自然死
その日は天気の良い日だった。
寒さがやわらぎ、日によっては暖かいと感じる日もあるなど、春に近づいていた。そのため久しぶりに、桟橋釣りをしようという話になったのだ。保存食が多い食事も飽きてきた。
だからラムレイ男爵家の男たちは、張り切って着込み、釣りに乗り出したのだ。水が冷たいと、嬉しそうに文句を言いながら、釣り針をたらした。子どものようにわいわいとはしゃぎ、楽しんだのだ。
大きな鯉が思ったよりも釣れ、早めに引き上げようと、片付けをしている所だった。ジュリウスの父親オルダスが、道具を放り投げて走り出したのだ。
驚いたジュリウスと、祖父のゲイアスが顔を見合わせると、剣戟の音が聞こえてきた。
路上では、少年を連れた老人を、殺気だった十人ぐらいの男たちが、取り囲んでおり、劣勢だった。
「おもしろそうだな。助太刀いたす」
「かたじけない」
オルダスの抜いた剣を見ても、相手は自分の有利に揺らぎないようだ。嬉しそうに切り込んでいくオルダスが、相手の輪を乱し、遅れて駆けつけたジュリウスとゲイアスの登場で、相手側にはようやく動揺が見えてきていた。
「おい、俺の獲物、取るんじゃねーよ」
機嫌が悪くなるオルダスを見て、ジュリウスとゲイアスは、少年を守っている老人を、護る方に立った。
老人は年季のいった構えで安心感があったが、少年の方は若い分、力が入りすぎており、まだまだ未熟さが感じられた。
目的を遂げるのに、思ったよりも手間がかかりそうだと判断したらしく、相手側はあっさりと引き上げた。
「助かり申した」
「大変でしたね。相手方は一体……」
「……」
黙り込んだ老人と少年を見て、ジュリウスはなにか事情があるのだろうと感じた。
「父上。相手の強さはどのような感じでした?」
「命令をだしていた奴が、相当やるな。引き際も鮮やかだった」
「……」
どうでもいい相手の刺客に、手練れは使わないものだ。つまりこの老人にかばわれている、少年は。
「私たちはラムレイ男爵家のものです。こちらは当主のオルダス。その父のゲイアス。オルダスの息子のジュリウスと申します。良かったらわたくしどもの家に、参りませんか」
「……ありがたいお申し出ですが、このような身の上。万が一、危険なことがありましたら」
「父は戦いに身を置いており、本望でしょう。それに子ども……年若い方をお連れだ。なにかと不自由では」
老齢のゲイアスが安心させるように、こう言った。
「今日は、息子たちと、釣りに行きましてな。多めに釣りすぎてしまったのです。良かったら、鯉料理はいかがかと」
老人の名前はベリスフォード、少年はジョシアと言った。明らかに上流階級の出身だった。
夕食を食べながら話は進んだが、一切立ち入ったことは話そうとしない、ベリスフォードを見て、ジュリウスはしばらく滞在させて、様子を見ることにしたのだ。
しかし夜も更けてきたころ、ジョシアの落ち着きがなくなった。ちらりとゲイアスや、オルダス、そして迷ったようにジュリウスを見る姿は、なにか相談したいことがあるようだ。当然ベリスフォードも気がつき、案じているようだった。
「ボードゲームでもするかい?」
ジュリウスは年下のジョシアを、気軽にゲームに誘った。シェリーも一緒にわいわいと楽しむと、ジョシアの気はだいぶほぐれたようだった。
その後、シェリーが台所に立ったので、ジュリウスもさりげなく後を追い、話をしていると、そこにジョシアも来た。
「実は私はアトキンズ伯爵家のもので、当主エードリセンの長男ジョシアと申します」
ジュリウスの背筋が総毛立った。アトキンズ伯爵家はかなりの家柄で、それなのにその後継者がたった一人の供しかつれず、徒歩で移動し、かつ暗殺者に命を狙われているなど、あり得ない話だからだ。
「それでは、すぐにアトキンズ伯爵家に保護を……」
「無駄です。伯爵家は、摂政と呼ばれるベレトに支配されています」
