69 フヒヒヒー
イリカは、しゃがんでもなお、シュレナの胸の辺りほどの高さがあった。横幅もある。
まるで、紺色の岩が眼前に置かれたかのような眺め。紺は、イリカの首から下をすっぽりと覆うケープの色である。
「いきなり飛び付いちゃっていいの?」
「うん、大丈夫だよ」
シュレナの問いかけに、イリカは振り向かずに答える。後頭部の長い黒髪が、街灯に反射してつややかに光っている。ロタによると、アクリル製のかつららしいが。
勢いを付けて、前方へジャンプするシュレナ。両腕をイリカの肩へと左右から絡め、胸から脚までをイリカの背に密着させる。
(おおっ、ぴったりじゃん!)
イリカの上半身は、いい具合に前へ傾斜が出来ており、しがみつかなくても落ちることはなかった。
イリカの太い腕も、ひじの曲がり目でシュレナの膝裏をソフトに挟む。しっかり固定された。
「乗れた?」
振り向かないイリカが尋ねてくる。シュレナは、
「はい。超安定してんだけど」
「よかった。じゃあ、立ちます」
と、イリカは前かがみのまま、ゆっくり立ち上がる。
イリカの膝から、ギギーッと再びモーター音がする。今のシュレナには、真下から聞こえてきた。
視界が上がっていき、そばに立っているロタと同じくらいで止まる。
「高っ!」
つぶやくシュレナ。
今の頭の位置は、自分の身長より高い。
「平気そう?」
と、ロタが目を合わせてくる。
おぶわれたシュレナがうなずくと、
「じゃあ、行こうか」
「行こう」
ロタとイリカが声をかけ合う。
イリカは、アスファルトをズシッ、ズシッと踏み締めて、ゆっくり歩行。振動がシュレナの腹へ伝わるが、不快ではない。
また、ケープの布越しに、独特な温もりも感じた。もちろん、人の体温とは違う。家電製品の余熱に似ている。だが、ホッとさせられた。
「イリちゃん、あったかーい」
と、シュレナ。あごを、イリカの左肩に載せている。
イリカは、キュッと首を左へ向け、
「熱くならないように、こまめに排熱してるからね」
緑色の左目と視線が合う。
「ロタさんをおぶったことは?」
「内緒」
左目を細めてニヤリとするイリカ。
「ないだろ。何が内緒だ」
横を歩くロタが、会話へ割って入る。シュレナの自転車を押しながら、苦笑いでこちらを見上げている。
「フヒヒヒー」
イリカのおどけた笑い声。
ロタは続けて、
「まだ私はないけれど、以前、別のある人が、実験でイリカにおぶわれたことがあるんだよ」
なぜか、突然ひらめいて、
「もしかして、イリちゃんの浴衣を作った人?」
「へえっ、よく分かったな。そうだよ」
ロタは感心したように笑った。
(なんか、みんなすごいなあ。イリちゃんを造った人たちも、イリちゃん自身も、イリちゃんときずなを深めてるロタさんも……)
ただ、シュレナは圧倒されていた。