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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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その人の人生の価値

 

 ジュリウスとクィンタスは、ローズが見たいという星祭りのために、ホテルを貸し切る手配をしていた。


 一等地にあるホテル・カリヤニは、最新の宿泊施設に、王都一と謳われる贅を尽くした料理、そして王都の美しい景色を間近に見下ろせる、お洒落なバルコニーで、予約はつねに満杯だった。


 それを権力にものを言わせて、貸し切りにしたのだ。ボウエン伯爵家とローズはちゃっかりと、その場を接待にも使えるようにし、大勢のお客をもてなす予定だ。



 当日の警備体制を頭に入れようと、ジュリウスや他の者たちは、ホテルの中をうろうろし、真っ暗になっても移動できるほど、たたき入れた。そんな時、大勢の女性に、ホテルの料理長が恫喝されているのを、目撃したのだ。事情を聞くとこうだった。


 ホテル・カリヤニの、雇われオーナーは、ルドルフといい、まだ三十歳の若手で、その甘いマスクから女性には大人気だ。実際ホテルの利用客においては、少数派だった若年層の比率を、ルドルフ人気が大幅に押し上げている。それを牽制するために、最近ではルドルフの妻がよく付き添うようになり、おしどり夫婦として宣伝していた。


 そしてこのホテルを語る上で欠かせないのが、料理長のタチヤーナの存在だ。タチヤーナは、ルドルフの幼なじみで、ホテル経営にいそしむルドルフとその妻、シェフのタチヤーナは、ずっと三人で支え合ってきたのだ。


 特にタチヤーナの料理の腕前とセンスは一流で、彼女が務めてきた旅館や、ホテルは、軒並み人が押し寄せ、一流店になるという現象が起きていた。


 本人は否定しているが、この一流ホテル・カリヤニも、オーナーはタチヤーナを手に入れたくて交渉した所、『三人で力を合わせてきたから』と、一人だけの引き抜きを断り、結果としてルドルフ夫妻も採用されという噂があった。ルドルフにとっては、あまり外聞の良い話ではないが、だがそこまでは美談と考えてもいい。問題はその後の展開だった。


 ルドルフ夫妻とタチヤーナが、ホテル・カリヤニで働き始めた後、あるお芝居がヒットしたのだ。


 思い合っている令嬢と、令息が、仲を引き裂こうとする女性の、汚いやり口で引き離される。令息は事情を知らず、女性と結婚させられるが、令嬢のことが忘れられずにいた。令嬢は罠にはまり没落するが、その天才的な料理のセンスで、令息の館に雇われ、遂にはその料理から、再会するというものだ。


 役者人気でヒットした所、脚本家が、タチヤーナをモデルにしたともらしてしまい、醜聞に発展したのだ。


 脚本家は、タチヤーナをアイデアにしたと言っただけなのに、タチヤーナとルドルフ夫妻の関係を、邪推する若い女性たちが急増した。ルドルフの若い女性人気と、タチヤーナの、近代的な働く女性人気の層がぶつかり、高級にもかかわらず、タチヤーナのレストランには人が殺到した。


 そして料理の説明をするタチヤーナに、こう言うのだ。


「ルドルフさんとのこと、応援しています」と。


 タチヤーナが、そういった関係ではないと否定すると、こういうのだ。


「そういうことにしておいてあげます」と。


 別の客層にはこう言われた。まるで口を出す権利があるかのように。


「ルドルフさんは、既婚者なんです。恥ずかしくないんですか」


 タチヤーナが、そういった関係ではないと否定すると、こういうのだ。


「あたしは、知っているんですからね。なにもかも」


 タチヤーナがどれだけ気を強く持とうとしても、その気力はがりがりと削られていった。


 だから表に出なくなったのだ。厨房にこもり、ひたすら料理を作った。幸い、客足は伸びており、タチヤーナには文字通り息つく暇さえなく、深夜まで働き、翌日の準備をし、ぎりぎりに起きた後、みだしなみをなんとかととのえ、馬車馬のように働いた。


 完全に過重労働で、厨房のスタッフが、いつ来てもタチヤーナのほうが先に来て、遅くまでいると心配するようになったのだ。最近では有志が、タチヤーナのために、栄養ジュースというのを、作ってくれるようになった。忙しいタチヤーナが立ったまま、栄養補給できるようにと。これを受け取った時、まるで心に栄養が流し込まれたような気持ちになり、そちらのほうがタチヤーナはありがたかった。


