墓穴を掘った男
ジュリウスは学院の、明るい日が差し込むカフェテリアに座っていた。
場所は高位貴族専用フロアで、目の前には、主君ジェイムズの次男レイモンドと、その妹ローズ、そしてリックが座っている。
本来なら男爵家のジュリウスが、入れる場所ではないのだが、いつのまにか常連になっていた。最近では、側にリックがいなくても、警備の騎士の顔パスで入れるようになっている。
外の大きな噴水の水が光を反射し、天井に美しい模様を描いている。ふと、ローズが言った。
「まあビアス子爵家のエバーレイ様だわ。いつ見てもお美しいわ」
「本当だな。目が行ってしまう」
美男美女のレイモンドとローズが、他人の容姿を褒めるのを見るのは、傍から見て不思議なものだった。リックが何の気なしに聞いた。
「お二人から見て、どのあたりが魅力的なのですか」
「そうねえ。一見、毒々しく見せて、でもガラスのように、もろそうな所が」
「あだ花だが、もしかしたら自分にだけは、違う顔を見せてくれそうな所が」
この二人は、主観的な感想を述べているが、それなりの立場で育ってきたため、その観察眼は侮れない。
「表の印象と、実際の顔が違いそうだという、感触があるということですね」
ジュリウスは思わず、まじまじとエバーレイ嬢を見つめた。リックに肩をこづかれる。
「さりげなく」
「すみません」
ジュリウスは少し赤くなって、謝った。
◇◇◇◇◇◇
ビアス子爵家のエバーレイ嬢は、毒婦として有名だ。
エバーレイには、腹違いの妹メイシーがいる。ビアス子爵の愛人の娘で、エバーレイと違って父親に溺愛されている。
愛らしく、無垢で、誰からも好かれるメイシーは、子爵家に入るやいなや、たちまち人の心をつかみ、今ではエバーレイの婚約者、トレイまでもがメイシーに夢中だった。
一方、エバーレイは子爵家の跡継ぎという立場を利用して、家を私物化したり、高価な予算を組んで怪しい研究をさせたり、体格の良い執事と、端正な佇まいの護衛を、私室に連れ込み、二人と関係を持っているということが、「事実」として伝わっていた。
本人は堂々としたもので、噂の執事と護衛を連れて、外出することなどしょっちゅうだった。当然、人々は、そんな女性を社交界でおもしろおかしく噂したのだ。
メイシーは姉のそんな状況に心を痛め、いつも学院で泣きながら姉に訴えるが、毎回、冷たく無視されるのだ。学生たちはメイシーに同情した。
それは、基本的には噂に疎い性質の、ジュリウスの耳にまで入ってくるできごとだった。
ジュリウスは、ローズの側付きの仕事を解かれ、用事がないときは自由な登下校をしていた。
そんな時、訪問者があったのだ。
一人はエバーレイ嬢の執事ドレイ。噂の通り立派な体格の男で、エバーレイ嬢三人分くらい、軽々と持ち上げそうだ。もう一人は華奢な護衛ハイロ。黙って立っていると、執事に見えるが、そのにこやかでいて、うさんくさそうな笑みが、ジュリウスの警戒心をかきたてた。オルダスがいたら、たちまち試合を申し込むだろう。
「ビアス子爵令嬢の使いですか」
「はい、お嬢様からこちらを預かっております」
渡されたのは紹介状や、報告書などだった。エバーレイはなにやら企んでいて、ボウエン伯爵家とまではいかないが、ダイアー伯爵家にせめて、協力を仰げないかと思っているのだ。しかし伝手もなく、紹介状も手に入らないままだったところ、ジュリウスというラムレイ男爵家の者が、縁者だとわかったのだ。頼みやすい低位で、それもかなり親しくさせていただいている、という。
「伏して奉ります」
説明を終えた二人に、そう頭を下げられて、ジュリウスは言った。
「責任は持てないが、この話を報告するくらいなら」
翌日、リックに報告し、リックがレイモンドに報告した。ローズのほうが詳しい分野ということで、報告書を全員で読んでいると、ローズの目が輝きだした。
「エバーレイ嬢は、風土病の根絶を考えているんだわ。確かにあの辺り一帯は、昔から原因不明の皮膚疾患が出るわね。それを各家で協力してことにあたろうと」
「原因はなんなんだ」
