第2章 大海上の国
伊那部と武斬弥は、大上海上の国の視察に回った。草刈の里では、人さらいが出て、若者を誘拐する。そこで、舞弥呼という祈祷師と出会う。
第1節
伊那部は、香澄の里で佐古米と別れ、叔父の摩鰖部の丸木舟で内海の香取の海を渡って、沿岸の榎浦の里に着いた。
「イナべ、元気でなぁ」
「おじさん、ありがとう」
東北地方来た縄文人はこの香取の海の北側で留まり、東海地方から来た縄文人は香取の海の南側で留まった。香澄の里から榎浦の里に物資を運ぶ場合、丸木舟が必要だった。東北地方の人達が東海地方に行く場合でも、香取の海を渡らなければならず、この地域を支配していたのが物部氏でした。大化の改新以降、この香澄の海を境に北側が常陸国で、南側が下総国と分けられていた。律令制がひかれる以前は、下総国は「之毛豆不佐」と呼ばれていました。国造が設定された頃、下総国は海上の国と呼ばれ、現在の千葉県千葉市を中心にした上海上国は成務天皇の時代に国造が着任し、応神天皇の時代には、重要地点として、香取神宮を中心にした下海上国に国造が着任した。成務天皇の兄、日本武尊もこの地にやって来ている。『常陸国風土記』では日本武尊を天皇としているが、ヤマト王権からこの地にもやって来て、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。この時、姫の女人も入水したのですが、弟橘姫と女人の一人、蘇我比咩だけが生き残った。その地が千葉県千葉郡蘇我町で、蘇我比咩の神社として蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とした蘇我比咩神社がある。そして、日本武尊は、死んだはずの弟橘姫と相鹿の里(あふかのさと;茨城県行方市)で出会う。相鹿の里は、香澄の里の隣です。日本武尊が実在人物であったかは別として、『常陸国風土記』に記載されているように、日本武尊が天皇と称したくらいだから、ヤマト王権が下総の国に勢力を伸ばす前には、上海上国と下海上国の他に千葉県山武郡辺りも含めて大海上国があり、ヤマト王権に匹敵するほどの勢力が存在していたと思われる。
伊那部は、叔父の摩鰖部の丸木舟を見送った。その岸辺には、物部美世太彦の下で榎浦の里で警備をしている武斬弥が迎えに来ていた。
「お待ちしていました ムキヤと言います」
「イナべです」
「立派になられましたね」
「私のことを知って居られるのですか」
「サコべさんのご子息さまですね 私、以前サコべさまにお仕えしていました その時は、イナべさんは赤ん坊でしたから」
「私が来ることをどのように分かったのですか」
「昨日の夜に香澄の里からのろしが上がった 誰かが来る合図です 朝、ここで待っていたら、マタべさまの丸木舟が」
「そうでしたか」
「では、ミセタヒコさまのお屋敷までご案内しましょう」
第2節
伊那部は、武斬弥に連れられて物部美世太彦の居館に入った。
「兄上が若者を送ると言っていたが、君か」
「イナべです」
「ムキヤと一緒に行ってもらいたいところがあって」
「どこですか」
「上海上の国へ」
「そこはどのようなところですか」
「この榎浦の里にその国からよそ者が入ってくるのさ」
「それで」
「兄上、大王は上海上の国も支配に置こうとされている そこでイナべ、どのような氏族が味方になり、敵になる氏族はそのようなところを調べて来て欲しい」
「それは大役ですね」
伊那部と美世太彦とが座敷で話をしている時、美世太彦の娘、阿木沙都姫は、隙間から伊那部の様子を見ていた。
「イナべ、今日はゆっくりとこの館で過ごしなさい」
「ありがとうございます」
伊那部が座敷から立ち去った時、阿木沙都姫が入ってきた。
「ヒメ、あの若者をどう思う」
「なかなかしっかり受け答えされていますね」
