理想は後にしよう
マグサは悪い男だった。
盗み、かっぱらい、果ては強盗なども行い、人を人とも思わない最低な男だった。やっていないのは、人ごろしだけとの評判で、本人も、それをよく覚えてないほどの、いい加減ぶりだったのだ。
しかしある時、強盗に入った先で、足を斬られてしまい、そこで運が尽きた。世の中は優しくない。ましてや悪人には。
マグサはひきずる足で、最初は仕事を探そうとしたが、それははなから無理筋とわかった。たとえ善人だったとしても、世の中はそんなに優しい世界じゃないのだ。
だから真冬の雪の中、マグサはベンチにもたれ、体を温める酒もなく、震えていた。そして自分はこのまま死ぬのだと確信したのだ。だが正直言って、そこまで未練のある人生でもなかった。
家路を急ぐ人々は、マグサの横を通り過ぎながら、とうとうこのろくでなしが死ぬのだと、清々した気分でいた。
そこへ派手な化粧に、華やかな服を着た、リナンが通りかかったのだ。
「もしかして、あんた、マグサ?」
「よお、姉ちゃん。誰だか知らねえが、最後にサービスしに来てくれたのか。嬉しいねえ」
マグサは少しおかしくなっていた。死ぬ前の夢というと、神様がお堅い説教をしに来るのが定番だ。そんな辛気くさいのに比べて、こっちの夢のほうが遙かに良かった。
「ちょっと。このままじゃやばいよ。起きなって」
リナンは必死でマグサを起こし、自分の借りているアパートの部屋に運んだ。重労働だった。そしてマグサは、街娼をしているリナンの部屋に、潜り込んだのだ。
最初はかなり年下で、それなりに稼ぐリナンが、部屋に入れてくれた理由がわからず、下手に出て家事などやったりもした。
しかしすぐに落ちぶれ、ヒモになったのだ。
そうは言いつつ、ヒモなりに働いた。もう、後がないからだ。
リナンのような街に出て稼ぐタイプは、下手な客に当たると、大きなトラブルに発展することがある。そんな時、後ろにヒモがいると、用心棒になって便利なのだ。
またマフィアの支配下で働くと、みかじめ料をふんだくられるが、マグサはそういった連中に顔が利くので、商売がしやすかった。
その内、マグサはよく働くし、娼婦を商品として大事にするという評判が立ち、気がつくと、五人の街娼の面倒を見るまでになっていた。
ある日、リナンの妹イーニアが、役人をつれてやってきた。
「お姉ちゃん。探したのよ。帰りましょう。こんな商売を始めるなんて。それにこの男、前科者で有名なマグサじゃない。どうして……」
リナンはうんざりして、イーニアに言った。
「お願いだから帰ってくれる。あんた、本当に話が通じないから。分れて暮らすのが一番よ」
「お姉ちゃん。ひどい。お父さんだって心配しているのよ」
イーニアは、怒ってマグサを指さした。
「この男がお姉ちゃんを、たぶらかしているんでしょう。お父さんに言って、追い出してもらうから」
マグサは面倒なことに巻き込まれ、うんざりした。イーニアのように、一人でキンキンとわめくタイプが嫌いなのだ。だから読んでいた新聞を読み出した。リナンは昨日までの、会計の収支を確認している。
「ちょっと、なんで、無視するのよ」
イーニアは地団駄を踏んだ。
きっといつもなら、そうすれば誰かが話を聞いてくれるのだろう。
マグサはイーニアを見て、『誰かに話を聞いてもらうには、どうしたらいいか』という努力を、一度もしたことがなさそうだと判断した。
それだけで、リナンとイーニアが、姉妹としてどんな関係だったのかが、透けて見えた。
それにいつも達観し、落ち着いたリナンが、妙にぴりぴりしているのも気になった。人間がこういう反応する時、達観できるようになる前の、幼少期の経験が尾を引いたりする。リナンは子どもの頃に、イーニアとなにかがあったのだろう。
「話を聞いてくれないなら、お父さん、呼んでくるから。いいの?」
イーニアはこれで決まりとばかりに、残酷な笑みを浮かべた。力強く手を叩いたリナンは怒鳴った。
「いい加減にして。私とお父さんの関係が最悪なのは、知っているでしょう」
「違うわ。お父さんはお姉ちゃんのことをいつも心配して」
「心配して怒鳴るの? 心配だから殴るの? どうして骨を折られて、『心配だから』って言われて、私が我慢しないといけないの。いい加減にして。あの人は理由をつけて、ただ殴りたいだけじゃない」
「でも、でも、心配だって」
「つまりは、リナン、こういうことだろう?」
それを聞いていたマグサは、突然立ち上がると、思い切りよく、イーニアを殴るふりをした。