 だが厨房にも侵入してきたものがいた。ルドルフの妻、マニャだ。


 マニャは、タチヤーナにつらくあたっていた。


「変な噂が流れているからって、調子に乗らないでちょうだい。立場をわきまえてちょうだい」


 そしてしばらくタチヤーナを説教して、帰って行った。


 世間では、ルドルフ夫妻と、タチヤーナは、三人で支え合っていると思われているが、実態は違う。ルドルフは、誰かが自分のために尽くしてくれて当たり前と、無意識に思っている男で、そのことに感謝などしない。マニャは黙って従うタチヤーナを、ルドルフの家来と思っていて、自分も命令できると思っている。


 そしてタチヤーナは便利だが、同時にその才能をねたましく思っていて、なんとしても見下そうとしてくる。便利なタチヤーナを手放したくないのと同じくらい、消えて欲しいと思っているのだ。





「どうして、そんなルドルフ夫妻と組んでいるんですか? お一人のほうが働きやすいのに」


 ジュリウスに、そう言われたタチヤーナは、さびしそうに下を向いた。


「あたしはずっと、料理人になりたかったわ。でもあたしの世代では、女の料理人なんていなかったの。でもホテルのオーナーを夢見ていたルドルフは、一緒に組んで料理人になろうって励ましてくれた。そしていろんな場所で、あたしを売り込んでくれたの」


「失礼ですが、それはなにも考えていないだけでは」


「そうかもしれない。でも、あの時のあたしには、とても役に立ったのよ」


 ジュリウスは考え込んだ。


 ルドルフの深く考えない行動が、当時のタチヤーナの役に立ち、それをずっと感謝しているというのは、タチヤーナの善良さを表している。だが、そこにつけこまれて、自分を粗末に扱われても我慢しているのは、健全とは思えなかった。




「ということがありまして」


 ローズは好奇心に目を輝かせて、話を聞いていた。


「そんな関係はよくないと思うんですが、タチヤーナさんは話を聞いてくれなくて」


「好きな人の側は離れたくないものよ。報われない恋だとしても」


「それは……、タチヤーナさんは、ルドルフが好きということですか?」


「どう聞いてもそうじゃないこと? 好きだから支えたいし、好きだから嫌がらせされても離れないのよ」


「だとしたらどうすれば」


「恋心だけはどうしようもないわ。タチヤーナが自分でけりをつけないと」


「厳しいですね」




 タチヤーナは今日もマニャの説教を受けて、くたくただった。ただでさえ足りないのに、マニャの相手で時間を取られてしまうのだ。あまりに疲れていたので、スタッフが通る裏口ではなく、近道の表のほうから抜けようとした所、ルドルフが若い従業員と、いちゃついている所に遭遇したのだ。


「ねえ、次のお泊まりはいつ」

「少し待ってくれ。今、あれがヒステリー起こしてて」


「うっとうしい。あのおばさん、どうにかなんない?」

「書類仕事とかに結構便利なんだよ。任せておけば適当に処理してくれるし」


「タチヤーナさんの件で、ヒステリーなんでしょ。こわい」

「あんなに便利なのに、なにを怒っているんだか」


「そんな言い方、さすがにタチヤーナさん。可哀想じゃない。あんなに働かされて薄給なんでしょう。よくあなたに付いてきてるわね」

「ああ、タチヤーナは俺に惚れているからね。あんなに便利な駒はないよ」


 タチヤーナはひどい吐き気に襲われ、引き返した。クィンタスと打ち合わせをしていたジュリウスは、タチヤーナの顔色に気がつき、バルコニーに連れ出したのだ。


「大丈夫ですか」

「あの男、知ってた」


「え?」

「あたしの気持ち。知ってた」


 タチヤーナは最初から、ルドルフのことが好きだった。


 だがすぐにマニャと結婚したため、ずっとその想いを内に秘めていたのだ。

 それが、ルドルフにも、マニャに対しても後ろめたくて、罪悪感を覚えていた。だから必要以上に二人に気を遣い、尽くしてきたのだ。


 タチヤーナは立場をわきまえて、二人に誠意を尽くしてきた。だがルドルフはそれを利用してきたのだ。タチヤーナの、『ルドルフはなにも知らないのだから』という、後ろめたさの前提は、音を立てて崩れた。