「そんな馬鹿な」
「ベレトには常識は通じません。また手段を問わない恐ろしい男なのです」
「……」
「私は三年前、十二歳の時にベレトに闇討ちされそうになり、ベリスフォードとともに逃げてきたのです。父のエードリセンは傀儡として、人質に取られています。でも私には願いが一つあり、それだけを糧に生きてきました」
ジュリウスも、シェリーも、緊張してごくりとつばを飲み込んだ。
「ベリスフォードに……、じいやに穏やかな生活を過ごして欲しいのです」
話の雰囲気が急に変わり、ジュリウスたちは目を合わせた。
「じいやは、義侠心あふれる武人として、まわりの信頼を得ていて、難しい立場のわたしの護衛を務めてきました。だからこそ、闇討ちされそうになった時に、父が、じいやだけは絶対に裏切らないと、私を託したのです。
でも子どもを抱えた逃亡生活が、そう上手く行くわけもありません。ですが、じいやは慣れない家事をしながら、わたしに武術を教え、そして学問も教えてくれたのです。大変だったでしょう。私はまだまだ未熟で、じいやは決して弱音をはきませんが、重荷だったに違いありません。
ジュリウス様。お願いがあります。ここに住まわせて頂けませんか。あれだけ強い方が揃っていらっしゃるお宅なら、安心して住めます。そしてその時間を使って、私は強くなりたいのです」
ジュリウスとシェリーは、ほろりと来た。
二人とも、滅茶苦茶な両親に育てられ、頼りは祖父母だけだったのだ。特に祖父のゲイアスには守ってもらい、育ててもらった。おじいちゃん子なのだ。二人はジョシアの手をがっしりとつかむと言った。
「任せてくれたまえ」
「もちろんよ」
オルダスとゲイアスは、立ち聞きしていたベリスフォードに聞いた。
「どうする? うちはいいぜ。一人や二人」
「子どもを連れての旅は、大変だろう」
ベリスフォードは大きくため息をついた。
「お小さい方が大きくなるのは、あっという間ですな。私の心配をして下さっていたとは」
翌日、ジュリウスは学院に急いだ。襲撃があった時に備えて、しばらく休むつもりだからだ。だから専用控え室にいた、レイモンドとローズの元にいる、リックを至急訪ねたのだ。
「まあ、じいやを」
「そうか、じいやをな」
「……」
ローズは、ちょっとうるんだ瞳をし、レイモンドは不機嫌に横を向いたが、その声は動揺し、リックは無言だった。
三人とも難しい立場で育ち、両親や兄弟ともひんぱんに会えるわけではない。そんな中、支えてくれるのは乳母や、じいやなどの数少ない信頼できる身内なのだ。全員、おじいちゃん子なのだ。
「とにかく、その話が本当なら、アトキンズ伯爵家が、とんでもない事態になっているということだ。しかも主君を人質にとられては、国に報告するのも慎重にならないとな。そういった調整は後でするとして、まずは急ぎ、実働部隊を送ろう。ジョシア殿の警護にあたる」
レイモンドにそう言われたジュリウスは、安心して先に家に飛んで戻った。
その後、マックスとバロネスの報告を聞いたジュリウスは、難しい顔になった。
ジョシアの実家アトキンズ伯爵家では、摂政と呼ばれるペレトが実権を握り、牛耳ってきた。
そのため三年前に、ジョシアの言うとおり、闇討ち事件が起きたのだ。ジョシアは父親エードリセンと、その親戚筋のレナとの間に生まれた子どもだ。二人は想い合っていたが、当主の妻という座を、ペレトが自分の思いどおりにならない人間に、与えるはずもなく、愛人に甘んじていた。
だが生まれたジョシアを、エードリセンは陰では可愛がり、その護衛として、信頼できるベリスフォードに任せていた。ペレトに支配されながらも、なんとか温かい家庭を作ってきたのだ。
一方、ペレトは自分の娘ビビアンを、得意げにエードリセンの妻とした。そして愛人のレナを闇討ちしたのだ。そこまでする必要はなかったのに。