本気だと思ったイーニアは、悲鳴を上げ、足のバランスを崩し、思い切りよく床に自分の体をたたき付けた。衝撃でしばらく動けず、そこを今度は、マグサは踏みつけようとした。
それに気がついたイーニアは驚くほどの早さで起き上がると、姉に助けを求めようとしたが、マグサに身を寄せたリナンはわざと聞こえるように囁いた。
「もっと、やっちゃって」
「すまんな、嬢ちゃん。俺はただリナンが『心配』で」
それを聞いたイーニアは、獣のような早さで荷物をつかむと、ハイヒールを履いているとは思えない逃げ足で逃げていった。
「どうしよう。あの子、またここに来るのかしら」
「来ないと思うぜ」
「どうして」
「ああいう奴は、他人が痛めつけられても記憶に残らないが、自分がほんのちょっとでも危ない目にあったら、生涯忘れない」
「ああ、だから私がいくら殴られても、覚えてないのね。自分は怒られなかったから」
マグサはにやにやと笑った。
「それもどうだろうなあ。リナンは家出して半年か。それならそろそろあの妹も、父親の犠牲になるだろうな」
「でも……、父さんは妹を可愛がっているわ」
「暴力振るう奴は、振るうんだよ。絶対だ。ターゲットのお前がいなくなって、半年間は我慢したんだろう。でも、いずれな……」
「私もそう思います」
部屋の中に、リナンとマグサに続いて、三人目の声が響いた。
イーニアが連れてきた役人で、ジュリウスという名だ。有名な前科者のマグサの名を聞いて、ついてきたのだ。リナンが家出し、悪い男に働かされているという、イーニアの話は、一見筋が通っているように聞こえて、違和感があり、今まで黙って観察していた。
「ところで、一点だけわからないことがありまして。いいですか? リナンさん」
「なんでしょう」
「あなたと、マグサの接点がわかりません。どこでお知り合いに」
「それは……」
リナンは子どもの頃、死にかけたことがある。何度もだ。父親は難癖をつけて、食事を抜き、風呂に入らせず、暴力をふるった。いつもがりがりで、飢えた子どもだった。
ある冬の夜、家から追い出されたリナンは、表通りのベンチに座っていた。こうしていると時々、恵んでくれる人がいるのだ。
リナンは父親との生活に慣れ、どうやり過ごすのかを身につけていた。だから生活が変わって欲しいとか、ましてや助かりたいとも思っていなかった。なぜならこの生活がリナンにとっての日常で、それ以外知らないからだ。
リナンがどうしようもなく困るのは、リナンを見て正義感を燃やす人だ。その人たちは、リナンに戦わなければ駄目だときつく言い、時には父親と戦わないリナンを責めたりもする。それでも変わらないリナンをみると、なぜかリナンに腹を立て、父親に一言言おうとするのだ。
そういった人々は、リナンをあれだけ高圧的に責めるにもかかわらず、いざ父親が「躾だ」と、ちょっと怒鳴ったくらいで、おびえ、姿を消してしまうのだ。その後は、偶然、リナンと会うと、後ろめたそうにこそこそ逃げたり、時には睨んできたりするのだ。
父親と対峙するなんて、そんな無駄なことをするくらいなら、黙って恵んでくれるだけでいいのに。
その日は本当に寒い日で、リナンの体はぽかぽかして逆に温かかった。その時、隣にマグサが座ってきたのだ。
マグサは有名な悪人で、さすがのリナンもちょっと怖かった。だがマグサはなにかいいことがあったのか酒を飲んでご機嫌で、手元には新聞紙に包まれた、たくさんのフライドポテトがあったのだ。げらげら笑い出したマグサは言った。
「食べるか、ガキ」
リナンは目の前のポテトをかきこみ、喉をつまらせて噴水の水をがぶ飲みし、またポテトを喰う、を繰り返した。
マグサはそれを見てさらに笑い、その一杯のポテトを袋ごとくれたのだ。リナンはそれを家の外に隠した。寒いのを幸いに保存食になったのだ。
「今から、思い出すと、あの時はやばかったなあって思う時、何回かあるの。マグサと会った時もそう」
リナンは想い出を語りながら、マグサを見た。
「ありがとうね」
「覚えてねえ」
マグサはうんうんとうなった。
「マグサと付き合うなって、今でも言われる。悪人だからって。でも正義感で物言う人って、そうやって私の人生の邪魔をするだけで、なにかしてくれるわけじゃないのよね。むしろ、マグサだけじゃなく、ちょっとしたご飯を食べさせてくれたり、靴下くれたり、飴くれたり。そういった小さな施しが、私を導いてくれたと思う」
話を聞いていたジュリウスは、考え込んでしまった。ジュリウスも正義感は強い方なのだ。だから許せないと思うことがあると、つい強い口調でもの申してしまう。だがそれが、被害者の負担になってはいけないと、固く自分を戒めたのだ。




