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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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老いた調査官の始末(後編)


 ブラック号は急に重くなったジュリウスを乗せ、医師とデフォ男爵家に向かっていた。男爵夫人の体調不良は過労によるもので、休めば良くなるそうだ。男爵家から医師が帰った後、ジュリウスは大量に差し入れを届け、その日の夕食を作っていた。


「ゲイアスの孫は、なにをしにきたんだ?」

「卿の年金を届けにきたのです」

「あ、ああ、そうなのか……」


 男爵は年金という言葉が思い当たらなかったらしく、急に不安そうにおどおどし、それを隠すように怒った顔で手を差し出した。


「だったらさっさと寄越せ」

「なりません」


 ジュリアスが断ると、傷ついたような、おびえた仕草をした。


「ど、どうしてだ?」

「こういったものは、奥方に渡すものと相場が決まっております」


 ジュリウスにそう言われると、男爵は、自分の忘れている事情があるわけではないと、ほっとしたように笑い出した。


「違いない。男が金を持つとろくなことがないからな。女房にまかせるのが一番だ。まったくうちの女房と来たら、いつも全部吸い上げて、俺の小遣いはちょっとしかないが」


 男爵は嬉しそうに愚痴をこぼした。


「もっとも俺の給料が、もともと少ないんだが。あいつには苦労かけちまってなあ。俺がもっと融通が利けばよかったが、こんな性分でな」


 その後はデフォ男爵は愚痴という名の、妻ののろけ話を始めた。

 男爵が酒盛りで沈み込み、それを寝台に横たえると、ジュリウスは家の中を不規則に片付けた。


 そして玄関から入っても、半地下の勝手口から入っても、必ず通らなければならない、寝室への階段の上に待機したのだ。デフォ男爵が若い頃に選んだ住処は、さすがに襲撃への備えが万全で、まるで小さな城のようだった。


 ジュリウスはつらつらと考えていた。男爵が年老いたのを幸いに、誰かが彼の年金を横流ししているのだろう。夫人も言いくるめられてしまったとしたら、それなりの立場に違いない。そしてなにかが起きた。なにかが……。横領が露見しそうになって、デフォ男爵を始末する算段をしたのだろう。


 そこまではジュリウスにも理解できた。犯罪であるし、許せないことではあるが、世の中にはそういう人間もいる。


 だがリックの言っていた、「男爵が老いたから始末しろ」という、進言の下劣さには吐き気がした。おそらく犯人たちが、自分たちの罪の隠滅を公に押しつけようという、汚いやり口だ。人間とはそこまで堕ちることが、できるのだろうか。


 彼らは予想もしなかったのだろう。もう引退したただの男爵位の、じじいの始末を進言した所、わざわざ側近自らが面会に行くなど。いかに人を軽視しているのかがわかる行いだ。


 今日、ジュリウスが年金の受け渡しを頼まれたことで、ことが露見したのは、相手側にばれただろう。彼らが出来ることは二つ。逃げるか、男爵夫妻を口封じするかだ。ブラック号で来た以上、ジュリウスがここにいることはばれていた。




 長い孤独な夜の間、物音一つしなかった。ここは辺鄙な場所で明かり一つないのだ。なにも見えない深夜帯は避けたいのかもしれない。


 夜明けが近づき、暗く青い闇の中、突然コマドリが鳴き始めた。それと同時に砂利を踏む足音が聞こえ、壊しやすい勝手口を打ち壊す音が聞こえた。侵入者は一人のようで、せっかちにも暗い室内に目を慣らす暇もなく、階段を登ってきた。


 ジュリウスがただ刀を一突きすると、あっけなく階段を落ちていったのだ。

 物音を聞きつけ、寝室から武器を携えた男爵が、荒縄を持ってゆっくりと出てきた。


「起きていらしたのですか?」

「あんなに殺気を帯びた目でやってこられて、眠れるか。それで敵は? その小者だけか」


「そのようです」

「これで縛っておけ。俺は眠るぞ。まったく年寄りには睡眠不足はこたえるな」


 そういうと、男爵はとっとと寝室に戻ってしまったのだ。



 ◇◇◇◇◇◇



「この男を知っているか」

「サッサ子爵のところの、腹違いの弟アルフですね。前子爵が外の女に生ませたという」


 リックと部下たちが、侵入者の面通しをしている時、ジュリウスは壊された勝手口を修理していた。デフォ男爵は慣れた手つきで、手際よく直していく。確かに男爵は、少し衰えていたが、武器や道具の扱いは、堂にいったものだった。


