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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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31/65

橋のない川

(子どもが虐待される描写があります)

 

 ジュリウスは台所で洗い物をしていた。


 二人分の食器を手早く洗うと、無駄のない動きで食器棚に片付けていく。アパートの屋上に干してある洗濯物を、取り込むと、素早く畳んでしまっていった。半地下に住んでいる大家が買ってきた食料品を受け取り、預かっていたお金で支払いを済ませると、夕飯の支度を始める。


 散歩から帰ってきた主人のデロリスと、その娘のポーリーンが、部屋に入ってくると急ににぎやかになった。


 デロリスは肉感的で、街を歩くと人が振り返るほどの美人だ。その娘のポーリーンは六歳で、今が元気の盛りだ。じっとしておらず、子ヒツジのようにぴょんぴょんと跳びはね、奇声を発した。


 デロリスはポーリーンを可愛がっており、ポーリーンもよくなついている。


 ジュリウスは料理の最中、塩がなくなりかけていることに気がついた。デロリスに言って、店が開いている内に、自分で直接、買いに出かけたのだ。


「どうですか」


 雑貨屋で塩を用意してもらう間、ジュリウスは鷹使いのバロネスと話した。


「今のところなにもない。あれが噂の毒婦、デロリスとは思えないな」

「別人ってことですか」

「いやあ、本人ではあるのだろう。だが別人のようだ。子どもを溺愛している」


 先日まで国を騒がせていた盗賊団、サーグッド団の一員で、先に家に忍び込んで盗賊を手引きする内通者、それが毒婦デロリスだ。


 手段を選ばず、汚いことも平気でする。数年前に姿を消したが、その罪は重く、ずっと探していたのだ。


 ところがある筋から、所帯を持って子どもまでいるという情報が入ってきた。潜入してみると、すっかり子煩悩な普通の母親に変わっていたのだ。


 ジュリウスがデロリスの家に戻ると、ポーリーンが待ちかねたようにぱたぱたと走ってきて、足に飛びついてきた。


「おかえり。ジュリリュス」

「ただいま戻りました。お嬢様」


 足にまとわりつくポーリーンをさばきながら、主人たちの食事を作り、自分は残りをかっこむと、部屋に引っ込んだのだ。


 潜入捜査が始まってから、一週間になる。最初の一日目でデロリスの本人確認はとれた。特徴的なほくろもそうだが、なにより本人が目立っていた。


 だが逮捕の命令は出なかった。おそらく小さな子どもを育て、そして慈しんでいる光景から、このままなにもしないでいるのなら、そっとしておいてもいいのではという、意見が出たのだろう。だがデロリスは少なくとも五件の強盗、強殺にかかわっている。即刻、絞首刑の身の上だ。


 そうなると、いますぐ逮捕するのか、時期を見計らうかの判断で迷っているのではないかと思われた。


「ジュリウス君はどう思う」


 庶民の格好をしたリックが、雑貨屋で品物を選びながら言った。


「即刻逮捕しても構わないと思います。それだけのことをしましたし。猶予を与えるなら、ポーリーンが十歳くらいになるまで、待ってもいいと思いますが」


「意外だねえ。君はポーリーンが可哀想だという意見かと思ったよ」


「ジュリウス殿は、案外、子どもに厳しいですよ。一人前に扱っているとも言いますが」


 リックとジュリウスの会話に、バロネスが口を挟んできた。リックが聞き返す。


「というと?」


「ご両親が無茶苦茶……、いえ、厳しい方々だったので、早く大人になるしかなかったんでしょう。祖父君に教育はして頂いて、しっかりしていらっしゃいますが。ご自分の経験から、子どもは守るものではなく、厳しくするものと思っていらっしゃるんです。それでも大丈夫だと」


