転生勇者には装備したくないモノがある!
「……魔物の気配は、しないわ。たぶんだけど、安全ね」
複雑怪奇なダンジョンの一角。
ほこり臭く、狭苦しい小部屋のなかを確認したミオは、後続の仲間に告げる。
「私たちが身を隠すには、ちょうどよさそう。小休止にしましょう」
「助かったぜ。このダンジョン、なんか蒸し暑いよな?」
「……宝箱があるじゃん。あたし、調べてみる」
板金鎧を着込んだ重戦士のブリッツは、兜のバイザーを上げて、水筒に口をつける。
盗賊業を兼務する女魔術師のアドリナは、部屋の奥の宝箱に向かい合う。
リーダーのミオは、最後尾にいた神官のカミルに目を向ける。
「カミルくんも、早くなかに入ってね? 魔物に見つかるといけないわ」
「は、はいっ! ありがとうございます、勇者さま……」
最年少かつ新入りのカミルは、まだ冒険者業に慣れない様子だ。
松明を手にした少年神官は、おどおどと部屋のなかに足を踏み入れる。
ミオは、仲間全員を確認すると、扉を閉める。
ダンジョンは、危険で満ちている。いつどこから死が飛び出してくるか分からない。
だからこそ、精神力の磨耗から逃れられる安全地帯は、貴重な存在だ。
休めるときには、休む。冒険者の鉄則である。
「思ったより……厳重に施錠されてる。罠までしかけてあるじゃん」
三角帽子のアドリナは、ピッキングツールを手に、宝箱の鍵穴と格闘している。
かちゃん、と金属音が小部屋に響く。
毒針らしき小片を、女魔術師は床に投げ捨てる。
「開いた……こんなボロ箱に手間かけさせるなんて、しゃらくさいじゃん」
「それだけのお宝が入っている、ってことだろ? 俺の英雄譚にふさわしいぜ!」
「アドリー、早くなかを見せて! 金銀財宝かもしれないわ!!」
パーティメンバーがのぞき込むなか、ゆっくりとアドリナは宝箱を開く。
むわっ、とカビ臭い空気が立ちこめる。
塵と埃の奥になにか、光り輝くものが見える。一同の期待が、否応にも高まる。
「なに、これ……? 正体不明じゃん」
アドリナは、皆に見えやすいよう、石畳の上に収穫物を広げる。
金色に輝くそれは、布というには細く、紐というには申し訳程度に幅がある。
仲間たちが首をひねるなか、ミオは一人、手のひらで口元をおさえる。
(これって、アレだわ……)
ミオは、転生者だ。当然、前世の記憶がある。
こちらの世界に来るまえに、見たことがある。
クラスメイトの男子が学校に持ち込んだ、アダルト雑誌の表紙を飾っていたのを。
(なんで……こっちにも、こんなものがあるのよ!)
パーティメンバーたちが、しげしげと見つめる謎のアイテム。
ミオの理解に間違いがなければ、水着である。
えぐいほどにセクシーさを強調する、V字のスリングショット水着だ。
「帯じゃないか。ベルトみたいに、腰に巻けそうだよな? 金ピカでカッコいいぜ」
「肩から首をまわすようにかけても、オシャレじゃん」
「これだけじゃなくて、ほかのアイテムと組み合わせるのかもしれません」
呼吸の乱れを周囲に悟られぬよう、ミオは細心の注意を払う。
仲間たちの反応を見るだに、こちらの世界にスリングショット水着は存在しない。
少なくとも、一般的な存在ではないようだ。
かといって、バカ正直に自分の知識を説明するのも気が引ける。
セクシー水着だと分かれば、ブリッツあたりが調子に乗るだろう。
鼻の下を伸ばしながら、着てみろ、などとミオに言ってくるのは目に見えている。
「強い魔力は感じるんだけど、内容まではわからないし……カミル?」
「はい、アドリナさん。呪いのたぐいも、かかっていないようです」
「しゃらくさいじゃん。正体わからないと、魔法屋に売るとき値切られる」
