第14話 隠し通した
家で朝食を食べているルーシー。彼女が穴が空くほど見つめていたのは、透明な花瓶に飾られた、白く小さな花をたくさん咲かせるカスミソウの花束であった。
今日は箸が進まない。ずっと、美沙のことばかり考えてしまう。彼女の死は正しかったのだろうか。自身の中に浮かんだその問いへの答えを、ルーシーは否とした。
美沙はまだ生きるべきだった。愛の中で生きるべきだった。あんな形で、終わらせるべきではなかった。
ずっとそばにいるという約束を守れなかった。自分が――否、優雅が殺されるのが、耐えられなかった。ルーシーは、美沙と優雅の命を天秤にかけ、優雅の命を選んだのだ。
そして、身代金として払われた彼女の死に、ルーシーたちは生かされている。
◇
二つに分かれた遼の死体。それらが収められている死体袋を、アデレードは専用の台車で運ぶ。
怪獣の森の一角にある、背の高い木製の柵で仕切られたエリアに、彼女は到着した。「ゾノフェ化実験場」という看板が立てられている。
場内にある正方形の舞台が目的地だ。彼女はスロープを使って舞台上に台車を上げ、その中央で台車のキャスターを固定する。
「お疲れ様です、ハリスさん」
「君は確か、委員長か」
階段を上って舞台上に現れたのは、左頬の火傷痕が目立つスーツ姿の男。警備局長兼、委員会の委員長を務める、小田野啓修である。
「今日はあなたに、これを」
啓修はアデレードに、一本の注射器を差し出してきた。
「モヌ型の注射器? なぜ、これを私に?」
「注射器こそモヌ型と同じものですが、中身は違います。こちらは、超ヒト体細胞初瀬型。怪獣に移植すると拒絶反応を引き起こしてしまうというモヌ型の欠点を、見事に克服した一点物です」
感情のない声で、啓修は語った。
一点物であるのにもかかわらず、拒絶反応を引き起こさないことがわかっているのは、いったいなぜか。アデレードは矛盾に気づく。それに、初瀬型という名称。ルーシーと優雅が観察していたモヌ――初瀬依月と、何らかの関係があるとみて間違いないだろう。
「何を企んでいる? 話せ」
「あなたを、オニタイジ・システムの補完から解放します」
オニタイジ・システムの補完から解放される――。それはすなわち、自由を意味していた。それはアデレードが、何より望んでいたことだった。
◇
曇天の昼下がり。芝生の広がる公園で、優雅はルーシーと落ち合った。二人はベンチに座って、子どもたちが走り回っているのを眺める。
「ごめん、ルーシー。僕は何もできなかった」
「それは私も同じだ」
そう言ったあとに、ルーシーは首を振った。
「いや、私は美沙を見捨てさえした。ずっとそばにいるって、約束したのに……。怖かったんだ、私は。自分が死ぬのが、怖かった。私にとって、美沙の命より、自分の命のほうが大事で……。最低だろ? 私って」
「羽立さんは言った。僕たちに生きてほしい、僕たちのすべてを肯定する、って。それがすべてだ。ルーシーは悪くない。だから、前を向こう。立ち止まっちゃいけないんだよ」
「ああ、わかった。本当、優雅と美沙には、頭が上がらないな……」
公園が騒がしくなる。優雅が広場のほうに目をやると、そこには、吊り上げられたように浮遊しているアデレードの姿があった。
「あれって、ハリスさん?」
こちらに近づいてくるアデレード。彼女からは、まるで生気が感じられない。
そして、優雅とルーシーがベンチから立ち上がった、その時だった。アデレードの質量は突如として増大し、巨大で無機質な姿へと変身。空中にそびえるそれは、翼や六本の触手が生えた台座の上に、卵形の物体を載せている。
卵形の物体は、入浴剤のような淡い色。優雅はその色に見覚えがあった。
「あの色、初瀬さんの吶喊態に似てないか?」
「確かに、あんな色をしていた。でもそれってどういう……?」
次の瞬間、物体から怪光線が放たれる。怪光線が二人の眼前に落ちたことで爆発が生じ、二人は数メートル後方まで吹き飛ばされた。
横で倒れ伏すルーシーを、優雅は見る。
「ルーシー! 無事か!」
咳き込むルーシー。
「もちろん。今優雅を守れるのは、私しかいないからな」
人々の絶叫を聞きながら、二人は立ち上がる。
土煙が上がっており、アデレードの位置が確認できない。もっとも、あれがアデレードなのかは疑問が残るが。
「私があれの注意を引き付ける。優雅は避難誘導を」
「ああ」
優雅とルーシーは土煙を抜けた。ルーシーは体を煌めかせ、クリーム色の吶喊態に変身。正面のアデレードに飛び込んでいく。
公園に居た人々は、すでにほとんどが避難していた。しかし、逃げ遅れている人がいなかったわけではない。滑り台の下で、小さな男の子が一人、声を上げて泣いていた。優雅は男の子のもとへと駆け寄る。
「もう大丈夫だよ。おいで」
目線を合わせて、優雅がそう呼びかけると、男の子は泣き続けたまま滑り台の下から出てきた。
優雅は近くの木陰に、男の子の父親らしき人物を発見する。
「あの人、お父さん?」
男の子はうなずくと、一目散に父親のもとまで走っていった。父親の胸に飛び込む男の子。優雅は、親子が逃げていくのを見届けた。
直後、飛来してきた何かが滑り台に衝突し、減速。滑り台の金属音を響かせ、芝生に落ちて転がる。
「ルーシー!!」
飛来してきた何かの正体は、ルーシーであった。彼女は人間態に戻っており、優雅が呼びかけても反応がない。
優雅は急いで、彼女のもとに駆けつける。
頭蓋を一部喪失して、内容物を撒き散らしているルーシー。その光景を目の当たりにした優雅は、彼女の肩を叩いて応答を期待した。
「ルーシー、大丈夫か? ……ルーシー? 大丈夫なら答えてくれ。なあ、ルーシー」
ルーシーまで失いたくなかった。