「物部伊那部と言う ヒメは知っているかなぁ 香澄の里の物部摩鰖部 その甥だ 父親は物部佐古米で、千賀ノ浦で首長をしている 兄の大王が佐古米に千賀ノ浦の土地を与えた 佐古米の父、物部真砂は生前の里に住んでいた時、わしも一度会ったことがある」
阿木沙都姫は、美世太彦の話を聞いて、佐古米にほのかな関心を示した。
「ヒメの顔を見れば分かる では、今夜、イナべが上海上の国に明日出発するので、祝いの席を用意してある ヒメも同席するか」
「はい」
伊那部は、武斬弥に案内されて用意されていた部屋に入った。
「ムキヤさん、上海上の国てどのようなところですか」
「上海上の国には、西から丸木舟に乗ってならず者がやってくるのです。そんなやつが、この榎浦の里にも侵入してくるので、大王は上海上の国を支配しようとされています」
「こちらに味方する人達がいるのですか」
「それをこれから探りに行くのです きっといます」
「同調者がいればいいですけれど」
「そうですね イナべさま、今夜、その前祝いの席を設けていますので、ここでゆっくりとしてください」
阿木沙都姫は、物部氏から伝わる舞の準備を始めた。この舞は物部神社で鎮魂祭の舞の原型で、冬の太陽のエネルギーが落ちる時期に魂を高めるために行った舞と言われ、平安時代に宮中でも舞われた。
日暮れも近づき、美世太彦の居館も慌ただしくなってきた。前祝いの宴の用意ができた頃、美世太彦は中央に座った。
「イナべ、ここに座りなさい」
「はい」
「上海上の国に行って、いい知らせを聞きたいから、この宴を設けた」
「ムキヤさんから、上海上の国のことは聞きました」
宴席には料理が運ばれて、宴の席が埋まった時に、横笛の音が聞こえて来た。すると、阿木沙都姫が舞姿で登場し、鎮魂舞が始まった。伊那部は、今まいた事のない舞に魅了された。舞が終わると。
「ヒメ、ここに イナべ、紹介しよう アキサトヒメだ わしの娘でのぉ」
「大王から聞いています」
榎浦の里の居館での宴席も久しぶりで、場内は盛り上がった。伊那部も阿木沙都姫とも、一言二言、話を交わした。
第3節
伊那部と武斬弥は、朝早くから大海上の国へ出発した。そして、現在の国道51号線で、平安時代末期に千葉氏によって整備された旧街道、佐倉街道を通って、荒海の里(千葉県成田市)に出た。縄文時代晩期までは、香取海の湾沿岸になっていました。それが弥生時代になると、縄文海進が治まり、根木名川が利根川の方に流れるようになり、荒海の里は湿地帯になっていた。
「ムキヤさん、この辺り、水田にすれば、稲がよく育ちますね」
「西からやってきた者に米作りをさせるか」
「ムキヤさん、あの山の麓で稲穂が見えます」
「えぇ、まだ田植えの時期でもないのに、ちょっと近づいて見るか」
荒海の里では、縄文時代早期から縄文人が洞窟で生活していた。縄文時代を通して、この地の海辺で貝を拾い、山で猟をし、縄文時代中期から後期には畑を耕し、自給自足の生活をし、竪穴式住居も発見されている。稲作も畑で植えられていたようです。
伊那部と武斬弥が、畑に近づいて見るとひとりの男性が野良仕事をしていた。
「そこの人」
「わしのことか」
「今、植えているのは稲ではないのですか」
「そうよ、米だよ」
「畑で稲が育つのですか」
「先祖から受け継いだやり方で」
伊那部は、畑で稲作ができることに驚いた。見てみると少量しか実っていない。水田式の方が大量にできるのに。でも、米の種まきには使えそうだと、思った。
「イナべさん、先に進みましょうか」
「次は、この道を真っ直ぐに」
「佐倉の里を通過して、物井の里に行けば、私たちの仲間がいます」
佐倉の里は、現在の千葉県佐倉市六崎一帯にあり、弥生時代中期後半には、大崎台遺跡で205軒もの竪穴式住居が発見されている。また、鎌倉・室町時代に下総の守護として君臨した千葉氏の本拠地、江戸時代には佐倉の里の北部にある印旛沼は、江戸を水害から守るための工事や新田開発のために埋め立て工事が行われ、佐倉の里が工事の中心になった。物井の里は佐倉の里の隣にあり、弥生時代後期には墓地を含む邑が形成され、律令制が施行された頃は下総国千葉郡物部(現在の千葉県四街道市物井と千葉県四街道市山梨一帯)と表示されていた。物部氏族が生活していた郷として名称が残っています。鹿島川流域で水田式稲作が行われていた。