猫背の姿勢の女魔術師が、ふう、とため息をつく。
ミオにとっても、着るのはごめんながら、売却は悩みどころだ。
売った相手が、万が一、スリングショット水着の知識を持っていたときだ。
そこからミオのパーティについて、いかがわしいウワサが広がりかねない。
「あのね、提案だけど。正体が判明するまで……私が預かるってのは、どう?」
ミオの声を聞いて、仲間たちが同時に振り返る。
松明の明かりを反射して、スリングショット水着の布地が艶めかしい光沢を放つ。
「いいんじゃないか。急いで売る理由は、別にないよな?」
「うん。ミーなら、黙って一人で売って独り占め……なんて心配は、ないし」
「僕も、勇者さまの決定なら異存はありません!」
リーダーの提案に対して、仲間たちは各々、同意を示す。
ミオは内心、安堵を覚えながら、床に広げられたスリングショット水着を手に取る。
包帯のように、くるくると腕に巻き付けていく。
ここが薄暗いダンジョンの小部屋でよかった。
ミオは、感情が顔に出やすい。
明るい場所だったなら、一発で内心を見透かされていただろう。
ほっと一息つこうとしたミオは、びくっと顔を上げる。
「……どうした?」
ブリッツが、シリアスな声音で尋ねる。
ミオは、小部屋の扉のほうに視線を向ける。
「なんか……イヤな気配がするわ」
「マジ? しゃらくさいじゃん」
アドリナが、長い耳を扉に押しつけ、聴覚を研ぎ澄ます。
三角帽子の下で、盗賊業を兼務する女魔術師の表情が、嫌悪感にゆがむ。
「オークの声が聞こえるじゃん。しかも、数が多いし……」
「どうする。このまま息を潜めて、やり過ごす……って手もあるよな?」
アドリナの報告に動じることなく、ブリッツはミオに問う。
パーティのリーダーを任せられている転生勇者は、思案する。
「ブリッツの案は、理にかなっていると思うわ……けど」
それは、自分たちにとって理想的にことが進んだ場合の話だ。
冒険者たるもの、常に最悪の事態は想定せねばならない。
もし、オークが自分たちに気づいていた場合、この部屋に踏み込んでくる。
そうなれば、逃げ場のない閉鎖空間で乱戦するハメになる。
正直、勝ち目は薄い。どうにか撃退できても、損害は大きいだろう。
「命短し、恋いせよ乙女……ここは、私たちから打って出よう!」
「ははっ! そうだよな、ミオ。そうこなくっちゃ!!」
ブリッツは、兜のバイザーを降ろすと、勢いよく扉を蹴破る。
廊下に飛び出た重戦士に、軽装のミオが続く。
後衛をつとめるアドリナとカミルも、文句を口にすることなく、そのあとを追う。
「ヴヒ、ヴヒッ!」
「ヴルヒヒッヒ!」
扉の外から続く廊下の、さらに向こう側には大広間がある。
豚の鼻を鳴らすようなオークの声が、地下道に反響する。
闇のなかに、ぎょろぎょろと蠢く眼球がいくつも見える。
「アドリナ! おまえ、夜目が利いたよな!? 相手の数、わかるか!!」
「しゃらくさいじゃん……少なく見積もって、十! 多めだと、二十!!」
「ヴヒヒヒィーッ!」
オークどもも、ミオ一行に気がついた。
風を切る音とともに、無数の小石が飛んでくる。投石だ。とはいえ、あなどれない。
ただの石つぶてとて当たりどころが悪ければ命を落とすし、なにより数が多い。
「おまえら! 俺の背中に、隠れていろよな!!」
「ヴヒッヒィー!」
板金鎧に身を包んだブリッツは大広間へ飛び出しつつ、仁王立ちして自ら盾となる。
がんがんがん、と石つぶてが金属の装甲にはじかれる甲高い音が響く。
投石攻撃でミオたちがひるんだと見たか、オークどもは突っ込んでくる。
