汝唯足るを知れ
ドミ村で日雇い農民をしている、貧しい一家の息子ビッキは、いつもくたくただった。
村は大地主の村長が支配していて、厳しい取り立てと、きつい労働を下の者に与えるのだ。当然それは上から下に伝わり、最下層のビッキの家族は痩せ衰えていた。
あまりにもひどいありさまで、役人に訴えたいと思う者が多かったが、上手く行かなかった時のことを考えると、なにかしようという者はいなかった。そんなことも考えられないほど、疲れ切っていたのだ。
そんな状態で、ビッキたちの権利を誰か考えてくれる訳もなく、いつも不当に扱われた。世代が同じ村の少年少女からも、ビッキは貧しくてむさい少年だと、嫌がらせを受けていたのだ。
彼らは親からなにか仕事を頼まれると、ビッキを呼び出して使った。ただでさえ、くたくたのビッキは抵抗する元気もなく、彼らに従っていたのだ。
ある日、王都から役人が訪れるということで、その手伝いをビッキは頼まれた。すごく嫌だった。だが、その頼みを断るすべなどない。
ビッキは役人と聞き、また暴力を振るわれるのかと、怯えていたが、来たのはビッキより少し年上なだけのジュリウスという名の、青年だった。
村の少女たちははしゃぎ、そして腹を立てた。なぜなら全員、役人が来ると聞いて、中年ぐらいのむさい男がくるのだろうと思ったのだ。
まさか男爵令息の未婚の青年が、来るとは思っても見なかった。これ以上ない玉の輿を逃し、かといって、もう準備している一行に、いまさら加わることもできず、少女たちとその親は、憎しみをビッキに向けた。
地質調査の専門官と、建築の専門家などが集まり、ジュリウス一行は、新しく橋を作る予定地を見に行き、測量を始めた。
ビッキはそれを手伝い走り回ったが、昼食の時間になると、することもなく草を食べていた。ジュリウスは参加者を、ぬかりなく見守っていたが、ビッキに気がつくと、話しかけたのだ。
「君、昼食は?」
ビッキはジュリウスを用心深く見上げた。どう答えれば殴られないのか、考えていたのだ。
「持ってねえです」
「そうなのか」
ジュリウスはカバンから、白パンを取り出し、ビッキに一個与えた。
ビッキは用心深く受け取り、何度もジュリウスの顔をちらちらと見た後、受け取った後も、殴らなさそうだと判断し、食べ始めた。一口食べた後、殴られた時のために、奥歯をぐっと噛みしめた。
ただ殴ってくるだけの、役人はまだいい。時々、こういう風に食べ物を与えたあと、油断した所を殴ってくる奴もいるのだ。だがジュリウスは殴ってこなかった。ビッキは半分まで食べると、残りを隠しに入れたのだ。ジュリウスが不思議そうに聞いてきた。
「どうして全部食べないんだい」
ビッキは怒られると思い、身を縮めた。これでは埒があかないと思ったジュリウスは、自己紹介をし、ビッキの名前を聞いた。そして尋問という名のおしゃべりをしたのだ。
「妹がいて、その、白パンなんて食べたことないから、食べさせてやろうと」
ジュリウスはゆっくりと、天を仰いだ。
「私にも妹がいるよ。シェリーと言って。君の気持ちわかるな」
ビッキは役人という存在に妹がいるのに驚き、共感もされ、よくわからないが、ジュリウスは殴ってこなさそうだと判断した。
話をしている間、ビッキはちらちらとジュリウスの帯剣を見た。
ビッキは騎士になって、村を脱出し、名を上げたかったのだ。そして家族にご飯が食べられる暮らしを、させてやりたかった。だがそのためにはどうすれば良いか、わからなかったのだ。
「気になるかい?」
「俺、騎士になりたくて」
ビッキはすらすらと口に出した。だってそんな荒唐無稽な話、誰も信じないだろう。笑い話にすらならない。だがジュリウスはにこりと笑った。
「稽古つけてやろうか?」
「え、いいの……ですか」
ビッキは早速、なんでもいいから棒を探そうとした。剣の稽古というと、棒を持って打ち合うのだろうと思ったのだ。だがジュリウスは首を横に振った。
「それはまだ早い。とりあえずそこに立ってみて」
ビッキはからかわれているのだろうかと、不安になりながら立った。ジュリウスに軽くとんと、一本指で突かれるだけで、後ろにふらふらとした。手のひらでぱんと軽く押されるだけで、前につんのめった。ビッキは毎日肉体労働しているので、筋力には自信があった。だがジュリウスの軽い力に耐えられないのだ。
「姿勢が基本なんだ。丹田に力を入れて。もっと腰を落として。他の力はいらないから」
ジュリウスのいうとおりにすると、強い力で押されても、腰で支えることが、なんとかできるようになった。
「いいかい、どれだけ小手先で剣を振り回しても、意味がないんだ。まず体幹をしっかりさせて」
ビッキはジュリウスの教えを、真剣に聞いた。
ジュリウスはその調査を終えると王都に戻ってしまい、姿を現さなかったが、その後もビッキは真面目に訓練を続けた。村の少年たちは騎士に憧れ、棒をやみくもに振り回して遊んでいたが、ビッキは地味な努力を続けたのだ。
そしてある時、王都から騎士見習いや、警ら隊の隊士見習いを募集するため、面接官たちが来たのだ。制服を着た中に一人だけ私服の男がいて、オルダスと名乗った。どこかで見たよう顔だった。
