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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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求められる婚約者像


 学院のキーオ伯爵令息のリーバイは、容姿端麗で、その上、名門キーオ伯爵家の跡継ぎ息子だった。婚約相手として、とても人気があり、争奪戦が繰り広げられていたのだ。


 その婚約を勝ち取ったのは、ライルズ子爵家の長女カテリーナで、幼なじみという立場を悪用して、無理矢理婚約者の座におさまったと、悪評が絶えなかった。キーオ伯爵家も本意ではないのに、付き合いで婚約せざるを得ず、リーバイ本人も、とても迷惑しているらしい。


 だから学院ではリーバイに同情するものが多く、いまだ婚約者の座は狙えるのではないかと、魂胆する女性もいて、カテリーナは嫌われ者として有名だった。


 なにせリーバイは、成績優秀者で、すべての試験の結果が良く、提出物もよく、教授たちに褒められ、あらゆる面で目立っていたからだ。だからそれほど裕福ではない、カテリーナを追い落とそうとするものは多かった。


「見て、リーバイ様よ。お美しい。いつも素敵なお召し物を着ていらっしゃるわ」

「それに比べて、一緒にいるカテリーナ様はなんなの。あんな安物の服を着て。一緒に歩いて恥ずかしくないのかしら」

「服もそうだけど、靴も、髪留めも。安っぽいこと」

「仕方がないわよ。だって彼女のご実家、裕福ではないもの」


 カテリーナにわざと聞こえるように、大声でさえずる女性たちを、カテリーナは冷静にやり過ごした。しかし同じようなことを男性たちにも言われると、少しつらかった。世界中に味方はいなくて自分一人だけと感じられてしまう。


 今日も授業のノートを2冊分取り、昼休みに一人で昼食をかきこみ、貴重な残り時間で、二名分の提出物を仕上げるのだ。しかも片方は、「優」がもらえるように、品質を維持しないといけない。


 とうぜん時間は足りず、放課後も図書館に通うのだ。


 いい匂いがして、ちらりと目線を上げると、ボウエン伯爵家のローズがお茶を飲んでいるのが、吹き抜けの二階に見えた。うらやましくて仕方がない。一般生徒用の一階は飲食禁止なのだ。長時間、図書館を使うカテリーナは、飲食とまでは言わず、せめて水が飲みたかった。


「学生さん。お茶が余っちゃったの。飲む?」


 カテリーナは、職員に声をかけられ、ありがたく頂いた。なんでもその時間帯に、お茶を入れる用事があるのだが、人数が変動してどうしても余ってしまうらしい。図書館の職員は親切な人が多く、カテリーナの大きな癒やしになっていた。



◇◇◇◇◇◇



 男爵令嬢のヴァレリアは、最近リーバイと懇意になっていた。


 ヴァレリアは、妖艶で豊満な外見を使い、人気者のリーバイを落とすつもりだった。なにせすべて揃った男なのだ。手に入れるに決まっている。リーバイのほうも、見栄えが悪くて、いつも疲れているカテリーナよりも、はつらつとしたヴァレリアを好んだ。ヴァレリアは確実な手段として、自分の体を使い、若い二人は簡単に堕ちたのだ。


 いつものように昼食を、かきこんでいたカテリーナは、久しぶりにリーバイに話しかけられた。ヴァレリアにせっつかれたリーバイは、突然、大勢の人がいるカフェテリアで、婚約解消を宣言したのだ。正気の沙汰とは思えなかった。


「すまない。カテリーナ。だが君はいつもみすぼらしくて、疲れている。そんな君よりヴァレリアにひかれて当然だろう」

「ごめんなさい。カテリーナ様。わたしのほうがいいって、リーが言うから」


 カテリーナは茫然としながら言った。


「そのことは、キーオ伯爵はご存じなんですか」

「昨日言っておいた」


「許可はいただけたんですか」

「『好きにしろ』と」

「やだあ、しつこくない?」


 ヴァレリアが笑いながら言ったが、カテリーナは真剣だった。


「本当に、本当に、解消で間違いありませんか? キーオ伯爵が後から撤回するとかありませんか」

「父上はそういうタイプではない。好きにしろと言ったら、自由にしていいという意味だ」


「撤回もないということですね」

「面倒くさがりな方だからなあ」


 リーバイは日頃の父親を思い出しながら、うんうんと頷いた。


「わかりました! では婚約解消ということで。ここにキーオ伯爵令息リーバイと、ライルズ子爵家カテリーナの、婚約解消を、両者ともに宣言します」


 カテリーナは周囲に、よく聞こえるように宣言した。リーバイは幼なじみのカテリーナの、奇行に慣れていたので、なにも考えずに眺めていた。ヴァレリアは目を白黒させている。


