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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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17/46

親はいつだって


 ジュリウスは仕事からの帰りで、街道を王都に向かって歩いていると、一人の少女と出会ったのだ。


 夕焼けの黄色い光が辺りを優しく照らし、雲がかき混ぜられるクリームのように横長に渦巻いていた。人々はもう今夜の宿を決めていて、忙しなく目的地に移動している。


 少女の名はスージーと言い、父親と二人で王都に向かって旅をしている最中だった。しかし慣れない旅路で疲れたのか、スージーは足を引きずっていたため、ジュリウスは通りがかった知り合いの農夫の馬車に、大きな荷物ごと乗せてもらったのだ。


 その日は宿に間に合わず、ジュリウスの家に泊まらせた。スージーは富裕層ではあるものの、平民であり、ラムレイ男爵家に泊まることは、敷居が高かったようだが、足のこともあり、好意に甘えたのだ。


「王都にはどんな用事があるの? スージーさん」


 年の近いシェリーは、いそいそとおしゃべりに興じた。


「呼び捨てで構いません。実は結婚するために」

「まあ、素敵。どんな方と?」


「その、私の父の親友が、シアー商会というのを経営しているんですが、そこの跡継ぎ息子のナサニエルと、そういった話がありまして」

「知っているわ。結構大きな商会ね」


「はい。でも結婚は口約束ですし、子どもの頃のことなので不安もあります」

「そうなの。あら、でも、スージーさんのお宅も商会なのよね。リッジ商会という」


「そちらは突然、叔父が継ぐことになりまして……。だから……」

「うーん。とにかく、ナサニエルさんの件は、当たってみるしかないわよ」


 シェリーが背中を押すように笑った。

 スージーはたまたま行き会った人が親切で、気さくなことに感謝しながら、与えられた寝台を、父と二人で寝られるように整えた。


 客室は簡素だが、必要なものが揃っていて、落ち着ける部屋だった。疲れているのか、あまりしゃべらなくなった父親は、黙って寝台に潜り込み、寝息を立て始めた。


 スージーは借りた洗面器で足をよく洗い、清潔にした布で手当を始めた。明日も父と二人、馬車に乗せてもらえるそうなので、あまり歩かなくてすみそうだ。靴を脱いだ途端、始まった開放感のあるずきずきとした痛みに耐えながら、手当をしていると、すぐに慣れてきた。そして横になると疲れで眠気はやってきた。だがどうにも熟睡できず、何度も寝返りをうったのだ。


 翌日も、ラムレイ男爵家を経由する、荷馬車に乗せて貰えたスージーと父親は、シアー商会を訪れた。


「スージーじゃないか。すっかりきれいになって。よく来てくれた。今度のことは本当に残念だった」


 会頭が、自前の響く声でスージーを招き入れ、応接室に座らせた。


「お久しぶりです。おじさま」

「すぐにナサニエルを呼んでくる。あいつも立派になってね。きっとお似合いの夫婦になれるさ」


 しかし呼ばれて来たナサニエルが、スージーの顔を見ると、その顔には「会いたくなかった」と書いてあった。そして機嫌悪く、むすりと黙り込み、父親の呼びかけには返事をするものの、スージーには顔すら向けなかった。


 スージーは歓迎されていないことがわかった。これでは、いくら会頭がこの話を進めても、うまく行かないだろう。会頭が焦って盛り上げようとしている横で、スージーは自分の人生の、次の手を考えねばならなかったのだ。


 二人になったとき、ナサニエルは言った。


「なにしに来たんだ。早く帰れよ」と。


 許嫁どころか、知り合い程度にすら取る態度ではなかった。ナサニエルは端正で、女性にもてそうな顔立ちに成長していたが、その目はとても冷たいものだった。


 だが他に行く当てもなく、会頭の家に父親と泊まった次の日、ナサニエルの親友のカルロスが来たのだ。カルロスはシアー商会で働いており、若手の番頭として会頭に気に入られていた。


「久しぶり、スージー。きれいになったね」


 そう言って外国製の、珍しい砂糖菓子を持ってきてくれたのだ。カルロスはとても立派になっていた。穏やかで知的な瞳をし、仕事で自信を得たのか落ち着きがあった。


「俺、最後にスージーと別れた後、仕事がんばったんだ。会頭が、もしナサニエルとスージーとの結婚が上手く行かなかったら、俺と結婚させてやるって。だから一人前になりたくて必死だった。スージーに相応しくなれていたらいいんだけど」


