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8.懺悔と不幸中の幸い

「お前……何泣いて――」

「私は」

差し伸べようとした手はだがしかし、何にも触れず、何も掴めず、中空でフリーズし、やがて重力に負けて降下した。

 俺の手を押し留めたのは、花宮栞の涙でもなければ額に貼られた痛々しいガーゼでもない。

 それをしたのは、花宮の、敵意すら感じられる目だった。

「私は……死のうと思っていました……本当は」

「……へ?」

 突然の花宮の発言に、間抜けなリアクションしか出来ない。

「陽介さんに出会ったあの日、このマンションの屋上から身を投げて、死のうと思っていました」

「いや、あの……何の話なんだ?」

「私の話です」

 どうやら冗談とかではない。

 真っ直ぐに見詰めてくる花宮の目が、それを物語っている。

 だったら。

 俺も、真面目に聞くしかない。

「なんで、死のうと思ったんだ?」

「限界、だったんです」

 俺は真っ直ぐに花宮の目を見つめ、次の言葉を待つ。

「私……父親に、DVされてるんです」

「DV……? DVって、あの?」

「ドメスティックバイオレンスです」

 聞いたことはある。

 家庭内暴力。

 だがそれは、どこかテレビの中の話だと思っていた。

 つまり、実際にはそうそう起こり得ることではないと、勝手に、無意識に思っていた。

「父親が? 実の? お母さんは助けてくれないのか?」

「母は、他界しました。私が中学生の時に」

「……悪い」

 なんだよ。

 花宮、お前、そんな華奢な身体で、どれだけ辛い思いをしてきて、そして今、しているんだ。

「それは、別にもう。自分の中で踏ん切りがついてるので大丈夫です。あの、部屋に入っても良いですか? ここからは、ちょっと込み入った話になりますから……」

 そう言われれば、こんなこと玄関先で話すことじゃない。

「すまない、気が利かなかったな。上がってくれ」

 花宮をダイニングまで、連れてきて椅子に座らせ、自分もテーブルを挟んで反対側に腰掛ける。

「あの、今更ですけど……聞きますか? 最後まで」

「なんでそんな話を俺にするのか、それに聞いたところで力になれるかも分からないけど、お前が唐突に口にしたってことは、俺に聞いて欲しいってことだろ? だったら、最後まで聞くよ」

「ありがとう、ございます……。私も、なんでいきなりこんなことを、陽介さんに話そうと思ったのか、分からないんです。でも、陽介さんの新作を読んだら、いてたってもいられなくって……」

 申し訳なさそうに少し俯いた花宮は、上目遣いで俺の顔色を窺ってくる。

 俺は首肯し、花宮に話の先を促した。

 すると花宮は意を決した様子で、話し始めた。

「……父は、優しい人でした。母とも仲睦まじく、私は子供ながらに将来は私も、旦那さんになる人とこんな家庭を築きたいなって思っていました。ですが――母の死を期に、父は変わってしまいました。

 中学二年生の時です、母が他界したのは。交通事故でした。突然のことで私も父も、とてつもないショックを受けました。暫く、父とは会話をしなくなりました。というか、父は、何も出来なくなりました。呆然自失で、希望を失ったように目は虚ろで、自分では食事を用意することも出来なくなり、働けなくなり、生きることが難しくなってしまいました。

 そしていつからか、私が父の身の回りの世話をするようになっていました。食事の支度をして、家計を切り盛りして。高校に入ってからはバイトをしました。貯金口座の残高が、減っていく一方だったので、そうしなきゃいけないと思いました。

 ですがちょうどその頃からです。父が……私に暴力を振るうようになったのは。

 父はこう言いました。『お前は俺のことを邪魔だと思ってるんだろ? 使えないクズだと、ダメな人間だと思ってるんだろ? そんな哀れんだ目で俺を見るな。俺だって好きでこうしているわけじゃないんだ』と。父は、私に生かされていることで、プライドをズタズタにされていたんだと思います。でも、私はそんなことには全然気付かなかった。今を生きることに精一杯で、それで父の心を殺してしまっていることに全然……気付けなかったんです……」

 途中から、懺悔を聞いている気分だった。

 花宮は、自分を責めている。

「父の暴力を、私は我慢しました。父のことは母と同じくらい好きでしたし、自分のせいでこうなったんだから仕方がないと思いました。だから身体にいくら(あざ)が出来ようとも私は、それでいいと思っていました。

 でも、父は。

 父の心の闇は、どんどん深まっていくばかりでした。なんで? って思いました。私は我慢してる。お世話もちゃんとしてる。学校もバイトも行って家では家事もやって、頑張ってるのに、なんでお父さんは、良くなってくれないの? って。

 現実に絶望しました。頑張ったって報われないことの方が多い世の中ですからね。仕方ないことです。父の為に私が出来ることは、もう1つしかありませんでした。それは……死ぬことです」

 常軌を逸している。

 狂っている。

 まともじゃない。

 危険思想だ。

 と、思ったところで、それは花宮の人生を生きていないやつが言って良いことじゃない。

 少なくとも俺は、そう思った。

「私が死ねば、死んでしまえば、父は私に生かされることは無くなります。そうすればきっと、父は自分で生きていく為に立ち上がって、歩き出す筈です。自尊心も取り戻せる筈です。だから死のうと思いました。

 それで私の人生は終わってしまうけれど、父が生きる希望を取り戻してくれるなら、そんなことは些細なことだと思いました。だから私は、家から程近い高層マンションの階段を登り始めました。

 最後にちゃんと自分の足で歩きたかったので、エレベーターは使いませんでした。そして、3階に差し掛かった時です。(うな)されている声が、私の耳に届いたのは。

 ――それが私が貴方に出会った経緯です、陽介さん」

 そこまで聞いて俺は正直に、何を言っていいのかが分からなかった。

 だがとりあえず思ったこと。

 俺は今、風邪を引いていて正解だったらしい。









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