第6章 邪馬台国誕生
奴国の大王が殺害されたことによって、奴国の新しい大王が誕生する。
第1節
奴国の大王が暗殺されたことにより、大王の居館では武装派に拉致されていた高震士を中心にして、奴国の首脳が集まっていた。そこには、大王の子息も同席していた。
「高さま、これからどうされます」
「勿論、ここに居られる若君に大王になって頂きます 若、大王の席にどうぞ」
「父が亡くなったことでみんなに心配をかけた これからは父に変わって、私が奴国の大王としてみんなを引っ張って行きます」
「みんな、新しい大王を支えよう」
「金庸圭が奴国の警備を担当していたが、逃亡して行ったため、奴国の軍事面で手薄になった もし、倭面上国が攻めて来たら」
この会議には、安曇厨紀弥も参加していた。
「大王、東国から連れてきた物部に頼みましょう」
「私を助けてくれた連中か」
その時、高震士が安曇厨紀弥の肩を叩いた。
「そうだ、物部に頼もう」
「ズキヤ、物部はどこにいる」
「肩野の里にいます」
「ズキヤ、物部の長を連れてこい」
その後、会議は新しい大王になったことにより、奴国連合の諸国に通達を送るよう、高震士が手配する事になった。そして、奴国連合の王を一同に集めるように大王が指示した。
伊那部は、奴国の大王が暗殺された事を大綜麻杵命に報告するため、肩野の里に向かった。
「オオキソキさま、大変なことが起こりました」
「イナべか」
「どうかしたか」
「奴国の大王が暗殺されました 奴国の武装派によって」
「なに、大王が殺された」
「その武装派は、倭面上国を攻めるため、向かったのですが、三輪の里で、二田弥軍と戦って、主犯の金庸圭は逃がしましたが、退治しました」
「大王が亡くなったことで、奴国はどうなるのだろうか」
「拉致されていた高震士さんを助け出したので、高震士さんが何とかされるのではないでしょうか 奴国には、大王に変わる若君もおられます」
「そうか イナべ、ご苦労であった 少し肩野の里でゆっくりしなさい」
伊那部は、久しぶりに阿木沙都姫と日向馬と生活を共にした。日向馬はその時、3歳になっていた。一方、遼瀬依は息長安藻に引き取られ、阿藻の九州での拠点、壱岐で黄咲美姫によって育てられていた。日向馬と遼瀬依が出会うのは、もっと先になる。
第2節
安曇厨紀弥が平穏な肩野の里に大王の命を受けて、大綜麻杵命の居館にやってきた。
「オオキソキさまにお会いしたいのですが」
その時、後ろから伊那部が声を掛けた。
「ズキヤさんではないですか」
「また、会ったね」
「イナベさま、この方に入って頂いてもよろしいですか」
「ズキヤさん、オオキソキさまにお会いされるので」
「オオキソキさまに声を掛けてきます」
安曇厨紀弥と伊那部は、居間に入った。すると、大綜麻杵命が現れた。
「ズキヤ、久しぶりだ 奴国の大王と会わせるという話はどうなった そうそう、大王は暗殺された そうだった」
「オオキソキさまは、ご存知でいらっしゃるのに」
「それで、今回は」
「奴国を守る兵士が足りないのです それで、新しい大王がオオキソキさまに面談したいと」
「大王と会うことができるのか」
「そうです それと、今、奴国連合の王を一同に集めろと言われています」
「その集まりにも、参加できるのか」
「そのために、私が来ました」
「それでは、奴国に行ってやるか 伊那部も同行しなさい」
「オオキソキさま、奴国に行く用意が出来次第、私の船でいきましょう」
大綜麻杵命と伊那部は、柴川に停泊していた安曇厨紀弥の船に乗り込んだ。そして、小倉港から那珂の里に着き、那珂川に入って、須玖の里に着いた。
「ここが、奴国の本拠地か なかなか賑やかだ」
「オオキソキさま、大王の屋敷まで案内します」
伊那部は、大王の家族を助けるために大王の居館には来ていたが、大綜麻杵命のあとに付いて、居館に入った。居間に案内されると、若々しい大王が現れた。
「物部殿、よくこられた」
「大王にお会い出来て、光栄に思います」
「さて、ズキヤからもお聞きだとは思いますが、金庸圭一派を排除して、この須玖の里を守る者が手薄になっている そこで手を貸して欲しいのだが」
「私達は、東国にいて奴国と倭面上国との戦いに応援して欲しいと安曇厨紀弥さんから依頼されて、西国に渡って来た者です ですから、この須玖の里を守るのも、私達の任務です」
「そのように言って頂ければありがたい」
「ここにいる伊那部を長として仕えさせて頂きます 兵士は、三輪の里につめている一部を回しましょう」
「この度、奴国連合の各国の王もここに集まることになっている それまでに警備兵を集められるか」
「承知しました 早速、兵の用意をしましょう」
第3節
大綜麻杵命は、奴国の大王と面会した後、須玖の里を出て、三輪の里に向かった。
「ニタヤ、三輪の生活に慣れたか」
「オオキソキさま、この間、奴国の武装派と戦いました」
「そうだった イナべから聞いておる」
「大王が暗殺されて、奴国はどのようになるかと ちょっと心配していたが、新しい大王にお会いして安堵した」
「新生の奴国は、どうでした」
「新しい大王は、私らに須玖の里の警備を依頼してこられた それで、三輪の里の兵の一部を当てることにする」
「では、須玖の里に私も行くのですか」
「須玖の里には、イナべを長として当てることにした」
「イナべを」
「三輪の里は、重要な拠点で、倭面上国のこともあるし、奴国の武装派が何時、奴国に攻めて来るかしれない だから、ニタヤはここで待機して欲しい」
