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24.エピローグ

「陽介さん、ちゃんと持ちました?」

 花宮栞その父親、花宮宗一の件が一段落してから8ヶ月という時間が経った。

 12月の半ば、季節はもちろん冬、その朝のこと。

 めっきり冷え込んだ空気の中に、玄関先で靴を履く俺を待つ、外で厚着に身を包んだ栞の吐く息が白く溶け込んでいく。

「持ったよ、でもそんな慌てることもないだろ?」

「そうですけど……なんか落ち着かなくって」

「お前が落ち着かなくてどうするんだよ」

「むー、陽介さんはホント、クールですよねぇ」

 恨めしそうな顔で俺を見る栞。

「はいはい分かった、それじゃ行こうか」

 靴を履き終えた俺は立ち上がって、栞の頭を一撫で。

「はいは1回です」

「はいはい」

 怒った栞はデコピンをかましてきた。




 この辺では広い通りの車道沿いの歩道を二人で歩いている。

 栞は俺の家に荷物を置いてきたので手ぶら、俺だけが肩にトートバッグを掛けている。

「親父さんは、落ち着いているのか?」

「あ、えと仕事ですか?」

「あー、じゃなくて、殴られてないか、ってこと」

「ああ……はい、それはもう、全然……」

 それは喜ばしいことだが、栞のテンションが低いのは何故だ?

「まあ、もう大丈夫そうだな」

「はい……頑張って我儘言ったりしてるんですけど、ビンタの一つもしてくれません……」

「はは、大分甘やかされてるんだな」

「そうなんです……」

 謎の落ち込みようだ。

「なんか、悩みであるのか?」

 栞の顔色を窺いつつそう聞く俺に。

「はぁ……陽介さんの鈍感……」

 などと失言をしてくる。

 そうかもしれないけど……言ってくれなきゃ分からないだろ、普通……。

「あー、仕事の方は?」

 誤魔化した様になってしまったが、それも気になることではあった。

「そっちも順調ですよ。もう半年経ちますけど、そこの親方さんとは気が合うそうで、なんとか続けられそうだって言ってました」

「そっか、良かった」

 やっぱり人は、変わることが出来る。

 こうやって世の中の一人一人が変わっていけば、いずれは世界そのものが変わるはずだ。

「陽介さんも、仕事は順調ですよね」

「ああ、給料は安いけどな。でも本に囲まれて仕事をすると、やっぱり意識は高まるよ」

「図書館の司書さんですもんね。私としては羨ましい仕事ですよ。私は読み専ですけど」

 そう言いながらはにかむ栞を、俺はやっぱり可愛いと思ってしまう。

 もはやこの感情が、ただのビジネスパートナーに向ける好意ではなく、恋愛感情だということは自覚していたが、それはどうすることも出来ないことだった。

 花宮宗一が約束を守っている以上、俺も約束は守らなくては。

 結婚することは出来ない。

 別に恋人として付き合うだけなら約束を違えることにはならないのかもしれないけれど、結婚を前提に出来ない交際を、俺は申し込む気がなかった。

 その内栞にも、恋人が出来て結婚する時が来るのだろう。

 それが自分では有り得ないという想像は、どうしようもなく苦味を伴った。

「あ、見えてきましたよ」

 そんな俺の想いを知ってか知らずか、栞は無邪気に車道を挟んで反対側の歩道に面した公園を指差す。

 手近な横断歩道を渡り、公園に近付いて行くが、俺達は別に公園に用があるわけではなかった。

 公園入り口に近付き、俺達は『それ』を見付けると、なんとなくどちらともなく手を繋いだ。

「恋人みたいですね」

「まあ、そうだな……」

 そうだったら良かったな、という言葉はどうにか飲み込んだ。

 手を繋いだままで、『それ』の前に移動すると俺達は足を止める。

 赤くそびえる、それは郵便ポストだった。

「じゃあ、陽介さん」

「お、おう……」

 いざとなれば栞の方が落ち着き、俺の方が緊張してしまうのは情けない限りだったが、それも仕方のないことだ。

 俺は栞の手を解放して、トートバッグを開くと厚みのある大きな封筒を取り出した。

「陽介さん」

 一度解いた手を、今度はしっかりと栞が掴んだ。

「一緒に、入れましょう?」

「そうだな」

 この封筒には俺が書いた小説が、俺が描いた世界が入っている。

 書いたのも描いたの俺だが、間違いなくそれは、花宮栞という人間が居なければ表現出来ないものだった。

 だからこれは、二人の作品だと、俺は思う。

 これまでに視てきた世界、描いてきた世界の全てを糧にして、全身全霊を込めて紡いだ言葉達だ。

 色々な感情が溢れそうになるのをどうにか堪えて、栞の目を見ると微笑みながら頷いてくれた。

 俺がポストに向けて差し出した封筒に、栞も手を添える。

 後はもう言葉はいらない。

 ゆっくり。

 ゆっくりと。

 前に突き出された二本の腕が、その先の封筒を赤い口に押し込んでいき、そして――。

 カラン。

 そんな呆気ない音とともに、封筒は呑み込まれていった。

「陽介さん」

 まだ左手は握ったままである。

「なんだよ?」

 気恥ずかしさもあって、俺はぶっきらぼうに応えた。

「一つ、お願いがあるんですけど」

 お願い?