「卿は、この男をご存じですか」


 リックの質問に、男爵はちらりと男を見た。


「前子爵が……、他の女に生ませた子どもだな。可もなく不可もなくといった所だ。横領はやっても驚かないが、人をあやめるほどの度胸はないはずだ」


「他の女とは?」

「あまりいい話じゃねえ」


 逡巡に気がついた、目ざといリックの質問に、男爵は黙り込んだ。外聞が悪いというよりは、おそらく気持ちの良い話ではないのだろう。リックの部下たちは男を簀巻きにし、取り調べのためにボウエン伯爵邸に運んだ。




 真相はなんの飾り気もなかった。


 デフォ男爵が住んでいる辺りを取り仕切っているのは、サッサ子爵だ。だから子爵には、デフォ男爵への年金の配布と、定期的な見回りの義務があった。ただしこれは最低限の義務で、普通は付き合いを保つために、差し入れをしたり、今回のような場合は、男爵家の修繕を手伝ったり、もっと互助的な交流を図るものだ。


 だがサッサ子爵は面倒くさがりで、そういったことを一切しなかった。デフォ男爵が引退し、後継者もいないことから、なめてかかっていたと言ってもいい。挙げ句の果てに重要な任務、年金の配布を、なんの責任もない義弟のアルフに放り投げてしまったのだ。アルフは最初の内は真面目に働いた。小心者だからだ。


 アルフはサッサ子爵の家に生まれたが、どういうわけか誰からも疎まれて育った。アルフなりに関係を良くしようと努力したり、腰を低くしたりしたが、今度は軽く見られただけだった。他にすることもないため、真面目に勉強し、武術にも励んだが、悲しいことに、才能がなかった。


 だからサッサ子爵家から出ることもできず、無給の使用人として、ただ使われた。そんな時、自分の母親が誰だかわかったのだ。ある日、妙にニヤニヤしている父親と、その弟である叔父の妻が言い争っていた。叔父の妻は号泣しており、「さわらないで下さい」と大声で叫んだ。


 ただ事と思えなかったので、仲裁に入ると、父親は大きく舌打ちし、部屋を出て行ったのだ。アルフは、叔父の妻に声をかけた。「大丈夫ですか」と。その途端、容赦ない平手打ちをうけ、こう叫ばれたのだ。「悪魔の子め」と。


 アルフは今まで、腑に落ちなかった様々なできごとが突然蘇り、結論に至ったのだ。目の前の女性が自分の母親だと。疎まれるのは当たり前だ。生まれてきてはいけない人間だったのだ。


 今までもそうだったが、この時ほど家を出たいと思ったことはなかった。だがアルフにはまともな仕事もなく、出世する望みもない。後継者の兄に従う意外に道はないのだ。


 そんなアルフにとって、デフォ男爵に年金を届ける仕事は重荷だった。アルフが欲しくてたまらない自由が手に入る金が、なにもしなくても半年ごとに届くのだ。その仕事をする度に、まるでその身に、毒が流し込まれるような気がした。そんな時にデフォ男爵の、若い頃の噂を聞いたのだ。


 男爵は当主に取り立てられていた。だが出世を固く拒み、昇進も昇給も断ったと。アルフはその話を聞いた時、すぐに忘れようと努めた。この話を詳しく聞いてはいけないと、頭が警告を発したのだ。だが忘れることができず、なにをしていても、頭の中を巡った。そしてアルフの心をあっという間に黒く染めたのだ。



『普通なら誰もが欲しくてたまらない、昇進も昇給も断っただと? それで年金をもらい、妻と悠々自適にすごしやがって。そんなに金がいらないのなら、この年金だって必要ないだろう?』



 アルフがデフォ男爵の衰えに気がついた時、なんのためらいもなく、年金の支給が終わったと、男爵夫妻を丸め込んだのだ。


 それはしばらくの間、上手く行った。だがデフォ男爵夫人が生活を立て直そうと、まわりに相談した所、不審に思う者がいた。そこから芋づる式にサッサ子爵の怠慢と、アルフの横領がばれそうになったのだ。