「土の精霊よ! 《築城せよ》ッ!!」
重戦士の影に身を隠しつつ、アドリナは手にした杖で、石畳を突く。
ダンジョンを構成する石材が形を変えて、ブリッツのまえに壁が出現する。
「ヴヒイッ!?」
即席のバリケードの向こうから、オークの間抜けなうめき声が聞こえる。
突っ込んできた尖兵たちが、石壁に激突したのだ。
「よっしゃ! 次は、俺の番だよな!!」
ブリッツは、右手に握ったメイスを振り下ろし、自ら、石壁の一部を破壊する。
障壁の隙間から現れた重戦士に向かって、オークどもが殺到する。
鉄製の鈍器を容赦なくたたきつけ、ブリッツは魔物の骨を砕いていく。
魔法で作った石壁で敵の進軍路を制限しつつ、重武装の戦士が迎え撃つ。
ミオのパーティにおける、ブリッツとアドリナの定番コンビネーションだ。
「ヴヒヒッ、ヴヒヒ! ヴルヒッヒ!!」
「オークのリーダーっぽいヤツの声だわ! なんて言っているか、わかる!?」
「断片的ですけど……生け贄を、どうにか、みたいなことを言っています!」
「へっ、上等だよな! 俺たちが、生け贄にしかえしてやるよ!!」
「ブリッツさん! 運命神さまには、そんな野蛮な風習はありません!!」
オークどもの数は多いが、それぞれの戦闘力は並、と言ったところか。
経験と装備、ともに十分な重戦士の敵ではない。
戦況は、徐々にミオたちのほうへ傾いていく。そのとき、第六感が危機を知らせる。
「なんだろう……ヘンな音が聞こえるわ。アドリー、なにか見えない?」
「……広間のまんなかあたりに、オーク・シャーマンがいるじゃん。リーダーかも」
「音の正体は? 調子の狂った太鼓みたいなのだけど……」
「なにこれ。シャーマンが、仲間の頭を棍棒で叩いているじゃん。わけわかんない」
唖然としていたアドリナが、はっと気づいたように目を見開く。
「……ってこれ、魔法の発動準備じゃん! しゃらくさい!!」
手下のオークどもを数に任せてけしかけ、なにか大きな魔法を行使する魂胆か。
ブリッツは優勢だが、まだオーク・シャーマンのもとへたどりつける余力はない。
とっさにミオは身を屈めると、投石攻撃でぶつけられた石つぶてを拾う。
ミオは、腕に巻き付けたスリングショット水着はをほどき、小石をひっかける。
ぶんぶんと振り回し、遠心力で勢いをつける。
暗闇のなかから聞こえてくる音と、直感を頼りに、照準を合わせる。
「たあぁーッ!」
スリングショット水着を投石器として使い、今度はミオが投石する。
石つぶてが風を切って飛翔し、ごん、と相手の頭部に命中した音がする。
「ヴヒ……ッ!?」
オーク・シャーマンのうめき声が、闇のなかに響く。
「しゃらくさい詠唱が、止まった……ミー、やるじゃん!」
「命短し、恋せよ乙女……ここが攻め時と見たわ! 行くね、ブリッツ!!」
「おう! 行け、ミオ……大将首、とってこいよな!!」
身軽に跳躍したミオは、板金鎧におおわれたブリッツを踏み台にして、さらに跳ぶ。
眼下にうごめくオークどもの頭を、飛び石のように足場にして、跳躍をくりかえす。
一瞬のうちに、ミオはオーク・シャーマンの背後へ、軽やかに着地する。
「別に恨みはないけど……覚悟してもらうわ!」
「ヴルヒッ!?」
ミオの手の内には、スリングショット水着がある。
金色の細布は、絞首ワイヤーのごとくオーク・シャーマンの頸に絡みついている。
ミオは、両手を左右に引いて、スリングショット水着を思い切り絞め上げる。
スリングショット水着は、使い方が違う、と言いたげに振動する。
ミオは、無視する。オーク・シャーマンの首を絞めるために、渾身の力を注ぐ。
「ふんぬうッ!」
