06
§ § §
世の多くの事象は、時間の経過によって移ろい行く。それが良しにしろ、悪しにしろ、時間は等しく、すべてものを流してくれる――そう願った。
だが、未だに光明は見えず、目の前に広がるのは底の知れない絶望のみ。この教室は、時間すら凍りついてしまったかのように寒々しい静寂に支配されていた。
昧弥は沈黙を守り続ける生徒らを改めて一瞥し、小さく首を傾げた。
「……これはどういうことだろうな、ダーニャ。私は確かに選択肢を与えてやったはずだが……返答が聞こえない。わざわざ私が自らの手間を惜しまず、指針を二つに、たった二つに絞ってやったにもかかわらずだ。なぁ、ダーニャ」
理不尽とはこれを指す言葉だろう。
あまりに横暴……そして容赦などあるはずもない。
元より自由など、ここにありはしなかった。しかし、たとえそうだとしても――いやだからこそ、己というものだけは手放さなかったはずなのに……。
己たる最後の一片すら捨てた彼らに、安息は訪れない。
それを示すかのように、彼女の足の下では、すでに痙攣すら満足にできていない不良が静かに横たわっている。
その姿は、未来の自分たちを暗示しているかのようだった。
押し黙るしかない生徒たちに対し、困り果てたとでも言いたげに腕を組んだまま肩を竦めてみせる昧弥。ダニアは彼女の後ろで微笑みながら、幼子の様子を語る保母のような優しさを、そのたおやかな声に滲ませて答えた。
「皆様、ご主人様の温かなお心遣いに触れ、感動のあまり震えて声も出ないのでしょう。そして、同時に弁えることを知ったものと存じます。
ですので、ご主人様がお決めになられればよろしゅうございます。どのような沙汰であっても、皆様、粛々と受け入れることでしょう」
「……なるほど。この沈黙は、畜生だからではなく、人だからこそだと。ダーニャ、お前はそう言いたいのだな?」
「はい。左様に御座います」
手を下腹部の前で重ね、優雅に一礼してみせるダニアに、昧弥はフッと鼻で笑う。
どうにもダニアからは、ここにいる畜生どもを有意義に使いたがっている、そういった節が垣間見えていた。
主人としては最も身近な従者の我が儘の一つくらいは聞き入れてやるべきなのだろうが、それが自分の主義と離れているのもまた事実。
そして、このまま彼らを従えたとして、到底使い物にならないのは明らかだろう。ならばいっそのこと、ここで終わらせてやるのが人情というものではなかろうか……。
だからこそ選択肢を与えたわけだが、それも不発に終わっている。
だが昧弥にとって、過程がどうであれ、最終的な一歩を自ら踏みださせることこそ寛容だった。
昧弥は足の下で伸びている愚物を見下ろしながら、しばし考えを巡らし、ニィッと歯を剥きだして笑った。
「……ふむ。そうだな。ならばこういう趣向はどうだ? これより五分おきに、私は貴様ら全員を一人ずつ殺していくこととする。
だが、私はこれでも上品でな。食べかけを放り、あれもこれも手を着けるのは品がない。何事もマナーというやつは大切だ、そうだろう?
故に、手を着けたモノから順番に片づけていくことにする。つまり、まずは私の足元で伸びている、こいつだ」
昧弥は全体に見せつけるように爪先で不良の頭部を小突いてみせる。僅かに漏れ聞こえてきた呻き声が、まだ彼がかろうじて生きていることを知らせた。
「分かるだろう? つまり貴様らがこいつを守ることができれば、私が他の者に手を出すことはない。加えて時間制限も設けよう。あまりダラダラと食事に時間をかけるのも、これもまた品がない。
そうだな……これより一時間。これを過ぎた場合、それ以降に私が直接手を下すことはないことを約束しよう」
この段階になってようやく、幾人かの生徒が頭を垂れたままだが、顔色を窺うように上目遣いで昧弥へと視線を送った。
その僅かだが確かな変化に、昧弥は一層笑みを深めた。
「ああ、疑う必要はない。これは私の人工精霊に立てる誓約だ。私を前にして黙している勤勉な諸君らならば、これが何を意味するか……説明するまでもないな?
だが裏を返せば、今この瞬間にも私が力を込めてこいつの頭蓋を踏み砕けば、その瞬間終わることにもなってしまう。それでは始める前から結末が決まっているようで面白くないだろう。故に――十分だ」
確かな宣言。それは、たとえ神だとしても侵すことを許されない、絶対の意志の元に確立された縛りだった。
「十分。私は自らここを動くことをしない。その間、何があろうともだ。貴様らが一斉に私に向かってカルマを使用したとしても、こいつを抱えて何処かに逃げようとも。一切の行動を起こさない。
これならば、たとえ貴様らがいかに下作とはいえ、万が一、憶が一よりなお極小の確立の内に、私の身に届き得る一手を生みだせる可能性も零ではないだろう」
昧弥の言葉に呼応するように、幾人かの生徒の間で目配せが行われる。
次に何をすればいいか、自分に何ができるか。――どうすれば生き残れるか。
先程までとは明らかに違う教室の空気に、昧弥は最高級のレストランで食事が運ばれてくるのを待っている時のように心を弾ませた。
そして、徐に制服のポケットから一枚の銀貨を取りだし、全員が確認できるように掲げてみせる。
「コインが合図だ。今より弾き、コインが床に落下した瞬間から始める。せいぜい足掻いてみせろ――下作ども」
否応はない。返事など初めから必要とされていなかった。
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