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第六話 託されしもの

 三日目の朝。昨日の晩に漂っていた匂いは、もう気にならないレベルまで弱まっている。ベッドで検診を受ける祐也だが、その時の女の看護師さんに「ちょっと管の位置がずれていますねえ」とつぶやかれ、どきりとする。昨日の無茶な動きが祟ったのかと思った。

 それにも驚いたが、更にその看護師さんが「じゃあ、ちょっとこの場で直しちゃいますねえ」と、いきなり管の周りの固定補助のテープをはがし始めたのには、耳を疑った。


 ――は? え? こういうのって、補助の看護師さんが数人来るとか、せめて道具を持ってくるとか、何かするもんじゃないの? いいのか、こんな個人の裁量でやっちゃって。


 祐也が疑念を抱く余裕も、看護師さんに管を握られるまでだった。

 探るように管を上下させた後、一気に中へ押し込まれる。当然、この間で麻酔の類は使っておらず、初日のそれに匹敵する激痛が走る。

 声を出さないようにしながらも、「痛い」と目で訴える祐也。それを見て看護師さんは「うんうん、痛いよねえ」とさして大事とは思えない、のんびりした口調。管の中でまた、赤いものが垂れ落ちていく。

 テープを貼り、固定し直されるまでほんのわずかな時間だったろうが、祐也は自分が額に汗がにじんでいるのを感じていた。しかし、管を入れなおされたおかげか、今まで身体の中から感じていた、刺すような痛みはいくらか楽になる。


 時任老人はというと、着々と手術の準備を整えていく。朝食抜きに始まり、点滴の注射――麻酔も、この針を使って身体に通すらしい――を刺し、手術着に着替え、ストッキングを履いていく。このストッキングは身体を締め付け、血の巡りが滞ってしまうのを防ぐようだ。

 手術が長引いて、同じ姿勢が続いてしまった時の予防策とのこと。

 それにしても念が入っている。看護師さん、外科医の先生、内科医の先生と代わるがわる現れて、誰もいない時間を作らない。そのうえで、何かしらの処置や検診、手術についての話をしていく。

 漏れ聞こえた声からして、もう間もなく「重症室」へ、時任老人が連れていかれるとのことだ。なんでも全身麻酔をした後は体調の管理が必須となり、そのための病室なのだとか。

 個人の荷物も移され、まるまる引っ越すことになる。そうなればこの病室は、祐也ひとりだけになってしまうのだ。誰かが別にやってこない限り。


 その日、祐也は完全にアイドル状態の時任老人と、まともに話すことはできないまま、別れてしまう。恐らくは、こちらにはもう戻ってこないだろう。


 ――変な質問をしたこと、改めて謝っておきたかったなあ。


 朝ごはんからずっと、時任老人と言葉を交わせる機会をうかがっていたが、完全に防御されて口を挟む余裕がなかった。今やこの病室で動く者は祐也だけだ。

 一応、携帯電話は持っている。確認すると、部員達からの心配のメッセージが入ってきていた。驚いたことに、部長他数人もまた気胸の経験者らしく、時任老人や静枝から聞いたようなアドバイスを載せている。


 ――なんだ。イケメン病とやらも、どうやらそこそこ、女に関心があるようだな。


 てっきり静枝がレアケースかと思ったが、そんなことはなかったらしい。「練習がひと段落したら、お見舞いに行くから」とも添えてある。


 今日もまた午後に静枝と演劇練習をする予定。管の痛さも遠のいたし、昨日よりもいい指導ができそうな気がする。もちろん、自分の練習に関してもだ。


 台本を開く祐也。ペラペラとページをめくりながら、今日のレッスンにふさわしい箇所を探そうとするが、裏表紙の手前までめくって首を傾げる。

 付箋を少し大きくした、貼ることができるメモだ。台本にはいくつか付箋を貼っていたが、

 こんなところにくっつけた覚えはない。しかも、その字は祐也のものではなく、こう書かれている。


『君が昨日と変わらず、真っ先に台本を開いてくれると信じて。

 誰も部屋にいない時、君の隣のベッドの足。廊下側に一番近い足のゴムを取り外してくれたまえ。

 ※このメモは読んだらはがし、すぐに処分すること。


 時任』


 思わず、二度見する。確かにこの病院のベッドは、支える四本の足それぞれに黒いゴムキャップがつけられている。ベッドを持ち上げるのは相当力がいるだろうが、いったい時任老人は何を考えているのか。


 ――いや、もしやとは思うけど、夢の中であの人は。


 自分の脇を刺した。「新しい世界の幕を開くのは、許せない」とも言っていた。ただの偶然だったのか、あるいは。

 時計を見る。じきに今日のレントゲンの時間。看護師さんがここへやってくるだろう。もちろん、このメモは誰かに見せるべきじゃないだろう。

 祐也は細かく、細かくメモをちぎると、手近な窓から外へ放り捨てようとする。院内のどこかしらにあるのは、まずい気がしたんだ。

 けれど開かない。昨日までは開閉できていた窓が、錠を外されているにも関わらず、はめごろしになったかのように、びくともしなかった。壊れているというより、誰かが細工をしたように思える。やむなく祐也はその紙片をほとんど粉上にすると、トイレの個室の中へ流し込んだんだ。