 ひとしきりおしゃべりした後、突然の告白を受け、スージーは反応できなかった。


「今すぐ返事しなくていいから」


 スージーはカルロスの前で真っ赤になった。なんとか話をそらそうと、気になっていた話題を出したのだ。


「ラムレイ男爵家にお世話になった?」

「ええ、父と一晩泊まらせて頂いたの。だからお礼をしようと思って」


 人が集まっているシアー商会の事務室で、スージーはカルロスに相談した。貴族にお礼をする以上は、それなりの格式をととのえないといけない。値は張るが、商会に取っては貴族と縁ができる機会でもあった。その場にいたナサニエルと、ナサニエルの幼なじみのドリンダも口を出してきて、準備を始めた。


 スージーは遅くならない時間に出発しようと、支度をするために席を外したところ、準備していたはずのお品物が消えていたのだ。


「あの、ここに置いておいた、ラムレイ男爵家へのお礼品は?」


 近くにいた事務員に聞くと、こう答えた。


「それなら、先ほど、ナサニエル坊ちゃまとドリンダ嬢が、持って行かれましたよ」


 騒ぎを聞いて、カルロスも駆けつけてきた。


「……人の品物を勝手に持って行ったってこと?」



◇◇◇◇◇◇



 その頃、ナサニエルとドリンダは、入念に身だしなみを整え、馬車でラムレイ男爵家に向かっていた。


 ナサニエルは確かに、子どもの頃スージーと結婚するかと父親に聞かれ了承したが、子どもだからよくわからなかったのだ。それを盾に、あんな好みじゃない女と結婚させられるなんて、真っ平だった。幼なじみのドリンダのほうがずっと色気があるし、気が利く。だから徹底的にスージーをいじめ抜いて追い出すつもりだった。


 だがラムレイ男爵家のような、おいしい話は別だ。ナサニエルは人を出し抜くことを、『要領が良い』と勘違いしていた。そして下に見ているスージーから品物を奪うことを、重大なことだとは思っていなかったのだ。


 ナサニエルは格式ある、時代を感じさせるレンガ塀に沿って進み、ラムレイ男爵家を訪れた。


「先日、こちらで一晩の宿を頂いた、ヘム・リッジとその娘の使いです。お礼の品をお持ちしました。私どもは、シアー商会……」


「誰だ、それ」


 出てきた横柄な男は、首をかしげた。


「……ヘム・リッジが泊めていただいたはずですが」


「そんなん来たか?」


 男が部屋の中に声をかけると、老齢の男性がでてきて首を振った。


「いいや」


「だよなあ。心当たりがない。なんかの間違いだろう。帰ってくれ」


 そう言って扉を閉められたのだ。いくら横暴なナサニエルでも、貴族相手に言いつのることもできず、得られるはずの栄誉と、そのために金をかけた準備を無駄にされ、いつもよりいっそう腹を立てて家に戻った。


「この嘘つき女め」


 商会に戻ったナサニエルは、人が大勢いる事務室で、スージーにあたった。スージーはなんのことかわからず、飛んできたカルロスにかばわれ、茫然としていた。


「いい加減にしろ。ナサニエル」


 その時、当分は帰らないはずの父親が、仕立ての良い服を着た青年と、建物入り口から入ってきたのだ。青年はスージーを見ると、ほっとしたような顔をした。ジュリウスと名乗ったその青年と、会頭は、応接室にナサニエルとドリンダ、カルロスを入れて話を始めた。


