2.お粥と現実
「お仕事は何をなされているんですか?」
花宮栞という少女が作ったお粥を、ふーふーしながら口に運んでいると不意に横合いからそんなことを聞かれた。
場所を寝室からダイニングに移し、栞は自分の分のお粥も用意して置きながら、それにはまったく手を付けずに、テーブルに頬杖をついて俺が食べる様を眺めている。
正直食べづらいが、作ってもらっておいて文句など言える訳もなく、俺は合間に質問に答えることにした。
「工場で製造、食品関係」
端的に言う。
「へぇ、庚さん、食品会社で働いているんですね。その割自分の食べるものには結構無頓着みたいですけど」
何の気なしに、失礼なことを言ってくれる。
「あ、すみません、気にさわりましたか?」
俺が少しむっとしたのを感じ取ったらしい。どうやら他人の機微には敏いようだ。
「でも良くないですよ? だって、インスタントか冷凍食品しかないんですもん、ここ。お米と調味料があったのは幸いでした」
「まあ、そうかもしれないけど……。仕方ないんだよ、仕事が忙しくて自炊する余裕が無いんだ。これでも最初の、ここに越してきたばかりの頃はやってたんだけど……」
「じゃあその名残りなんですね、炊飯器と調理器具は」
「そういうこと」
相変わらず冷めないお粥をふーふーして一口。
「辛いですか? お仕事」
「辛いよ。普通に。ていうか、やりたいことを仕事にしてない人は皆辛いだろ。やりたいことをやってたって、辛いことは辛いのに」
「やりたいこと、あったんですか?」
この子は。
大人しい外見のくせして、結構ずけずけ踏み込んで来るな。
「まあ……あったにはあった」
「あまり言いたくない感じですか?」
「うーん……人に言うと結構バカにされるから……」
「私はバカになんてしません。夢なんてあるだけで素敵な事じゃないですか」
花宮栞の物言いからは嘘偽りを感じなかったので、俺はそこまで言うならと、今の会社では語ったこともない夢を語る。
「小説家になりたかったんだ」
「へぇ」
なんか、結構あっさりしたリアクションで拍子抜けだ。
「おかしいか?」
「いえ全然。ただ意外ではあります」
「意外? 何が?」
「庚さん、結構体格いいですし、スポーツ系の夢かなって、勝手に思ってたので」
「あ、そう……」
スポーツは苦手なほうなんだがな。
「でも良いじゃないですか、小説家。夢がある夢ですよね」
「夢だった、だけどね」
「過去形ですか?」
「ああ、元夢だよ」
「今は?」
「今は、今の仕事に満足してるよ。体力的にはキツいし就業時間も長いけど、働いていた分の給料はちゃんと貰えるから」
「辛いのに?」
「仕事なんて、どれも大抵辛いもんだよ」
「でも」
花宮栞はそこで一度区切って、語気を強めにして再び発声する。
「楽しいことでお金が稼げたら、それって最高だって思いませんか?」
俺の手にある器の中のお粥が、米粒1つ残らず無くなった。今は俺の胃の中だ。
「ごちそうさま」
「お粗末様です」
常識的な挨拶をしてから、俺は花宮栞の質問に、迷うことなく答える。
「思うよ」
「だったら――」
「でももう、違う道を選んだんだ」
その言葉を受けて、俺の真意を確かめるように、花宮栞は俺の瞳を覗き込む。
「それは――」
真っ直ぐに、目を逸らさずに、言う。
「それは本当に自分で選んだことですか? 社会に、世界に選ばされたんじゃなくて?」
その問いに俺は答えることが出来ず、朝方から降っている雨の音が、今更になって鼓膜を支配した――。