「ちょっと、カテリーナさん。ショックでおかしくなったの?」


 カテリーナは再び席に座ると、目をキラキラさせて残りの昼食をしっかりとかきこみ、満面の笑みでカフェテリアを出たのだ。




 カテリーナは一度家に戻り、入念に身支度をして、ドレスアップして、図書館に行った。そしていつも歴史書を読んでいる、クロードに話しかけたのだ。


「読んでいるとこ、ごめんね」

「い、いいや。前にも読んだ本だ」


「あの、クロード君に、どうしても言いたいことがあって」

「な、なんだ」


 カテリーナもクロードも、気がついていなかったが、今日はやけに職員の数が多かった。


「変に思われてしまうと思うけど、でも、後悔したくないから」

「ああ」


「私、実は……。リーバイが婚約を解消してくれて」

「なんだと」


 クロードは大きな声を出してしまい、口を押さえた。


「だから……」


 クロードは頭が真っ白になったようで、しばらく固まった後、考え込み始めた。


 少し離れた所で作業をしている職員たちの手が、拳のように握られ、まるで誰かに声援を送っているかのようだ。


「俺も後悔したくない」


 そういうとクロードは、カテリーナの前にひざまずいた。


「俺と結婚してくれ」

「……はい」


 カテリーナが感極まった声で返事をする、その後ろで、二人をずっと見守ってきた多くの職員たちが、職業柄、音を立てずに喜びのダンスを始めた。


 ほとんどの生徒たちは、世代の違う職員が目に入っていないが、職員という名の大人からは、案外よく見えているものだ。明らかにつらい境遇のカテリーナと、彼女を見守るために日参するクロードを、皆、応援していたのだ。



◇◇◇◇◇◇



 子爵令息のリトのまわりは、つねに女の子で一杯だった。


 リトは優良物件で、その上、婚約者がいなかったからだ。婚約者の座を狙う女生徒が、まわりを取り囲み、またリトも女性の扱いが上手く、華やかな場を好んだので、リトのまわりだけ別空間のようだった。


「ねえ、聞いた。カテリーナさんの話。リーバイ君の婚約者に無理矢理なったって。幼なじみって立場を悪用してひどいよね」

「キーオ伯爵も、リーバイも、迷惑しているんでしょう」

「それにしても、リーバイ君てすごいよね。レポート全部『優』なんて、憧れるわ」

「そういえば、今日のカテリーナさんの服、見た? どうしてあんなみすぼらしいのかしら、隣のリーバイ君に恥をかかせているわ」

「なにもかも安っぽいこと」


 リトのまわりでは、いつもそんな風に、女子生徒たちのおしゃべりが絶えなかった。


 その日の地理の授業で、実習に合わせて組を作ることになった。リトと組みたい女生徒は多く、競争になったが、カテリーナは教室の中で一人、ぽつんとしていたのだ。カテリーナは忙しなく動き回っており、友だちを作る暇なんてなかった。ましてやリーバイの件で、男性からも女性からも嫌われているのだ。誰が組んでくれるというのだろう。


 しかしクラスの中には、カテリーナをグループに入れてやろうとする、男子生徒、女子生徒が何人かいた。しかしその動きは、彼らと組んでいる他の生徒が、カテリーナを嫌がり、尻すぼみになっていく。