「ヴヒ……ッ! ヴヒヒ、ヒィ……」
オーク・シャーマンは、どうにか気道を確保しようと、己の首をかきむしる。
魔法のスリングショット水着は、並の膂力では引きちぎれない。
やがて、酸欠におちいったオーク・シャーマンは、泡を吹きながら失神する。
「ヴヒイ! ヴヒッ、ヴヒー!!」
オーク・シャーマンが敵のリーダー、という見立ては正しかったようだ。
群れの主が倒れると同時に、ほかのオークどもは見るからに戦意を喪失する。
ミオやブリッツに背を向けると、一目散に上階へと逃げていく。
ミオは、足をもつらせたり、ときに転んだりするオークどもを見送る。
腕にスリングショット水着を巻き付けると、鞘から細身の剣を抜く。
気絶したオーク・シャーマンの首を貫き、とどめを刺す。
魔族は、人族に害をなす。私的な恨みはなくとも、駆除は冒険者の責務だ。
「逃がしちまったけど、いいのか。あいつら、外に出たら、悪さするよな?」
「仕方ないわ。私たちだけじゃ、しとめきれない。ほかの冒険者に任せましょう」
「ていうか……このしゃらくさいオーク・シャーマン、賞金首じゃん!」
「待ってください、みなさん。なんだか……揺れていません?」
カミルの問いかけを聞いて、ほかの三人は顔を見合わせる。
ミオの第六感に頼るまでもなく、確かにダンジョンが振動している。
揺れは、次第に大きくなっていく。
「なんだ、こりゃあ……崩落したりしないよな!!」
「上に逃げていったオークが、なにかしたってこと!?」
「違う。この揺れは……下の方からじゃん!!」
地下迷宮の広間の床に、放射状のひびが入ったかと思うと、大穴が口を開く。
無防備をさらしていたミオたちに、階下から伸びてきた巨腕が振るわれる。
ほとんど反射的にブリッツが、ミオを突き飛ばし、アドリナのまえに立ちふさがる。
「おぐう……ッ!!」
ブリッツが吹き飛ばされ、アドリナは巻き込まれ、二人は意識を失い、倒れこむ。
カミルが、慌てて倒れた仲間のもとへ駆けていく。
ミオは反射的に立ちあがるも、気遣う言葉を発する余裕もなく、大穴と対峙する。
「なに……こいつ!?」
一本だけだった巨腕が二本に増え、さらに大穴をこじ開けていく。
ただでさえ蒸し暑かった地下迷宮に、さらなる熱気がこもり、硫黄の悪臭が満ちる。
よじれた角の生えた頭が、つぎに巨大な上半身が、穴の底から這い出てくる。
「……悪鬼バルログですッ!!」
ミオは背中から、カミルの悲鳴じみた叫び声を聞く。
身長およそ十メートル、体表から熾火じみた光を放つ燃える巨人が、眼前に立つ。
ミオは、額に冷や汗を伝わせながら、細身の剣をかまえる。
(ヤバいわね、これ……)
ミオは、乾いたのどに、つばを飲み込む。
バルログ、と言う名前は初めて聞くが、カミルの言わんとすることは分かる。
こいつは、デーモンの一種。れっきとした、上位魔族だ。
「グラオオォォォ──ッ!!」
耳をふさぎたくなる咆哮とともに、燃える魔人が腕を振り上げる。
巨大な右手の内に、紅蓮の炎が渦巻きながら集まっていく。
悪鬼バルログは、岩の柱のような右腕を振り下ろす。
ドラゴンの尾を思わせるような威容で、炎の鞭が迫ってくる。
ミオは、とっさに全力で横っ飛びする。自分は、どうにか回避できる。
だが、燃える鞭の軌道の先には、仲間たちがいる。倒れ込みつつ、背後を見やる。
「運命神よ! 《護り給え》ッ!!」
カミルの詠唱が大広間に響くと同時に、まばゆい輝きと魔力の障壁が広がる。
炎と煙が晴れると、がれきのなかからパーティメンバーの姿が見える。
少年神官の防御魔法によって、かろうじて仲間たちの身は守られた。
「……たあッ!」