 栞がそんなことを言い出すなんて、珍しいことだ。

 だからどんなお願いされるのかは想像も付かないが、例えそれがどんなお願いでも、俺に出来ることなら叶えてあげたい。

 これまで栞が俺に尽くしてくれた時間を思えば、そういう風に感じるのも当然だった。

「いいよ。俺に出来ることならなんでも」

「そうですか、よかったです」

 栞はそこで一度言葉を切って深呼吸をすると、少しだけ目を泳がせてから、そのお願いを口にする。

「あの……もし、この作品が、賞を取ることが出来たら――私と結婚してください」

 …………………………………。

「陽介さん、ダメ……ですか?」

 ……いや、違う、ダメとかじゃなくて……。

「んと……え? どういうこと?」

 間抜けだった。

「言葉のままです。今投函した作品が、賞を取れたら、私と結婚してください」

「な、なんで?」

「好きだからです、陽介さんが」

 栞は、栞を挟むことなく、更に言葉を紡ぐ。

「陽介さんの紡ぐ世界が、陽介さんという世界が、どうしようもなく、この上なく、とても、大好きだからです」

 真っ直ぐな言葉を紡ぎ、真っ直ぐに見つめてくる栞に、俺は嬉しい気持ちで一杯になったが、それでも俺は。

「ごめん、それは出来ない」

 栞はそれでも瞳を逸らすことはなく、あくまで真っ直ぐに。

「嫌い、ですか? 私のことが」

「そんなわけがあるか。俺も……お前のことが大好きだよ」

 真っ直ぐに思いを伝えてくれた栞に嘘をつくことは、俺には出来なかった。

 それでも結婚は出来ない。

「なら、何も問題ないじゃないですか?」

「忘れたのかよ……俺はお前の親父さんと――」

「約束、ですか?」

「そうだよ、だからお前とは……」

「それでも、問題ないと言ってるんですよ、私は」

「え?」

 栞が何を言わんとしているのか、それが俺には分からなかった。

 不思議そうな顔をしている俺に、栞は悪戯っぽく笑うと、饒舌に述べる。

「陽介さん、お父さんとなんて約束しましたか? 結婚しないなんて、言ってないですよね?」

「えっと……」

 そう、だったか?

 いや、でも確か……。

「『俺が約束を守っている限り娘はやらない』って、そう言ってたような……?」

「そうですね。その通りです」

「じゃあやっぱり……」

 無理、だよな?

「んー、まだ分かりませんか?」

「いやごめん、マジで分からん」

「分かりました、鈍感な陽介さんの為に分かりやすく言い直しますから、よーく聞いててくださいね?」

 言われた通りに耳を澄ます。

 栞も俺に聞こえやすいように顔を寄せ、そして。

「陽介さん、私に貰われてください」

 貰われるどころか。

 唇を奪われた。

 小鳥のさえずりさえも意識から遠退き、まるで停まったような時間の中で。

 栞の唇の感触だけを、はっきりと感じる。

 やがて、俺が茫然としている間に、栞は離れていった。

「ん…………はぁ」

「ちょっ、お、おま……!」

「ですから、お父さんは『やらない』と言ってたので、私が貰う側だったら何も問題はないですよね? お婿に来てください、陽介さん」

 花宮栞の唇柔らかさは一先ず置いておいて。

 筋は……通っている。

 そんなロジックがあの花宮宗一に通じるかどうかは(はなは)だ疑問だが、しかし――。

「そんな抜け道が、あるのか……」

「ふふ、私こういうの得意なんです♪ 自慢にならないですけどね」

「自分で言うなよ。でもまあ、それだったら――」

 俺も、言わなきゃいけないことがある。

「栞、結婚しよう。賞を取れたらな」

「はい♪ 賞を、取れたら――」

 朝方の公園は人目も少ない。

 それを良いことに俺は、今度は俺から。

「ん………」

 唇を奪い返す。

「ふふ、大胆なんですね」

「お前には言われたくねえよ」

「あはは、ですね♪」

 俺達は手を繋いだまま、帰路につく。

 家に帰る途中で花宮栞がこんなこと言った。

「気付いていますか、陽介さん。賞を取らないと結婚出来ないですけど、私、賞を取るまで陽介さんにお付き合いするので、結局これからずっと、私達は一緒なんですよ」

 まったく。

 抜け目の無いやつである。

 ――まあ、それは俺も気付いてはいたけど。





 完










 





蒼葉綴です。

 ここまで拙作、『風邪引きと雨宿り』をお読みいただき本当にありがとうございます。

 個人的な理由としては、自分の文章力を試すという意味での短編小説を書こうと思い書き始めたのですが、思いの外短編にならずに、その辺のさじ加減ができないようでは先が思いやられるというものですが、それでも最後まで書ききることが出来たことは素直に嬉しく思います。

 この作品テーマがどこにあるのか、それもほとんど忘れながら執筆していたのですが、『物語は人を変えうるか』という物だった気がします。

 作者個人的には裏のテーマがあったりするのですが、まあそれは別に言うことではないのであえて言いません。なんとなく感じ取っていただけたら嬉しいです。

 本作品は、特に代わり映えの無い日常のなかのほんの細やかな事件を切り取ったものです。

 ですから非日常を求めている読者様方にはあまり受けの良いものではないかもしれませんが、これも一つの“現実”として扱っていただければ幸いです。

 それでは、長くなりましたが、本作をここまで読んで頂いた皆様に重ねて御礼申し上げます。

 ありがとうございました。

 あ、感想などありましたらお待ちしています!

 では。


P.S.

 次はもう少しぶっ飛んだの書くと思いますので、その時はまた読んでくださると嬉しいです。


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