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あの景色をもう一度

 私は夜の散歩が日課で、今日も外を歩いていた。

 田舎故に街灯も少なく、うんと輝く夜空を独り占めできそうだ。ゲコゲコと蛙の声や名前の知らない虫たちの声が田んぼや道端から聞こえる。

 生ぬるい空気が、むき出しの肌にまとわりついて、虫の声に吸い取られていった。

 ずっと道を歩くと、川のせせらぎが聞こえてくる。さらさらと涼し気な音が耳を刺激する。

 耳元で鈴のなる音が聞こえ、足を止めた。

 虫の声も聞こえなくなり、当然のことながら私の足音も無くなり、辺りは静まり返る。ふと横を見ると神社の前だった。少し、あるきすぎたのかも知れない。

 昼間は朱色の大きな鳥居が、闇に塗られ、赤黒く染め上げられてる。

 その鳥居の傍に一人の女の子がいることに気付いた。

 こんな夜中にどうして。こんなところに。

 小さな素足がコンクリートの上にのっかって、白いシンプルなワンピースが月明かりに照らされている。


「あなた、わたしが見えるのね」


 シャベッタ。

 金縛りにあったように体が動かなくなり、少女から目が離せない。少女しか目に入らない。

 病的な肌の白さ、瞳に宿る憂い、それでも口元は三日月を浮かべている。

 木々が噂をするようにザワザワと音を立てる。

 少女は足音も立てず、階段を降りて、ふわりと私の目の前に寄った。


「あなた、名前は?」

「え、えっと……ミコト」

「そうね、わたしの名前は……カヤって呼んで」


 幽霊ってもっと怖いものだと思っていた。

 拍子抜けして、こわばっていた体の力が抜けた。カヤという女の子の幽霊はどうやら悪い感じの部類ではなさそうに見える。霊能力者とか霊媒師じゃないから正確なことはわからないけど。

 カヤが折れそうに細い腕を伸ばし私の手首に触れる。

 冷たい。

 氷が触れたようだった。

 掴んだと思われた手首はすり抜けて、結局つかめていなかった。

 眉をハの字に下げたカヤは、真っ直ぐな黒髪を振り、「幽霊だものね、仕方ないわ。石段に座って話しましょ」と石段に戻っていく。

 幽霊という死者に出会った私は驚くほど冷静だったのは、カヤがフレンドリーで、怖い印象がなかったからだろう。


「ミコト、あなたどうしてここにきたの?」


 カヤの隣に座ると、カヤは可愛らしい笑みを浮かべて聞いてきた。

 裸足で、指に張り付く白い爪が伸びている。


「私、散歩が日課でさ。今日も空を見ながら歩いてたんだよ。星が綺麗でね」


 私が空を指差すと、カヤは顔を上に向ける。カヤの夜のような黒い瞳に星が落ちて、瞳が輝いて見えた。

 口角を上げ、空を見つめている。

 川のほうから名前の知らない虫が静かに鳴く。

 夜空を見つめたまま、カヤは口を開いた。


「わたし、思い出した。あの景色をもう一度見たい」

「あの景色?」

 

 カヤは瞳に夜空を浮かべながら、ぽつぽつと話し始めた。

 

「こんな風にどこまでも広がる夜空と浮かぶまんまるの月があって、足元は黄色い花が咲いていたの。月明かりが花を照らして、花がぼんやりと輝いていたわ」

「場所は?」


 視線を私に移して、カヤは小さく首を振った。首の動きと少しおくれて髪がサラサラと揺れる。白いつま先を見つめて、悲しそうに「覚えてないわ」と呟いた。

 場所を覚えていないのでは、そこに案内することもできない。私の記憶の中にも、そんな場所はない。

 きっと私が知らない場所なんだ。

 あの景色を、カヤに見せてあげたい。

 その憂いを帯びた瞳も、心から笑っていないようなどこか悲しげな笑みも、なくなるかもしれない。ちゃんと笑顔をみせてくれるかも知れない。

 幽霊相手に何を考えているんだと自分自身でも思うけれど、カヤを放っておけない。なぜか、放っておけない。

 もしかしたら、私がその景色を見たいだけなのかも知れないけど、私がその景色を見ることができたならカヤにだって見せることができるはずだから。

 私は、つかめないカヤの手を掴み、カヤの目を見た。手に感じる冷たさ。氷水に手を突っ込んでいるようだ。


「カヤ、私がその景色を見せてあげる!」


 カヤの目が猫のように大きく開く。半開きになった唇から細い息が漏れた。まつげが震え、カヤの目が潤み、そっとまぶたを閉じる。


 赤い涙が流れた。


 私はぎょっとして、ポケットからハンカチを取り出し、カヤの濡れた頬にハンカチを押し当てようとした。が、相手は幽霊。私の腕はカヤの顔を通り抜けてしまった。


「カヤ、血。涙、赤いよ」

「えっ? あら、本当。驚かせちゃってごめんね」


 カヤは人差し指の背中でそっと涙を拭うと指を振って涙を捨てた。血の涙が通った頬は、涙の跡が残っていた。

 ふと腕時計に目をやると時刻は夜中の三時を回っていた。さすがにそろそろ帰らないと。

 立ち上がり、お尻を手で払う。


「ごめん、私今日はもう帰るね。また明日、来るから。約束」

「ええ、待ってるわ」


 カヤに手を振ると、カヤも細い腕を振り返してくれた。それから数歩歩いて、後ろを振り返るとそこにはもう誰もいなかった。

 私とカヤの特別な夏が始まる音がした。

 

 


 

 

 

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