ミオは、バネのごとき動きで、アクロバティックに起きあがる。
そのまま得物の剣で、バルログの手首を斬りつける。
「あうッ!?」
うめき声をあげたのは、攻撃した側のはずのミオだった。
悪鬼の表皮は岩のように硬く、細身の刃の一撃は、あっさりと弾かれた。
はるか頭上で、燃える石炭のような両目が、わずらわしげにミオを見下ろす。
「ヤバい。コイツ、私じゃ……歯が立たない!」
巨大な魔人の足の裏が、ミオを踏み潰さんと上方から叩き降ろされる。
ミオは、細かく方向転換しつつ走り続け、間一髪で踏みつけを回避する。
バルログなる悪鬼は、あきらかに自分たちよりも格上の相手だ。
油断こそしていたが、ブリッツとアドリナを一瞬で無力された事実が物語っている。
本来ならば、もっと精強な冒険者を動員するか、数を集めて対処すべき敵だ。
「……勇者さま! 僕も、加勢しますッ!!」
「ダメ! カミルくんは、ブリッツとアドリーを守るのに専念して!!」
背中から聞こえてきた少年神官の声に、ミオは振り向かずに返事をする。
ふたたび頭上から、バルログの足が降ってくる。ミオは、前転しつつ回避する。
大広間全体が、鳴動する。ダンジョンの崩落だって、心配せねばならないレベルだ。
「もうひとつ、付け加えるなら……私のほう、できるだけ見ないでね……!」
「勇者さま……ッ!?」
ミオは、息を切らしながら、告げる。カミルの悲痛な声が、背中越しに聞こえる。
少年神官は、転生勇者が悪鬼と差し違えるつもりだ、と勘違いしているのだろう。
言葉足らずだった、と反省するが、細かく説明している余裕もない。
「命短し、恋せよ乙女……別に、死ぬつもりなんか、ないんだけど……ね!」
転生勇者などと、ご大層な肩書きを賜っているが、ミオは自己犠牲に興味はない。
かといって、苦楽をともにする仲間を見捨てられるほど、薄情でもない。
逆転の策なら、ある。問題は、それが少なからず恥をともなうだけで。
ミオは、バルログの足下を全速力で走り回る。
巨大な悪鬼は、不快な虫を潰そうと、地団太を踏む。
破滅的な踏みつけを紙一重で回避し続けながら、ミオは軽装鎧を脱ぎ始める。
「まさか異世界くんだりまで来て……ストリップするハメになるなんて……ね!」
悠長に金具をはずしている余裕は、ない。ミオは、革の固定具を剣先で切り落とす。
胸当てを石畳に投げ捨てると、鎧のなかの衣服も脱ぐ。下着だって、例外ではない。
背中にカミルの視線を感じつつ、羞恥に苦しみながら、一糸まとわぬ裸身をさらす。
「ほら、あなたッ! こういう風に、使って欲しかったんでしょう!?」
燃える悪鬼の炎熱に、全身の肌をあぶられながら、ミオは叫ぶ。
スリングショット水着を広げると、V字の細布に足を通す。
あまりに心許ない面積の金色の布地が、おのずからミオの肉体にフィットする。
刹那、バルログは転生勇者の姿を見失う。
巨大な目玉をぎょろぎょろと動かし、少し離れた場所に、その姿を認める。
「これでも、着るものだもの。やっぱり、身体強化の魔法がかけてあったわ……」
ほとんど全裸のミオは、よろめきながら振り返り、悪鬼に対して剣をかまえなおす。
茹でダコのように顔を赤く染めながら、バルログをにらみ返す。
「……スピードあがりすぎて、うっかり転びそうになったけどね!」
スリングショット水着は、剣先並みの鋭角で股間をおおい、かろうじて乳首を隠す。
艶めかしく輝く布地のヒップに食い込む感覚が、なんとも居心地悪い。
「グラオオォォォ!!」
バルログは、ふたたび咆哮すると、右手に大蛇のごとき炎の鞭を作り出す。
目障りな人間に逃げ場なぞ与えん、と縦横無尽に振り回す。