 会頭はちらりとスージーを、心配そうに見た後、考えながら婚約の話を切り出した。


「まずは話を整理しよう。ナサニエルとスージーの婚約だが、二人の意見を聞きたい。二人はどうしたい?」


 ナサニエルはなぜかなにも言わず、むすりと黙り込んだ。スージーは穏やかに言った。


「婚約はなかったことにしたいです」


 そう言われたナサニエルはひどく驚いて、まるで侮辱でもされたかのように、顔を怒りに染めた。そして後ろでドリンダもちょっとむっとしている。


「何様のつもりだ、スージー。生意気な」

「ナサニエル。『お前』はどうしたい?」


 ナサニエルはまた不機嫌な顔になって、なぜか無言でスージーをにらみつけた。会頭はため息をついた。


「わかった。婚約は契約だ。両者の合意がなければいかん。スージーが拒否しているのだから、この口約束の婚約は解消とする」


 カルロスが、ぱっと口を手で押さえた。ナサニエルはなぜか立ち上がって抗議した。


「なぜ俺がこんな女に、拒否されねばならないんですか」

「ナサニエル……、俺はさっきから、お前はどうしたいのかと聞いている。婚約を続けたいのか、続けたくないのか、それだけを答えろ」


 ナサニエルはなぜかなにも言わず、またしてもスージーを、ひどくにらみつけたのだった。ナサニエルの心は不満で一杯だった。本当ならスージーが気を遣って、ナサニエルのご機嫌を取り、下手に出ないといけないのに、なにもしないのだ。気が利かない女だ。


「さてと、それではスージーの次の婚約だ。俺はスージーの父親のヘムから頼まれている。くれぐれも娘をヨロシクってな。男だから約束は守る。俺の息子が醜態をさらしたばかりだが、もう一人の息子だと思っている奴がここにいる。カルロス。お前はどうだ。スージーを夫として守ってくれねえか」


「はい」


 カルロスはなんのてらいもなく、端的に答えた。にこにこしてスージーを見てくる。スージーは真っ赤になってしまい、上手く返事できなかった。


「おっと、良い感じじゃねえか。スージーもいいか? どうする? 返事は保留するか」

「はははははい」


「どっちだ」

「ははははい」


「どっちでもいいか。こうなったら。あとは二人でよく話せ」


 ナサニエルは見たことのない、スージーの恥じらう姿に、なぜかひどい衝撃を受けていた。


 ドリンダのほうも、これでナサニエルとの間に障害がなくなったのに、まるでなにかのあてがはずれでもしたような顔をしていた。特に会頭が、明らかにナサニエルに対して、幻滅している姿を見て、「有名商会のもてる御曹司」をつかまえたはずの自分の立場が、危うくなっているのに気がついた。それは会頭が、スージーを娘のように可愛がっている姿を見て、さらに増した。


「よっしゃ、ジュリウス様。これで話はまとまりました」


「安心しました。女性が一人で街道を歩いているのを見たときには、肝が冷えましたから。カルロス君。これからは君が守ってあげるんだ」


「……は?」



◇◇◇◇◇◇



 ジュリウスが街道を馬で歩いていると、若い女性がたった一人で歩いていたのだ。ぎょっとして見ていると、女性は時々一人言をつぶやいていた。


 この時間帯の街道は人通りが激しく、女性の一人歩きはそこまでめずらしくはない。だがたいていの場合、慣れていて、男顔負けにさっさと歩いて行くのが普通だ。


 スージーはいいところのお嬢さんらしく、足を少しひきずるところを見ると、道を歩くのに慣れていないのだろう。気になって、馬に乗るよう声をかけた所、こう言ったのだ。


「父と二人だから、大丈夫です」と。


 少し話を聞くと、急ぎの用があって港から王都に向かおうとした所、馬車の座席が一人分しか空いてなかったため、徒歩で来たのだという。


 街案内に王都までかかる時間を聞くと、六時間から八時間と言われ、それならと歩いたが、いつまでたっても王都につかず困っているそうだ。六時間というのは歩き慣れている平民の所要時間だ。


 どうにも心配になったジュリウスは、知り合いの馬車に乗せて自宅に泊めたが、翌日、しかるべきところに連れていこうと思っていた所、急いでいるからとお礼を言って出て行ってしまったのだ。




 急いで電信でスージーの実家、リッジ商会に尋ねると、こういった回答が帰ってきた。


 スージーの父親ヘム氏が急死したのだという。そのためヘム氏の弟が、急遽慣れない中、商会を預かったが、弟はスージーに跡を継がせたいと思っており、誰かいい人はいないのかと、スージーに尋ねた。スージーからは、なにかあったら親友のシアー商会会頭を頼るよう、常日頃から父親に言われており、その息子ナサニエルと結婚する手はずになっているとの、発言があった。