「この分厚い報告書によると、水に含まれる寄生虫が原因じゃないかと。確かに、そう予測する研究者が多いのよね。すごいわ、十年近く前から記録を取っている。彼女、その頃、八歳くらいじゃない」
「聡明な女性のようだな」
ローズは盛り上がり、その勢いにレイモンドはたじたじだった。
だが重要な案件ということで、すぐにエバーレイは、ボウエン伯爵家に招待されたのだ。駄目元で嘆願したところ、ボウエン伯爵家という大物を引き当て、エバーレイは感無量だった。ビアス子爵家でも、限度額一杯の予算を割り当て、研究してきたが、ボウエン伯爵家ともなると、予算だけでなく、人材も知識量も桁違いなのだ。
たちまち議論は活発になり、研究体制が整った。そのため、エバーレイはボウエン伯爵家に、よく顔を出すようになったが、自身の悪い評判を気にして、学院では決して近づいては来ようとしなかった。そんなある日、カフェテリアで茶番劇が上演されたのだ。
「お姉様。もうこれ以上の悪事はやめてください。毎晩、男性と部屋にこもってふしだらな……、もう耐えられません」
「そうだぞ、エバーレイ。こんなに愛らしいメイシーを泣かせて。俺も耐えられない。貴様とは婚約を破棄する。俺はメイシーを選ぶ」
「どうぞ」
メイシーと、トレイが、なぜかカフェテリアで、婚約破棄を叫ぶと、エバーレイは了承した。
エバーレイの実家ビアス子爵家は、婚約者トレイの実家ホスキンズ伯爵家と事業提携している。そのため婚約を解消すると、年間予算に影響が合ったのだ。だがボウエン伯爵家という太客……、新しい提携先が見つかり、また協力的だということを考えると、わざわざホスキンズ伯爵家と組む必要もない。
ましてやこんな場所で演劇を始めるような男との結婚は考えられなかった。これは子爵家次期当主としての判断とも言える。そのまま立ち去ろうとしたところ、なぜかメイシーとトレイの二人が引き止めてきた。
「お姉様。婚約を破棄すると言っているのですよ」
「そうだ、どうして驚かないんだ」
「どうでもいいではありませんか」
エバーレイが立ち去ろうとすると、二人は前に回り込んできた。元気いっぱいだ。
「どうして驚かないんだ」
「話しても良ければ……」
「いいから、言え。命令だ」
「それなら……」
エバーレイは話し始めた。
「メイシーは昔から、私のものなら、なんでも欲しがるのですよ。
初めて家に来た十歳の頃から、私の部屋に忍び込んで、服から、リボンから、アクセサリから、なんでも欲しがって、盗んでいきました。まあそれは構いません。買えば済みますし。
持って行かれて、私がとってもつらかったのは……、こういったものです。
私の脱いだ下着や、捨てたゴミ、食べ残し、肌に合わなくて困っていた使いかけの化粧品、洗っていない爪ヤスリ、汚れを落としていない髪の毛びっしりのブラシ、悪くなっていて下げるはずだったお菓子、隠しておいた従姉妹からもらった、古いちょっとエッチな本、使用済みのマスク、壊れてそのままにしておいた鏡なんかでしょうか。
まあ、もう麻痺して慣れましたが。
時には裁縫の手習いのために、まとめておいた、亡くなったお祖母様の古い下着を、翌日着て自慢されたこともありましたわ。
片方なくなってしまったイヤリングや、揃いだったアクセサリ。想い出があるのでまとめて取っておいたものを、持って行かれたこともありますが、思い入れもないのにどうするんでしょうねえ。
とにかく部屋がもので満たされていないと不安なようで、一度旅行先でホテルのアメニティグッズを、大量に持ち帰ったこともありますわ。部屋の掃除に来た女性のワゴンから、こう、がさーっと、鷲づかみにして。
特に限定品に弱いようで、私が取引先からもらった化粧品の試供品なんて、ハイエナのように漁っていくのです。
でも下さった方から直接説明を聞いたわけではないので、使い方が適当で、ハンドクリームを顔に塗ったり、おしろい用の高価な化粧ブラシを、クリームファンデーションに使って、あたりをべたべたにしたり。化粧水を飲んだり、スキンケアクリームを、美容用ヨーグルトだと思って食べたりも。