「へえ」


「俺もそうだったんで、なんとなくわかります」


 バロネスが同意すると、ジュリウスは驚いて聞いた。


「バロネス殿も?」


「俺の家、貧乏で弟妹がたくさんいたから、俺がしっかりしないといけなかったんですよ」


「なるほどねえ」


 リックはうんうんと、うなずいている。


 そして口には出さなかったが、ジュリウスがデロリスの逮捕に、躊躇がない理由がわかって納得した。


 ジュリウスにとって実の両親は、頼りにならない、安心して心をまかせることができない存在なのだ。親という名の大人を信用していない。だから母親デロリスを、娘のポーリーンから取り上げることに、ためらいがないのだ。


 それが無関心や冷たさから来ているのであれば、まだ救いがあったが、生育歴から来ているのであれば、きっといつか大きくつまずくだろう。まあ、しかし……、その時は彼の人間性が支えになるだろうとも思った。




 ジュリウスが、デロリスの夫ドーンの、寝室を掃除していると、ポーリーンが入ってきた。足にまとわりついていたと思っていたら、体をよじ登って背中におぶさった。


「危ないですよ。お嬢様」


 ポーリーンはなにやら奇声を発し、はしゃいでいる。そのまま片手で支えたまま、作業を続けていると、ポーリーンは海老のようにぴちぴちとはねて、落ちそうになった。ジュリウスはさっと片手で足首をつかんだ。ぶらりと逆さまに下がったポーリーンは、安心しきって甘えている。


 ジュリウスは、昨日のリックとバロネスの会話が蘇った。親に安心して甘えることのできなかった子ども時代のジュリウス。だが同時に、今のようなじゃれあいは、祖父がやってくれた。ジュリウスは親が取り上げられても平気だ。だがそれは祖父がいるからだ。


 ポーリーンは、母親が取り上げられたら、まったく家に帰ってこない父親しかいないのだ。ジュリウスなら、そうなっても平気だが、ポーリーンはどうだろう……。


 そこへ、ダニエルが入ってきた。ポーリーンは固まって、ジュリウスの足にしがみついた。


「おい、酒を買ってこい」


 ダニエルはデロリスの昔の知り合いらしく、突然やってきて、部屋に居座ったのだ。酒癖が悪く昼間から酔っ払っていた。デロリスも手を焼いているらしく、放置している。


 ジュリウスが買いに行こうとすると、ポーリーンがしがみついて離れない。置いていこうとしても、強い力でしがみつくので、仕方なく抱えて外出した。


 いつもの雑貨屋でバロネスと合流する。ポーリーンの頭を耳ごとかかえ、胸に押しつけると、なにも聞こえなくなったポーリーンは、不思議そうにきょろきょろしている。


 バロネスが、ダニエルについて話した。


「ダニエルはサーグッド団の一味です。結構凶悪なやつです」

「二人の逮捕は早めた方がいいと思う」

「そうですね」


 ジュリウスが部屋に戻ると、ダニエルはかっぱらうかのように酒を奪った。その様子におびえて、ポーリーンはジュリウスから離れようとしなかった。ダニエルと、そのふるまいに諦めたデロリスは、酒を飲み始め、ジュリウスはそのおつまみを作ったのだ。


 ある日、食事や洗濯に満足したダニエルは、自分で酒を買いに行った。


 ダニエルと飲み明かしたデロリスは同じ寝台で目を覚まし、だらしない格好で朝食を食べている。そこへ捜査員が踏み込んできたのだ。ジュリウスの足にしがみついていたポーリーンは、驚いて固まっていた。ジュリウスはポーリーンを抱き上げると、その耳を塞ぎ、逮捕劇が見えない角度に向けた。



◇◇◇◇◇◇



 デロリスは絞首刑になった。


 デロリスの夫ドーンは、中々現れず、刑の執行が終わった後で、ようやくポーリーンを引き取りに現れた。頼りにならなさそうな父親だが、ポーリーンは懐いており、信頼関係はあるようだった。