 レントゲン撮影を終えて、病室へ戻ってきた祐也だったが、そこに意外な先客が待っている。


「えへへ……来ちゃった」


 静枝だった。病室の入り口にたたずみながら、こちらに小さく手を振っている。


「お昼まで時間があったからね。祐也のお兄さんがどの病室にいるか知りたくて、ちょっと探検しにきたの。そっかそっか、ここだったんだねえ」


 部屋のプレートをしげしげと眺める彼女。時任老人の名前は早くも消され、ここには祐也しかいないことを示していた。


「6人部屋で1人しかいないって、すごいレアケースだよね。他の人、みんな退院しちゃったとか? 知ってる?」


「ひとり、手術を受けに行ったおじいさんがいる。おそらくは重症室で過ごして、終わり次第、そのまま退院するとか」


「それでも元から2人しかいなかったの? すごいねえ、この病室。VIPルームって感じ?」


「だからそういう表現、病院とかにふさわしくないって……」


 祐也の言葉に答えることなく、ずんずん病室へ入ってしまう静枝。一番奥の祐也のベッドと時任老人のベッドを交互に見比べている。


「ふ~ん、こっちが祐也のお兄さんのベッドか。思っていたより荷物、少ないんだねえ」


「ショルダーバックひとつで事足りる。この身軽さも男ならではだよ」


「それでこっちが、そのおじいさんのベッドかあ」


 まだシーツの類を取り換えておらず、他のベッドに比べて人が使っていた形跡が、そこかしこに見受けられる。


「う~ん、窓も近くていいポジションだなあ。看護師さんに掛け合って、ここに引っ越しさせてもらえないかなあ」


「いやいや、そんな都合よくいかないっしょ。今の部屋を使うって契約されてるんじゃないの? そう簡単に移ることができないと思うぞ」


「ぶう~、言ってみただけじゃん。それとも祐也のお兄さんは、私がそばにいたら邪魔だっていうの? もっといろいろ話がしたいのに」


 口を尖らせつつも、上目遣いで祐也を見つめてくる静枝。女は生まれながらにして役者だというが、静枝もなかなかに肝を押さえている。が、真の演技の探求にはまだまだ。


「はっはっは、なかなか悩ましいことを言ってくれるが、病院でいっぱい話をするって、入院しっぱなしってことだろ? そいつはいかんなあ、色々と大切なものが掛かりすぎる。

 どうせ話すなら、二人とも退院して、外の空気を存分に吸いながらっていうのはどうだ? 今よりずっと素敵な時間を過ごせると思うぞ」


「そう、だね……」


 どこか歯切れの悪い静枝。それを見て、「また地雷踏んだか、俺は?」と頭をかく祐也。

 てっきり病院に入院している患者は、外へ戻りたいと考えている人ばかりだと思っていた。それを静枝の場合は、病院内のことを気に入っているというのか。病院から出ると、いじめとかが待っていて、ここ以上に辛い時間が待ち受けている、とかか。


「そうできたら、いいんだけどね」


 静枝は大きくため息をついた。


「気分を害したなら済まない。だが、二人していい時間を過ごしたいっていうのは本当だ。病院じゃないときついっていうなら、ここにいる間でよければ話し相手になろう。いずれにせよあと数日の間なんだけど……。

 ああ、でも『先輩』だったら、早く退院するかもだろ? 間に合えば、俺たちの公演を観ないか? 市民ホールでやる予定なんだ。いや、本当に無理がなければだけど……」


「行くよ」

 静枝は短く、はっきりと言い切った。怒っている時のように眉を「へ」の字にしながら「絶対に行く」。


「お、おう」


 祐也としても先ほどの消沈具合から、ここまで挑戦的な態度になるとは思っていなかった。まさに目の色が変わるという奴だろう。気分の百面相も、少女の特徴かもしれない。


 祐也と静枝は少し話した後、昼ご飯の時間がやってきて、いったん別れた。いつもより早めに食べ終えた祐也は、通りがかる人の様子を伺いつつ、自分が使っているものの隣のベッドへ。

 ベッド脇の取り付けっぱなしになっているカーテンを引き、少しでも目につかないようにすると、かがみ込んでベッドを持ち上げようとする。右わきの下が痛んだが、我慢。少し持ち上げたところで台本を、続いてハンカチを挟み込んだ。ハンカチを風呂敷で包む時のように持ち上げて足を包むと、そのゴムキャップをひねりにかかる。

 時計は見ていなかったが、廊下から物音がするたび手を止めたので、相当時間がかかったと思われる。それでもキャップは想像していたよりも、ずっと回りやすい。いや、おそらくは「一度は外されている」もののはず。手ごたえが少ないのも道理か。

 ベッドを軽く浮かせつつ、休みながら行い続けた作業も、ようやく終わる。ゴムキャップが完全に取れたんだ。それとほぼ同時に、足のパイプの中から丸めたメモ用紙の端がのぞく。裏からでも透けるくらい、濃い筆跡で書かれている。それは今朝の台本に貼られていたメモと同じものに思える。

 祐也はキャップを元に戻しつつ、メモを開く。その最初の一行目はこうだった。


                   『ここは、悪魔のゆりかごだ』。


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