見ているこちらの方が、心臓が止まりそうです。でも不思議なことに、メイシーは今まで一度も、お腹を壊したことはないんですのよ。信じられますか。あんな恐ろしい生活をしていて。
え、なんですか? 『そうならそうと言えばいいじゃないか。メイシーの苦情を』、ですって? 説明しましたわ。何度も。それに別に持って行くのは構わないって。
でも私の身の回りのもの……、特に服ですが、メイシーのものだってそうですが、オーダーメイドの一点物です。私より身長が高く体格もいいメイシーが、私のものを着たらどうなると思います? ぱっつんぱっつんになって、胸の辺りが目も当てられませんし、袖の肩部分は二の腕に食い込んで、商売女が着る裾の短い服のようになるんです。
それをお父様に言っても、トレイに言っても、理解してもらえなくて、『最近の流行なのか』などと見当違いのことをいう始末。そしていつもの、『可愛い妹の我が儘くらい聞いてやれ』、が始まるんですの。
そのままでは我が家の恥になりますから、諦めて、メイシーのサイズで、私の服は作ってありますの。ビアス子爵家の跡継ぎともあろう、この私が、なんで、ちょっとだぶっとした緩い服を着ていると思うんですの」
話を聞いていた周囲の人々から、「なるほど」という声がもれた。鈍感なトレイと違って、気になっていた者は結構いたのだ。
特にエバーレイがよく着る服のデザインは、本来は成長期の子どもが着るもので、肩の袖や、ウエストの切り返し、裾の長さなどが、体の成長に合わせてあらかじめ調節しやすいデザインなのだ。
「でも、どうしようもならないものが、一つだけありますわ……」
トレイは勢いにのまれて、返事もできなかった。
だが話の流れで、ここは婚約者、つまりは自分のことだろうか、と思った。
「それは靴です」
違った。
「当然、メイシーは靴も盗んでいきますわ。恐ろしいことに、サイズが違う靴を平気ではくんですの」
ここで女性たちから悲鳴が上がった。かかとがある靴を履く機会の多い女性たちは、それがどれだけ恐ろしいことか、体感でわかるのだ。
「私はどちらかというと、足が小さくて細い方ですの。でもメイシーは、下町育ち。あの、労働者階級によくある、かかとからつま先に向かって末広型の形をしておりますの。その足を、私の小さい靴に無理矢理……」
さらに悲鳴が上がった。
「私、何度も聞きましたわ? 痛くないのって。でもメイシーは平気だそうです。『靴ってそういうものじゃないの?』とまで言われました。下町育ちのメイシーにとって、靴とは痛みを我慢して履くものだそうです。だから平気って。
……私、他のことはともかく、靴だけはとても見ていられなくて、何度も忠告しましたし、果ては百足くらいプレゼントしました。私の靴と同じデザインでサイズ違いのものを。それなのに私の靴ばかり狙うのです。
やめてほしい、このままではたいへんなことになるって、何度もメイシーにも、お父様にも、トレイにだって、言いました。でもお父様も、トレイも、『妹の可愛いおねだりぐらい叶えてやれ。心が狭い』と、私を責めるのです」
劇場中の女性たちの、冷たく、呆れた、怒りの視線が、トレイに突き刺さった。
「そんなわけで、メイシーの足はすっかり醜い、ひどい外反母趾になってしまったのです。貴族子女にもかかわらず……。でも、これはこれで、致し方ありませんわ。私は自分にできることを精一杯やったつもりです。そうですね。この際だから、一番、嫌だったことも言いますわ」
まだあるのか、と、トレイは目を見開いた。
「一番、やめてほしいと思ったのは、あれです。外国の方からおみやげで、花の香りのするドライフルーツ入りのお茶っ葉を少量だけ頂いたことありますの。お気に入りのティーポットでいれたら、とても良い香りでしたわ。
でもそれを聞いてうらやましがったメイシーが、その茶葉を入れたままにしておいた、飲みかけのティーポットごと、盗んで持って帰ってしまい、見つからないように部屋のタンスに隠したことです。どうなったと思います?
