単話 小噺
カランコロン
大正 某年ー。
紺色の山高帽に、同じ色のコートとズボン。
年かさの男性がポケットに手を突っ込んだまま、背を丸めてカフェのカウンター、一番隅の席に座った。
店内には若い女性や、恋人同士が目につく。
キラついた洋菓子や、ソーダ水を目当てに押し寄せるのだろう。
他には年若い男どもが連れ立って、給仕の娘の愛想や、少しでも浮ついた関係になれないかと狙っているのだろう。
なんとも鼻持ちならない感じだ。
男性は無用な争いを避けるために、より一層カウンターに身を伏せた。
そういう男性も、コーヒーが目当てできたのだ。
「あら、いらっしゃい先生。ご注文は?」
「こんな年寄りをイジメないでくださいよ、ママさん」
「ハイハイ、いつもと同じ熱いコーヒーね」
初めて飲んだときは、なんだこの苦いばかりの泥水のごときものは!と。
顔をしかめて、随分とカップとにらめっこしたが。
金を払って残してはもったいないし、何よりこの飲み物に申し訳が立たない。
そう思って飲むうちに、この独特の苦味や、風味をより考えるようになり。
慣れない飲み物だ、とばかり思っていたが、いつしかここにくる都度頼んでいる。
「はい、先生。どうぞ」
妖艶という言葉がぴったりなママさんは、赤い洋服着ていてまさしく今話題のモガそのものだ。
「それで先生、お仕事の方は順調?」
艶やかな笑みで言われて、男性は苦い顔をした。
「捗ってたらここには来られないよ。忙しいと僕には朝も夜もないんだよ?全く仕事ができるのはいいことなんだけどね」
小説家なんて、気取った仕事だとよく言われる。
教養のある先生方が、世のためになるような教材や、文献を記している中。
男性のように娯楽品として書いてるものには、買い手がつかなければ、収入は得られず生活は干上がるばかりだ。
「まあ!でもアタシは先生が来てくださって嬉しいのよ?」
「はは、僕はその手の手練手管は通じないよ。だがママさんに言われると不思議、嬉しいから困りものだ」
コーヒーを啜って、照れを隠し男性は本題を切り出した。
「それでママさん、何か面白い話あるかい?」
「そうね、山向こうの村で物騒な事件があったそうよ?知ってるかしら、新聞にもなったんだけど」
「あいにく新聞を買うほど金が無いからね。それで?」
「殺しですって、殺し」
ママさんは声をひそめて、さも恐ろしいと言った風に
顔を歪めた。
「ほう!それはまたまた…」
「山向こうの村にね、…」
山向こうの村に、昼間から酒を飲んでは働かない男が三人いた。
男たちはそれぞれ家庭を持っていて、子供もいたが働かず、村の神社の敷地に木箱を持ち込んで、酒を飲みながら管を巻いているという。
その日も酒を持ち込んで、昼間から飲んでいた。
「あー、暇だ。なんかおもしれーことねぇかなぁ?」
「全くなぁ、金持ちのお大尽なら、さもいい暮らしができるんだろうに」
「働かねー、俺らにできるかよ!」
「はっ!ちげぇねぇ」
とこんな風に酒を飲んでいた。
「おい」
「ああん?」
「退屈しのぎによ、賭けねぇか?」
「何をだよ?」
また始まったとばかりに二人は、言い出した男の顔を覗き込んだ。
「この三人の中の息子が一人イジメられてるらしい。 俺らがそのイジメっ子を予想して、一つ成敗してやろうじゃねぇか」
「なんだよ、イジメっ子てお前んとこのガキじゃねえのか?」
「お前、金とちょうどいい憂さ晴らしに誰か殴りたいだけだろ」
「なんだよ、オメェら乗らねえのかよ?」
「ははっ、ンなわけねぇ。俺は乗った!」
「俺も乗った!」
「じゃあ、コレに誰か予想して書けよ?名前を書いて下に自分の名を一文字な」
赤いだるまを取り出し、机替わりの木箱にさ置く。
「なんでぇ、オメェこんな物どうした?」
「ウチのが内職で、こしらえたもんだ。おい、社務所に筆と墨があんだろ、あれ拝借してこいよ」
「おいおい、そりゃあ仏罰が当たるんじゃねぇの?」
