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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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名前のない苦しみ

 

 ザジは薬で眠っている息子のキノンを、妻の墓の前にそっと横たえた。


 ここは王都の郊外で、埋葬場所が少なくなってきた近年、庶民たちが使うようになった共同墓地だった。


 ザジの家族はここに眠っていて、粗末な墓石に、両親や祖父母が刻まれている。妻の墓標はまだ新しくて、小さくて粗末だが、そこにその辺からつんできた花を丁寧に並べた。冷たい風が吹いてきたが、ザジは寒さを感じなかった。


 そして息子の首に手をかけたのだ。ぐっと力をこめようとすると、誰かが遠くから駆けつける音が聞こえたのだ。草むらを走る乾いた音がする。


「やめるんだ」


 その声が聞こえても、ザジはひるまなかった。


 ただひたすら震える両手に力をこめようとし、息子を送ろうとした。


 その時、風を切り裂くような音がして、右手に小型ナイフが刺さったのだ。手が上手く動かなくなった。走ってきた青年に、肩をがっしりとつかまれると、胸ぐらをつかまれたのだ。


「なにをしている」


 青年は怒りで、目が燃えていた。ザジは投げやりにため息をついた。


「邪魔しやがって。最後の薬だったのに」


 その時、息子のキノンがひどい咳をしだした。咳はしばらく続き、ザジが背中をさすってやると、キノンはやっと目を覚まして言った。


「どうしたの、父さん。その人、誰?」


 その人と呼ばれたジュリウスは、男性と少年が親子ということに驚き、ついで父親が息子を殺める現場に、居合わせたことに言葉を失った。


 放っておけないジュリウスは、その日、キノンの自宅についていき、邪魔者の存在でザジは機嫌が悪かった。不満を隠そうともせず、それでいてどこか、ほっとしたようにも見えたのだ。


 ザジとキノンの家は、貧しく、その日の食事にも事欠く有様だった。キノンは病気で、自宅の寝台に寝かせると、疲れたのか目を閉じていた。ザジは食糧をどこからか、調達する算段をしなければならないのだ。


 ジュリウスの目には、ザジはキノンを、とても大切にしているように見えた。寝台にキノンの体を横たえる時、ぼろぼろの毛布を背中にいれてやり、体が楽になるようにしたり、今だって食事のことを真剣に考えていた。


 だからジュリウスは、今日、強引に泊まらせてもらうかわりに、三人分の食糧を手に入れてくると、申し出たのだ。ザジは明らかに安堵していた。


 ジュリウスはブラック号に乗ると、町の雑貨屋に行き、その日の食糧を仕入れたのだ。


「ああ、ザジさんとこかい。奴もお気の毒に」

「息子さんがご病気のようだが」


「そうなんだよ。原因不明でね」

「どんな感じなのか」


「それがよくわからなくてねえ。体が動かなくなっちまったんだよ。苦しいみたいでね。親父さん、つらそうでさあ」

「親父さんは、どのような方なのかな」


「愛妻家だったんだよね。だから残された息子さん、ほんとうに大事にしててさ」


 ジュリウスは、ピクルスや、チーズ、麦なども買い込み、帰路に就いた。


 家にいる残されたキノンのことは、心配していなかった。

 サジはキノンを大事にしている。おそらく墓地でのできごとは、キノンの病気に関係しているのだろう。だがあの時、キノンは薬で眠らされていた。ザジは本気だったにせよ、キノンに苦しんでほしくなかったのだ。ザジの口ぶりから薬の在庫はもうないはずだった。


 ジュリウスが戻って、机の上に品物を並べると、ザジは喜んでいないふりをしつつ、声が明るくなった。いそいそとキノンのために、料理を作り、とりわけ、優しく食べさせてやったのだ。


 夜、ジュリウスが与えられた古い寝台で、服のまま横になっていると、うめき声が響いた。

 キノンだ。


 ザジが体をさすると、また眠りに就くが、十分おきに繰り返し、キノンもろくに眠れていないだろうが、ザジも一緒だった。キノンがようやく寝息を立て始めたと思うと、今度は痛みがひどいのかうなり声をあげている。その度にザジは背中をさすってやっていた。