なんだか小バエが多いと侍女たちが話していて、問題のタンスを開けたら…………。
あの、ティーポットは捨てましたわ。揃いのテーブルセットごと一式。ものすごい損害額でした。でもブランドロゴを見ると、思い出して……。
まあ、そんな生活を八年間送ってきたわけです。当然メイシーが次に狙うのはわかりきっていますよね」
トレイは、たいへん混乱していたが、話の流れで今度こそ自分だろう、と思った。
「爵位です」
違った。
「まあ、正直、私は爵位に執着ないので、メイシーに上げても良かったのですが、ちょっとやりたいことがあって、それには貴族家に所属していると便利なんですよ。
そうなるとメイシーの気をそらす、新しいおもちゃが必要になるわけです。それで婚約者だったノーリスにお願いして、婚約者をノーリスから、トレイにかえてもらったんです。だって大切な、大切なノーリスには、『絶対』に迷惑をかけたくなかったし」
傲慢なエバーレイが、ノーリスのことで、はにかむ姿は周囲にめずらしく映った。
トレイはずっと、エバーレイの婚約者が、従兄弟のノーリスから、トレイに代わったのは、エバーレイの希望だと聞いていた。だからエバーレイは自分に夢中なのだと、思っていたのだ。だが思い返してみれば、エバーレイの方から、トレイに会いに来たことなど、一度もなかった。
「つまり、メイシーが私のものが欲しいなら、持って行けばいいと思っているし、そのためにトレイに婚約者になってもらって、狙い通りにメイシーのおもちゃになってくれたのだから、もう用済み……失礼、お引き取り願って結構です。
あ、もしかして報酬が欲しいんですか。いいですよ。後で請求書送って下さい。期待以上の働きだったので、色つけます。だから、えーと、なんでしたっけ。婚約破棄? はい、なんの問題もありません」
トレイは頭が真っ白になり、はくはくと口を動かしたが、なにも言葉が出なかった。その横から、地を這うような声が聞こえてきた。
「お姉様。ノーリスってどなた?」
エバーレイは、メイシーと目を合わさず言った。
「そのトレイって男と無事に結婚まで持ち込んで、ホスキンズ伯爵家を手に入れたら、教えてあげてもいいわ。でも、どうせあなたなんかにできないだろうし、私とノーリスの仲に割って入るなんて、絶対に無理に決まっているから」
メイシーはそう言われると、急に可愛らしいお人形のように、トレイの方を向いて笑いかけた。
「結婚式はいつがいい?」
その声は鈴が鳴るような愛らしいもので、メイシーは天使のように微笑んでいるのに、たいへん不思議なことにトレイは寒気がして、震えが止まらなかった。
メイシーには見えない角度で、エバーレイの顔がにやりとゆがむのが、トレイに見えた。
この茶番劇を見せられた人が、メイシーを姉にいじめられる、可哀想な妹と扱うはずもなく、かといって迫害なんてもってのほか、どこに行ってもメイシーは、びくびくした人々に下にも置かない扱いを受け、この時期は、のちのメイシーにとって人生で最も楽しい時間になった。
そしてエバーレイを、嘘の噂をばらまかれた気の毒な女性と見る人もなく、エバーレイがさっそうと学院の廊下を歩くと、周囲の人々が一斉に道を開け、頭を下げるという現象が見られた。
「姉御、新しい報告書が届きました」
「やめて、普通に呼んで」
「でも学生さんたち、みんな……」
「頼むから」
「姉御。報告書の、この記述だけど」
「お止め下さい。ローズ様。わたくしのようなものをそのように」
「エバーレイ嬢。また新しい報告書が。今度のは」
「ジュリウス君、ありがとう。ありがとう。ありがとう」
「ど、どうされたのですか」