 その後に様子を見に行くと、ドーンは新しい妻を引き入れており、家庭内はすっかり夫婦と、お邪魔虫の連れ子という環境になっていた。


 新しい妻は、ポーリーンのことを無視しているに近く、可愛がってはいないが、だからと言って、別に邪険にもしていなかった。ジュリウスがこっそりポーリーンに話を聞くと、病気になったりした時は、義務的だが看病してくれるそうだ。またポーリーンが必要なことを話すと、その時はきちんと聞いてくれ、父親よりかは頼りになるとのこと。


 すっかり大人びた顔つきをするようになったポーリーンは、デロリスにそっくりな顔で笑った。


 それを見て、ジュリウスは、デロリスを思い出して、なんだかもの悲しくなった。



 取調室のデロリスが頭をかすめる。



◇◇◇◇◇◇



 取調室では、捜査官たちはデロリスに厳しい態度であたった。凶悪犯だからだ。


「以上の事件に関わっていたことは、確認が取れている。間違いないな」

「……」


「黙っていても無駄だ。目撃者もいるんだ」

「……」


 ジュリウスが遅れて部屋に入ると、デロリスはぎろりとにらんだ。


「この人でなし。小さい子がいるのに、母親と引き離して」


 取調室でデロリスは、大声を出した。


「役人の仲間だったんだね。騙されたよ。汚い手を使いやがって」


 そう憎々しげに言った。話をしていた捜査官に代わって、リックが言った。


「大体の情報はつかんだ。来週、絞首刑だ」


 デロリスは急に静かになった。そして耐えられないとばかりに、囁くように言った。


「お願いだ。私には小さな子どもがいるんだ」


 目に涙を浮かべて訴えた。


「娘と引き離されるなんて耐えられない」


 肩を震わせて同情を誘う。


「お願い。ポーリーンに会わせて」


 取調室には沈黙が落ちた。


「頼むよ。一目でいいから娘と会わせて」


 次に猫なで声を出した。そして捜査官の後ろにいる、黙ったまま立っている、ジュリウスをじっと見た。


「このままじゃあ。ポーリーンだって、可哀想だろう?」


 デロリスの見立てでは、こう言ったらジュリウスは、動揺するはずだった。だって見るからにお人好しで、善人なのだ。子どもが母親と引き離されるなんていう悲劇に、耐えられるはずがない。だがジュリウスは平然としていた。デロリスは当てが外れたような、まるで裏切りにあったかのような顔をした。


「え、なんで……?」


 デロリスは動揺した後、誰も返事をしない取調室で、立ち上がった。そして唯一のお人好し、ジュリウスに重ねて訴えた。


「ポーリーンに会わせて。あんたたち、子どもから母親を取り上げる気かい。子どもはね、いつだって母親を求めているものなんだ。冷たい。残酷だよ」


 デロリスは必死だった。このままでは死罪なのだ。なんとしてでもポーリーンの存在をアピールして、せめて終身刑に持ち込みたかった。


「ジュリウス君。答えてやりたまえ」


 リックにそう言われたジュリウスは、少し困った顔で言った。


「その……、会いたくないと」


 そんなことを言われたデロリスは、怒りで大きな声を出した。


「ふざけるな。嘘をつくんじゃないよ」


 デロリスは体制側が、いい加減な嘘をついて、死罪に持ち込もうとしているのだと思い、激怒した。


「嘘ではなく。本当にそう言ってます」

「そんなわけないだろう」

「……」


 ジュリウスが困ったように目を泳がせた。デロリスに気の毒なことは、言いたくないという姿勢が、余計に誠実さを浮き彫りにさせた。ジュリウスは本当のことを言っているのだ。