 その会話をした翌日、スージーは姿を消し、探し回っていたのだ。王都にいるなら、すぐに保護してほしいとのことだった。




 ジュリウスと会頭で相談し、カルロスはスージーを連れて、リッジ商会に戻り、スージーをしばらく休ませようという話になった。


「カルロス。お前。もう戻ってこなくていいぞ。リッジ商会に婿入りしろ」

「ですが。いいのですか。ここで勉強させて頂いたのに、なんのご恩返しもしていません」


「そんなんいいんだよ。持参金代わりだ。それに……、ナサニエルが、なんかおかしくなっちまったからな。離れたほうがいい。今までの失敗は、まあ若気の至りで、成長すればなんとかなると思い込んでた。それなのに、ヘムが亡くなって、スージーに気を遣ってやれって言ったのを、『覚えてない』って言ったのには驚いたよ。ヘムのことも、スージーのことも、どうでもいい、関心がないからって。そういう問題じゃあないだろう」


「どうでもいい情報だと、思ったんですかね」


「どうでもいい情報なんてないよ。商会では。やつはこの商売向いてねえ」



◇◇◇◇◇◇



 会頭は諦めつつも、ナサニエルと最後の話をした。


「ナサニエル。なんでお前、ドリンダと二人で、ラムレイ男爵家に行ったんだ」

「……別に誰が届けても同じではありませんか」


「今までもこういったことやってたのか」

「……」


 ナサニエルはまただんまりだった。


「今、カルロスが、スージーと俺の代わりに、お礼と謝罪にラムレイ男爵家に伺っている」


 その途端、黙っていたナサニエルが、怒りのあまり立ち上がった。


「なんでカルロスが。俺が行ったっていいではありませんか」

「なんにも事情を知らない奴が行ってどうする。事実一回失敗してるだろう」


「だって、だって、それは、……そんな事情、知らなかったから」

「知らなかったんじゃない。教えたのに忘れたんだろう。だいたい知らない奴が行ったって、意味ないだろう」


「そんなの、もう一度教えてくれればいいではありませんか」

「じゃあ、そう言えばいいだろう」


 会頭は腹に据えかねて大きな声をだした。仕事柄びりびりと響く声は、物理的にナサニエルを圧倒した。


「お前はいつもそうだ。スージーとの婚約について聞いても、なんの意見も言わねえ。その癖、後になって、『本当は嫌だった』と不満を言う。それなら解消するかと聞くと、まただんまり。今回も何度も、確かめても、なんにも言わないくせに、スージーの方から断ると、罵詈雑言。それで勝手にスージーの贈答品を持ち出して、トラブルになると。『知らなかったから』『教えてくれれば』と。一言、口に出して聞けばいいことを、やらねえ。その上で、まわりが、なんも教えないと文句ばかり」


「……」

「お前、この商売向いてねえよ」


 不機嫌に怒りを漂わせていたナサニエルは、早くこの説教が終わればいいと、時間をやりすごしていた。だから全部聞き流していたのだ。まさかそんな重大な話になるとは思わなかった。


「今後一切、商会への出入りを禁じる。別の仕事を自分で探せ」


 ナサニエルは、必死にこれからの自分に期待して欲しいと謝り、父親の機嫌が直るようにつとめた。様々な言い訳をし、自分がこれからやれることを、べらべらと並べ上げたのだ。だがその度に父親は言った。


「なあ、お前。この商売に向いていると、思うか? 自分の意見を言ってみろ」

「……」


 ナサニエルはその質問に答えられなかった。むすりと黙り込み、下を向き怒りで震えている間に、父親はナサニエルの機嫌を取りもせず、立ち去っていくのだった。



◇◇◇◇◇◇



 スージーは会頭と話した後、カルロスを連れて、部屋で休んでいる父親に会いにいった。そしてカルロスを紹介したのだ。


「お父さん。いろいろあって、カルロスと婚約することになったの。私も驚いたんだけど」


 その日、スージーは父親とたくさん話をした。とうとう嫁ぎ先が決まった娘に、父親から話すことがたくさんあったからだ。

 スージーはとりとめのない話を聞いて、最近はよく眠れなかったにもかかわらず、いつしか深い眠りに落ちていった。


 翌朝、久しぶりにすっきりと目が覚めると、カルロスが部屋の入り口に椅子を置き、本を読んでいた。部屋に二人きりだ。


「あれ、お父さんは?」


「帰ったよ」


「そうなの……、なにか言ってた?」


 カルロスは眠る前に、聞こえてきた言葉を言った。


「『心配で、心配で、眠れなくてサア。まったく手のかかる娘で仕方がないよォ。でも、いい人が見つかったみたいだから。後はヨロシクネ』って言ってた」



 ヘムはようやく安心して眠ることができたのだ。




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