やっと準備が整ったエバーレイは、さっそく護衛の服装に着替えた。これからお姫様を救出に行くのだ。
どうやって殴り込みに行くのか、エバーレイは昔から悩んでいた。だが今はボウエン伯爵家という圧倒的な軍事力が、後ろについていてくれるのだ。
ひそかにトレイのホスキンズ伯爵家に忍び込むと、地下牢に潜り込んだ。そこにはホスキンズ伯爵家の正統な跡継ぎ、ノーリスが眠らされていた。
下半身の皮膚は風土病でぱんぱんにふくれあがり、ろくに手当も風呂にも入れてもらえないらしく、すえた匂いが漂っていた。ホスキンズ伯爵家は、ノーリスを病気にした叔父のマサイアが乗っ取っており、その息子トレイが跡継ぎだと触れ回っているのだ。
ノーリスはぼんやりとエバーレイを見た。夢だと思っているようだ。
「どうしたの、エバーレイ。こんな時間に。どうして」
「ノーリスを迎えに来たの。ねえ、私と結婚してお嫁に……婿に来ない? 大事にするわ」
「それもいいな。この家は食い荒らされた後だし」
「……この後、もっとすごいのが来る予定だけど」
「え?」
「なんでもない。それにね、ノーリスが脱出して、ホスキンズ伯爵家の跡継ぎは、もうトレイしかいないほうが、都合が良いの」
「どういうこと?」
エバーレイは慈母のように、ノーリスに微笑みかけた。
素晴らしいことに、後ろ盾がいるエバーレイは、自分の思うままに交渉を進められるのだ。そして今の状態は、全員が幸せになる道筋を作っていた。
ホスキンズ伯爵家を乗っ取った、ノーリスの叔父のマサイアは、ノーリスの暗殺という確実な手段には失敗するが、ノーリスがビアス子爵家に婿入りすれば、自分の息子トレイが、念願のホスキンズ伯爵家の合法的な跡継ぎになるのだ。
跡継ぎが一人しかいない以上、トレイは逃げられ……、いや、確実に跡を継げるのだ。ホスキンズ伯爵家に異常に執着するマサイアは、例えなにがあってもトレイに跡を継がせるだろう。
エバーレイとメイシーの父親である、ビアス子爵も、溺愛しているメイシーの好きな人であるトレイと、ホスキンズ伯爵を後押しするだろう。きっと後ろ盾になってトレイを盛り立てるに違いない。メイシーは確実に伯爵夫人になれるのだ。
トレイだって、あんなに気に入っていたメイシーと一緒になれるし、例えなにかが起こって気が変わったとしても、ノーリスが逃げ出した後では、もうホスキンズ家を誰かに押しつけようがないのだ。
「私……、ノーリスと幸せな家庭を築くわ。ビアス子爵家でがんばってもいいし、嵐がせまってきたら、爵位なんか捨てて逃げてもいい。ノーリス……、愛してる」
「僕も」
エバーレイは、粗末な寝台から、ノーリスをよいしょと、お姫様抱っこすると、すたすたと歩き出した。従っていた部下たちが、さっと道を開け、二人に付き従う。ノーリスはぼんやりしながら聞いた。
「どうしてそんなに力があるの」
「いつか私の手で、ノーリスを救い出そうと、ずっと体を鍛えていたの。毎晩、執事のドレイと、護衛のハイロに厳しく訓練されたわ。こんなにやせたノーリスなんか簡単よ」
エバーレイは待機していた馬車にノーリスを乗せ、秘密裏に借りた邸宅でそれは、それは大切に、自身の手で、看病したのだ。
◇◇◇◇◇◇
エバーレイと、ノーリスは婚約する前から仲良しだった。ずっと一緒だったのだ。
大事にしてくれない両親を持つエバーレイと、心も体も弱い両親を持つノーリスは、お互いだけが支えだった。
ノーリスの叔父マサイアは、外戚の発言権を生かして、ホスキンズ伯爵家を事実上乗っ取っていた。だがこれに関しては、簡単に乗っ取られてしまう伯爵夫妻にも問題はあった。