 そこへ三人組の女子生徒の一人、メアリが立ち上がったのだ。メアリは友人と話合い、一人だけカテリーナと組むことにした。


「メアリさん。無理してない。私一人でも平気だから」

「心配しなくて大丈夫よ、カテリーナさん。後の二人もわかっていることだから」


 それ以来、メアリはカテリーナと、よく話すようになった。そのためメアリは忠告を受けたのだ。性悪のカテリーナに近づかない方がいい。そのほうがあなたのためだと。


 その話を目の前で聞いていたリトは、人々の気軽な悪意にいっそ感心した。そして動じないメアリと婚約したのだ。


 ショックを受けた取り巻きたちは、裏切り者のリトを取り囲んだ。

 自分を選ばなかっただけでも、衝撃なのに、取り巻きですらない、リトになんのアピールもしていなかった、小者に負けたことが、受け入れられなかったのだ。


「今すぐ、メアリさんとの婚約を取り消して。おかしいでしょう。彼女なんにもしていないじゃない」

「それにカテリーナさんと親しいのよ」

「ねえ、どうして私たちじゃ駄目なの」


「駄目な理由は……」


 リトはまるで、いつもするおしゃべりのように、軽く話し出した。


「知っているとおり、僕の家は勢いがある分、舵取りが難しい家なんだ。当然、嫁ぐ人間はしっかりした人じゃないといけない。だから学院で、物事を自分の目で見て判断できる女性を探していたんだ」


「メアリさんがそうだって言うの?」

「うん。いろいろ話したけど、求めている女性だった」


「どこが?」

「例えば、カテリーナさんが、リーバイさんと無理矢理婚約を結んだなんて、荒唐無稽な話だよね。裕福な伯爵家が、貧しい子爵家に婚約を結ばせられるなんて。あり得ない」


「でも、みんな、そう言ってるわ。それにだったら、どうしてリーバイ君が、カテリーナさんなんかと」

「『わからない』とメアリは答えたよ。想像で理由や結論を、作ったりしないんだ」


「でも」

「リーバイ君の、『優』のレポートを返す時、教授たちはどうして、カテリーナさんに渡すんだろうね」


 教授たちは「リーバイのレポート」を褒め、その後、カテリーナの分とまとめて二冊、カテリーナに手渡すのだ。「よくやった」と。


「そんなの、婚約者のカテリーナさんが取りまとめているからでしょう」

「他の人にはしないのに?」


「だってリーバイ君は特別に優秀だから」

「なにかを疑問に思った時、レッテルを貼って安心したがる人たちがいる。そういう人たちは観察行為が苦手なんだよなあ」


「ちょっと、どういう意味?」

「学院でよく聞くけど、カテリーナさんがみすぼらしいせいで、隣のリーバイ君が恥をかいていると。本気でそう思っているの?」


「だって……、そうじゃない。違うの」

「僕の感覚からすると、隣の婚約者がみすぼらしいのに、裕福な癖に、なんの贈り物もしないリーバイ君は最低だと思う。彼は本当に、なにも見てないよね。僕はメアリと婚約した時、アクセサリから服から帽子まで、いろいろ送ったよ。特に気になっていた靴は三十足くらい贈った。そういうものではないの。逆に君たちは……、あんなに婚約者のことを、まるで使い捨てにしているリーバイ君にどうして憧れるの。婚約したら自分たちが、今度はカテリーナさんと同じ扱いを受けるんだよ」


 答えは決まっている。みすぼらしいのはカテリーナに原因があるからで、自分が婚約者になったら特別に大事にしてくれるだろうと、根拠もなく思い込んでいるのだ。


 その時、カテリーナがクロードにエスコートされ、教室に入ってきた。以前に比べて身だしなみが整っているが、なによりも瞳が生き生きと輝いている。幸せなのだ。


「ほら、あれが、君たちが、婚約を解消された気の毒な性悪女と、噂をする女性だよ。彼女のどこが気の毒そうに見えるの。以前は幸せそうだった? 本当に君たちは目の前が見えているのかい?」



 リトのまわりに群がっていた女性は、別の獲物を探しに行った。


 だがなぜか獲物は急激に数を減らしていた。


 リトはメアリを連れて、昼食を取りに言った所、婚約者を連れた友人と相席になった。友人の場合は、相手の女性のほうが優良物件と噂されていた。つまり友人は、メアリのように選ばれた男なのだ。


