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その人【恋愛小説】

作者: 守山ナオ

その人に告白してから、私はまだ片思いをしていた。


再度告白したのは、その6年後である。


その6年の間、私は名古屋にいたため、その人とは(恋愛という意味ではない)遠距離だった。

ただ、その人と連絡することはたまにあった。電話することもあった。


明るく冗談をよく言う人で、かつ真面目な人だった。

天下一品のこってりラーメンが好きだと言うので、それを聞いて、私も近所の天下一品に行くようになった。今でも頻繁に行く。


私はその人に会いたくなって「今度、動物園に行こう」と電話でデートに誘った。そのデートで再告白しようと思っていた。つまり、告白をしてから6年後のことである。

だがその電話で、私はその人に恋人がいることを知った。同棲を始めるのだと言う。

私は「今でも好きです」と言った。このとき、再度告白したのである。


私はその人のことがまだ好きだ。

初告白の当時、私がその人を好きだったことは、友人たちは知っている。

しかし、6年間片思いをしていたこと、振られたのに未だにその人が好きなこと、そのことは誰にも打ち明けていない。

必要ないからなのか、見栄があるからなのか。批判を受けるかもしれないからなのか。


ドラマでは一途と評価されても、現実では、一歩間違えればストーカーである。

何をどうしようという気もない。その人を別れさせようなんて思わない。その人にも、その恋人にも恨みはないからだ。

これからどうしたいかと聞かれても、どうしようもできない。

もちろん付き合いたいが、それもどうしようもできない。


今、私は一人である。このことを誰にも言えず孤独である。

周りに人はいる。職場の人、友人、家族などに「付き合ってる人はいるのか」「結婚する気はないのか」と質問されることが、たまにある。

私は「その気はあるが、ない」と、曖昧な回答をする。


「好きな人はいるのか」と聞かれたとき、

私は「いない」と答える。本当はいるのに。


江戸時代に、キリシタンを発見するための道具で「踏み絵」というものがあった。踏み絵を踏み、キリシタンかどうかを見分けることを「絵踏」と言ったが、私は今このような状況に立たされているような気がする。


もちろん私の方が卑しい考えがある。


キリシタンは、これを踏むことによって「神を裏切る」ということになる。神を裏切るくらいなら、責苦を受ける方を取る。もしくは、踏むことは重要ではなく、自分は信仰心を持ち続ける。キリシタンの人々は様々な選択肢に悩んできた。

本質は「神を信じているか」という質問にどう答えるかである。心では「信じている」が、世間に向けてそれを言えるかどうか。

「信じている」と言えば処刑される。

「信じていない」と言えば神を裏切る行為である。

どちらも正しいが、どちらを選んでも辛い。


私は卑しい。

誰かに「好きな人はいるか」と聞かれ「いない」と答えている。

ただ見栄や世間体のために言っている。

「いる」と答えても、その内容を話さなければ良い話なのだが、結局質問攻めにあう。どれだけ質問を躱しても「いる」と言った事実が残るので「あいつは結局どうなったのだろう」という疑問が、質問者の頭や空気の中に残る。私は所詮嘘をつき続けなければならない。それが嫌なのだ。


さらに「いない」と答える、これは世間では何も起こらない。

私の中だけに「いない」と言ってしまった罪悪感が残る。質問者に対してでも、私の好きなその人でもない。もしかしたら私かもしれない。

私はその人のことを「好きだ」と大きな声で言いたいのに、それを言わせない自分。私に対して罪悪感があるし、自分に対して恨みがある。


振られて数年後の今日、私はその人の夢を見た。夢の内容は次のとおりである。

電話でデートに誘って以来、連絡すらとっていなかった。

夢なので曖昧だが、なんかの会が居酒屋であった。同窓会みたいな会だ。

その人ががいた。私は話しかけることができなかった。その人も話しかけては来なかった。目も合わせないようにしていた。


会がお開きになって、居酒屋を出るとき、私は少し話そうと思った。

自分の右腕を、その人の左腕にポンと少しぶつけて「よう」と低く言った。

その人も「よう」と低く言った。


私は核心に触れるような話はしなかった。デートに誘ったこと、告白したこと、そのことには一切触れなかった。

私は、なぜか全く関係ない明石焼きの話をした。

私が関係ない話をしてくるものだから、その人も緊張がほぐれ、お互いに笑うようになった。冗談を言い合うようになった。当時のような関係に戻った気がした。

その人は「あなたは好きな人いるの?」と聞いてきた。

突然の質問に、私は涙を堪えながら「いるよ」と答えた。

私は別れる際「幸せに」と言った。その人の左手の薬指に指輪があったからである。お互い笑顔で別れた。

私たちの関係はよくなったと思う。


そうして、私は目を覚ました。

うまくいったと思ったような出来事が全て夢だった。

やはり、私はその人のことが好きなのだなと再確認をした。


結局何も起こらなかったことを噛み締めながら、

今日私は、

天下一品のこってりラーメンを食す。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「好きなひとがいない」と言う自分への罪悪感の部分に、とても共感しました。 恋愛というのは何故こうもままならないことが多いのでしょう。 好きになってもどうしようもないひとのことをただ想ってしま…
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