 子爵はあわてた。だが仮にアルフにすべての罪を押しつけると、今度は自分の怠慢がばれてしまう。それなら、と、デフォ男爵の抹殺を図ったのだ。


 子爵は男爵を見下していたので、簡単に考えていた。年老いて引退した、もうろくしたじじいなど、自分の進言でどうにでもなると。


 まさか側近が視察にやってくるなど、考えてもいなかったのだ。焦った子爵は、アルフを脅し、口封じを命じた。さもなくば家を出て行けと恫喝した。




◇◇◇◇◇◇




 ジュリウスはなぜかリックの部下として働くようになり、最近は学院が終わった後、ボウエン伯爵邸につめるまでになっていた。だからサッサ子爵の処分が話合われている部屋にも、居合わせたのだ。


「それでジュリウスは、どんな処分が良いかな?」


 当主のボウエン伯爵閣下は、まるで友人と宿題をするかのように話しかけてきた。頭が真っ白になり、目が泳いだ。


「なんでも申してみよ。気軽に」


 伯爵閣下は穏やかな性格で、下のものの意見によく耳を傾けると評判だ。だがよく耳を傾けて下さるのであれば、返って慎重にならなければならない。


「では、サッサ子爵のことだが、なんと思ったか言うてみよ」

「…………そんなに仕事が面倒なら、引退すればいいと思いました」


 部屋の中に笑い声が広がった。


「さすがゲイアス殿のお孫さんですな」

「考え方がそっくりだ」


 重鎮と呼ばれている人たちが、にこにことしている。


「それでは、アルフのことは?」


「そんなに働きたいのなら、我が家に来てもらえないかと。給金はあまり出せませんが、あの家を出た方がいいと思います」


「なるほど。そうだね。アルフは別の形で働いてもらおう」


 伯爵閣下はジュリウスを真っ直ぐ見た。穏やかな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。


「それで、デフォ男爵の処分はどう考える?」

「処分なんて必要ありません」


 ジュリウスは自分が思っていたより、大きな声を出してしまい、あわてて小さくした。


「デフォ男爵はまだお元気です。だいたいボウエン伯爵家のために尽くした人間を、切り捨てたら仕える者がいなくなります。士気も下がるし、それに、それに、そんなの筋が通りません」


 結局、大きな声になってしまったジュリウスに、リックの父親のダイアー伯爵が聞いてきた。


「だが、酔うとぺらぺらしゃべってしまうんだろう。機密が漏れないという安全性はどう担保すればいいんだ」


「デフォ男爵の人間性です」


「人間性? どういう意味だい?」


 部屋がざわざわした。


「男爵は今でも、話す内容を慎重に吟味しています。取り調べでわかったアルフの出生の秘密も、男爵は聞かれても答えませんでした。それは話していい内容ではないと、その品性で判断したんです」


 ダイアー伯爵がなぜか手で口元を隠した。なぜか他の重鎮たちも何名かが口を押さえている。その状態でダイアー伯爵は質問を重ねた。


「だが、今後もっと男爵は衰える。判断力もなくなり、自分のことがわからなくなるだろう。だから手を打つべきじゃないのか?」


「そんなもの、その時に考えればいいでありませんか」


 ジュリウスは確信をもって言った。ここで戦わねばならないと思ったのだ。デフォ男爵だけでなく、忠誠をささげた、老臣たちのために。しかし静かになった部屋で、言い過ぎてしまったと焦った。だが思い返しても、自分は言うべき事を言ったという自信しかなく、無意識に小さくなろうとするのを、虚勢を張って背筋を正していた。


「余は臣下に恵まれておるのう」


 ボウエン伯爵がにこにこと言った。


「ゲイアス殿も、お若い頃はこんなだったのだろうか」


 ダイアー伯爵がにやにやしながら、ジュリウスを見ている。


 ボウエン伯爵は、ご意見番として頼りにしているゲイアスも年をとり、若手の人材を探していたのだ。ゲイアスには子どもが二人、孫が四人いて、その内の一人、ジュリウスの優秀さは聞こえてきていた。


 だが優秀であることと、頼りになる人材かはまた別だ。だから若手のリックがまずは試験として、デフォ男爵の件に噛ませたのだ。最初は一緒に行動するだけのつもりが、かなり使えるということで、そのまま解決まで任せてしまった。


