3話 俺
伊世早美優が座るのを見て、俺は椅子から立ち上がった。
今までの流れから、こいつも何か、隠し球を持っているのではないか?
と言う無茶な期待が、皆からの視線でひしひしと伝わってくる。
すいません。ごめんなさい。
俺にそんな秘密兵器ありません。
あるとしたら、俺のつけている眼鏡に度が入っていないって言うくらいだと思う。
まあ、スベるのが目に見えるから言わないけど。
「えぇー、糸谷早瀬です。
中学では帰宅部でした。よろしくお願いします。」
以上。
出来るだけ、前を見ないで話した。
終わったと言わんばかりに、俺は静かに椅子に座った。
まあ、自己紹介は基本短い方が分かりやすい、と言うか、一般人、ただの村人Aが長々と自分の生い立ちについて話しても、聞きたくない、知りたくない、というのが本音だと思うし、そんなに自分をさらけ出しても後々、後悔するだけだと思うから。
座ったとき、
「何あれ。」
「前髪長くて、眼鏡とか...。」
「それ、典型的な根が暗い人だよね。」
と、小さく呟く声がちらほら聞こえた。
うん。それで良い。
俺はその反応に満足し、次の人の自己紹介に耳を傾けた。
「私は...............。..............です。」
「俺の趣味は...............。よろしく。」
「俺っち彼女募集中でーす!よろー!」
「私は...から来ました。仲良くしてください。」
「○○中学出身の...です。皆、よろしくね。」
あの修羅場のような、墓場のような、前半を乗りきると、後は何の問題も無く、自己紹介はクラスの3分の2が終わっていった。
「じゃあ、次の人、お願いします。
おーい!
中村くんですよね?
起きて下さい!
自己紹介の順番が回ってきましたよ。」
望月先生が中村と呼ぶ彼は、先生に体を揺さぶられやっと目を覚ました。
「んぁ?」
寝起きだからか、少し目付きが悪い。
「中村くん!自己紹介です!自己紹介!」
「ああ。」
望月先生に言われて、彼は、眠そうな目蓋を持ち上げた。
「中村優っすー。俺、基本授業は寝てるんで、よろしくー。」
座ったまま、手をヒラヒラさせて軽く流し、また顔を机に埋めた。。
「あ!
中村くん!
居眠りを堂々と宣言するなんてこの私が許しませんよ~!」
なんたって、先生ですからね!
「だから、起きて下さいよ~。」
先生は頑張って起こそうとするが、先生の声はむなしくも、中村の心には響かなかったようだ。
「もうー!」
後で、お仕置きですね!とぼやきながら、自己紹介は次の人にコマを進めた。
「鳴神美琴です。前の学校では図書委員をしていました。本が大好きです。中学時代、部活はテニスをしてました。よろしくお願いします。」
明るめな茶色い髪を肩まで伸ばした彼女は、今朝出会った彼女だ。
「へー、鳴神さん、本好きなのに、運動出来るんだ!」
「うーん。運動と言うか、ラケット競技は得意な方かも。」
「テニス、強いのか?」
「そんなに強い方ではないよ。」
「私、クラスは違ったけど、同じ学校だったから知ってるよ。
中学では副主将でテニスの全国大会でベスト4に入ったんだよ!」
「すげー。」
「全然、全然。
4位なんて1位の人に比べたら練習量も違うと思うし、天と地の差があるよ。
しかも、中学生の中だけの大会だしね。
中学3年で引退してからは、ラケット握ってないし、もうボールも打てなくなってるかも。」
なぜか、彼女の自己紹介は一方通行にならず、会話が成立する。
彼女は、嫌みに聞こえない程度の謙遜と、巧みな言葉技で皆の心を掴んでいく。
さすがだとしか言いようがない。
まさか、同じクラスだったとはな。
俺に対する態度とのギャップ。
えぐいな。
俺の知ってる彼女は.............。
俺の知る彼女は、毒舌8割、デレ2割で構成されている。
最初は驚いてしまったが、まぁ、慣れれば、その貴重なデレを拝むために頑張ってしまうのだが.............。
まぁ、高校では、お互いに初対面であるから、あまり関わりを持たないのだろう。
この高校生活だけは、誰にも邪魔されず、のんびりと、スローライフを送りたい。
前髪、邪魔だな。
メガネのせいで、視界が遮られる。
今日の午後はスタジオか.............。
スプレーまだ買い置きあったっけ。
俺は、そんな事を教室の後ろの席でぼんやりと考えていた。