その内おかしなことが起きたのだ。ホスキンズ伯爵領を始め、王都の郊外では、地域によって風土病が発生する。皮膚が腫れ、特に下半身がふくれあがるのだ。これは不思議なことに、近接している地域で発生しても、王都では発生しないことから、田舎病と呼ばれていた。専門家の間では飲み水が原因ではないかと、昔から囁かれていた。
その病の症状がノーリスに出たのだ。一緒に暮らしている家族や使用人にはなにも起こらなかったので、恐れられ、隔離された。看病は義務的で、症状が改善するとは思えなかった。犯人は感染しやすい環境を作り出した叔父マサイアだ。
エバーレイは頼りになる者がいない中、必死にノーリスを救おうと戦った。研究者たちの予測を頼りに、飲み物や食べ物、薬を持ち込み看病するが、完治したと思うと、しばらくしてまた発症するのだ。それを何年も繰り返した。
最初の頃に作った記録は子どもの落書きだった。努力して家の中での実権を少しずつ握り、お金を稼ぎ、研究を進め、治療法を確立し、頼りになる人材を雇い入れ、後ろ盾になってくれる家と渡りをつけたのだ。
そしてノーリスから実権を奪おうとするマサイアに協力し、トレイを替えのきかない跡継ぎに育てあげた。
救出後、王都の水道橋の水を使い、研究で打ち立てた治療法で看病すると、ノーリスの症状はすぐによくなった。エバーレイは、最初から両親が自分の敵だったため、ビアス子爵家内にいながらにして、メイシーに渡らないように、情報統制することは簡単だった。ノーリスと幸せな結婚生活を手に入れたのだ。
その頃、あらがえない運命を認められない者がいた。
「あ、あの、そのう。ビアス子爵。メイシーとの婚約を解」
「メイシーが楽しみにしておってな。式の時期を早めようと言っている。君も、いつも言っていたな。可愛げのないエバーレイより、優しくて、愛らしい、天使のようなメイシーと、少しでも早く結婚したいと。そのほうがメイシーにつらくあたる、エバーレイと引き離せるからと」
それでもトレイはあらがった。
「ですが、その」
「エバーレイのやつは本当にけしからん。まったく可愛い妹の願いなんだから、君がいつも言っているとおり、欲しがるものは、なんでもくれてやれば良いものを。例えば君、とかな。ハハハ」
明るい笑い声が室内に響いた。
「ところでな、光栄なことに、なんと結婚式にはボウエン伯爵家が出席して下さるんだ。もちろん来るのは代官だけだが。それにしても栄誉あることだ。あのボウエン伯爵家とはな。なんでも君が言い出したそうだな」
当初予定されていた卒業後の、トレイとの結婚式に、ボウエン伯爵の子息レイモンドが、出席してやってもいいと言ったという話を、エバーレイがさりげなく自慢したのだ。
愛らしいメイシーが、それをうらやみ、私もそんな有名人に出席して欲しいと騒いだ。だからトレイは、いつもの通り、『可愛い妹の願いなんだから聞いてやれ』と、エバーレイを叱責したのだ。知り合いなら口ぐらい聞いてやれ、と。姉の分際でそんなこともできないのか、と。
「頼もしい君のおかげで、あのボウエン伯爵家がご出席なさるんだ。当日は精一杯のおもてなしをしないとな」
ボウエン伯爵家を招待しなければ、まだこの結婚式は、中止にできたかもしれない。しかし招待してしまった以上、中止にした方が損害が大きかった。
そして目的のためなら手段を問わないエバーレイは、トレイのような手駒は、すり切れるまで使い潰すのだ。しかもなにが悲しいかというと、トレイは無理矢理、言うことを聞かせられているわけではない。トレイもメイシーも、本能の赴くまま、自分の自由に選択し、その結果、エバーレイの思うつぼになっているということだった。