面接は名ばかりで、体格しか見ていなかった。体格の良い少年を選んで、後で訓練すればいいだけだからだ。それでも騎士への憧れを抱く少年たちは、面接試験という名のふるい落としに参加した。一人の面接官が、少年たちと打ち合いをして、ばったばったと倒していくのだ。
ビッキはジュリウスの件で目立ってしまったため、試験に参加できなかった。くだらない嫌がらせに負けたのだ。悔しくて仕方なく、こっそり試験を眺めていた。だが面接官は書類を見て言った。
「一人足りなくないか? 税金の書類では日雇い農民の少年がもう一人いるはずだ」
村長はあわててなにか言い訳を始めたが、連れてこいと命令され、ビッキを呼びに行こうとした。
「俺ならここにいます」
この試験を受けられなかったら、どのみち未来はないのだと思ったビッキは立ち上がった。
面接官はビッキの体格を見て、がっかりしたようだ。悪くはないが、合格でもなかったからだ。だから模造刀を持たせて、気軽にかかってくるように言った。
渾身の力で打ったビッキを見て、面接官は顔色が変わった。強く押し返すと、ビッキは吹っ飛び、無様に転がった。
それまでビッキの登場を、嫌な顔で見ていた村の人々は、ビッキが醜態をさらすと急にニヤニヤとしだした。
急いで立ち上がり、また強い目で模造刀を構えたビッキを見て、その日一日なにもしていなかった二人目の面接官が歩み出て、ビッキと打ち合いをした。これもビッキが軽く吹っ飛び、情けない姿を二回もさらしたのだ。
それを見ていたオルダスは、ゆっくりと歩いて、諦めず立ち上がったビッキの前に立った。
「小僧、名前はなんて言うんだ」
「……ビッキです」
「そうか。俺はオルダスだ。ほら、かかってこいよ」
「でも……」
ビッキは、なにも持っていないオルダスに戸惑った。
「いいから、やってみろ」
ビッキは振りかぶったにもかかわらず、なぜか体が横に吹っ飛んでごろごろと転がった。
相手が素手だからと思わず手加減したが、歯も立たなかったのだ。
ビッキはすぐにぎろりとオルダスをにらみつけ、立ち上がって、刀を構えた。ジュリウスにそう教わったからだ。絶対に諦めてはいけないと。そしてオルダスにまた振りかぶったが、構えた刀の柄を、手ごとつかまれた。
「こんなに力を入れて柄を握ってたら、刀が自由に動けないだろう」
そう言って、ビッキを足でなぎ払ったのだ。ビッキはまたも無様に転がり、腹をおさえてうめいた。それでも立ち上がらないといけないという、ジュリウスの教えを守り、うめきながら飛んでいった刀を探したのだ。
「なんだ、お前。腹を守っていないのか。誰だ、お前に剣を教えたやつは」
「ジュリウス……様です」
「どっかで聞いた名だな」
面接官が代わりに答えた。
「おそらく、ご子息様かと。オルダス様」
「忘れてた」
見守っていた面接官が、ビッキを介抱した。
「あの、俺、絶対に、合格、したい、です。だから、試験を、続けさせて、ください」
「君は、合格だよ。すまない。言わなくて。一人目の私が本気を出した時点で合格だったんだ」
二人目の面接官がビッキに言った。
「俺は、将来の同僚だから、ここで打ち合っておこうと思って」
「では、オルダス様は?」
「あの方は、磨かれていない原石が好きなんだよ。君は認められたんだ」
「もしかしたら師になってくれるかもね」
ビッキは信じられない幸運と、明るい未来に目を輝かした。
だから面接官二人が、死んだ目で言っていることに気がつかなかった。
強さを求めるオルダスの教えは、めちゃくちゃで強引で理屈が通じない。弟子として目をつけられたら、心を壊すとまで言われているのだ。
オルダスに剣術を仕込まれたジュリウスは、生まれつき穏やかで落ち着いていると評価されているが、それは無茶苦茶な父親の元で育つ以外の、選択肢がなかったが故の諦観でもあるのだ。
オルダスに認められたビッキは、一家でジュリウスの家の近くに移り住んだ。ラムレイ男爵家は最近、名を上げられることが多く、賑わいを見せてきていた。忙しく人出は入り用だったのだ。
ビッキや兄弟は教育を受けることができるようになり、まずは少年が所属する警ら隊の新参部隊に所属したのだ。順調に訓練を積めば、十六歳を過ぎた頃に見習い部隊に、そして活躍によっては騎士になれる道もあるということで、ビッキは張り切った。
一方、ドミ村では異変が起きていた。
人が次々に逃げ出していたのだ。
大地主の村長は横暴を極め、それはビッキのような最下層が支えることで、ぎりぎり成り立っていた。それにもかかわらず、くだらない嫉妬心からビッキたちを虐待していたのだ。
そのビッキたちが逃げ出した今、残された者たちにはなんの希望も残されていなかった。なぜならビッキたちがいなくなれば、次は自分たちが最下層に落とされ、さらに虐待されるということを、底辺の人たちは目の当たりにしてきたのだ。だから逃げ出したのだ。
支配層はあわてて底辺を懐柔したが、あまり意味がなかった。ビッキと同世代の少年少女たちは、誰かに仕事を押しつけることに慣れきってしまい、その年齢ならできるはずの、それぞれの仕事がおろそかになっていたのだ。
自分の仕事を知らなければ、人の上に立つこともできない。村の生産能力は一気に落ち、激怒した領主によって、支配階級の交代が起こった。
彼らは長年の望み通り、やりたくなかった自分の仕事を失ったのだ。