「オオキソキさまは、これからどうされます」
「私は、せっかく西国に渡って来たのだから、各地を回って、物部の地盤を築こうと思う」
「私も、おともしたいです」
一方、須玖の里の居館では、居間の縁側から広がる園庭には、歌舞の舞台が設置され、奴国連合の30余りの国王が、神楽を楽しめるようになっていた。その国は、伊都国、末盧国、一支国、対馬国、不弥国、投馬国など、奴国の周辺諸国です。
伊那部の元には、三輪の里から送られてきた兵士が集まってきた。そして、奴国の大王が招待した30余りの国王が、須玖の里に集まって来た。全員が集結した段階で、居館の園庭に。そこには、各国王の椅子が用意され、縁側には新しい奴国の大王が着席した。会議の進行役として、奴国の官を務める高震士が挨拶をするために立ち上がった。
「皆様、遠方から須玖の里にお集まり頂いてありがとうございます 今回は、奴国として不幸なことに、大王が暗殺されて、新たに若君が新しい大王として就任されました そのお披露目の席を設けたまでです」
招待された国王は、いっせいに縁側に座っている大王を見た。大王は、立ち上がって。
「先ずは、園庭に歌舞の舞台を設けましたので、ご覧会ください」
舞台には、神楽を演奏する演者が上がり、その後、舞を演じる巫女が登場した。参加した諸国の王は、今まで見たことない歌舞に、目を白黒して見ていた。奴国は、中国との交易も盛んで、いち早く神楽の楽器を手に入れ、昔ながらの神舞をアレンジして、目新しい舞を完成していた。
歌舞が終了した後、進行役の高震士が。
「我が大王は、漢の国の情勢が目まぐるしく変わる中で、私達の奴国連合も変わらなければなりませんと そこで、今までの皆様の国をひとつにするお考えです そのために、皆様のお考えをお聞かせ頂きたい」
それを聞いた伊都国の王は。
「私ども国では、漢の国の役人が常時、滞在しています」
すると、投馬国の王が。
「漢の国、今、どのようになっていますか」
「現代、漢の国は霊帝の悪政に不満を持つ地方の勢力が台頭してきています」
後漢は、184年から185年にかけて黄巾の乱が起こっています。この乱は農民の反乱ではあったが、この結果、後漢は衰退し、189年に霊帝も亡くなって、劉備の蜀、曹操の魏、孫権の呉の三国時代の幕開けとなった。後漢は209年に滅びる。
「伊都国の王の言われるように、漢の国はいつまで持つか そんなときであるので、奴国連合は纏まらないと行けない そこで、大王は新しい国家体制を作ろうとされています これから、居間に食事も用意させていますので、今後の奴国連合のあり方をお互いに話したいと思います」
第4節
奴国連合の王達は居間に入り、食事を取った。進行役の高震士が雑談をしていた王達に今後に奴国連合の話を持ち出した。
「先程、お話しましたように、ひとつの大きな国を作ることについて、なにかあれば」
最初に意見を述べたのは、不弥国の王でした。
「私の国は、奴国連合が倭面上国から攻められた時のために軍事を再重点にし、兵士を揃えています もし、ひとつ国にした場合、軍事の統制が上手くいくでしょうか それと、今まで戦っていた倭面上国との関係はどのようになりますか」
「倭面上国とは、和平の方向で進めています 倭面上国は、剣などの兵器を青銅器から鉄器に変えて、私達よりも優位に立ちたい そして、鉄鉱石を密輸入しようとしました それで、私達はその流れを断ちました また、倭面上国は漢の国との交渉を悲願としていますが、それも伊都国が独占しています ですから、倭面上国が以前みたいに、奴国連合に攻めて来ることはないと思われます」
次に発言したのは、一支国の王でした。
「我が国は、韓の国から鉄鉱石を運び入れ、鉄器の生産を主にしています それが、斯瀘(しろ:後に新羅)が勢力を拡大し、鉄鉱石が採れる狗邪韓国まで、勢力を伸ばして、鉄鉱石の採取を」
新羅では、伐休尼師今の時代で百済の諸国と激しく戦い、領土を拡大した時代でした。また、狗邪韓国は、大韓民国慶尚南道金海市にあった倭人が治めていた国です。
「狗邪韓国においては、カツラギワキサトを行かせているので、今のところ、斯瀘の動きは抑えていると思う」
次に発言したのは、末盧国の王でした。
「今、一支国の王が斯瀘に述べられたので、倭面上国は百済と密会しているようです 松浦の海岸から倭面上国の船を見かけます」
「倭面上国は、元々、伯済国(百済)から渡って来た人が多いから 楽浪郡との関係もある」
その他にも発言した王もいた。そして、奴国の大王が。
「みんなの意見や今直面している問題がよくわかった それでだ、色々の問題を解決するには 我々は、ひとつになって、団結しなければならない そこで、国をひとつにしようと思う そのためには、この会議のように、定期的に集まって貰いたい」
参加している各国の王は、それぞれ頷いた。進行役の高震士が。
「それでは、皆様同意されたとします 国の名前は、邪馬台国にします」
邪馬台国は、ひとつの国家というよりも連邦国家の色合いが強かった。邪馬台国が存在していても、その中には今まで通りの小国家が存在していた。248年に卑弥呼が亡くなり、その後、壹與が邪馬台国の女王となるが、邪馬台国は何時しか自然消滅してしまう。その時、今までの小国家、奴国や伊都国や一支国や末羅国なども同じ運命になった。そして、ひとつの国家形態になるのは、ヤマト王権です。
奴国連合が邪馬台国を建国した。