 ジュリウスが持ってきた水を、がぶ飲みしたタチヤーナは、冷たい風に吹かれていた。


「どうしよう。あたし」

「上司に相談されてはいかがですか」


「ルドルフに?」

「いいえ、ルドルフはただの同僚です。あなたの上司は、オーナーでしょう。雇われではない本物の。仕事に支障を来しているのだから、あなたには報告する義務があります」




 そう言われて、タチヤーナはオーナーの顔を思い出した。

 そしてオーナーが、この時間つめている部屋に行ったのだ。中にはルドルフがいて、タチヤーナに向かってしっしっと手を振り、犬を追い払うように言った。


「なにしに来たんだ。ここは君のような下っ端が来る所じゃない。すぐに外に出て仕事にとりかかれ」


 タチヤーナは気にせず、オーナーのアンガスの前に進み出た。


「今、よろしいですか」

「ああ、いいよ」

「なにをしているんだ」


 了解したアンガスの前で、ルドルフはタチヤーナの腕を無理矢理、引っ張った。タチヤーナは後ろによろめき、腕を押さえた。それを見たアンガスは立ち上がり、激怒した。


「何をしている。私のシェフに。怪我でもしたらどうするんだ」


 怒鳴られたルドルフは、「え?なんで?」と、何度も繰り返した。


「大丈夫か、タチヤーナ」

「まあ、鍛えているので」


「それで、どうしたんだ」

「お話しがいくつか。まず、最近、厨房にマニャ夫人が入ってきて、私に説教をするのです。それに時間を取られて、仕事に支障がでています」


「重大だな」

「それと個人的な問題ですが、あたしと、ルドルフ、マニャの三人の間で、感情的なもつれがあり、働きにくいです。二人から離れるために、ここを辞めさせてもらえないでしょうか」


「認められんなあ」

「……それと給料を上げて頂きたいです。今までは勉強させてもらうからと、おさえてきましたが、正直時間が足りなくなっている今、給料をたくさん貰って、それで時間を作って勉強できるようにしたいです」


「もちろんだ。むしろなんでそんなに、低く見積もるのか不思議だったよ」


 ルドルフは目の前で繰り広げられる、タチヤーナとアンガスの会話についていけず、頭が真っ白になっていた。


 ついさっきまで、ルドルフは世界の主で、便利な駒タチヤーナを武器に、間抜けなアンガスをお得意の口で、丸め込んでいたはずなのだ。


「マニャ夫人は、ホテルを私物化しているという、苦情が他からも来ている。出入り禁止にしよう」


 タチヤーナは見るからにほっとした。


「給料も、ルドルフが三人で、公平に分配したいからと、一括でもらっていたが、実態はタチヤーナ君が搾取されている状態だから、その方法はやめよう。個別に今の給料の二十倍くらいでいいかな」


 アンガスの発言にタチヤーナは固まり、何度も頭の中で計算したが、頭がふわふわしてうまくいかなかった。今は女性一人で暮らしていくのにぎりぎりな年収だ。それだけあったら、休みの度に遠出して、気になっていた店に食べに行くなどできそうだった。


「……ありがとうゴザイマス」


「おかしいです。そんな金額。こいつにそんな価値ありません。こいつは料理だけが取り柄の、手のかかる奴なんです。俺が付いていてやらないと、なんにもできなくて。まさか増えた金額分、私たちの給料が減らされるなんて、ありませんよね」


 ルドルフが言ったことは無視された。ルドルフは、『自分が無視されている』という事実を受け入れられず、何度もアンガスに訴えた。


「ところでタチヤーナ君。君を引き抜いた時、仲間のルドルフ君とマニャ夫人も一緒がいいと言ったが、今でも同じ気持ちかね。ずっと支え合ってきたからと」


「いいえ。支えていたのは、あたし一人でした。もう支えてもらうだけの二人とは、離れようと思います」


 ルドルフは耐えきれず叫んだ。


「この恩知らずが。誰が面倒を見てやったと思っている。俺がいないとなんにもできない癖に」


 しかしタチヤーナもアンガスも、反応しなかった。


「ルドルフ君」


 アンガスはようやく、ルドルフを向いて言った。


「君は首だ。君には横領や、部下に手を出した疑いがある。細かく追求してもいいが、いますぐここを立ち去れば、見逃してやってもいい。どうする」


 それまで尊大だったルドルフは、初めて迷子になった子どものように、おろおろしだした。何度もタチヤーナをちらちら見て、タチヤーナが振り向いてくれるのを、待っているようだった。