「ムキヤさんの仲間って、どのような方ですか」
「大王の意向で、馳使と言って、使い走りする役割の人達です 警備もその一つ」
「大上海上の国の警備をしている人達ですか」
「大上海上の国を本格的に支配しようとするともっと増やさないと」
伊那部と武斬弥が佐倉の里に近づいた頃、一人の青年とすれ違った。その青年は、頭に頭巾をかぶり、笈(おい:荷物を入れる竹製の箱)を背負って杖をしながら歩いていた。
その青年に伊那部が声を掛けた。
「どちらに行かれるのですか」
「北辰の霊に会いに行きます」
「北辰とは、北天の星のことですか」
「はい、多くの星の中心にある星辰です」
北辰とは、北極星のことで、夏の夜空に現れる北斗七星の先に見える星です。この星は、冬の夜空では、カシオペヤ座の先に見えるので、星の中で唯一、動かない星です。この青年は、祈祷師で北辰の霊と表現しましたが、唯一動かない星=天子のことを表していたと思われます。
その時、武斬弥は一言。
「あ、大王のこと」
第4節
伊那部と武斬弥は、佐倉の里の状況を観察していた。
「ムキヤさん、佐倉の里には水田の稲作が少ないですね でも、あの丘にでも稲作ができそうです」
「問題は、水源だな 鹿島川の分岐として水路を作るか」
「そうしたら、この佐倉の里にも集落ができますね」
伊那部と武斬弥は、佐倉の里の今後について話している間に物井の里に着いた。
「ムキヤさん、久しぶりです」
「この物井の里は、榎浦の里に行くための関所みたいな所だけど、何か変わりがないか」
「この一時前に、祈祷師が通ったので、どこから来たのか聞いてみました」
「その人、私たちも物井の里に入る前にであった青年ですね それで、どうでした」
「馬加の里からきたと言っていた」
馬加の里は、千葉県千葉市美浜区・花見川区全域と習志野市の東部で幕張と言われています。
「あそこは、水の神様を祀っているところだね ここの漁師は、網に重り(土器の破片や石)を付けて魚や貝を取っていた」
千葉県千葉市稲毛区の上ノ台遺跡では、縄文時代晩期頃から住んでいた人達によって、網に重りを付ける、土錘と言う漁労具を開発して、その遺物が発掘されている。この地に弥生時代後期から多くの人が住むようになった。
「他に変わったことはないのか」
「埴崎の里に不穏な動きがあります」
「どのような動きなのだ」
「あの里は、風がきついので、西から来た丸木舟が漂着するのです それで、ならず者が上陸して、物井の里まで来ます」
「そうか イナべさん、埴崎の里まで行ってみますか」
埴崎の里は、千葉県市川市柿崎の辺りで、風がきついため、縄文時代から風の神様を祀っていた。日本神話でも、イザナキとイザナミが生み出した神、志那都比古神の姉か嫁の支那斗弁命を主祭神とする姉崎神社が存在する。この姉崎神社の配祀神に天児屋命(アメノコヤネ:中臣氏の祖神)が祀られているのも興味深い。
伊那部と武斬弥は、物井の里で大上海上の国の実情を聞き、一晩泊まって、早朝に埴崎の里に出発した。物井の里から平野部に出て、海岸線沿いに南下した。
「海からの風がきついですね」
「これだと、丸木舟では陸に上がるしか仕方がないでしょう」
「ここで、生活をしている人がいるのでしょうか」
「あの山の麓には、草刈の里があります そこでは、西から渡ってきた人達が生活しています 行って見ますか」
草刈の里は、現在の千葉県市原市草刈の周辺で、新石器時代からの遺物が発見され、縄文時代にも縄文人が生活していた。弥生時代中期から後期にかけて、環濠集落が発掘され、水田跡や占いで使うト骨も発見されています。