燃えさかる渦のなか、ミオは舞うように、わずかな間隙をくぐり抜けていく。
「熱くない……防御魔法も、かかっているわ。これなら、パワーだって!」
ミオは、赤焔をかすめつつ、悪鬼に肉薄すると、その手の甲を鋭く斬りつける。
暴れるばかりだった燃える魔人が、慌てて腕を引くようなそぶりを見せる。
先ほどまで歯が立たなかった体表に、ぱっくりと傷が開いている。
コールタールのように黒く粘性のある悪鬼の体液が、石畳にしたたり落ちる。
「ガアアァァァーッ!?」
バルログは、ただでさえ大きな目玉を、さらに見開く。
偉業の存在の怒りと戸惑いが、ミオにも見て取れる。
同時に、転生勇者の少女は、苛立ちの感情を抱く。
「悪鬼だか、なんだか知らないけど……」
燃える魔人が、両腕を振り上げる。
今度は左右の手に同時に、二本の炎の鞭が姿を現す。
「……レディが、恥ずかしい思いをしているの! 少しは、気にしてくれたら!?」
「グルアアォォォ──ッ!!」
バルログの咆哮が、ミオの主張をかき消す。
悪鬼は、二本の炎の鞭を、力任せに振り下ろす。
ほぼ同時に、ミオは石畳を蹴って、跳躍する。
「命短し、恋せよ乙女ッ!」
ミオは、迫り来る劫火のわずかな隙間を、身をひねってくぐり抜ける。
振り下ろされたバルログの両腕を足場にして、軽快に駆け上がっていく。
憤怒の形相を浮かべる魔人の顔を跳び越えて、さらに背後をとる。
「デーモンと言えど、人間と同じ形をしているなら……中身だって同じはず!」
ミオは、自由落下しつつ、バルログの背中を凝視する。
その中心線、脊髄のでこぼこを、一個ずつ数えていく。
「だったら……心臓は! ここッ!!」
引き絞られたクロスボウの矢のごとく、ミオの渾身の刺突が放たれる。
悪鬼の骨の隙間を貫き、細身の刃が巨体を貫通する。手応えは、あった。
バルログは漆黒の血を吐きながら、断末魔のごとく、でたらめに両腕を振り回す。
「ガバアアァァァーッ!!」
「……あうッ!?」
燃える魔人の巨腕が、滞空するミオの身体をなぎ払う。
転生勇者は、大きく吹き飛ばされて、大広間の石壁にぶつかり、その後、落下する。
痛みは、ある。それでも、致命傷になったはずのダメージは大きく軽減された。
これも、スリングショット水着にかけられた防御魔法のおかげか。
「お礼なんか……言わないんだからねッ!」
「……勇者さま、だいじょうぶですか!?」
カミルが、ミオのもとに駆け寄ってくる。
スリングショット水着の布地が、不服げに着用者の身体に食い込む。
ダンジョンの大広間が、ひときわ大きく振動する。
悪鬼バルログの巨体が、石畳の上に倒れ込んだ。
燃える魔人の肉体は、ぶすぶすと焼け焦げていく。
鼻が曲がるような悪臭を立てながら、最後は黒い塵と化して、消滅する。
「さすがです、勇者さま! ときにケガは!? 治癒魔法をかけます!!」
「ありがとう、カミルくん。身体のほうは、だいじょうぶだから……」
デーモン討伐に昂奮を隠せないカミルに対して、ミオは伏せ目で返事をする。
少女の細い両腕で、胸と股間を覆い隠しつつ、恥ずかしげにつぶやく。
「……マント、取ってきてくれない?」
◆◆◆◆◆
「もうダメかと思ったんです! でも勇者さまは言いました、私に任せて、と!!」
「……言ってないわ、そんなこと」
なみなみとブドウ酒の注がれたジョッキを振り回しながら、カミルは雄弁に語る。
ほかの仲間たちとともに同席するミオは、力なくつぶやく。
冒険者ギルド認定の店、『梟の女王』亭。時刻は、日が暮れて少し経つほど。
ミオたちのパーティは、無事に根城へと帰還を果たしていた。