「バァカが、ここは神社だからどっちかつうと神罰だろうがよ」
途端にゲラゲラと皆で笑った。
そしてだるまに皆で書き付けていく。
「へっ、とりあえずはこれでいいだろう。さて、帰るとするかな」
その日はお開きとなり、三人とも帰路に着いた。
そして二、三日たった日のことだった。
賭けの言い出しっぺが姿を消した。
だいの大人の、しかも男だから浮気でもして、家に戻れないくらいお楽しみなのだろう。
人々はそう噂した。
最初は村中探し歩いた男の女房も、居ないのであれば金をたかられないで済むと、すぐに割り切ってしまった。
それからさらに一月ほど経った頃、消えた男は思わぬ形で帰ってきた。
新聞配りの青年が、村の広場に正座している男を見つけ、腰を抜かした。
右の半身は無残に拷問され尽くし、左半身は全くの無傷というほどの異様なさま。
それは見たものを恐怖と同情を感じさせ、さらに誰がこんな酷いことを?と疑問すら抱かせた。
幸いあまり目撃者はいなかったが、人の口に戸は立てられない。
噂はあっという間に広がった。
殺人とあって警察も徹底して捜査に当たったが、一向に犯人は分からず、迷宮入りしてしまった。
新聞記者たちは面白がって事件を書きたて、なくなった男の息子は「最低なヤツだったけど、あんな風に殺されていい筈はない」そう言ってたそうよ。
残った二人の男はそれぞれアリバイがあるし、それにやたらとビクビクしていて、何かから逃げ回っている。
やっとの思いで村の駐在が捕まえて、聴取した時の話には、唄が聞こえたと証言した。
通りゃんせに似たメロディの、抑揚のとぼしい唄。
いつも三人で酒を飲んでいた場所に置かれただるま。
三人ともだるまの腹部に予想を書いて、名前を記したが、死んだ男の予想と名前が塗り潰してある。
誰がこんなことを?と気味悪く思っていると、だるまの背中側に何やらびっしりと書いてある。
『我の家の息子が
誰かにイジメを受けている
赤いだるまに願掛けて
イジメっ子に罰当てよう
逃げられないよぅに腱を切り
暴れないよぅに手の腱も切ろう
それから目玉をくり抜いて
耳の蝸牛を引っこ抜こう
……」
あまりに不気味な文句に、だるまを取落すと、木の葉ずれに混じって、唄が聞こえた。
だるまの背に書かれてある、薄気味悪い詩の唄が。
「かなりうまくまとめられてる。かなり擦ってあるね、その話」
「あら、やっぱりわかる?私も馴染みの記者さんから聞いたのよ。記者さんがかなり面白い話だからって、まとめたのを聞かせてもらったんだけど、怪談よね」
「まあ確かに四谷怪談も真っ青な、怪談っぷりだねぇ。それでだるまや、ほかの二人の男はどうしたんだい?」
「さぁね、男二人はよく知らないけど。だるまについてならわかるわよ?
見つからなかったんですって」
「なぜ?」
「だるまを男たちが取り落とした後、怖くなった二人はその場所から逃げ出したらしいのね?
それで警察と鬼ごっこした挙句駐在さんに捕まって、
取り調べられている間に警察官がだるまを取りに行ったらしいの」
「だけど見つからなかった、と?」
「そうその辺に落ちている筈だと、二人は言い張ったんだけどね。見つからなかったし、大方唄の歌い主が持っていってしまったんだろうってね」
「なるほどねぇ、ま、妥当だろうね」
男性はカップに残ったコーヒーを全て飲み干す。
「あら、先生お代わりいかが?」
「いや、結構だよ。ママさんお勘定を頼もうか」
「ふふっ、先生ってば行けずね。いつも一杯以上は飲んでくださらないんだもの」
「ママさんだって、悪い人だよ。年寄りからかうより、若い子が選り取りみどりだよ?」
「まあ、アタシは若いツバメに用はないのよ?アタシはね、ロマンスグレーが好みの」
お茶目にウインクしたママさんは、男性に畏まって一礼する。
「先生、またのお越しをお待ちしております」
男性ははにかみながら、山高帽をクイッと上げて、カフェのドアを出て行った。
終わり