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第四話 演じよ、役を

「あ、来た来た。こっちこっち」


 16時の5分前。中庭にやってきた祐也は、敷地中ほどにあるベンチに腰掛け、手を振る静枝の姿を認める。

 中庭というからには、てっきり頭上に空がのぞいているものだと思っていた祐也だが、人フロア分の高さの天井にきっちり阻まれている。その天井部分は青く塗られて、白い雲もいくつか描かれていた。

 中央にはあの地下から続く、木のモニュメントの幹。どうやらここがてっぺんらしく、さほど枝の広がりを見せないが、葉はたっぷりと茂っている。まるで緑色のポスターカラーに浸して、穂先を立てた絵筆のようだ。

 フロアの四隅には花壇が設けられている。図形問題で、「~の角の大きさを求めよ」という時に記される、扇形の印そのものといった形状。こちらは入っている土も、植えられている黄色、赤、青紫のパンジーたちも本物のようだ。そして木と花壇を除けば外の廊下と大差ないリノリウムの床と、ベンチが木を左右から挟む形で4つだけ。


 ――コスト削減、なのか? これじゃ庭というかドームとかビニールハウスの中みたいじゃんか。気分が出ねえって。


 実際、祐也たち以外にこの「中庭」を利用している人は見当たらない。


 ベンチに並んで腰を下ろすと、静枝はさっそく台本を読みたがってきた。


「うわっ、すごい書き込み。というか、字がきたなっ!」


「誉め言葉と受け取っておく。読み合わせの時から、他の人の動きを含め、自分の役回りを把握するためにやってきたことだ。台本の白さが目立つのは、さぼっている証拠さ」


「ふーん、そんなもんなんだ。祐也のお兄さんの役は何?」


「俺はこの、『プライド』って悪役。名前の通り、自分のやることに誇りを持っている悪役だ」


「了解。じゃああたしは……この『オフィーリア』って人の役、やってみようかな。名前からして女の子でしょ」


「お目が高い。劇中で主役格の女の子だよ。台本作った人の趣味か、お堅いセリフが多いけど。じゃあ、ちょっと台本を読んでみて。どっかしらのシーンを選んだら、その演技を見よう」


 それから静枝は台本を読みふけり、やがて序盤の最初の山場。オフィーリアが勝利の凱旋をする時の、皆への呼びかけのシーンを選んだ。言葉少ななところではあるが、気の入れ方ひとつで、彼女の持ち味が変わってしまう。


「みな。いざ、かんきのうたをうたわん!」


「う~ん、ちょっと棒読みに過ぎるな。オフィーリアは故郷を追われ、家族を奪われ10年間、反撃の機を狙い続けてきた経歴持ちだ。その逆襲の狼煙を挙げる一戦に勝利したんだ。皆の手前、大はしゃぎはしないけど、これまでの悔しさと、これからの希望がないまぜになった呼びかけだ。ただ大声を出しているだけじゃ、言葉をしゃべるだけのお人形になっちゃうぞ」


「む~、じゃあ……皆。いざ、歓喜の歌を歌わん!」


「おっ、さっきよりも期待感がこもってきたぞ。いい感じだ。後は言葉の端にこれまでの過去をにじませる、無念さが漂うとなおよし。でも入れ過ぎはだめだぞ。10パーセント……いや、5パーセントくらいがいいかな」


「難しすぎるよ~。演劇ってこんなに辛いの?」


 あ~あと足をぶらぶらさせる静枝だったが、本当に嫌がっているわけではなさそうだ。先ほどのシーンに加えて、その先も熱心に読んでいる。


「ねえねえ、じゃあ祐也のお兄さんの『プライド』やってよ。演技のお手本お手本。ちょうどこのシーンのすぐ後だし」


「ふっ……良かろう」


 すでにスイッチは変えている。戦乱の広げ手にして、真の黒幕の下僕。オフィーリアの台頭を内心では待ちわびていた、プライド侯爵。彼が今、ここに降り立った。


「ようやく来たか。ふふふ……待ちわびたぞ」


 いつもよりやや低めの声質。片手でグラスを持つ仕草をしつつ、もう一方の手で前髪をかき上げる。静枝はそれを茶化すことなく見守っている。


「その身も心も、今だ幼い子鹿かと思っていたが、なかなかどうしてやってくれる。だが、もはや止められぬぞ。お前の方を向く者は、どんどんと増えていく。このグラスに注がれるワインのように、お前の器にきゃつらの血と希望が注がれる。