これでペレトは天下をとれるはずだった。だがエードリセンは愛するレナを失った悲しみと、当主としての責任感から、ビビアンに薬を飲ませ、子どもができない体にしたのだ。
ペレトは非常に疑り深い男で、だからこそ今まで、アトキンズ伯爵家を牛耳り、権力を自分のものにすることができていた。
だが、いざ自分の娘が当主の妻として、使えないとわかった時、普通なら考える、代替案、親戚の娘などを利用する案を選べなかった。
ペレトは、そいつが裏切ったらどうするのだ、そいつの親が裏切ったらどうするのだと、ひたすら疑心暗鬼になったのだ。誰も信用できないペレトの計画は、孫ができない時点で詰んだのだ。
さらにペレトを追い詰める要因があった。
ペレトは弟クレイを憎んでいた。ペレトは優秀で目端の利く男だった。だがどういうわけか父親も母親も、弟クレイのほうを大事にしていた。なぜかクレイのまわりはいつも人がいるのだ。そんな弟が気に入らず、ペレトは出世街道を歩んだ。
クレイは平凡で、前主君の弟の長女、つまりエードリセンの従姉妹に婿養子に入った。そこでつまらない家庭を築いたのは別にいい。
五人の子持ちだ。そう、子どもがいるのだ。
ペレトは念願の、当主の外戚になったにもかかわらず、未来の当主の外祖父になれなかった。
一方、クレイは、当主の従姉妹の婿だ。
クレイの子どもたちには継承権があるのだ。権力を独り占めしたかったペレトによって、正統な血筋は、みな遠くに飛ばされていた。
だからこそ、その次の地位のクレイとその子どもたちは、いまや実権を握りつつあったのだ。
そして気がついたのだ。ペレトはあんなに消えて欲しかった、正統な当主エードリセンしか、自分の手駒が残っていないことに。
そこでペレトはようやく、決心したのだ。エードリセンの息子ジョシアを、使ってやろうと。跡継ぎの座に据えて、ペレトの手駒にしようと。しかし今度はその計画がうまくいかなかった。
◇◇◇◇◇◇
アトキンズ伯爵家に潜入したジュリウスは、雇われの護衛としてペレトに仕えていた。比較的、潜りやすく、側につきやすい。そして高給をもらえるはずの職業だ。だが案外、払いは渋かった。それを見て、ペレトの先は長くないな、と思ったジュリウスだった。自分の命に予算を割けないほど、追い詰められている。
ペレトはやり過ぎたのだ。
エードリセンの愛人レナを生かしておけば、エードリセンもビビアンとの間に子どもを持つことに、そこまでの抵抗はなかったかもしれない。
自分の手駒である正統な当主に価値をもたせるため、継承権を持つエードリセンの兄弟や甥姪たちを、中央から追い出した。だがその結果、『正統なる血筋』そのものの価値を、ペレト自身で暴落させてしまった。
いまや政権はペレトの弟クレイと、その子どもたちという、大所帯が運営しつつある。憎むクレイに、ペレトからプレゼントしたようなものだった。
ペレトは冷笑を浮かべ、ジョシアを手に入れろと、指示を出していた。
「ラムレイ男爵家? それがどうした。そんなものは蹴散らせ」
「ラムレイ男爵家はボウエン伯爵家の家門です。ジョシア様を守っており、我々ではどうにもなりません」
「……ならば正式に呼び出せ。ジョシアを。正攻法で行けばよいだろう」
「……最初にラムレイ男爵家が、この件をお上に届け出た時、役人の詮議がありました。ジョシア様はアトキンズ伯爵家内にいて、なにも問題は起きていないと答えろと、指示されました。正攻法はもう使えません。ジョシア様は伯爵家内に、いることになっているのです」
「忌々しい。母親を人質に取ろうにも、やってしもうたな。では父親を人質に取ろう。これなら出てこざるを得ん」
「…………難しいかと」
「なぜじゃ」
「ジョシア様ももう十五歳。精神的にも、政治的にも、父親が必要な年齢ではございません」
「なにをばかな……」