「ムキヤさん、この集落には香澄の里と同じぐらいの広さがありますね。それと、あそこに祭事場があります」
「でも、居館はなさそうです 首長がいないか それとも別の場所にあるのか」
伊那部と武斬弥は、草刈の里を立ち去ろうとした時、後ろから女性が近づいてきて。
「すいません 私、マヤコといいます この集落で祈祷を頼まれて それも終わったので、兄上のところに」
「何を祈祷してたなですか」
「それが、集落の人が言うには、よそ者が集落に入って来て、若者を誘惑して、連れ去るのです」
その当時、九州を中心に倭国大乱が起こり、戦いに必要な戦士が不足している小国が、関東地方まで人攫いに来ている。そのため、風の神に祈りを捧げ、この草刈の里までよそ者が来ないように。草刈の里では、香澄の里のような軍事力を持っていなかった。
「大王がこの地方を支配するには、私たちの仲間が必要ですね」
「この辺りまでが上海上の国ですか」
「そうなります」
その話を聞いていた舞弥呼は。
「あなた達は、あの大王がおられる香澄の里の人ですか」
「そうだよ」
「私の兄上も香澄の里に行くと言っていた 私をそこまで連れて行ってくれませんか」
「いいよ イナべさんと私は、榎浦の里までだけれどね」
第5節
伊那部と武斬弥と舞弥呼は、物井の里に寄って、武斬弥の仲間とあって、草刈の里の状況を伝えた後、佐原の里を通過して、榎浦の里についた。
「美世太彦さま、ただいま帰ってきました」
美世太彦と阿木沙都姫が、縁側に座った。
「イナべ、ご苦労であった それでどうだった」
「佐原の里は、これから開拓すると稲の収穫が望めます 物井の里を起点にすれば、佐原の里の管理ができます」
「そうか 物井の里に我らの一族を住ませるか その他には」
「物井の里から海岸線に出て、南に行ったところに埴崎の里があり、そこから、山手に入ったところに草刈の里があります ちょっとした集落ですが、その集落に人攫いが出ると言われています その人攫いは、西から来て、埴崎の里に丸木舟をつけて、若者を攫って、西の国に連れていき、戦士に育てるらしい」
「わしも、西の国同士で戦いが行われているのは、聞いたことある」
「草刈の里を私たちの支配下において、よそ者が入って来ないようにして、草刈でも稲作の収穫を増やし、私達の一族も住めるようにすればいいと思います」
「よそ者を捕らえたら、西の国々の状況を聞くことできる イナべ、色々と調べてくれたのお このことは、大王に報告しておく」
伊那部が報告を終えた時、阿木沙都姫が立ち上がって。
「イナべさん、そちらの女性はどなたさんですか」
「マヤコといいます」
「草刈の里で祈祷をされていまして、同じ祈祷師の兄が大王に会うため、香澄の里に行ったとのことで、私たちと同行しました」
「ヒメ、座りなさい イナべ、ヒメが興奮したようで それでな、大王とも相談するけれど、イナべを物井の里で首長として行ってもらうことにした それで、その時にヒメも連れて行ってくれないか」
伊那部は、少しためらった様子になった。
「イナべさん、どうなの 私ではダメなの」
「とんでもないです 身に余る光栄です」
「よし、決まった ムキヤは、イナべと一緒に物井の里へ物井の里にいる連中は、草刈の里かなぁ」
「わかりました 美世太彦さま、少しお聞きしてもいいですか」
「どのようなことですか」
「最近、祈祷師風の男がこの榎浦の里に来ませんでしたか」
「あぁ、あの男か 中臣曽孁比古と言っていた 大王に会いたいと言っていたので、この里に留めてある」
「その男が、マヤコの兄です」
「えぇ、兄上が」
舞弥呼は、曽孁比古と再開することになる。また、伊那部と阿木沙都姫は、物井の里に旅立った。
伊那部と武斬弥は、大上海上の国であったことを美世太彦に報告して時に、伊那部と阿木沙都姫は夫婦になって、物井の里の首長に着任する。