「どうしてさ。あの子なんて言っているの」


 ジュリウスは、頭の奥がじんとしびれたように感じた。


「……怖かったと」


「なにが?」


「ダニエルが来てからの家の中は、怖くて逃げ場がなかったと。私の側しか安心できなくて怯えていました」


 デロリスはなにを言われているのか、ぴんと来なかった。


「でもあの子そんなこと、なんにも言わなかったよ」


「一度、訴えたら、酔っ払ったあなたに、うるさいと怒鳴られたそうです」


「それくらい……」


 ジュリウスはデロリスの目が見られなかった。


「あなたにとっては、『それくらい』のできごとなんでしょう。おそらくあなたも、子ども時代はそんな家庭だった。そうやって育てられた。だからそれが子どもにとって、つらい環境だということがわからない。でもポーリーンは普通の子です。普通の子には、あの三日間は地獄だったんです」


「そんなこと……言ってくれれば」


「あなたには理解できないのでしょうが、普通の親は、言わなくても、子どもを守るんです。子どもになにか言われる前に、安全な環境を作るんです」


「じゃあ、じゃあ。これからは気をつけるよ。ダニエルみたいなやつがいる時は、ポーリーンを側に置いておくよ」


「…………デロリスさん。『普通』の親は、ダニエルみたいな人間を、家に招き入れません。そもそも付き合いもしないんです。子どもにどんな危害が及ぶか、わからないから」


「……」


「ポーリーンは自分の母親が、危険な人物を自ら家に招き入れ、共に酒盛りし、寝台に入るのを見ています。勇気を出して助けを求めても、母親に拒否された。そしてあの怯えようから、ダニエルに暴力も振るわれています。だからただの使用人の私から、離れようとしなかったのです」


「なんだって、ダニエルの野郎。あたしのポーリーンに」


 デロリスは本心から怒りをぶちまけ、机をこぶしで叩いた。


「そのダニエルを、家に招き入れたのはあなたです。ポーリーンの安全を少しも、考えなかったのですか」


「だって……、あいつ断ると暴力をふるうし、酒を与えて、適当に相手しておけば、おとなしいから」


 ジュリウスはなんだか悲しくなった。毒婦と呼ばれるデロリスにも、少女時代もあれば、子ども時代だってあっただろう。ポーリーンと同じ年だったことも。デロリスを守ってくれる、大人はいなかった。だからダニエルのような粗暴な男は、そうやってやり過ごすしか、術がなかったのだ。


「……もし、またダニエルのような男が、来たとします。ポーリーンのいる家に、招き入れますか?」


「…………わからない」


 デロリスは長く沈黙した後、下を向いてぼそりと言った。


 デロリスはいい加減なことを、言っているのではない。本心からわからないのだ。だってデロリスは小さい頃から、ダニエルのような男をもてなすことで、暴力から逃げてきた。それ以外の処世術を知らないのだ。


 彼女がポーリーンを置いてしまった環境は、取り返しのつかないほど、ポーリーンを傷つけた。だが、そのことに気がつかず、指摘しても、『それくらい』と思ってしまうデロリスの感覚こそが、彼女の不幸な生い立ちを証明していた。


 しかし、デロリスは凶悪犯で、同情は一切できない。だから、彼女が歪まざるを得なかった環境を、心情を汲んでやる時間はもう終わりだ。どうにもジュリウスは、犯人の子ども時代の歪みに同情を寄せてしまうところがあるようだ。


「そういったわけで、ポーリーンはあなたと会いたくないそうです。まあ、そうは言っても、刑の執行前に会う時間は作ります。どうかその前に……」


 ジュリウスはなんと言ったら良いものか迷った。


「ご自分の感覚が、『普通』の子どものポーリーンと、大分かけ離れていることを、自覚して下さい。そうすればポーリーンと過ごす最後の時間が、有意義なものになるでしょう」


 ジュリウスは役目を終え、取調室から外に出た。




 その時、デロリスがたまらず、悲鳴のように絞り出した声で言ったのが聞こえた。


「あれくらいで?」




 ジュリウスには、昔小さかった女の子が立ち尽くしているように見え、胸が痛み、すぐに目をそらし、そのことを忘れた。


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