決して広くない店内は、ほかの冒険者たちであふれ、騒がしく、狭苦しい。
しかし、いまはその猥雑さが、かえって安堵感をもたらしてくれる。
「僕は見ました! 裸身を恥じることなく、臆することなく立つ勇者さまの勇姿を!」
「……いや、めっちゃ恥ずかしかったわ」
「凛々しくも神々しい姿! 運命の女神、フォーチュナさまと見まがうがごとし!!」
普段は呑まない酒を、舌の潤滑油にして、カミルはまくし立て続ける。
ブリッツとアドリナが気絶していたあいだのことを、話している。
しかし、客観的事実と言うには、あまりにも神話的脚色が著しい。
「そんなイイモノが見られたんなら、俺も気絶している場合じゃなかったよな」
「……しゃらくさいじゃん、ブリ公」
ブリッツが、鼻の下を伸ばしながら、ジョッキをあおる。
軽口を叩く最年長メンバーのまえ、テーブルの上に鋭くフォークが突き刺さる。
ブリッツの向かいに座るアドリナが、苛立ちとともに投擲したのだ。
「コラッ! 店の中でのもめ事は、厳禁だよ!!」
女店主が厨房の奥から、ミオたちのテーブルに注意を飛ばす。
ブリッツは、勘弁してくれ、と言わんばかりに両腕を上げる。
アドリナは、ぷい、と顔をそむける。
「おお、人の子よ! 運命神フォーチュナさまに遣われし、転生勇者を讃えるべし!!」
それでも、カミルの口上が止まる気配はない。ミオは、テーブルの上に突っ伏す。
目の前には、いつもより豪勢な食事と高価なワインの瓶。山盛りのパン。
あのダンジョンの奥で、オーク・シャーマンは生け贄を集め、儀式を行っていた。
その結果、召喚されたのが、あの悪鬼バルログということらしい。
ミオたちは、多大な被害を未然に防いだ功績を認められ、追加の報酬を得た。
とはいえ、ミオにとっては、恥と引き替えの勝利だった。
バルログとの戦いの詳細は、ぼかして女将に報告した。
もっとも、同席するカミルが、いま、大声でスピーチしているのだが。
ミオは、卓上に顔を伏せたまま、周囲の様子をうかがう。
ほかの冒険者たちが、カミルの話を気にとめる気配はない。
過剰な脚色のおかげで、叙事詩のたぐいだと思われているようだ。
「僕は、勇者さまへの尊敬を新たにしました……その威厳たるや……ヒック!」
バタン!と大きな音が店内に響く。
慣れない酒を呑みすぎたカミルが、後ろへ向かって椅子ごと倒れたのだ。
ほかの冒険者たちが一瞬だけ、こちらを見て、すぐ自分たちの席へ意識を戻す。
「酒は呑んでも呑まれるなよな、ルーキー。兄貴分の俺が、寝床に連れて行ってやる」
「……ブリ公、体よく逃げるじゃん。しゃらくさい」
「頭に血がのぼった女は、バルログよりもおっかないよな!」
ブリッツは、からからと笑う。小柄なカミルを、軽々と担ぎ上げる。
借りた部屋のある二階へ続く階段を登っていく背を、ミオは見送る。
パーティのリーダーは、ようやくテーブルから顔を上げる。
「……アドリー、例のスリングショット水着のことなんだけどね」
ミオは、少しためらったあと、女同士の仲間に懸案事項を切り出す。
「使い道も分かったわけだし、魔法屋さんに売っちゃおうか……?」
「……ミーが使えばいいじゃん」
「あー、もしかして……スリングショット水着の正体、黙っていたこと、怒ってる?」
「……そんなこと、言ってないじゃん。しゃらくさい」
アドリナは、顔をそむけたまま、ぼそぼそと話す。
ミオは、女魔術師の曲がったヘソが、自分にも向いていることを理解した。
最終的に、下着代わりにスリングショット水着を装備して、ピンチの時にキャストオフする方式で手打ちとなったようです。
*重ね着すると効果が無くなるタイプ