 ゲイアスに似てしっかりした考えを持ち、論理的に説明できるし、腕も達者ということで、このまま側近として召し抱えようとなったのだ。



 リックからそう説明されたジュリウスは、栄誉なこととして、ありがたくうけたまわったのである。

 ボウエン伯爵邸の廊下をリックに送られながら、ジュリウスは緊張でへどもどしていた。


「私のようなものを召し抱えいただけるとは、たいへんありがたく」

「ゲイアス殿のお孫さんということで、八割方最初から信頼しての話だったから」


「……あのう、どうして祖父を、そんなに高く評価しているんですか?」

「え」

「「「「「え」」」」」


 リックが素で驚いて、声を上げると、まわりの護衛たちも我慢できず声を出した。


「知らないのか? ジュリウス君」

「祖父には何度も聞いたのですが、首をかしげるばかりで」

「そういうこともあるのか」




 ◇◇◇◇◇◇




 現ボウエン伯爵家当主の、ジェイムズは四人兄弟だ。


 平凡な長男で、才気煥発な次男と、武芸の腕が達者な三男と、美貌で知られた末の妹に囲まれ、まったく注目を浴びなかった。外に出かけるにも、学院に登校するにも、跡継ぎともなると、供がぞろぞろとついて来るものだ。だが気がつくと一人でいることもあるくらいだった。


 つまり跡継ぎからはずされるだろうと、見なされていたのだ。多少はつらかったが、それを当たり前と感じるくらい、ジェイムズにとっては普通のことだった。だが跡継ぎとして育てられている以上、努力は続けねばならない。くじけそうになる時もあったが、ただ真面目に取り組み、日々励んでいったのだ。


 縁談は、側近中の側近、ダイアー伯爵家令嬢とめあわされた。その縁組みには反対意見も多かった。ジェイムズが跡継ぎから外される予定であれば、次男のほうをダイアー家と縁組みさせるべきだという意見が多かったのだ。幸い妻はなにも言わず尽くしてくれて、円満な家庭を築くことができた。それでも不安はぬぐえなかった。なぜなら家門で次男を跡継ぎに押す声が、増してきたからだ。



 そんな時、ジェイムズは父親の執務室を訪ねたのだ。

 部屋には一見誰もいなかったため、待たせてもらおうとソファに座った。所が死角になっていた続き間で、父親が朋輩のラムレイ男爵ゲイアスと話しているのが聞こえたのだ。


 今、声をかけると、まるで盗み聞きのようになってしまう。父親からの評価を恐れていたジェイムズは、動くことができなかった。


 ゲイアスは人から意見を求められることが、多かった。損得抜きでその時大事なことを、ずばりと口にするのだ。悩んでいた人間に、原点に立ち返るような助言をしてくれるため、彼に話を聞く者は多かったのだ。


「ジェイムズはとてもよくやってくれている。だが弟のマーティナに比べれば、見劣りするのは致し方ない。マーティナを推す声も大きい。このままではジェイムズに跡を継がせても、支えてくれる者がいないのではないかと不安になる。やはりマーティナに跡を継がせるべきだろうか」


 ジェイムズは自分の進退問題が、目の前で取り沙汰されているのを聞いて、息ができなくなりそうだった。


「ゲイアス。お前はどう思う?」

「跡継ぎはジェイムズ様のままで、よろしいかと」


「なぜだ」

「跡継ぎに求められるのは優秀さではありません。優秀な部下を使いこなす能力かと」


「ふむ」

「ジェイムズ様は、難しいお立場ですが、粛々と取り組んでいらっしゃいます。ああいった表では評価されにくい、粘り強さのほうが、貴重な資質かと存じます」


 その後は話題がずれたため、ジェイムズはこっそりと部屋から抜け出したのだ。

 あの時のゲイアスの進言が、父親をどれだけ動かしたのかまではわからない。だが正統な後継者はジェイムズだと改めて公表されたのだ。それでも反対する者は多かったが、特に声をあげていなかった者たちが、ジェイムズを支え、導いてくれた。自分の回りには人が少ないと思っていたジェイムズだが、見てくれている者はいるのだと気がつき、自信につながったのだ。



◇◇◇◇◇◇



「なんでも、ジェイムズ様と弟君のマーティナ様との跡目争いで、ゲイアス殿が大殿に進言したらしいんだ。ジェイムズ様にするべきだと。当時はジェイムズ様を支持する声は本当に少なくて、今とはまったく状況が違ったらしい」


「そんなことが……。祖父にはまったく心当たりがないらしくて」


「まあ、確かに、ゲイアス殿は自分の影響力を、過小評価しているところがあるから。気がついていないのかもね。そんなわけで。ジュリウス殿のことは、伯爵閣下は期待していらっしゃるんだ。これからも頼むね」


「努めます」


 ジュリウスはきちんと礼を執ると、ボウエン伯爵邸を辞去したのであった。


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