 割れることもこぼすことも許されぬ道程……歩み切れるかな。よしんばここまで来られたとて、そのなみなみと注がれた希望を」


 ぐいっとワインを傾ける素振り。できる限り喉をならしつつ、「こう、我がきれいに飲み干すまでのこと」と続ける。


「――さあ、新しい世界の幕を開こう」


 くっと、中庭の窓の一方を仰ぎ見る。本番では背景としての窓が置かれる方向だ。そこを見据えて、みじんも体を動かさない。


「……すっごーい!」


 静枝がパチパチと拍手をする。打算でもなんでもなく、その目に素直に感動をたたえているのが分かる。ふっと、祐也は演技のスイッチを切った。


「いかにも大物って感じだね! このままラスボス? でもいいんじゃないかと思ったよ」


「そう思ってくれるなら重畳ちょうじょうだ。実際、オフィーリアも途中まで、プライドを黒幕だと思っているからね」


「ほへ~、演劇、いいなあ。入院しているって辛さ、この時だけは忘れられそう」


 ちくっと来たのか、静枝はちょっと片目をつぶって、ドレーン・バックを見やる。空気漏れを測る目盛りに変化はない。空気は漏れていないようだった。


「また明日もお願いしていい? オフィーリアの役、もっともっと勉強したいんだ」


 祐也は快く承諾。明日も同じ時間に、ここで落ち合う約束をして二人は別れる。


 病室に戻って夕食を食べると疲れが出たのか、祐也はまたうとうとと眠気に襲われ、ベッドに横になる。そこで軽く夢も見た。

 自分は高校の体育館で、通し稽古をしている。自分は舞台袖に控えており、今はオフィーリア役の現部長が、ちょうど静枝に教えたシーンを再現している。


「皆! いざ、歓喜の歌を歌わん!」


 剣を握っている設定を反映して、右腕を大きく振りかぶる部長。本番では帽子をかぶり、その中へ髪を隠すことにしているので、黒いロングヘアも今はお団子状態だ。

 そして、さすがの迫真の演技。静枝も頑張っていたが、部長のは聞いているだけで、本当に呼びかけに応えたくなるように、心を湧き立たせてくれる。


 ――こりゃあ、俺も負けられないな。


 続いて祐也の「プライド」の場面。これも先ほどやったばかりだ。

 体育館にある余りの椅子を、本番でかけるソファに見立て、腰を下ろすと同時に足を組む。部長はじめ、他の部員たちが袖に控えているのがここからでも分かる。

 静枝に見せた時も、まだ自分のワインの持ち方などに、やや不満があった。それを細かく直しながら、暗転直前のあのセリフまで来た。


「――さあ、新しい世界の幕を開こう」


 そう告げ、窓へ顔を上げかけた時、不意に右の脇から激痛が走った。

 つい呻き、そちらを向いてしまう。腰掛けた「プライド」のすぐそばには、低くひざまつきながら、短刀を突き立てる者の姿があった。当然、このシーンで舞台に配される者は「プライド」以外にいないはず。


「あいにくじゃがな……その幕、開かせるわけにはいかぬのよ」


 狼藉者がうつむいていた顔を、くっと上向かせる。それは紛れもなく、時任老人のそれだった……。


 はっと、祐也は目覚める。わき腹の痛みもあった。また管の部分が叫び出したようだが、昨日ほどじゃない。身体も慣れたのか、ほどなく収まり始める。

 枕もとに置いた時計相手に目を凝らすと、時刻はちょうど日付が変わろうかというところ。5時間近く眠っていたことになる。


 ――あ、ちょっとトイレ行きたいかも。


 下半身に怪しい気配。小なのが幸いだが。

 ぐんぐん尿意は強まり、無視して二度寝できないほどになってくる。やっておくことさ、とスリッパを履いて、ベッドから出た祐也だったが、すぐ「おや?」と思った。


 夕飯後に、これもまたすぐに寝入ってしまったはずの時任老人。彼のベッドがもぬけの殻になっていたのだ。


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