泣き虫だったジョシアはこの三年で、独り立ちするまでの、目まぐるしい成長を遂げていた。そしてそれは皮肉なことに、ペレトという悪役が、ジョシアを千尋の谷に突き落としたからこその、成長であった。
ペレトは笑い飛ばそうとして、できなかった。
ペレトの持っている、たった一つになってしまった手駒は、もう人質にする価値すら残っていないのだ。それはペレトの終わりを意味していた。
ペレトは自分の机から立ち上がり、しばらく次の案を考えていた。机から暖炉に向かって歩いて行き……。
ペレトは腹の中を、とても冷たい風が吹き抜けるのを感じた。そして自分の腹から刀が生えているのをその目で見たのだ。
「お覚悟を」
誰かが背中から囁いたのを聞いた。護衛の服装をした男が一人、たまらず床に崩れ落ちたペレトの後ろに立っていた。ペレトの側近が、駆けより叫んだ。
「医者だ。医者を呼べ」
何人かがばたばたと部屋を出入りしたが、誰も男を捕らえようとしなかった。男が逃げようとしなかったからだ。
入り口近くで護衛に潜り込んでいたジュリウスは、正体がばれるのも構わず、飛び出て、ペレトの手当を手伝おうとした。だが一目見て無駄なのがわかった。
側近の一人が、刀の血を拭いていた男に尋ねた。
「あなたは……、ジョシア様のお母上、レナ様のご尊父でいらっしゃいますね」
「うむ」
ジュリウスは確かに、レナの人相書きに似ていると思った。
「仇討ちですか」
「むろん。娘の敵だからな」
「当然ですね。………………このままお帰り頂いて構いません」
「なぜだ」
泰然としていた男も、驚いて聞き返した。側近は疲れたように笑った。
「自分の思うがままに人をあやめて、人々の人生を振り回したのです。当然の最期でしょう」
男が帰るのについて、ジュリウスも脱出した。
ペレトへの闇討ちを止めることもできず、事件はうやむやに処理されるのだ。なにも役に立たず、無力感を覚えた。
だが当然の最期とは、言い得て妙なものだと感じた。まるで自然発生的に起こったようではないか。
ペレトは時間というものが、すべての人に働くというのを、失念していたのだろう。手持ちの駒だった当主が年を取ることも、邪魔にした後継者が、子どものままではいないことも。
そしてペレト自身も年を取る。ペレトの頭の中では、これからジョシアを手に入れて、政権を支配するつもりだった。だがペレトもあと十年もすれば、隠居する年齢だったのだ。普通なら、人生の戸締まりを始めるにもかかわらず、ペレトの中では時間が止まっていた。
その後、アトキンズ伯爵家から、ペレトの死が発表されたが、死因は「自然死」とされた。ある意味その通りだった。
エードリセンは、監禁場所から解放され、生きている内に会えたと、ジョシアと再会を祝ったのだ。
「そんなわけでジョシア様は、ベリスフォード殿に、なにか恩返しをしたいと仰ったんですが、ベリスフォード殿のほうは、旅暮らしも、気ままで良かったと。ですがじいやへの贈り物って、なにがいいんでしょうね」
ジュリウスは報告しつつ、疑問を述べた。
レイモンドも、ローズも、リックも、バロネスも、マックスも考え込んだ。
自然と老齢のクィンタスに目が行く。
「年を取ると欲しいものはなくなります。食欲も、体力も、気力も減りますし。まあ、のんびりと遊びなどがいいでしょう。釣りに行ったり」
翌週、アトキンズ伯爵家でも、ボウエン伯爵家でも、ダイアー伯爵家でも、ラムレイ男爵家でも、揃って賑やかに釣りに出かける姿が見受けられた。
クィンタスは内心では面倒だと思いながら、『孫』たちの遊び相手に、仕方なく付き合った。
そして釣り糸を下げながら、ぼそりとつぶやいた。
「若者たちの成長に、勝る楽しみはないんだが。
いくら言っても、当の若者たちにはぴんと来ないのだろうなあ」
ただ守られていた小さな存在が、誰かに守ってもらったことを感謝するようになり、その真心に尽くそうとするようになる。その心根の成長が、老いたものには尊く感じられるのだ。




