第9話 談話中
その日、時間の魔神・ノアが、人間の姿でイェムモガに訪問してきていた。長官室左の応接室にて、ノアとアイザックは談話中である。
怪獣の森で、アデレードが作ってくれたサンドイッチを食べている、優雅とルーシー、そしてゆり。優雅は、ノアと他の二柱の詳細について、ゆりに訊いてみることにした。
「ノアって、始まりの三柱の一柱ですよね? そもそも、始まりの三柱って、いったい?」
「一言で言えば、魔神たちの代表です。近紫外線を放つ時間の魔神――ノアは、魔神の権能で、様々な並行世界の観測を行っています。近赤外線を放つ無の魔神――ニハーリカは、魔神の権能で、世界の保持の脅威になり得る概念を消しています。そして、影を放つ自由の魔神――ジーヴァは、魔神の権能で、人間に自由意志をもたせました。また、Jivaの名前からjiを、そして、NoahとNiharikaからnを一つずつ取って、Jinnの称号というものも作られたりしています」
「さすが魔神たちの代表。規模が大きいですね」
そこで優雅は、アイザックと初めて会った時のことを思い出す。
「そういえばモーズリー長官は、未来から来たと言っていました。今話している時間の魔神・ノアと、何か関係が?」
「ええ、モーズリー長官は、ノアと竜の力によってこの時代にやってきたんです。長官はもともと、並行世界における未来にいましたが、ノアの権能でこの世界に運ばれ、竜のタイムトラベル能力でこの時代に運ばれました。ノアもタイムトラベル能力をもっていますが、竜の顔を立てたのでしょう」
「長官が何者なのかっていうのは、機密ですかね」
「そのようですね。全然教えてくれません。どうしてずっと吶喊態なんですかって訊いたこともあるんですが、内緒ですって返されちゃいました」
優雅の上司であるゆりでさえも知らされていない、アイザックの正体。謎は深まるばかりである。
「始まりの三柱は、ほかの魔神と違って、怪獣やイェムモガと協力関係にあります。普段の彼らは、欧州の金融を支配している謎の一族として振る舞っており、また、欧州だけに留まらず、世界中の金融にも強い影響を与えています」
ルーシーは、「一族……」と声に出し、関心を示した。彼女はゆりに言う。
「日本のある研究所に資金援助をしていた、謎の一族がいるという調査結果があります。研究所に提供されていた資金は、そのままネメシスに流れているとか……」
「安心してください。ネメシスも、イェムモガの手中にありますから」
◇
――その頃、鬼の発生源たるネメシスも、ある人物と談話していた。
「注射器は持ってきたか?」
「もちろんだよ、警備局長」
淡々とした声でネメシスと話しているのは、警察庁警備局長。気品のある中年の男性である。左頬の火傷の痕が痛々しい。
「密売所ももう摘発されてしまったからねえ。特別にプレゼントだ」
「ありがとう。大切に使わせてもらう」
彼は自身の執務室で、ネメシスから一本の注射器を受け取った。
「きっと、君自身が使うわけではないんだろう。その注射器は誰に渡すんだい?」
「初瀬依月という青年だ。彼にはすでに、ある仕掛けを用意している。上手くいけば、お前の望む未来にまた一歩近づくよ」
「オニタイジ・システムの補完を……! ありがとう、警備局長!」
◇
それから六日後のこと。依月はアルバイトで稼いだお金で、彼女に渡すためのプレゼントを買っていた。彼女と付き合ってから三年の記念日が、今週に控えているのだ。
プレゼントをカーキ色のリュックに仕舞い、彼は駅へと向かう。サークルを終えたあとのこの時間は、外はすでに暗闇。特にこの辺りの道は明かりが少なく、脇道から飛び出してくる自転車に、細心の注意を払わなければならない。
この気温であればいっそ、上着を脱いだほうがよいだろうと思った彼は、これを実行して上着をリュックに詰め込む。プレゼントは別の場所に入っているため、上着がプレゼントを傷つけるようなことはなさそうだ。
道の端に体を寄せて、立ち止まっていた彼。ちょうどよい服装になったところで、彼はリュックから、前方に視線を戻す。すると――。
「初瀬依月だな?」
そこには、スーツを着た中年の男が居た。暗くてはっきりとは見えないが、男の左頬に、特徴的な火傷の痕があるのが依月はわかった。
男は、A4サイズのアタッシュケースを持っており、それを開いて一本の注射器を依月に見せる。
「これを手に取れ」
ただならぬ殺気を感じた依月。彼は言われるがままに、その注射器を手に取った。
男はアタッシュケースを閉じると、スーツの内ポケットから何かを取り出す。あまりに自然に取り出したため、依月はそれが拳銃だと気づくのに、少し時間がかかった。気づけば銃口は、彼の腹部に向けられている。
「この銃口は君の彼女――村田陽輝にも向いている」
「俺は、何をすれば……?」
「その注射器を体に打ち込め。そうすれば、鬼の力が君に宿る。君が力を使う必要はない。これは実験だ。後日、君の体細胞の採取に伺う」
「わかりました……」
依月は震える手で、注射器を腕に打ち込んだ。一瞬、多幸感に包まれる。モヌの力を手に入れた時と似ている。
男は依月に銃口を向けたまま、誰かに電話をかけた。
「はい、終わりました。はい、お願いします」
電話を切る男。
「君のモヌの力は、こちらで封じさせてもらった。自分が鬼になったことは、くれぐれも口外しないように」
拳銃を仕舞った男は、依月から空になった注射器を取り上げ、彼の後ろのほうへ歩いていった。依月はしばらく、振り返ることも、そこから動くこともできなかった。




