまったら、嫁に行けなくなってしまうと。必死に頭を下げて回って、見ていられなかったそうです。だから当時の記録に、ぼかして書いた捜査員が多かったって、聞きました」
ジュリウスは考え込んだ。身代金という借金を抱えた、律儀なブランドン。娘のために誘拐事件をなかったことにしたのだろう。
彼の子どもたちは、事件のことを覚えていないし、知らされていないのだ。だから、どうして自分の家が貧乏なのか、父親ががめついのかわからない。
そしてブランドンは、ひどい恐怖にさらされ、ショックから誘拐の記憶がおぼろげな娘に、それを絶対に思い出して欲しくないのだ。
奇特な夫人の寄付があり、おそらくギャリックは、金貸しの商売にそこまで影響は出なかった。だから、借金の返済にあまりこだわっていないのだろう。
ジュリウスたちの横を、同僚が早足で横切ろうとした。
「なにかあったのか」
「なんでも、公園でチェスの勝負をめぐって、喧嘩があったそうです。巡回に行くので、見てこようと」
妙な胸騒ぎがしたジュリウスは、ブラック号を出して、公園まで急いで見に行った。
人だかりができており、ブランドンが口から血を流して倒れていた。まわりの人たちが取り囲み、近くに住む医者が、白衣を着ながら駆けつけている。
ジュリウスは人々を整理し、医者に仕事をさせやすいようにしたが、ブランドンの口から、とぷとぷと溢れる血を見て、なんとも言えない気持ちになった。
ブランドンは遺言状に、葬儀を希望せず、献体を望むと遺してあった。葬儀費用と、献体費用は、高利貸しのギャリックに渡すようにと。
残された子どもたちは、父親が理解できず、理由もわからず泣き叫んだ。そしてずっと父親につきまとっている、悪徳高利貸しのギャリックを憎んだ。他のことはともかく、父親の遺体を、高利貸しのギャリックに、渡すことが耐えられなかったのだ。
「どこまで搾り取れば気が済むんだ。この悪魔が」
「父さんを返して」
用心棒を連れて、ブランドンの家に乗り込んだギャリックは、薄ら笑いを浮かべて、金の催促をした。
「なぜこんなことをするんだ」
「理由なんてない。ブランドンの野郎は借金をした。だから返済してもらうだけだ」
「なんのために借金をしたの」
「そんなの知るか」
ギャリックは高圧的にふるまった。しかしブランドンの死で、人が集まっていた。多勢に無勢で、ギャリックが少し焦っていた所へ、ジュリウスも乗り込んだ。
「借用書はあるんだ。ギャリックさんに金を渡しな」
高利貸しと裏でつながりのある役人のようにふるまい、威圧的に遺族に圧力をかけた。
役人の権力には逆らえず、子どもたちは泣く泣く金と遺体を渡してきた。
「ギャリック……、お前のことは絶対に許さない」
長男にそう言われたギャリックは、ニヤニヤしながら、ブランドンの遺体を持って、その家を出た。
◇◇◇◇◇◇
「さて、と」
ギャリックは、遺体を売り、大金を得た後、借用書に完済の署名をした。
「返済に何年かかったんですか」
ジュリウスは年季の入った借用証を眺めた。ギャリックとブランドンの、二人三脚の歴史が刻まれている。
「三十一年五ヶ月と十日だな。ブランドンは約束は破らねえ男で、やると言ったらやるんだよ。まったくうっとうしいほど、頭が固い男でさあ。もっと柔軟に生きればいいものを。だが、だからこそ、とんでもない金額の金を貸そうって思ったんだよなあ」
ギャリックは、まるで自分のことのようにブランドンについて自慢げに話し、そんな彼をジュリウスは見ていた。
「いろいろとお邪魔しました。これにて失礼をば」
「ああ、あんた。ついでだから昼飯を食べて行けよ。あれこれ世話になっちまったし」
「いいんですか。急に来たのに」
「いいんだ、いいんだ。買っておいたロールパンが、余っちまったからさ」