 ザジは早くに最愛の妻を亡くし、一人息子のキノンを大事に育ててきた。しかしある時、キノンが病気になったのだ。高い金を払って医者にも来てもらったが、原因がよくわからなかった。つねにふらふらと疲れていた。


 その内、体がうまく動かせなくなり、歩けなくなった。そして夜眠れず、激しい痛みに苦しむのだ。ザジは必死にあちらこちらに助けを求めた。だが医者にもわからないことが、どうしてわかるのだろう。


 そして何年も苦しんだある夜、キノンが言ったのだ。「もう嫌だ」と。


 ザジは必死で、そんなことはない、まだがんばれると話しかけたが、ザジも息子が苦しむ姿はもう見たくなかった。


 町の郵便局から電信で、キノンの病気のことを問い合わせたジュリウスだが、やはり答えは原因不明だった。そういった病気はないと。


 雑貨屋でもらった、ヘーゼルナッツを持って帰ると、疲れているキノンがめずらしく食欲を見せた。リスのように、かりかりと食べている。


「キノンはナッツが好きでね。ここら辺ではあまり取れないので、雑貨屋のかみさんがよくわけてくれるんだ」

「同じ町なのに、採れるものが違うんですか」


「ああ、何百年も昔の言い伝えなんだが、このあたりは塩の柱が立ったっていう伝説が残っているんだ。実際の話らしくて、塩害の跡がいまだに残っている」

「割と内陸なのに不思議ですね」


「今は、作物も採れるようになったが。そのせいか植生が違うんだ」


 その夜、ジュリウスは、キノンに話しかけられた。


「ジュリウスさん。今日までありがとうございます。でももう帰っていただけませんか」

「だが……」


 ジュリウスは言葉に詰まった。


「死ぬ前においしいものを、たくさん食べられて嬉しかったです。でも、もうこれ以上父さんの負担になりたくないんです」

「知っていたのか」


「父さんに頼んだのは僕です」

「どうして」


 ジュリウスは悲鳴のような声をだしそうになった。


「この病気、とてもつらいんです。とにかく痛くて。でも一番つらいのは、父さんの一人言です。父さん、聞かれてないと思って、ずっと僕に謝るんです。なにもしてやれなくて、すまないって。僕、もう、父さんのあんな声、聞きたくありません」


「……」


「お願いです。早く楽にして下さい」


 ジュリウスが無力感にまみれて、家の外にでると、ザジにこう聞かれた。


「なにか、薬、持ってねえですか」


 ジュリウスは荷物の中から仕事用のアヘンを取り出すと、ザジに渡して、ブラック号に乗った。とぼとぼと歩き、町の中央部に着くと、郵便局から、局員が出てきた。


「ジュリウスさん。新しい連絡が届いてますよ。けっこう長文です」


 長文だということは、重要な文書ということだ、ジュリウスは急いで文書を読み出した。そこにはローズからの連絡が書かれてあった。


 ザジたちが住む町には風土病がある。慢性的な貧血や倦怠感を、引き起こすことで知られている。それとキノンの症状は、まったく違うものだ。だがエバーレイと事業提携したときに、集まった記録によると、実は同じ風土病だったのに、地域によって別の症状が出ることがあるというのだ。


 それらは今まで、違う病気と考えられていた。ところが研究が進んだ結果、共通の治療で治ることがあるため、キノンの場合も、地元の風土病の治療を試す価値がある、との連絡だった。


「それじゃあ、キノンは治るかもしれない……」


 ジュリウスは郵便局を飛び出し、ザジの家に急いだ。開け放たれたままの扉から飛び込むと、冷たくなったキノンの手を握っているザジがいた。


「こんなに安らかな顔は久しぶりだ。なにか用かい。ジュリウスさん」


「…………なんでもありません」


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