「リーバイさんと、カテリーナさんのおかげで、婚約が決まっていなかった人たちが、次々に決まったな」


「ああ。目が見えている人と、見えない人の差が、一目瞭然だったからな」


「「「「それにしても」」」」


 全員がいっせいに疑問を口にした。


「目の前で起こっていることが、見えていない人たちって、なんなんだろう」


 四人とも理解できなかった。


 すぐ隣の高位貴族用スペースで食事をしていた、ボウエン伯爵家のレイモンド、その妹ローズ、部下のリックと、ジュリウスは、たった今聞こえてきた会話に、一瞬固まった。


 この四人は、立場上、そういった現実を認識する能力を求められる。もっともジュリウスは四人の中では一番低く、いまだにリックにはまったく敵わない。


「思い込みが激しい奴らは確かにいるな。だがそれで損をしている場合でも、修正しないのが不思議だ」


 レイモンドがつぶやくように言った。


「体感では、二割から三割はいますね。別の世界を見ている人間が」


 リックのつぶやきにローズが答えた。


「正しく世界を認識できないから、損をしていることに気がつかないのではないかしら」


「「あー、なるほど」」


 レイモンドと、リックが納得した。


 平凡な世界で育ったジュリウスにとっては、思い込みの激しい人物は、そこまでめずらしいものではない。愚かな人間というのもたくさん見てきた。


 むしろリックや、レイモンドのように、洞察力に優れている人間のほうが遙かにめずらしい。そのことを口に出せず、高度な人々に囲まれて、孤独を感じた。


 だが高貴な方々は、自分たちが普通だと思っているのだ。



◇◇◇◇◇◇



 リーバイとヴァレリアの関係は、すぐにおかしくなった。


「ヴァレリア、どうして今日のレポートを提出しておかなかったんだ。代わりに教師に怒られたぞ。明日までに提出しておけ」


 ヴァレリアは、言われた意味がまるでわからず、五分ほど固まった。そしてリーバイから話を聞き出したのだ。


「待って、待って、待って。あのね。リーバイ。レポートを代わりに作成するのは、そういうのを専門にする使用人の仕事であって、婚約者のやることではないの。だから私に言われても困る。わかる?」


「でもカテリーナは……」


「それはさっき言ったよね。カテリーナが特殊だったの。彼女と一緒にされても困るから」


「じゃあ、どうしたらいいんだ」


「使用人に頼んで。あのね、何度も言うけど婚約者は、使用人じゃないから」


「でもカテリーナは……」


「だからそれは、あなたのお父様が、カテリーナのお父さんに、お金を貸していたことが原因なんじゃない? そのせいで、婚約者を使用人のように、使ってたってことなんじゃない?」


「昔からそうだったぞ」


「あんた、そんな昔から、カテリーナ……さんを、酷使してたの? 人の心はないの?」


「だって、私の教育係が、カテリーナの母親なんだ。だからずっと一緒だったし、ずっと仕えてくれていた」


「『仕える』って自分で言ってんじゃない。さすがに可哀想。父親の借金に、母親の仕事で、カテリーナさん、逃げ場ないじゃない。目の前で見てて、なんとも思わないの?」


「カテリーナは私が好きなんだ。だから朝、起こしに来てくれて、身だしなみを整えてくれて、お茶を用意してくれて、朝食を出してくれて」


「完全に使用人じゃない。まごうことなき使用人。え、もしかして、それを婚約者の仕事だと思ってるってこと」


「うむ」


「今すぐ、カテリーナ様がやってたことを、使用人に任せて。私は婚約者だから、そういうことは一切やらないからね」


 そう言われたリーバイは、しぶしぶと、身の回りの世話をさせる使用人を一人増やした。


 しぶしぶだったので、せめて目の保養をしようと、一目見て気に入った、ナガン男爵家のアンを側に置いたのだ。二人はすぐに『仲良く』なり、ヴァレリアの前でも、いちゃいちゃするようになった。


「ちょっとリーバイ。婚約者の私の前で、それはないんじゃない」


「だってお前、なにもしてくれないし。それならアンのほうがいろいろしてくれる」


「そのいろいろって、身の回りの世話のことよね」


 ヴァレリアは呆れたように言った。


「うむ。そもそも……、ヴァレリアがなんにもしてくれないから」


「いや、相当いろいろしてあげてるけどね。特に寝台で」


 ヴァレリアは、普通の婚約者より、よほどリーバイに尽くしているのに、リーバイとの価値観の違いで、頭がおかしくなりそうだった。だがリーバイは当たり物件で、どうにかして婚約を続けるしかないのだ。


 リーバイはうんざりとして言った。


「なあ、ヴァレリア。お前。なんにもしてくれないんだったら、なんのためにいるんだ?」


 ヴァレリアは、外れをつかまされたことを知った。


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