「どうするんだ」


 アンガスの厳しい声に、ルドルフは急になよなよと答えた。


「俺がいないと、タチヤーナが困ります。こいつなんにもできないし、俺が支えてやらないと」

「だがタチヤーナ君によると、支えていたのはタチヤーナ君一人だったと」


「そんなわけありません。俺たちがタチヤーナを支えていたんです」

「そうか。そんなに心配なら、これからは私がタチヤーナ君を支えよう」


「え、でも……」

「良かったな。そんなに心配なタチヤーナ君は、私が支えてやるから、君たちはもうなにも考えなくて良いよ。早く出て行きたまえ」


「でも……」

「君たちは、タチヤーナ君を支えるほどの力があるんだろう。だったらこれからも大丈夫さ。どこに行ってもやれるさ。それではさようなら」


 アンガスは抵抗するルドルフを部屋から押し出し、警備員に外に放り出すように言った。


「かばっていただいてすみません」

「本音だよ」


「まさか」

「君は私のことを覚えていないだろうが、私は君のことを覚えていてね」


「というと?」


 アンガスはホテル経営で身を立てようと、若い時から修行していた。


 しかし失敗が続き、落ち込んでいた時、勤め先の厨房に、修行したいと飛び込んできた少女がいたのだ。最初に来たルドルフという青年が、売り口上を述べていたが、そんなものは何の役にも立たない。厨房の人間は少女の腕しか見ていないのだ。


 そして彼女が自慢の腕で仕事を勝ち取った時、アンガスは柄にもなく号泣したのだ。アンガスはタチヤーナより、十歳以上も年上で、彼の世代では、女性が表に出て働くのは、まだまだ難しい時代だった。ましてや男性の仕事とされている料理人など、考えられなかったのだ。


 料理人になりたいからと技術を研き、必死に職を手に入れた少女を見て、男の自分がすでに用意されている仕事街道を、ただ進んでいるだけにもかかわらず、つらいと口にするのが、どれだけ恥ずかしいかと反省したのだ。それ以来、孤高のタチヤーナを目標に、経営者として励んできた。


「私を。目標に?」


 タチヤーナは名だたる経営者に、そんなことを言われ、受け止められなかった。


「ああ、そうだ。だがおそらく私だけではない。君を見て、話を聞いて、勇気をもらったものは、たくさんいると思う。だから君を支えたいと思うのは本当だよ」


 タチヤーナはそんなことを言われても、どうしたらいいかわからなかった。だが認めて貰ったことは嬉しくて懸命に働いた。


 アンガスは仕事にとても厳しい人間だった。タチヤーナの料理に満足しないと、容赦なく指摘し、叱責し、時には冷笑したのだ。何週間も考えて、材料を集めるのに時間がかかった料理を、ゴミ箱に投げ捨てようとしたこともある。タチヤーナも苛立ちからアンガスに罵詈雑言をならべることもあったが、指摘は間違いではなかった。


 タチヤーナは本当の意味で仕事の腕を認められると、たちまち能力を発揮した。


 そして自分への自信のなさから、低い給料で満足していたことが、恥ずかしいことに気がついたのだ。

 高給をもらって、すぐに違いに気がついた。逃げ場がないと言うことに。今までは失敗しても、平気な気安さで仕事をしていたのだ。そんな人間が、作る料理がどれほどのものだろう。


 自分の価値を高めることが、夢につながると知ったタチヤーナは、ルドルフたちごと、昔の自分を切り捨てることにしたのだ。



◇◇◇◇◇◇



 ホテルマンたちの気軽なパーティがあった。そこで彼らはタチヤーナのことを話題にした。


「やっぱり落ち着く所に落ち着いたな。あれだけの腕なら、アンガスのところで働くのがいいだろう」


 しかしそこへ、ルドルフが口を出した。


「タチヤーナをずっと支えてきたのは俺だ。あの恩知らずが」


 口を極めて罵ったのだ。一人がたまらず質問した。


「確かにマネージャーとして支えていたな。だがタチヤーナ君、アンガスのところに移籍するまで、薄給だったって聞いたぞ。年俸の額は、すぐ噂になるからな。それじゃあ、無能なマネージャーだったってことじゃないか」

「それは、その、あいつの働きが悪いから……」


「アンガスの所に移籍したら、急に条件良くなるなら、マネージャーの腕が悪いってことだろう。だったら移籍されても仕方がない」

「しかし」


「それならタチヤーナ君の年俸は、いくらだったんだ?」


 その場にいた全員の注目が集まった。ルドルフは口をぱくぱくさせた。


 もしタチヤーナに、常識的な年俸を渡していたら、ここでそれを公言して、有能なマネージャーとして、その能力に見合った新しい仕事を、ルドルフは手に入れることができたのだ。


 だが、タチヤーナが黙っているのをいいことに、とても口に出せないような、年俸しか渡さなかった。ルドルフは、タチヤーナが受け取る分の報酬をくすね、その上前をはねることを、『要領が良い』と思い込み、得意になってやってきた。


 だがタチヤーナが、ずっと受け取ってきた年俸こそが、ルドルフの能力に対する評価そのものだったのだ。ルドルフは自ら、十年以上もかけて、自分は薄給しか獲得できない、無能なマネージャーだという実績を作ってしまったのだ。


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