ジュリウスは有り難く、バターたっぷりのロールパンを頂いた。ジュリウスの質問に、ギャリックはぽつりぽつりと話し始めた。
「お二人が住んでいた頃の、ウファ村はどんな感じだったのですか」
「閉鎖的でさあ。ひねくれ曲がった奴らばっかだったよ。ブランドンみたいな真っ直ぐな奴は、つらかったろうな。だから王都で金貸しをしてた叔父貴のところに、俺が上京するって言ったら、ついていきたいって言ってさあ。最初は断ったよ。生き馬の目を抜くような場所だ。俺たちみたいな田舎もんには生きづらいって。だからすぐに逃げ帰るだろうって思ってた。でも奴はそこそこ勉強できたんだよな。工場で働きだしたら、すぐに収入のいい事務仕事に回されてさ。現場も知ってる、技術も持ってる、ってんで、割と重宝されてた。その内、真面目な所が気に入られて、責任者の娘さんを嫁にもらってさあ。見ている奴はちゃんといるんだなって思ったよ」
ジュリウスは、ギャリックがそういうのを聞いて、「そんなブランドンさんを、心配で見ていたんですね」と思った。ギャリックはまわりがあくどい連中だったとしても、それなりに合わせられる器用さを持っている。そうでなければ高利貸しなんてやっていられない。だからこそ、実直なブランドンを見ると、ほっとするところがあったのではないか。
「子どもも五人生まれて、あの頃が奴の幸せの絶頂だったなあ。でも奥さんが、流行病であっけなく逝っちまって。残された子どもを大切に育てようと、懸命だったよ。そんな中、下のアン…………、子どもの一人が誘拐されてさ。あんた、それ調べたんだろう」
「はい。記録が残ってて」
「見てられなかったねえ。警察に話しを聞かれた後は、寝ないでふらふらと街を探し回って、金策に駆けずり回って、何日も徹夜してさあ。寝ないと体がもたないって、無理に横にさせても三十分もすると、悲鳴を上げて起きちまう。寝るのが怖いって。それで、ずっと娘に謝るんだよ。俺がついていてやれば良かったって。もっと早く迎えに行けばって。飯食えって言っても、そんなの怖い思いをしている娘に悪いって、食わないし」
「娘さんが保護されて良かったですね」
「あれ、警らの資料に残ってないのか」
「ブランドンさんが、記録を消して欲しいと、言って回ったそうで。怪我をした状態で保護されたとだけ……推察はできますが……」
「…………ひどいもんでさ。傷だらけで、口もきけなくなっちまったんだよ。暗闇を極端に怖がるし、物音にも怯えて、父親以外の男は寄りつかせないし。だからブランドンは医者に相談して、事件のことをなかったことにしたんだ。娘には遊んでいて怪我をしたんだって、繰り返し言い聞かせて、怖いことはすべて夢だったんだって。半年近くずっと娘の側にいて、その記憶を塗り替えたんだ」
「大変でしたね」
「ああ。俺は子どもたちの、知りたいっていう気持ちはわかるんだ。あのままじゃあ、つらいだろう。だけど、懸命に記憶を塗り替えた、ブランドンも知っているから、絶対に教える気はない」
決意をこめたギャリックの顔を見て、ジュリウスは頷いた。
気の毒な状況ではある。
だがジュリウスは、絶望的な気持ちにはなっていなかった。
なぜなら、ブランドンは世間では、「金にがめつい強突く張り」となっている。だが、子どもたちが、本心から父親のことをそう評価していたら、もっと冷淡な態度を取るのではないか。
ブランドンがどれだけ、金に意地汚くふるまっても、その人間性は伝わっていた。そして愛情ももちろん伝わっている。だからこそ子どもたちは、父親が理解できなくて苦しんでいる。
だがその苦しみこそが、彼らが父親から、たくさんの愛情を注がれた証拠なのだ。
父親から愛情を注がれた。
それ以上に大事なことはあるだろうか。ジュリウスはそう思った。




